『1954年の「Now magazine」誌に掲載された結婚当時のジョー・ディマジオとマリリン・モンロー』

1999年3月8日は、メジャー・リーグを代表するスーパー・スターとして活躍した伝説的な選手、ジョー・ディマジオが死亡した日である。
引退直後のベーブ・ルースと入れ代わりに1936年にメジャーリーグデビューし、ニューヨーク・ヤンキースの中心的存在として3度のMVP、2度の首位打者、2度の本塁打王、2度の打点王を獲得するなどの活躍でチームを9度のワールド・シリーズ制覇に導いた強打の外野手で、56試合連続安打といういまだ破られない大記録を保持している大選手であるが、その数字以上の存在感を社会的に発揮した人物であった。
その象徴的なエピソードが当時のハリウッドで爆発的な人気を誇ったトップ女優、マリリン・モンローとの“世紀の結婚”であり、ハネムーンで来日するなど、日本を始めとした世界中の話題をさらった。
しかし、大スター同士の結婚でありがちなことにお互いの自尊心の高さから結婚生活は長続きせず、わずか274日で離婚。
しかし離婚後も二人の結びつきは強く、1962年8月5日にモンローが怪死を遂げた際には、再婚をする予定であったといわれ、モンローとの交際を持っていたジョン・F・ケネディ元大統領をその原因として非難していたという。
そして自らが1999年3月8日に肺ガンで死亡する際、最後の言葉は"I finally get to see Marilyn"であった。
わずか1年にも満たない結婚から45年後の言葉とは思えない、強い結びつきを感じさせるディマジオの最後の言葉であった。

(写真はWikipedia Joe Dimaggioより使用。Public Domain)

3月8日の不幸

1669年
【自然災害】【山岳事故】「1669年エトナ火山噴火」

1669年3月8日、イタリア・シチリア島にあるエトナ火山が噴火。この噴火による溶岩流でニコロシ村が全滅、カターニア市の半分も壊滅状態となりおよそ1万人が死亡した。

1709年
【死去】ウィリアム・カウパー(William Cowper)【外科医・解剖学者/イギリス】

17世紀イギリスの外科医および解剖学者で、尿道球腺(カウパー腺)と呼ばれる男性の尿道の途中にある器官を発見したことで知られる人物。1691年に外科医となりロンドンで開業。1694年に筋強直性ジストロフェイーに関する医学書『Myotomia Reformata, or a New Administration of the Muscles』を発表。1699年、王立協会の研究員に選出される。1698年、解剖書『The Anatomy of the Humane Bodies』を発表、ベストセラーとなるも多くの解剖図が解剖学者ホヴァルト・ビドローの著書から多く流用されていたため批判を受けることに。その後も研究を続け、1702年に尿道球腺を発見し解剖書を発表。1709年3月8日に死去。没年43歳。

1874年
【死去】ミラード・フィルモア(Millard Fillmore)【政治家/アメリカ合衆国】

19世紀アメリカの政治家で第12代副大統領(1849年〜1850年)および第13代大統領(1850年〜1853年)となった人物。1828年、ニューヨーク州下院議員に選出される。1832年、連邦下院議員に選出され1842年に再指名候補を辞退。1841年、下院歳入委員会委員長に就任。議員を辞した後、1848年にニューヨーク州会計検査官に選出される。1849年、ザカリー・テイラー政権下に副大統領に就任。翌年、ザカリーがコレラにより死去したため大統領へ。1851年「第一次ララミー砦条約」を締結し、ミズーリ川より西側のインディアンを排除。1852年、マシュー・ペリーを日本へ派遣。晩年も政界に関わり続け、1874年3月8日、脳卒中により死去した。没年74歳。

1930年
【死去】ウィリアム・H・タフト(William Howard Taft)【政治家・裁判官・官僚/アメリカ合衆国】

20世紀アメリカの政治家で第27大統領(1909年〜1913年)および第10代アメリカ合衆国最高裁判所長官(1921年〜1930年)となった人物。ロー・スクールを卒業後、1887年にオハイオ州最高裁判所に勤務。1890年、合衆国訟務長官に就任。1900年、フィリピン民政長官へ就任。1909年に大統領へ。政界引退後の1921年に最高裁長官へ就任。任期中の1930年3月8日、心臓病により死去。没年72歳。

1932年
【猟奇殺人】「玉の井バラバラ殺人事件」

1932年3月8日、当時「玉の井」と呼ばれる墨田区東向島にあった私娼婦街の通称「お歯黒ドブ」といわれた下水溝でホームレスの千葉籠太郎(当時27歳)の切り刻まれた遺体が見つかった。犯行は千葉と同居していた健具職人で春画作家の長谷川市太郎(当時39歳)と弟の印刷工・長太郎(当時23歳)で行なわれ、妹の女給・とみ(当時30歳)も死体遺棄に関与していた。3人は同年10月に逮捕され、1934年に市太郎に懲役15年、長太郎に懲役8年、とみは懲役6カ月の刑が言い渡されている。事件当時、犯人が特定できず迷宮入りするかと思われたため報道が加熱、新聞で特集記事も組まれるなどしたため「バラバラ殺人」という言葉が定着するきっかけとなった。

1935年
【自殺】阮玲玉(Ruan Lingyu/ロアン・リンユィ)【女優/中国】

映画『故都春夢』の主役に抜擢され1930年代に活躍した中国最初のスター映画女優。16歳でデビューし、24歳の時にバルツビール酸系(向精神薬)の過剰摂取で自殺。ゴシップ記事を気に病んでの自殺といわれていたが、近年の調べでは当時交際していたTang Jishanとの関係悪化にあったとされ、自殺当日に虐待があったと言われている。彼女の葬式に参列した民衆は3マイル(4.8キロ)もの長蛇の列をなし、3人の女性が後追い自殺をするなどの熱狂ぶりであったといわれ、当時の『ニューヨークタイムズ』紙は”今世紀最大の葬式”と報じた。

1935年
【死去】ハチ【飼い犬】

主人の大学教授・上野英三郎を、その死後10年間毎日渋谷駅の改札で待ち続けた忠犬として知られる秋田犬。その待っていた時間に比して上野がハチを飼っていた期間はたった1年ほどであった。この”忠犬ハチ公”の美談は新聞等で広く知られることになり、1934年に渋谷駅に銅像が設置され、待ち合わせ場所として広く知られるようになった(現在の銅像は戦後に再建された2代目)。1935年3月8日にフィラリア症とガンにより死亡。没年11歳。なお、その剥製は現在も国立科学博物館に展示されている。

1971年
【死去】ハロルド・ロイド(Harold Clayton Lloyd, Sr.)【喜劇俳優・コメディアン/アメリカ合衆国】

1900年代前半のサイレント期の映画で、カンカン帽にセルロイドの丸ぶち眼鏡(“ロイド眼鏡”の語源になった)というトレードマークで活躍した喜劇俳優。1920年代からは主演映画を連発し、1925年の『The Fleshman(ロイドの人気者)』は同時期に公開されたチャップリンの代表作『The Gold Lush(黄金狂時代)』を上回るほどの興行成績を上げるほどの人気を博した。また、過激なアクションもロイドの売りであり、1973年の『Safety Last!(要人無用)』では時計台の針からぶら下がるシーンに挑戦、これは1983年のジャッキー・チェンの代表作『プロジェクトA』で再現された映画史に残るシーンである。なお1920年の『Haunted Spooks(ロイドの化け物退治)』撮影中に爆発事故で右手親指と人差し指を失い以降は義指を使用していたが、1962年の来日時には右足を脱疽で失った日本の喜劇王・榎本健一と親交を深めた。1971年3月8日に前立腺ガンで77歳没。

1985年
【身代金誘拐事件】【交通事故】「芦屋市幼児誘拐事件」

1985年3月8日、兵庫県芦屋市の繊維問屋社長宅に侵入したトラック運転手・保田定美(当時26歳)が身代金目的で渡辺昌範ちゃん(当時6歳)を誘拐した事件。誘拐後、保田は身代金5,000万円を電話で要求。指示通り中国自動車道・西宮北インターチェンジの長尾バス停のベンチに父親が身代金を置くと、反対の上り車線から保田は高速道路を横断、中央分離帯近くでトラックにはねられ即死した。翌日、昌範ちゃんは現場付近に駐車していたトラックから発見された。

1995年
【自殺】インゴ・シュヴィヒテンバーグ(Ingo Schwichtenberg)【ミュージシャン/ドイツ】

ジャーマン・メタルバンド「ハロウィン」のドラマーとして活躍したミュージシャン。同バンドには1981年に加入しアルコールやドラッグの依存症もあり1993年に脱退。1995年に小型列車に飛び込み自殺。没年29歳。統合失調症を患っていたといわれている。

1997年
【奇妙な死】池田満寿夫【版画家・作家】

1977年の『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞した芸術家。自ら同作の映画化を手がけたほか、絵画、版画、彫刻、陶芸、小説、映画など、ありとあらゆる手段の表現を用いた。私生活ではバイオリニストの佐藤陽子とのおしどり夫婦として知られていたが、19歳の頃に結婚した女性が離婚を拒絶したために佐藤とは内縁の夫婦関係であった。1997年3月8日に静岡県熱海市の自宅で地震に見舞われ、驚いた飼い犬に飛びつかれて転倒し、そのまま心不全で急死。没年63歳。

1999年
【死去】ジョー・ディマジオ(Joe Dimaggio)【野球選手/アメリカ合衆国】

引退直後のベーブ・ルースと入れ代わりに1936年にメジャーリーグデビューし、ニューヨーク・ヤンキースの中心的存在としてメジャー・リーグを代表するスーパー・スターとして活躍した強打の外野手。3度のMVP、2度の首位打者、2度の本塁打王、2度の打点王を獲得するなどの活躍でニューヨーク・ヤンキースを9度のワールド・シリーズ制覇に導き、56試合連続安打といういまだ破られない大記録を保持している大選手であるが、その数字以上の存在感を社会的に発揮したスーパースターであった。1954年には当時のハリウッドで爆発的な人気を誇ったトップ女優、マリリン・モンロー結婚し、ハネムーンで来日するなど、日本を始め世界中の話題をさらった。しかし大スター同士の結婚でありがちなことにお互いの自尊心の高さから結婚生活は長続きせず、わずか274日で離婚。しかし離婚後も二人の結びつきは強く、1962年8月5日に開始を遂げた際には、再婚をする予定であったといわれ、自らが1999年3月8日に肺ガンで死亡する際、最後の言葉は”I finally get to see Marilyn”であった。

2000年
【鉄道事故】「営団日比谷線脱線衝突事故」

東京都目黒区にある中目黒駅近くで営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線の運転車両が午前9時1分頃に脱線し、乗客5人が死亡、60人以上が負傷するという事故となった。事故原因は輪重比と呼ばれる電車のバランスの大幅な狂いであったといわれる。

2005年
【暗殺】アスラン・マスハドフ(Aslan Aliyevich Maskhadov)【軍人・政治家/ソ連・チェチェン共和国】

1969年にソ連軍へ入隊し、大差にまで上り詰めたが1991年に退役しチェチェン独立運動に参戦。チェチェン共和国国防軍に入隊し、チェチェン軍参謀総長に就任。1994年からの「第一次チェチェン紛争」で同軍の指揮を執った。1996年にロシアと停戦後は首相、そして1997年2月12日には第3代チェチェン共和国独立派政権大統領に就任。しかし1999年8月にチェチェン強行派のシャミル・バサエフがロシアに攻め込んだことで首都グロズヌイをロシア軍が制圧、マスハドフも武装反乱指揮容疑でロシア連邦検察から指名手配されることに。そして2005年3月8日、ロシア連邦保安庁(FSB)長官のニコライ・パトルシェフにより、同庁の特殊部隊がマスハドフの殺害が公表された。

2007年
【死去】クルス・エルナンデス(Cruz Hernández Rivas)【助産婦/エルサルバドル】

世界最高齢の128歳とされたエルサルバドルの女性で100歳まで助産婦をしていた人物。2005年、エルサルバドル政府の調査により1878年出生が確認されたとしてギネス・ワールド・レコーズとカリフォルニア大学の老年学研究グループへ同政府から文書が送られたが公式に認められることなく2007年3月8日に死去。没年128歳。

2014年
【怪事件】【航空事故】「マレーシア航空370便墜落事故」

マレーシアのクアラルンプールから中華人民共和国の北京市に向かうマレーシア航空の定期旅客便「マレーシア航空370便」が2014年3月8日午前1時30分の交信を最後に突如として行方不明に。事故から2週間以上が経った3月24日にマレーシアのナジブ・ラザク首相は、イギリスの衛星通信会社インマルサットとイギリスの航空事故調査局 (AAIB) による衛星情報解析の結果、同機がインド洋南部に墜落し生存者はいないという推論を発表。乗員乗客239人の全員が死亡認定となった。この説明に不満を抱いた中国人乗客の親族らが、北京のマレーシア大使館前でデモを行なう騒ぎになった。その後2015年7月29日にフランス領レユニオンにて、墜落機の残骸やスーツケースが発見。2016年3月21日にじは南アフリカで事故機のエンジン「ロールス・ロイス トレント892」のエンブレム入りの破片が発見。他にも、370便のものと思われる残骸がモザンビーク、モーリシャス、マダガスカルなどで各地で見つかっている。事故原因は機体が見つかっていないために真相究明は極めて困難な状況であるが、機長による客を巻き込んでの自殺という見方もあり、発表で後手を踏んだマレーシア政府にもその嫌疑はかかっているままである。

2015年
【死去】塩月弥栄子【茶道家・冠婚葬祭評論家】

茶道家および冠婚葬祭評論家で著書『冠婚葬祭入門』で知られる人物。裏千家14世家元碩叟宗室の家に生まれ、茶道家として『塩月弥栄子の茶室』を開催。1958年から作法や冠婚葬祭についての著書を刊行し、代表作『冠婚葬祭入門』はシリーズ全体でおよそ700万部のベストセラーとなった。また、裏千家的伝名誉教授などを務めたほか、タレントとしてNHK『私の秘密』に出演。1991年、勲四等宝冠章受章。晩年まで活動を続け、2015年3月8日に老衰のため死去。没年96歳。

2016年
【死去】ジョージ・マーティン(Sir George Henry Martin)【音楽プロデューサー/イギリス】

自らも奏者としてクラシック音楽を学び、BBC音楽部門勤務を経てEMIに入社。アビーロードスタジオでのビートルズ全作品のプロデュースで成功を収めた音楽プロデューサー。1965年にEMIから独立し、ジェフ・ベック、ポール・マッカートニーら世界的アーティストと共作を続けた。1999年に聴力の衰えのためプロデューサーを引退。2016年3月8日に睡眠中に死亡。没年90歳。その死は翌日リンゴ・スターのツイッターで「God bless George Martin peace and love to Judy and his family love Ringo and Barbara George will be missed xxx」と公表された。