『1994年に発表されたノトーリアス・B.I.G.のデビューアルバム「Ready to die」のジャケット』

1997年3月9日は、“ノトーリアス・B.I.G.”の名で知られたラッパーのクリストファー・ウォレス、愛称“ビギー・スモールズ”が何者かにより射殺された日である。
1990年代後期に隆盛したヒップホップを牽引したラッパーの代表格であるビギーは、ニューヨークで育った幼少期から麻薬の売人をするなどストリートの暗部で育ち、少年時代には逮捕経験もあったが、その生まれ持ってのMCとしての才能を活かし1994年にデビューアルバム『レディ・トゥ・ダイ』をリリース。
同作は当時西海岸の音楽とされていたヒップホップ・シーンにおいて、東海岸シーンを台頭させるには十分の名作となった。
しかしビギーやディディ(パフ・ダディー)、そして高校時代からの盟友ジェイ・Zによる東海岸グループの台頭はトゥパックに代表される西海岸ラッパーとの激しい二極抗争を引き起こし、音楽を通じての過激な争いは、実際の殺人事件の応酬に発展してしまい、ヒップホップ界に今も続くといわれる“暗い殺人の連鎖”が幕を開けたのだった。
まずは1996年9月7日のボクシングの試合、マイク・タイソンーブルース・セルドン戦の観戦後の帰路で横付けされたキャデラックから4発の発砲を浴びてトゥパックが死亡。
それ以前から舌戦を繰り広げていたビギーの犯行が疑われたが、本人は否定した。そしてその翌年の1997年3月9日、今度はビギーを凶弾が襲う。
ロサンゼルスで行なわれたヒップホップ雑誌『VIBE』主催の「Soul Train Music Award」パーティーに出席した帰途、ビギーを乗せたSUVが赤信号で停止中に横付けされたシボレーインパラに乗った青いスーツの黒人が窓を開け、ビギーを射撃。
4発の銃弾を被弾したビギーは、セカンドアルバムリリース直前に死亡した。
近年リークされた死亡診断書によると、被弾したのは大腸(陰嚢)、肝臓、心臓、左肺であったことが判明した。
その死の1時間前に電話していたというジェイ・Zによると、東西抗争の果てに西海岸へ来られたことを心から喜んでいたと言われる。
ストリートで育ち、デビューアルバムのタイトル通りに、常に死と隣り合わせの人生を歩んできたビギーであったが、自らの予想、そして周囲の予想を裏切らない悲劇的な最期は、ショッキングでありながら予期できたとも言えるものであった。
赤子の時にはもう死ぬ準備はできていたと言わんばかりの『Ready to die』のジャケット。
積み重ねられたそのリアルな惨劇の上に、現在のヒップホップの隆盛は築かれている。

(写真はノトーリアス・B.I.G.『Ready to die』1994年/バッド・ボーイ・レコーズ)

3月9日の不幸

1886年
【死去】ウイリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)【教育者・実業家/アメリカ合衆国】

日本では「少年よ大志を抱け」の“クラーク博士”として知られる19世紀アメリカの教育者で札幌農学校(現・北海道大学)初代教頭となった人物。アメリカ・ドイツでの化学・動物学・植物学といった分野の教師生活を経て農業教育の推進を開始。マサチューセッツ大学アマースト校の教師時代に同志社大学創始者・新島襄と出会い、日本政府からの要請を受け1876年に札幌農学校教頭へ赴任。1877年に帰国し、マサチューセッツ農科大学学長を辞任。その後、鉱山会社を設立するも破産。晩年は心臓病にかかり1886年3月9日に死去。没年59歳。

1888年
【死去】ヴィルヘルム1世(Wilhelm I.)【王族/ドイツ】

19世紀ドイツで第7代プロイセン王(1861年〜1888年)・北ドイツ連邦主席(1867年〜1871年)・初代ドイツ皇帝(1871年〜1888年)となった人物。第5代プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の息子として生まれ、1861年にプロイセン王に即位。即位後は軍制改革をめぐり衆議院と対立し1862年にオットー・フォン・ビスマルクを首相へ就任させ無予算統治で改革を行なう。その後、「ドイツ統一戦争(デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争)」を開始し1867年に北ドイツ連邦主席に就任。1871年に「普仏戦争」で勝利すると初代ドイツ皇帝に即位しドイツ統一を達成。晩年は病に侵されながらも政治活動を続け1888年3月9日に死去。没年90歳。

1895年
【死去】レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ(Leopold Ritter von Sacher Masoch)【小説家・貴族/オーストリア】

19世紀オーストリアの小説家および貴族で「マゾヒズム」の語源となった人物。大学卒業後の1860年代から歴史小説を発表。1871年に代表作でありマゾヒズムの性癖がみてとれる小説『毛皮を着たヴィーナス』を執筆。1886年に精神科医クラフト=エビングにより同作の趣向が「マゾヒズム」と名づけられることに。晩年は精神を病み1895年3月9日に死去。没年59歳。

1946年
【群衆事故】「バーンデン・パークの惨事」

1946年3月9日にイギリス・イングランド北西部グレーター・マンチェスター州ボルトンのバーンデン・パークでFAカップのボルトン・ワンダラーズFC対ストーク・シティFC戦が行なわれるも12万7千人収容のスタジアムに収容能力を上回るおよそ30万人の観客がピッチにまで押し寄せたことでスタジアムの煉瓦製の壁が崩壊。この事故により33人が死亡およそ500人が負傷。

1952年
【死去】松田重次郎【エンジニア・実業家】

昭和のエンジニアおよび実業家でマツダの創業者として知られる人物。10代で大阪の鍛冶屋で機械製作技術を学び、造船技術者として従事。1906年に『松田式ポンプ』を製作・販売する松田製作所を開設。1921年に大阪から広島へ帰京し東洋コルク工業株式会社社長へ就任。1927年に社名を東洋工業株式会社へ改名。1931年に三輪トラックの生産を開始しトラックに『MAZDA号』と命名。同時期に九九式短小銃の生産を軍部から請け負い規模拡大に成功。「第二次世界大戦」後は軍需品生産を中止しトラックの生産などを開始。1951年に社長を引退し会長へ就任。翌1952年3月9日に死去。没年76歳。

1971年
【死去】水野利八【実業家】

明治から昭和にかけての実業家でミズノ創業者として知られる人物。9歳で岐阜から大阪・京都へ丁稚奉公のために向かう。1903年に野球の試合を観たことで運動用品商売を志し1906年に水野兄弟商会を開設。1913年から野球用のグラブやボール製造を開始、1916年に標準球を完成させる。以後、スポーツ用品メーカーとして成功を収め、1927年に紺綬褒章を受章。1942年に社名を美津濃へ改名し社長へ就任。1955年に青少年の育成といった功績が認められ全国高等学校野球連盟の功労賞を受賞。1956年に藍綬褒章を受章。1969年に会長へ就任し翌1970年3月9日に死去。没年85歳。死後に勲四等瑞宝章を受賞、1971年に野球殿堂入り。

1989年
【エイズ】ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)【写真家/アメリカ合衆国】

ニューヨーク出身、モノクロームのヌードや花の作品で絶大な支持を獲得した世界的写真家。芸ゲイあるというセクシャリティを公表し、男性ヌードも数多く撮影した。1986年にエイズと診断され、その合併症により3年後に死亡した。42歳没。なお日本でその死後の1992年に出版された写真集『Mapplethorpe』(アップリンク刊)を成田空港で持ち込みを禁じた事件により出版社側は国を相手取り、同作は芸術表現で猥褻に当たらないとの裁判を開始。一審で猥褻に当たらない、二審で逆転となったが、2008年1月に最高裁の判断により猥褻物に当たらないとして持ち込み禁止処分は取り消しに。国が敗訴する結果となった。

1994年
【死去】チャールズ・ブコウスキー(Henry Charles Bukowski)【小説家/ドイツ・アメリカ合衆国】

ドイツ生まれで3歳の頃からアメリカに移住。郵便局員として働きながら詩人、小説家として活動を続け、ブラック・スパロー・プレスからの生涯月給100ドルというオファーを受け郵便局員を退職。死の直前に発表した遺作であり代表作の自伝的小説『パルプ』で世界的人気を決定づけた。白血病のため73歳没。その墓碑銘には名とともに”DON’T TRY”の文字が刻まれている。

1997年
【暗殺】ノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)【ラッパー・ミュージシャン/アメリカ合衆国】

“ノトーリアス・B.I.G.”の名で知られた伝説的ラッパー。愛称はビギー・スモールズ。ニューヨークで育った幼少期から麻薬の売人をするなどストリートの暗部で育ち、少年時代には逮捕経験もあったが、その生まれ持ってのMCとしての才能を活かし1994年にデビューアルバム『レディ・トゥ・ダイ』をリリース。同作は当時西海岸の音楽とされていたヒップホップ・シーンにおいて、東海岸シーンを台頭させるには十分の名作となった。しかしビギーやディディ(パフ・ダディー)、そして高校時代からの盟友ジェイ・Zによる東海岸グループの台頭はトゥパックに代表される西海岸ラッパーとの激しい二極抗争を引き起こし、音楽を通じての過激な争いは、実際の殺人事件の応酬に発展。1996年9月7日のトゥパック射殺事件の犯人と疑われたビギーだったが、本人は否定。しかしその翌年の1997年3月9日、ロサンゼルスで行なわれたヒップホップ雑誌『VIBE』主催の「Soul Train Music Award」パーティーに出席した帰途、ビギーを乗せたSUVが赤信号で停止中に横付けされたシボレーインパラに乗った青いスーツの黒人が窓を開けて射撃。4発の銃弾を被弾したビギーは、セカンドアルバムリリース直前に死亡した。没年24歳。

2007年
【自殺】ブラッド・デルプ(Bradley E. Delp)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

ロックバンド「ボストン」のリードボーカル、ギターとしての活動で知られるミュージシャン。ボストンの元メンバーGoudreauのバンド「Return to Zero」のリードボーカルや、ボストンの活動休止中の「Beatlejuice」というビートルズのカバーバンド活動でも知られていた。2007年3月9日に自宅で一酸化中毒死しているところが発見され、遺書もあったために自殺と断定された。没年55歳。その死後、ボストンのウェブサイトには “We’ve just lost the nicest guy in rock and roll.”と書かれていた。