『安室奈美恵の「RESPECT the POWER OF LOVE」のCDジャケット』

1999年3月17日は元歌手の安室奈美恵の実母が殺害された日である。
母親の再婚相手の弟という安室とは血縁関係にない人物とはいえ、親類縁者による殺人事件であり、自動車で轢いた後になたを振り下ろし殺害するという残忍極まりない犯行であった。
その後逃走した犯人は山中で服毒自殺したためにその動機が知られることはなかったが、日頃から不仲な関係であったことが伝えられている。
奇しくもこの日は前年の第一子出産・休養を経ての歌手活動再開を告げる復帰第一弾シングル『RESPECT the POWER OF LOVE』の発売日でもあった。
まだこの当時21歳であった安室はこの事件を期に引退を考えたというが活動を再開し、2018年9月16日をもって芸能界から引退した。
突然の引退という印象が強いが、ここまでの不幸を乗り越えて長年にわたり光り輝く舞台で歌い続けることは、彼女にとって重荷であったのかもしれない。

(画像は『RESPECT the POWER OF LOVE」(1999年/avex trax)』)

3月17日の不幸

180年
【死去】マルクス・アウレリウス・アントニヌス(Marcus Aurelius Antoninus)【王族/イタリア】

2世紀古代ローマの第16代ローマ皇帝(161年〜180年)で“五賢帝”のひとりとして知られる人物。第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃ファウスティナ・マイヨルの甥として生まれ161年に皇帝に即位。翌年から「マルコマンニ戦争」を行ない、哲学書『自省録』を執筆。同戦争中の180年3月17日に死去。没年58歳。

1008年
【死去】花山天皇【天皇】

平安時代中期に第65代天皇(984年〜986年)となった人物。969年に皇太子となり、984年に天皇へ即位。986年に出家し退位(「寛和の変」)。996年、「花山法皇襲撃事件」が起こり中関白家の内大臣であった藤原伊周・隆家に矢で法衣を射られ、その後、伊周・隆家は太宰府へ左遷(「長徳の変」)。1008年3月17日死去。没年39歳。

1058年
【暗殺】【夭逝】ルーラッハ(Lulach)【王族/イギリス】

11世紀イギリスでスコットランド王(1057年〜1058年)となった人物。スコットランド王ケネス3世のひ孫として生まれ1057年にスコットランド王に即位するも1058年3月17日にアサル家のマルカム・カンモーに暗殺された。没年28歳。

1272年
【死去】後嵯峨天皇【天皇】

鎌倉時代に第88代天皇(1242年〜1246年)となった人物。1242年、第87代天皇・四条天皇が急死したため、天皇に即位。1246年に後深草天皇に譲位し院政を開始。1268年、出家し法王へ。1272年3月17日に死去。没年51歳。

1847年
【死去】J・J・グランヴィル(J.J. Grandville)【画家/フランス】

19世紀フランスの風刺画家。細密画家であった父ジャン=バチスト・マチアス・ジェラール・グランヴィルから絵を学び、1824年にパリでリトグラフ集『Les Tribulations de la petite proprieté』を刊行。1828年から1829年にかけて風刺画作品集『Les Métamorphoses du jour』を刊行し人気を博す。その後、妻や子供の死により精神を病み1847年3月17日に死去。没年44歳。

1849年
【死去】ヴィレム2世(Willem II)【王族/オランダ】

19世紀オランダで第2代オランダ国王(1840年〜1849年)およびルクセンブルク大公となった人物。初代オランダ国王およびルクセンブルク大公のウィレム1世の息子として生まれ1840年に国王に即位。即位後は間接民主主義へ憲法を改正。翌年1849年3月17日に死去。没年56歳。

1853年
【死去】クリスチャン・ドップラー(Christian Andreas Doppler)【物理学者・数学者/オーストリア】

波と観測者との相対関係に関する数式「ドップラー効果」を発見したことで知られるオーストリアを代表する物理学者。呼吸器疾患で当時はオーストリア帝国に属したベネチアにて死亡。没年49歳。

1893年
【死去】ジュール・フェリー(Jules Ferry)【政治家・弁護士/フランス】

19世紀フランスの政治家および弁護士でフランス首相(1880年〜1881年・1883年〜1885年)となった人物。1854年に弁護士となり、反第二帝政的立場から政治活動を行なう。1869年に共和派議員に選出される。翌年に第3共和政が樹立し国防政府のメンバーとなる。以後、セーヌ県知事、パリ市長を経て1871年に国民議会議員に選出され、共和派オポチュニスト党党首に就任。1872年に在アテネ大使に就任。1879年に教育相に就任し『ジュール・フェリー法』を計画。1880年に第三共和政下で首相へ就任。1882年に再び教育相に就任し女子高等師範学校設置や女性へのアグレガシオン(1等教員資格)の授与を行なう。1883年に再び首相へ就任。1885年に「清仏戦争」が勃発し失脚。1887年に「ブーランジェ運動」が起こり負傷。1891年に元老院議員となり1893年に元老院議員長に就任。1893年3月17日に死去。没年60歳。

1893年
【火災】「川越大火」

1893年3月17日に埼玉県入間郡川越町(現・川越市)で町域の3分の1に当たるおよそ1,302戸を焼失する大火が発生。出火の原因は紺屋職作業場の業務用灰の不始末であった。この火事による死者は出ていない。

1942年
【夭折】谷豊【盗賊・諜報員】

福岡生まれながらマレーに渡り“ハリマオ”もしくは“モハマッド・アリー・ビン・アブドラー”の名で窃盗団を形成した盗賊。マレー半島全域でその活動を続けたが、逮捕され服役。その最中に現地の精通者として目を付けた満州国の諜報員、神本利夫にスカウトされ日本陸軍の諜報員として“ハリマオ盗賊団”は再結成。対イギリス用の工作員として活動したが、その最中にマラリアに羅漢。しかし治療薬のキニーネ剤を「マレー人は白人の作った薬は飲まない」として拒絶し、現地の治療薬サイの角の粉末を服用し続け、そのまま衰弱して死亡した。没年30歳。

1953年
【公布】「麻薬取締法公布」

1948年の旧麻薬取締法から新麻薬取締法(現・麻薬及び向精神薬取締法)が制定され1953年3月17日に公布。

1956年
【死去】イレーヌ・ジョリオ=キュリー(Irene Joliot-Curie)【物理学者/フランス】

20世紀フランスの原子物理学者でノーベル化学賞受賞者。父は物理学者のマリー・キュリー、母は“キュリー夫人”で知られるマリー・キュリーといった家に生まれ、「第一次世界大戦」中はパリ大学で放射線治療の方法を研究。終戦後はマリーの研究所で助手として働き、学士号を取得。1926年に同研究所の助手フレデリック・ジョリオと結婚、夫婦で放射線の研究を続け、1934年に世界初の人工的な放射能を作り出すことに成功。翌年夫婦でノーベル化学賞を受賞。1936年にフランス初の女性官僚として科学担当国務次官へ就任するも同年に辞任しパリ大学教授に就任。「第二次世界大戦」が勃発するとレジスタンス運動へ参加。終戦後は再び研究を続け、1945年にフランス原子力委員会化学部門責任者、1946年にラジウム研究所所長へ就任。その後フランス初の原子炉ZOEの開発へ参加。1955年に長年の放射能研究により急性白血病となり1956年3月17日に同病で死去。没年58歳。

1957年
【事故死】ラモン・マグサイサイ(Ramón Magsaysay y del Fierro)【政治家/フィリピン】

20世紀フィリピンの政治家で第7代フィリピン大統領(1953年〜1957年)となった人物。「第二次世界大戦」中はゲリラ部隊に参加し終戦後の1946年にフィリピンが独立すると下院国防委員長や国防長官を歴任。1953年に大統領となるも就任中の1957年3月17日に搭乗していた統領専用機が墜落し死去。没年49歳。

1960年
【航空事故】「ノースウエスト航空710便空中分解事故」

1960年3月17日、シカゴ・ミッドウェー国際空港を離陸したマイアミ行・ノースウエスト航空710便(ロッキードL-188Cエレクトラ)がインディアナ州のカネルトン上空で空中分解した事故。事故原因はプロペラの異常振動とされ、この振動によリフラッター現象が起こり主翼が分解されることとなった。この事故により乗員乗客合わせた63人全員が死亡。

1976年
【死去】ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)【映画監督/イタリア】

20世紀イタリアを代表する映画監督および舞台演出家。プライベートでは同性愛者として知られる。イタリアの貴族の家に生まれ、幼少期から芸術に親しむ。1928年、舞台俳優および美術スタッフとして働く。1936年、映画監督ジャン・ルノワールと出会い映画製作の道へ。1942年『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で映画監督デビュー。その後、舞台やオペラの演出を行ない、1948年に映画『揺れる大地』で監督へ復帰、同作でヴェネツィア国際映画祭・国際賞受賞。以後、『ベリッシマ』(1951年)『夏の嵐』(1954年)を発表し、1957年『白夜』で同映画祭で銀獅子賞受賞。1960年、ネオレアリズモの集大成的作品と称される『若者のすべて』で同映画祭・審査員特別賞および国際映画批評家連盟賞を受賞。1963年、代表作のひとつカンヌ国際映画祭・パルム・ドール受賞作『山猫』を発表。1965年『熊座の淡き星影』でヴェネツィア国際映画祭・金獅子賞受賞。1969年、自身のパートナーであった俳優・ヘルムート・バーガーが出演した『地獄に堕ちた勇者ども』を発表。1971年、カンヌ国際映画祭・25周年記念賞を受賞した『ベニスに死す』を発表。1972年、大作『ルートヴィヒ』を発表。死の直前まで『家族の肖像』(1974年)、『イノセント』(1976年)といった作品を発表し続け、1976年3月17日、脳卒中で死去。没年69歳。

1990年
【自殺】キャプシーヌ(Capucine)【女優・モデル/フランス】

フランスで若くして一流ファッションモデルとして成功した人物であり、アメリカに渡り女優でも大成した人物。代表作に3作に出演した『ピンクパンサー』シリーズなど。私生活では長年の鬱病に苦しみ、スイス・ローザンヌの自宅か飛び降り自殺。没年62歳。死後、遺言でその財産は親友のオードリー・ヘップバーンに託され、ユニセフと赤十字社のために使われた。

1992年
【テロ】「ブエノスアイレス・イスラエル大使館自爆テロ」

1992年3月17日、アルゼンチン・ブエノスアイレスのイスラエル大使館でイスラム過激派・Islamic Jihad Organization(イスラムジハード組織)が起こした自爆テロ。この爆発によりテロの犯人を含む30人が死亡、242人が負傷した。主犯は同組織創設者イマード・ムグニヤとされ、その後、2008年に暗殺されている。

1999年
【殺人事件】「安室奈美恵実母殺害事件」

1999年3月17日に元歌手の安室奈美恵の実母が再婚相手の実弟に殺害された事件。安室とは血縁関係にない人物とはいえ、親類縁者による殺人事件であり、自動車で轢いた後になたを振り下ろし殺害するという残忍極まりない犯行であった。その後逃走した犯人は山中で服毒自殺したためにその動機が知られることはなかったが、日頃から不仲な関係であったことが伝えられている。奇しくもこの日は前年の第一子出産・休養を経ての歌手活動再開を告げる復帰第一弾シングル『RESPECT the POWER OF LOVE』の発売日でもあった。

2003年
【イラク戦争】「アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュ最後通牒演説」

イラクに対し空爆を行った後の2003年3月17日、アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュが、サッダーム・フセイン大統領とその家族に対し48時間以内にイラク国外へ退去するよう命じる最後通牒をテレビ演説で行なう。

2004年
【暴動事件】【ユーゴスラビア紛争】「2004年コソボ暴動」

2004年3月17日、当時セルビア領でありながら国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)の統治下にあったコソボで民族浄化を目的としたアルバニア人によるセルビア人に対しての大規模な暴力騒動が勃発。この暴動によりセルビア人19人が死亡、970人が負傷、およそ4,100人が難民化。アルバニア人では1人が死亡、およそ500人が負傷。

2007年
【死去】船越英二【俳優】

大映第2期ニューフェイスに合格し映画『第二の抱擁』で俳優デビュー。脇役を演じることが多かったが、1949年の市川崑監督作『野火』の主演で国内外の高評価を獲得し、一躍スターに。大映倒産後は『時間ですよ』『熱中時代』『暴れん坊将軍』等のテレビドラマで活躍した。2001年のドラマ『旗本退屈男』を最期に俳優業を引退。誕生日の3月17日に脳梗塞で死亡した。没年84歳。実子も俳優として活躍する船越英一郎。

2008年
【スキャンダル】【売春問題】【辞任】「ニューヨーク州知事エリオット・スピッツァー売春スキャンダル」

ニューヨーク州知事エリオット・スピッツァーが2008年3月12日に高級売春組織「Emperors Club VIP」に所属するコールガールであったアシュリー・アレクサンドラ・デュプレ(当時22歳)と売春行為をしていたことが発覚し就任からおよそ1年の同月17日に辞任を表明。

2018年
【死去】スティーヴン・ホーキング(Stephen William Hawking)【理論物理学者/イギリス】

20世紀から21世紀初頭にかけて活躍したイギリスの理論物理学者でブラックホールの特異点定理を発表したことで知られる人物。オックスフォード大学を卒業し1962年からケンブリッジ大学大学院で数学、理論物理を学ぶ。1963年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症。1966年に同大学で学位取得し1967年に論文『特異点と時空の幾何学』を発表しロジャー・アダムズ賞を受賞。1974年に『ブラックホールの蒸発理論』発表し王立協会フェロー(FRS)に選出される。1975年にローマ教皇庁からピウス11世メダルを授与される。1977年に同大学の教授となる。1983年に物理学者ジェームズ・ハートルと『無境界仮説』を発表。1988年に通俗科学書『ホーキング、宇宙を語る』を出版し全世界でベストセラーとなる。2009年に同大学の教授を退任。退任後も応用数学と理論物理学部の研究責任者を務める。同年に大統領自由勲章叙勲を授章。2016年にアルファ・ケンタウリへレーザー推進の小型探査機を送るといった「スターショット計画」を発表。2018年3月14日にALSにより死去。没年76歳。死については1985年に同氏はすでに死んでいるといった替え玉説が噂されている。

2019年
【銃乱射事件】【宗教問題】「クライストチャーチモスク銃乱射事件」

2019年3月15日にニュージーランドのクライストチャーチにある2つのモスクで白人至上主義者のブレントン・タラント(当時28歳)が銃を乱射。この事件により51人が死亡、49人が負傷した。