『ドラマ「花より男子」でサニー役を演じるチャン・ジャヨン(写真左)』

2009年3月7日は韓国の女優チャン・ジャヨンが首吊り自殺を遂げた日である。
2009年1月から韓国TNSテレビで放送された『花より男子』でヒロインのクム・ジャンティの敵役3人組の一人を好演し、将来を嘱望された若手女優のひとりであったジャヨン。
途中からは30パーセントを超える高視聴率を記録し続けた国民的人気ドラマとなった同作の放映期間中に、その悲劇は訪れた。
3月7日の昼に姉との電話でストレスを告白していたジャヨンは、その日の夜には自宅階段で首を吊ってるところを心配して駆けつけた姉に発見されたのである。
そしてその死後、彼女の残した手紙で芸能事務所から性接待を強要されていたことが発覚。
所属事務所代表に逮捕状が出され、その強要を実行していたと思われる担当マネージャーが自殺未遂を犯すなど、その自殺は、韓国芸能界を揺るがす一大スキャンダルへと発展した。
その後の取り調べと後半でどちらも不起訴に終わったものの、2018年に世界的なムーブメントとなった「MeToo運動」を受けて再びこの問題は再燃し、再捜査を求める国民の声により事件に圧力をかけたとされる元朝鮮日報記者が逮捕されている。
手紙によれば30人を超える男性への性接待を強要されたというジャヨン。
一説にはドラマでのいじめっ子的な役割もストレスの原因であったと言われているが、そのストレスだけが死因でないことは明らかである。

(写真はドラマ『花より男子』韓国TNSテレビ/2009年 より使用)

3月7日の不幸

1919年
【急死】三島彌太郎【銀行家・政治家】

アメリカ留学から帰国後貴族院議員に当選。議員職と並行して横浜正金銀行頭取を務め、第8代日本銀行総裁に就任した人物。徳富蘆花の小説『不如帰』に登場する川島武夫のモデルとしても知られている。第一次大戦中の激務の中、現職総裁として急死した。没年51歳。

1959年
【死去】鳩山一郎【政治家】

自由民主党初代総裁を務め、第52代、53代、54代の内閣総理大臣を務めた政治家。リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの思想に感化され、”友愛”を提唱し、友愛青年同志会を結成、その初代会長として政財界に影響を与えていた。私生活ではクリスチャンで、フリーメイソン会員であったことも知られている。参議院議員、外務大臣を務めた長男・威一郎の息子に後の第93代内閣総理大臣の鳩山由起夫がいる。没年76歳。

1980年
【引退】「山口百恵引退」

1980年3月7日、歌手の山口百恵が俳優の三浦友和との婚約発表とともに芸能界引退を公表。同年10月5日に日本武道館でファイナルコンサートを行なった。

1981年
【死去】出光佐三【実業家】

資産家・木田章太郎からの8,000円の融資を得て出光商会を設立。日本石油の機械油などを扱う商売からはじめ、石油売買の大手メーカー、出光興産を創業した人物。1937年2月からは多額納税者議員として貴族院議員を務めた。没年95歳。生前厚く敬った昭和天皇がその死を偲んで「出光佐三逝く 三月七日 国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ」という句を贈った。

1988年
【急死】ディヴァイン(Divine)【女優・歌手/アメリカ合衆国】

アメリカの歌手でありシンガー、100キロ超のドラァグクィーン”ディヴァイン”ことハリス・ミルステッドが死亡した日である。ジョン・ウォーターズ監督によるカルト映画の代表的作品『ピンク・フラミンゴ』で衝撃的な出演を果たし、犬の糞を食らうというシーンで映画界に新たな地平を開いた当代一のドラァグ・クィーンであるが、そのセールス・ポイントでもあった100キロを優に超える巨体のために心臓が肥大化し、睡眠中に突然死を迎えることとなった。没年42歳。

1995年
【死去】土井勝【料理研究家】

大阪堂島にあった割烹学院卒業後に助手として勤務。1953年に「関西割烹学院(後の「土井勝料理学校」の母体)」を設立し、家庭料理の研究発展に努めた。テレビ創世記から料理番組に出演し、NHK『きょうの料理』、テレビ朝日『土井勝の紀文おかずのクッキング』等の出演番組でお茶の間の人気を博した。「おふくろの味」を流行語にした人物としても知られ、妻の信子、長男の敏久、次男の善晴という家族のすべてが料理研究家として活動している。肝臓ガンで74歳没。死後、『おかずのクッキング』の次男の善晴が引き継いでいる。

1999年
【死去】スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)【映画監督/アメリカ合衆国】

1962年の『ロリータ』1964年の『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』で世界的ヒットを納め、続く『2001年宇宙の旅』、『時計じかけのオレンジ』等の作品で世界的映画作家としての地位を築いた映画監督。ニューヨーク生まれでアメリカの映画界でキャリアをスタートさせたが、プロデューサーや配給会社が発言権の強いハリウッドのシステムを嫌いイギリスに移住。生涯彼の地で制作を続けた。なお、極度の飛行機嫌いという性質のため海外映画祭に参加することもなく、その知名度に反して映画祭での受賞経験は少ない。遺作となった『アイズ ワイド シャット』の最終カットのチェックをして6日後に心臓発作で死去。没年70歳。

2000年
【死去】鶴岡一人【プロ野球選手・監督】

現役時代は南海ホークスの三塁手として本塁打王を獲得するなどの活躍後、同チームの監督に就任。優勝11回、日本シリーズ2回制覇という南海黄金期を牽引し”鶴岡親分”の異名で呼ばれた昭和の名監督。監督として通算1773勝を挙げたプロ野球史上最多勝監督であり、勝率.609は史上唯一の6割超え。テスト生から入団した野村克也を見いだした人物としても知られ、後の名監督となった野村はその影響を各所で公言しているが、2000年3月7日に動脈血栓症による心不全で鶴岡が死亡した際、争議に駆けつけなかったことで球団OB間で物議を醸すこととなった。没年83歳。

2000年
【死去】二宮洋一【サッカー選手・監督】

慶応義塾ソッカー部在籍中と慶応BRB所属時に全日本選手権に4度の優勝を遂げ、1951年にサッカー日本代表選手兼任監督としてニューデリーで開催された第1回アジア競技大会に出場。 引退後は日本サッカー協会理事、日本クラブユースサッカー連盟会長などの役職を歴任。2000年3月7日、肺炎により82歳没。

2012年
【死亡】【孤独死】山口美江【タレント・ニュースキャスター】

“元祖バイリンギャル”と呼ばれた1980年代後半から1990年代に活躍したタレントおよびニュースキャスター。上智大学を卒業後、ワーナー・ブラザースの社長秘書や通訳などを経て、1987年にニュースキャスターとしてテレビ朝日『CNNヘッドライン』でデビュー。フジッコのCM「しば漬け食べたい」で注目され、その後、フジテレビ『FNN NEWSCOM』、毎日放送『世界まるごと2001年』、TBS系ドラマ『おしえてあげたい!』などに出演。1996年に芸能界引退後は横浜で輸入雑貨店『グリーンハウス』を経営。2012年3月7日、心不全で死去しているところを発見され、元タレントの孤独死として報道された。没年51歳。

2014年
【死去】あきやまるな【声優】

『新みつばちマーヤの冒険』のマーヤ役や、『忍者ハットリくん』の河合夢子役、近年では『ざわざわ森のがんこちゃん』のがんこちゃん役や『それいけ!アンパンマン』のみるくぼうや役で活躍した声優。秋山るな、あきやまひかりでの活動も。2014年3月8日、虚血性心不全で死亡。没年59歳。放映中だったがんこちゃん役は根本圭子に、みるくぼうや役は冨永みーなに引き継がれた。

2015年
【死去】辰巳ヨシヒロ【漫画家】

1950年代から活躍した漫画家で「劇画」という名称や海外でのオルタナティヴ・コミックを確立させたことで知られる人物。兄は同じく漫画家で出版社を経営している桜井昌一。中学生の頃から兄と二人で雑誌『漫画少年』などに作品を投稿。1950年、子供漫画研究会を立ち上げ、肉筆回覧雑誌『漫画の明星』を発行。翌年、漫画家の大城のぼるから作品の批評を受けるようになり、大城の作画で原作者デビューへ。1954年、鶴書房から『こどもじま』で漫画家デビュー。同年、日の丸文庫から『七つの顔』を刊行し、以降は専属のような形で貸本漫画を執筆。1956年、同社から短編雑誌『影』が発行されメイン作家として人気を博す。同年、同誌の編集長に就任し1957年「劇画」という表記を使用。1958年から上京。翌年、兎月書房で雑誌『摩天楼』を刊行し石川フミヤスらと「劇画工房」を結成。1963年、出版社「第一プロ」設立。1968年、『劇画大学』を発表。その後は貧困者を主役にした短編作品を多く描き、海外でオルタナティヴ・コミックとして高い評価を受ける。2015年3月7日、悪性リンパ腫により死去。没年79歳。