『バルド国立博物館銃乱射事件の現場と、その犠牲者の慰霊プレート』

2015年3月18日は、チュニジアの首都チュニスのバルド国立博物館で銃乱射事件が起き、22人もの一般市民が大量虐殺された日である。
博物館は外国人が集う観光スポットであったため、事件発生直後は外国人観光客を狙った無差別テロと判明したが、40人ほどの人質をとって立て籠もったためにその目的が不鮮明な事件でもあった。
殺害された22人のうち、外国人は20人。その内訳はイタリア人とフランス人が最も多く4人、その次が日本人とポーランド人で3人、以降、スペイン人とコロンビア人が2人、イギリス人、ベルギー人、ロシア人が1人というものだった。
犯人の2人はともにチュニジア人で、最終的には立て籠もりから2時間ほどで突入した治安部隊によって射殺された。
日本の報道に拠れば一連のイスラム国(ISIL)によるテロの線が濃厚だが、チュニジアのベジ・カイドセブシ大統領は国内に拠点を置くイスラム過激派組織「アンサール・アル=シャリーア」の犯行であると断定した。
40人の怪我人と22人の死亡者を出した恐ろしい無差別テロ事件であるが、テロの恐怖が日常化した昨今では、その程度の人数で済んだのかというような気さえしてくるから恐ろしい。

(画像はWikipedia Bardo National Museum attackより使用)

3月18日の不幸

235年
【暗殺】【夭逝】アレクサンデル・セウェルス(Severus Alexander)【王族/イタリア】

3世紀イタリアでセウェルス朝最後の第24代ローマ皇帝(222年〜235年)となった人物。第23代ヘリオガバルスの従兄弟として生まれ222年に皇帝に即位。帝国軍と対立する中、ササン朝ペルシャ帝国との戦争が勃発したことにより235年3月18日に同軍により暗殺された。没年27歳。

978年
【暗殺】【夭逝】エドワード殉教王(Edward the Martyr)【王族/イギリス】

10世紀イギリスでイングランド王(975年〜978年)となった人物。イングランド王エドガーの息子として生まれ、エドガーが死去すると975年に13歳でイングランド王に即位。即位中の978年3月18日に権力争いから弟エゼルレッド2世を擁立した継母エルフリーダ・オブ・デヴォンにより暗殺された。没年16歳。

1745年
【死去】ロバート・ウォルポール(Robert Walpole, 1st Earl of Orford)【貴族・政治家/イギリス】

17世紀から18世紀にかけてのイギリスの貴族・政治家で初代イギリス首相( 1721年〜1742年)となった人物。地主で庶民院議員であったロバート・ウォルポールの息子として生まれ、1701年にホイッグ党から庶民院議員に選出される。以後、海軍本部委員会委員、戦時大臣、陸軍支払長官などを歴任。1721年に第一大蔵卿(初代イギリス首相)に就任。1733年にタバコ消費税導入を目指すも頓挫。1739年にスペインとの間で「ジェンキンスの耳の戦争」が勃発、戦争へ消極的な姿勢であったため政治力を落とし辞職。同年にオーフォード伯爵に叙される。1745年3月18日に死去。没年68歳。

1913年
【暗殺】ゲオルギオス1世(George I)【王族/デンマーク・ギリシャ】

19世紀から20世紀初頭にかけてギリシャ国王(1863年〜1913年)となったグリクシンブルグ家デンマーク出身の王族。デンマーク国王クリスチャン9世の息子として生まれ、1863年にギリシャ国王に即位。即位後はギリシャの立憲君主制を公布や経済発展に尽力。以後イオニア諸島やクレタ島、マケドニア・イピロス・テッサロニキなどを獲得し領土を拡大。その後「第一次バルカン戦争」時の1913年3月18日に訪問中であったテッサロニキでアルコール中毒の浮浪者アレクサンドロス・スヒナスに殺害された。没年67歳。

1937年
【爆発事故】「ニューロンドン学校爆発事故」

1937年3月18日にアメリカ・テキサス州のニューロンドンにあったニューロンドン学校で天然ガスの漏出によりガス爆発が発生。この事故により教師や生徒などおよそ300人以上が死亡。この事故によりテキサス州は天然ガスへのチオールの添加を義務づけた。

1947年
【死去】ウィリアム・C・デュラント(William Crapo “Billy” Durant)【実業家/アメリカ合衆国】

19世紀から20世紀にかけてのアメリカの実業家でゼネラルモーターズ(GM)創業者として知られる人物。10代から販売や営業といった職を経験し1886年に友人のジョシュア・ダラス・ドートと馬車販売会社「フリント・ロードカート・カンパニー」を設立。その後事業は成功を収め1895年に同社を「デュラント=ドート・キャリッジ・カンパニー」へ改変全米し最大の馬車製造会社まで発展させる。1904年に自動車メーカー「ビュイック」の事業に参入し破産寸前だった同社を全米トップの自動車メーカーへ発展させることに成功。1908年にゼネラルモーターズ(GM)を設立。以後自動車産業界で事業展開を行なうも1929年に莫大な負債を負いGMを退社。同年にデュラント・モーターズ社を設立し自動車事業を継続するも世界大恐慌により破産。晩年も実業家としてスーパーマーケットやボウリング場などを経営。1947年3月18日に死去。没年85歳。

1963年
【自然災害】「アグン火山爆発」

インドネシア・バリ島にあるアグン火山が爆発。18日から19日にかけての噴火で1,500人以上が死亡、さらに同年5月16日の再噴火で200人以上もの人名を奪った。

1965年
【急死】ファールーク1世(Farouk I)【王族/エジプト】

20世紀エジプトで最後の君主であるムハンマド・アリー朝第10代君主および第2代エジプト王(1936年〜1952年)となった人物。第9代君主フアード1世の息子として生まれ、フアード1世の死去によりイギリス軍のエジプト駐留が続く中1936年に王へ即位。その後イギリスへの反発が強まり「第二次世界大戦」が勃発すると反英内閣を樹立。1942年にイギリスがムスタファー・ナッハース・パシャを擁立すると自身の身の危険からナッハース内閣樹立を認める。このことによりエジプト国民の反発を買い、1952年に「エジプト革命」が勃発し王位を剥奪される。翌年に王位を継承した息子のフアード2世も廃位され、ヨーロッパへ亡命。その後、1965年3月18日に食事中に急死。没年45歳。検死の結果毒殺説は否定されている。

1977年
【航空事故】【急死】【夭逝】ホセ・カルロス・パーチェ(José Carlos Pace)【レーシングドライバー/ブラジル】

1970年代に活躍したブラジルのF1ドライバーで同業のマーソン・フィッティパルディのライバルと目された人物。1972年にフランク・ウィリアムズのチームからF1デビュー。1973年、サーティースへ移籍し、同年「世界メーカー選手権」に参戦。1975年、ブラジルGPで初勝利。1977年3月18日、飛行機事故により死去。没年32歳。

1978年
【死去】リイ・ブラケット(Leigh Douglass Brackett)【小説家・脚本家/アメリカ合衆国】

代表作『The Long Tommorrow(長い明日)』等で知られるSF小説家であり、1946年の映画『三つ数えろ』、1973年の『ロング・グッドバイ』、そして1981年の映画『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』の脚本を手がけたことでも知られる人物。カリフォルニア、ランカスターの自宅にてガンにより62歳没。

1980年
【爆発事故】「1980年ソ連・プレセツク宇宙基地爆発事故」

1980年3月18日にソ連・アルハンゲリスク州にあるロケット発射場「レセツク宇宙基地」で、打ち上げのため過酸化水素を注入中であったボストーク-2Mロケットが爆発。この爆発により48人が死亡。

1983年
【死去】ウンベルト2世(Umberto II)【王族/イタリア】

20世紀イタリアで最後の第4代イタリア王国国王(1946年5月〜6月)となった人物。第3代イタリア王国国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の息子として生まれ、第二次世界大戦後の1946年5月に即位するも同年6月に国民投票により廃位・国外追放となる。同月ポルトガルへ亡命し1983年3月18日に死去。没年78歳。

1984年
【身代金誘拐事件】【未解決事件】「グリコ・森永事件」

江崎グリコ社長・江崎勝久の西宮市の自宅に2人組の男が押し入り全裸のまま誘拐。翌日犯人からの電話により呼び出された場所に身代金10億円と金塊100キロを要求する脅迫状が”かい人21面相”から残されていた。交渉の後に犯人は「金はいらん」と言及。怨恨もしくは愉快犯であると断定された。事件3日後の3月21日に社長は自力で脱出し事なきを得たが、以降、大手食品メーカーを次々に脅迫する一連の「グリコ・森永事件」が続いた。

1988年
【未解決事件】【殺人事件】「名古屋妊婦切り裂き殺人事件」

1988年3月18日、名古屋名古屋市中川区富田町のアパートで臨月の妊婦であった守屋美律子(当時27歳)が自室で首を絞められ殺された後、腹部から胎児を取り出され、代わりに電話の受話器とミッキーマウスのキーホルダーが詰め込まれていた未解決の殺人事件。第一発見者は夫(当時31歳)で切り傷が数カ所見つかったが胎児は無事であった。犯人は絞殺してからおよそ10分ほどで胎児を刃物で取り出しており医学に精通している者の犯行ではないかと憶測された。また、不審者の目撃情報があったが、それ以上の展開はないまま、2003年に公訴時効を迎えた。事件後、父子はハワイへ移住している。

1990年
【放火事件】【未解決事件】「長崎屋火災」

1990年3月18日に兵庫県尼崎市にあったスーパーマーケット長崎屋尼崎店(Big-Off尼崎店)で放火による火災が発生し従業員12人と客3人が死亡、6人が負傷。犯人は不明のまま2005年公訴時効成立。

1996年
【死去】オデッセアス・エリティス(Odysseus Elytis)【詩人・ギリシャ】

死去】オデッセアス・エリティス【詩人・ギリシャ】『第一の太陽』(1943年)『価値がある』(1959年)等の詩集で1979年のノーベル文学賞を受賞したギリシャを代表する詩人。海外旅行の準備中に死亡した。没年84歳。生まれ故郷のレスボス島にあるミティリニ国際空港は彼にちなみ「オデッセアス・エリティス」と呼ばれている。

2008年
【死去】アンソニー・ミンゲラ(Anthony Minghella, CBE)

【映画監督・映画プロデューサー/イギリス】1996年の映画『イングリッシュ・ペイシェント』で同年のアカデミー監督賞を受賞したイギリス人映画監督。映画監督としては『リプリー』『コールドマウンテン』、プロデューサーとしては『愛を読む人』等のヒット作を残した。扁桃腺と頸部のガンの切除中に失血死した。没年54歳。

2011年
【急死】森下あみい【女優・ダンサー】

1990年代から2000年代に活躍したAV女優およびストリッパー。1991年、宇宙企画『桃尻ヴィーナス』でAVデビュー。1994年、AV女優を引退しストリッパーへ。2001年、アイデアポケット『Angel』でAV女優へ復帰。2011年3月18日、心筋梗塞・脳内出血により急死。没年38歳。

2012年
【死去】ジョージ・トゥポウ5世(George Tupou V)【王族/トンガ】

20世紀トンガで第23代トンガ国王(2006年〜2012年)となった人物。トンガ国王タウファアハウ・トゥポウ4世の息子として生まれ、1979年から1998年まで外務大臣を務める。2006年にトンガ国王となるも直後に「トンガ動乱」が勃発。2012年3月18日に白血病で死去。没年63歳。

2012年
【死去】ジョージ・トゥポウ5世(George Tupou V)【王族/トンガ王国】

21世紀にトンガ王国の国王(2006年〜2012年)となった人物。同国国王タウファアハウ・トゥポウ4世の長男として生まれ、1966年に皇太子へ。欧州で学生時代を過ごし、帰国後の1979年に外務大臣に就任。2006年、国王に即位。2012年3月18日、白血病により死去。没年63歳。

2015年
【無差別テロ】「バルド国立博物館銃乱射事件」

チュニジアの首都チュニスのバルド国立博物館で銃乱射事件が発生。外国人観光客を狙った無差別テロだと思われ、犯人の2人は200人もの人質を取っていたという。死亡した22人のうち、外国人は20人。その内訳はイタリア人とフランス人が最も多く4名、その次が日本人とポーランド人で3名、以降、スペイン人とコロンビア人が2名、イギリス人、ベルギー人、ロシア人が1名というものだった。犯人の2人はともにチュニジア人で、人質を盾に閉じこもったが、2時間ほどで突入した治安部隊によって射殺された。日本の報道に拠れば一連のイスラム国(ISIL)によるテロの線が濃厚だが、チュニジアのベジ・カイドセブシ大統領は国内に拠点を置くイスラム過激派組織「アンサール・アル=シャリーア」の犯行であると断定した。

2017年
【死去】チャック・ベリー(Charles Edward Anderson “Chuck” Berry)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1950年代から2010年代にまで長きにわたり活躍した伝説的なロック・ミュージシャン、ギタリストであり、1986年の第1回ロックンロールの殿堂入りを果たし《ロックン・ロールの創始者》といわれる人物。代表曲のほとんどは1955年〜1958年の間に発表されたもので、『Maybellene』『Roll Over Beethoven』『Too Much Monkey Business』『Rock and Roll Music』『Sweet Little Sixteen』『Johnny B. Goode』等、どの曲も後世のミュージシャンがコピーを続け世紀の大ヒットとなった。最晩年までステージでパフォーマンスをするなど、精力的に活動を続けたが、90歳の誕生日である2016年10月18日に38年ぶりのアルバム『Chuck』の翌年発売を公表したが、その発売前の翌年3月18日に死亡。没年90歳。死因は老衰とみられている。

2018年
【交通事故】【自動運転車事故】「2018年Uber車死亡事故」

2018年3月18日にアメリカ・アリゾナ州テンピ市で自動運転の試験走行中であったUber車が歩行者のエレイン・ヘルツバーグ氏(当時49歳)を跳ねて死亡させる事故が発生。史上初の自動運転車による死亡事故となった。搭載されていたAIシステムがヘルツバーグ氏を人とは認識せず、テストドライバーのラファエラ・バスケス氏(当時44歳)が自動運転を終了させるも衝突する結果となった。