『エチオピア・アディスアベバで行なわれた第20回アフリカ開発のための新パートナーシップ会議に出席した際のアル=バシールスーダン大統領』2009年1月31日/アメリカ海軍撮影

2009年3月4日は、ICC(国際刑事裁判所) が第7代スーダン大統領アル=バシールを、スーダン西部のダルフール紛争における人道的な罪、ジェノサイド罪で起訴するということを発表し、逮捕状を発行した日である。
この案件は、ICCが現職の国家元首を起訴するという初めてのケースとなった。1960年にスーダン軍に入隊して以降、着実に軍人としてのキャリアをステップアップしていったアル=バシールは、1989年に民族イスラム戦線のハサン・トラービーの協力を得て軍事クーデターに成功し政権を掌握。
主権協議会統治時代を含めると第7代目の大統領として独裁政権を築き、1990年代以降、アメリカを含む西側先進国からは北朝鮮の金正日(現在は金正恩)とともに悪政を行なっている施政者として批判を浴び続けている。
問題となったダルフール紛争では政府軍による略奪・強姦を含む民間人の大量虐殺が問題視され、アルカイダやビン・ラディンらのテロリストがスーダンに居を構えていたことで、現在もアメリカはイラン、シリアとともにスーダンをテロ支援国家に指定している。
しかし、2009年に発行された逮捕状は、中国、ロシア政府と連携を密にしているアル=バシールの方策により、今のところ実行されることはないというのが大方の見通しである。
見方によれば、ICCという国際組織の効力を有名無実化させてしまったこの不幸な逮捕状は、果たしてどのような運命を辿るのであろうか。

(写真はWikipedia Omar al-Bashirより使用。Public Domain)

3月4日の不幸

1858年
【死去】マシュー・ペリー(Matthew Calbraith Perry)【軍人/アメリカ合衆国】

江戸時代に鎖国中の日本へ来航し日米和親条約を締結したことで知られるアメリカの軍人。海軍の家に生まれ、1809年に海軍入隊。1812年、兄オリバー・ハザード・ペリーとともに「米英戦争」に参加。1833年、ブルックリン海軍工廠造船所長へ就任。1837年に海軍大佐へ昇進。1840年、同海軍工廠の司令官に就任。1846年「米墨戦争」に参加しミシシッピ号の司令官へ昇進。1852年、東インド艦隊司令長官となり翌年浦賀に入港。その後、琉球へ寄港し1854年に横浜で日米和親条約、同年に琉球王国と琉米修好条約を締結した。帰国後の1858年3月4日、肝硬変で死去。没年63歳。

1935年
【社会事件】「日本共産党中央委員・袴田里見逮捕」

特高警察により宮本顕治といった日本共産党の幹部が次々と逮捕される中、1935年3月4日、同党最後の中央委員であった袴田里見が逮捕された事件。終戦後の1945年に釈放されている。

1944年
【第二次世界大戦】「宝塚歌劇最終公演上演」

終戦間近の1944年3月4日、非常措置令により宝塚大劇場および東京宝塚劇場が閉鎖となったため、宝塚歌劇で最後の公演『勧進帳/翼の決戦』が上演された。

1966年
【航空事故】「カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故」

1966年3月4日、東京国際空港でカナダ太平洋航空402便(ダグラスDC-8-43)が着陸直前に墜落した航空事故。濃霧による視界不良の中、同空港へ着陸を開始するも機体右主脚が進入灯に接触。その後も進入灯に次々と接触しながら進行を続け、護岸に衝突・大破後炎上した。この事故により乗員乗客合わせて72人のうち64人が死亡、8人が負傷した。

1982年
【死亡】人生幸朗【漫才師】

生恵幸子との夫婦漫才コンビでのボヤキ漫才で一世を風靡した昭和上方演芸を代表する漫才師。かつては人生航路と名乗っていたが、1955年の幸子との結婚を機に人生幸朗に改名。最晩年まで大阪の舞台を中心に活動を続けたが、1982年2月に出演した枚岡神社の節分会で風邪をこじらせ、急性肺炎で死亡。没年74歳。法名は人生院釋幸朗。

1986年
【自殺】リチャード・マニュエル(Richard Manuel)【ミュージシャン/カナダ】

1960年代後半に活躍したロック・バンド「ザ・バンド(the band)」のオリジナルメンバー。バンド内ではヴォーカル、ドラム、ピアノなどを担当。1961年に「ザ・ホークス」というバンドに参加、ボブ・ディランのバックバンドを行なうなどし、その後、1968年に「ザ・バンド」と改名し、オリジナルメンバーとなる。全盛期は、『イン・ア・ステーション』『ウイスパリング・パインズ』を作曲するなど、積極的に活動を行なっていた。しかし、アルコールとドラッグにのめり込み、次第に活動が停滞。1976年に「ザ・バンド」は一旦解散、1983年に再結成されるも、アルコールとドラッグからは抜け出せず、再結成後のツアー中にモーテルの一室で首を吊って自殺。没年42歳。

1994年
【急死】ジョン・キャンディ(John Candy)【俳優・コメディアン/カナダ】

1980年代に活躍したカナダの俳優およびコメディアン。1970年代から俳優業を始め、即興コメディ劇団「セカンド・シティ」トロント支部へ参加。同劇団のバラエティ番組で人気を博し、1980年代頃からスティーヴン・スピルバーグ監督『1941』(1979年)、ジョン・ランディス監督『ブルース・ブラザース』(1980年)などの映画に出演し俳優としても認知されることに。1990年代には『ホーム・アローン』(1990年)、『クール・ランニング』(1993年)に出演。活躍が期待されていた1994年3月4日、就寝中に心臓発作を起こし死去。没年43歳。

1999年
【死去】桜井長一郎【芸人】

「上見てたってダメですよ」のフレーズでお馴染みの昭和に活躍した声帯模写芸の第一人者。東宝演劇部のマネージャーをしていた1948年にNHK『のど自慢素人演芸会』に出場し優勝。1952年に芸人としてデビューし、映画スターや政治家にはじまり、楽器、動物といった声帯模写の芸でお茶の間の人気を博した。東京演芸協会・第5代会長を務めたことで知られ1999年3月4日、くも膜下出血により死去。没年81歳。

2002年
【死去】半村良【小説家】

“伝奇ロマン””伝奇SF小説”と呼ばれるジャンルを開拓した小説家のひとり。代表作に『石の血脈』『戦国自衛隊』など。1962年に短編小説『収穫』で作家デビュー。日本SF作家クラブの事務局長を務め、1975年に『雨やどり』でSF作家としては初の直木賞を受賞した人物としても知られている。1988年には『岬一郎の抵抗』で日本SF大賞受賞。2002年に肺炎で死去。没年68歳。同年に日本冒険小説協会大賞が贈られた。

2008年
【死去】ゲイリー・ガイギャックス(Ernest Gary Gygax)【ゲームデザイナー・小説家/アメリカ合衆国】

世界初のRPG(ロールプレイング)ゲームといわれる『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のゲームデザイナー。”ロールプレイングゲームの父”と呼ばれるひとり。「ウォーゲーム」と呼ばれるボードゲームのファンであり、団体やゲームコンベンションを創設していたが、ゲーム出版社にアイディアを持ち込むも相手にされず、自らゲーム出版社であるTSR社を立ち上げ、1974年に『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を発売。1985年にTSR社を退社し、独立した後もRPGゲームの作成を続けた。2008年、腹部大動脈瘤で死去。没年69歳。

2018年
【火災事件】「神戸電鉄三木駅全焼」

2018年3月4日、兵庫県三木市末広一丁目の民家で火災が発生。その後、隣接する神戸電鉄粟生線の三木駅に延焼、下りホーム側駅舎が全焼することとなった。この火災により火元となった民家で1名が死亡した。

2018年
【殺人未遂】「セルゲイ・スクリパリ殺人未遂事件」

2018年3月4日、イギリスに亡命中の元ロシア連邦軍参謀本部情報総局大佐・セルゲイ・スクリパリと娘のユリア・スクリパリがソーズベリーのショッピングセンター外のベンチで意識不明の状態で発見された事件。神経剤ノビチョクによる殺人未遂事件とされ、ロシア政府の関与が疑われている。同年5月に二人は退院していることが公表された。また、スクリパリの妻は2012年にガンで死亡、兄は2016年にロシアで死亡、息子は2017年にガールフレンドと旅行中に死亡している。