『ビキニ環礁で行なわれたブラボー実験で生じたキノコ雲』

1954年3月1日は、大戦後初となるアメリカの核実験「キャッスル作戦」の初日、「ブラボー実験」が行なわれた日である。
現在はマーシャル諸島共和国に属するビキニ環礁で行なわれたこの実験は、事前の危険水域設定が不確かであったことから200人以上もの"死の灰"を浴びた犠牲者がいたといわれ、その中には日本の遠洋マグロ漁船・第五福竜丸も含まれている。
帰国後の同年9月23日に、その乗組員のうちのひとり、当時40歳だった久保山愛吉無線長が死亡した際、担当医師はその死因を放射能症と診断したが、現在に至るまでアメリカ政府はブラボー実験による放射能被害だと認めていない。
このことは日本に於ける反核運動の契機となり、後の人気映画『ゴジラ』制作のきっかけにもなったとされる(『ゴジラ』第1作は1954年11月3日公開)。
同地でのアメリカによる核実験は1958年までに23回行なわれ、28種ものサンゴが絶滅した。
2010年にはビキニ環礁が《負の記憶》をもとに世界遺産として指定された。
なお、1896年の3月1日はフランスの物理学者、アンリ・ベクレルが放射線を発見した日でもある。
その意味で、3月1日は《放射線にまつわる日》として記憶すべき日なのかもしれない。

(写真はWikipedia Castle Bravoより使用。Public Domain)

3月1日の不幸

1932年
【身代金誘拐事件】「リンドバーグ愛児誘拐事件」

人類初の大西洋間無着陸飛行を成し遂げたチャールズ・リンドバーグの当時1歳の長男が1932年3月1日に誘拐された事件。自宅から忽然と姿を消した長男の代わりに身代金5万ドルを要求するノートが置いてあった。10日間の捜索と身代金の受け渡しまでやったが、長男は1932年の5月12日にリンドバーグ宅の近所で遺体となって発見された。事件の2年後、身代金の紙幣を使用したことからブルーノ・リチャード・ハウプトマンが逮捕され、1936年に死刑となった。

1939年
【死去】岡本綺堂【小説家】24年の新聞記者生活を経て小説家、戯曲家に。『半七捕物帳』『番町皿屋敷』等の代表作で知られる大正期を代表する作家。東京・目黒にて肺炎で66歳没。
1954年
【被爆事故】「キャッスル作戦」

1954年3月1日に、大戦後初となるアメリカの核実験「キャッスル作戦」の初日、「ブラボー実験」が実施。現在はマーシャル諸島共和国に属するビキニ環礁で行なわれたこの実験は、事前の危険水域設定が不確かであったことから200人以上もの”死の灰”を浴びた犠牲者がいたといわれ、その中には日本の遠洋マグロ漁船・第五福竜丸も含まれている。帰国後の同年9月23日に、その乗組員のうちのひとり、当時40歳だった久保山愛吉無線長が死亡した際、担当医師はその死因を放射能症と診断したが、現在に至るまでアメリカ政府はブラボー実験による放射能被害だと認めていない。同地でのアメリカによる核実験は1958年までに23回行なわれ、28種ものサンゴが絶滅。2010年にはビキニ環礁が《負の記憶》をもとに世界遺産として指定された。

1983年
【死去】小林秀雄【文芸評論家】

昭和に活躍した近代日本を代表する文芸評論家のひとり。大学卒業後の1928年に奈良の志賀直哉の宅に出入り。1929年、評論『様々なる意匠』が『改造』懸賞評論第二等に入選。1930年に『文藝春秋』に評論『アシルと亀の子』を発表、以降は文芸時評を連載し国内で批評家としての地位を確立。1933年、川端康成らと『文學界』を立ち上げる。1948年に評論『無常といふ事』を発表した創元社の取締役へ就任。1967年、文化勲章受章。1978年、評論『本居宣長』が日本文学大賞を受賞。1983年3月1日、腎不全による尿毒症・呼吸循環不全のため死亡。没年80歳。

1984年
【死去】ジャッキー・クーガン(Jackie Coogan)【俳優/アメリカ合衆国】

映画『THE KID』(1921年)で一躍スターダムへと駆け上がった1920年代の超人気子役俳優・その収入は8歳の時点ですでに週給2万ドルを超えていたといわれており、1935年10月、21歳の時には300万〜400万ドルもの財産を築いていたが、母親とその再婚相手がそのほとんどすべてを浪費したことが判明。係争の結果「California Child Actor’s Bill」、通称”クーガン法”が制定された。晩年は1977年に放送開始された人気TVドラマ『アダムス・ファミリー』のフランパー役で怪奇派俳優として人気を博し、1984年3月1日に心不全で死亡した。没年69歳。

1999年
【事故死】【怪死】長谷川悟史【プロレスラー】

パンクラス横浜道場所属のプロレスラー。1998年2月6日にセーム・シュルトとの対戦で一本勝ちを収めるなど将来を嘱望される存在であったが、1999年3月1日に道場近くのマンションから転落死した。没年22歳。死因は骨折からの外傷性出血ショックと発表されたが、屈強な若手レスラーのあまりに早過ぎる事故死は未だに様々な憶測を呼んでいる。

2001年
【急死】久和ひとみ【ニュースキャスター】

1980年代から2000年にかけて活躍したニュースキャスター。大学卒業後の1984年にテレビ朝日『CNNデイウォッチ』の初代キャスターに。1989年、TBSと契約しローカルニュース番組『テレポート6』のキャスターへ。1996年に『ニュースの森』を降板後、アメリカへ渡りコロンビア大学へ留学。帰国後1999年にテレビ東京『TXNニュースアイ』のメインキャスターとなるも、2000年にガンのため同番組を降板。2001年3月1日急性肝不全で急死。没年40歳。

2014年
【死去】アラン・レネ(Alain Resnais)【映画監督/フランス】

1930年代から活躍し”ヌーヴェル・ヴァーグのセーヌ左岸派”として知られるフランスの映画監督。少年時代から8ミリカメラで短編映画を製作。1939年に俳優ジョルジュ・ピトエフの会社で働くためパリへ移住し翌年から演技の勉強を開始。1943年高等映画学院へ入学。1946年に映画編集者として働くかたわら短編映画製作も始め、1950年に短編映画『ヴァン・ゴッホ』でアカデミー賞短編映画賞を受賞。1955年ナチスのアウシュヴィッツ強制収容所を初めて扱った映画『夜と霧』を発表。その後も戦争を扱った『ミュリエル』(1963年)『戦争は終わった』(1966年)を発表。1968年から作風を変え1980年に『アメリカの伯父さん』でカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞。2006年『六つの心』がヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞。最晩年まで活動を続け、2014年『愛して飲んで歌って』を発表後、同年3月1日に死去。没年91歳。

2017年
【死去】かまやつひろし【ミュージシャン】

“ムッシュ””ムッシュかまやつ”の愛称で長きにわたり活躍したミュージシャン、ギタリスト。本名は釜萢弘であり、実父は戦後の日本にジャズを普及させた日系アメリカ人2世のミュージシャン、ティーブ・釜萢。その影響で若くして音楽ビジネスに携わり、青山学院高等部在学中にカントリー歌手としてデビュー。その後1963年からは人気グループサウンズのバンド「ザ・タイガース」加入。『あの時君は若かった』『バン・バン・バン』『なんとなくなんとなく』等の大ヒット曲の作曲を手がけるなどして活躍した。1970年のバンド解散後はソロ活動を開始。中でも吉田拓郎との共作で人気を博し、吉田の手がけた『我が良き友よ』は90万枚もの大ヒットとなりかまやつの代表曲となった。晩年まで精力的に活動を続けたが、2016年9月6日に肝臓ガンであると所属事務所のケイダッシュが発表。同年12月8日には、元ザ・タイガースのメンバーである堺正章の70歳記念ライブに飛び入り参加し最後の歌唱を披露したが、翌2017年3月1日に膵ガンで死亡。没年78歳。