『ゲーテ作「ファウスト」の挿絵/画=ハリー・クラーク』

1832年3月22日は、ドイツを代表する詩人であり劇作家のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが死亡した日である。
不倫と悲恋に煩悶し自殺を選ぶ学生の『若きウェルテルの悩み』等、若くして既にヨーロッパ中に知れ渡る人気作家であったゲーテであるが、その人生をかけて成し遂げた偉業といえば、二部構成からなる長大な戯曲『ファウスト』である。
ドイツに15世紀頃から伝わっていたとされる『ファウスト伝説』を取材、再構築し、若き頃からのテーマである《人間の生きる価値》についてを、ファウスト博士、善良な娘グレートヒェン、そして人間を誘惑する悪魔メフィストーフェレスのやりとりで描いている。
この挿絵の下にある「Have you not led this life quite long enough ?(もう十分に長く生きてこなかったのか?)」は劇中でメフィストがファウストに問う言葉のひとつであり、このような問いかけを通じて人生の弱みと脆さ、美しさが綴られていく大作が『ファウスト』なのである。
果たして、ゲーテの人生は悩みの中にありながら、常に自らの欲望のサイドに突き動かされる極めて“人間らしい”ものであった。
自殺を思い立つほどの悲恋に苦しんだ学生時代も、盟友シラーの死に半身を削がれるような絶望を味わいもしたが、ゲーテは常に死を選ばず、その不幸を自らの作品に落とし込み、また次の恋愛(=生)へと移っていくのである。
それは80歳にして17歳の少女に失恋したということでも明らかである(もちろん作品にした)。
82歳で死亡する際にも「もっと光を!」と言ったとされるゲーテだが、それはおぞましいほどの生への執着が現われた“エロスの断末魔”ともいえるのではないだろうか。

(画像はWikipedia Johann Wolfgang von Goetheより使用。Public Domain)

3月22日の不幸

1832年
【死去】ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)【作家/ドイツ】

ドイツ古典主義時代を代表する詩人であり劇作家。『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』等の不朽の作品群で、ほぼデビュー以来終生人気作家としての地位を築いた。82歳で死亡する際にも「もっと光を!」と言ったとされる。

1841年
【死去】徳川家斉【武士・将軍】

江戸時代後期に江戸幕府11代将軍(1787年〜1837年)となった人物。御三家・一橋家の一橋治済の長男として生まれ、1781年に第10代将軍・徳川家治の養子として江戸城へ入る。1787年、家治が急死したため第11代将軍へ就任。同年、田沼意次から松平定信へと老中が変わる「寛政の改革」が起こる。1825年「異国船打払令」を発令。天保の大飢饉により「大塩平八郎の乱」(1837年)や「生田万の乱」(1837年)といった反乱が起こる。1837年、息子である徳川家慶へ将軍職を譲り大御所となる(「大御所時代」)。1841年2月27日急性の胃腸炎または腹膜炎により死去。没年69歳。

1908年
【殺人事件】「出歯亀事件」

1908年3月22日、東京・大久保村西大久保の銭湯へ行った幸田ゑん子(当時27歳)が遺体となって発見され、銭湯を度々覗いていた植木職人・池田亀太郎(当時35歳)が強姦殺人の犯人として逮捕された。池田のルックスが特徴的な出っ歯であったことから“出歯亀”という渾名で呼ばれており、事件は“出歯亀事件”と称されることとなった。逮捕後、池田は無期徒刑となったが恩赦により13年で釈放された。

1945年
【戦死】西竹一(バロン西)【軍人・馬術】

1935年「ロサンゼルス・オリンピック」馬術障害飛越競技で金メダリストを獲得した陸軍軍人。男爵・西徳二郎の三男として生まれ、1912年に当主となり男爵へ。1921年、陸軍士官学校予科入校。1927年に陸軍騎兵学校を卒業後、陸軍騎兵中尉へ進級。1935年、「ロサンゼルス・オリンピック」で日本人初の馬術障害飛越競技・金メダル獲得。この功績によりロサンゼルスの名誉市民へ。1933年、陸軍騎兵大尉へ進級。1939年、陸軍騎兵少佐となり陸軍省軍馬補充部部員として従事。1941年「太平洋戦争」が勃発し捜索隊(師団捜索隊)として参加。1945年3月22日、硫黄島の戦闘で死去。没年42歳。

1999年
【射殺】里中まりあ【AV女優】

ストリッパー「里中まみ」として活動後、芸名を「里中まりあ」に変更し、AV女優に転身。『恥めまして!!』『奥までびしょ濡れ』などの作品で人気を博した。1999年3月22日の夜に、大阪・天王寺区にあるラブホテルの一室で、顔面をに銃弾を撃ち込まれ射殺された。没年21歳。同年4月17日に暴力団組員の50歳の男が、殺人容疑で逮捕された。生前から暴力団関係者と関係があったといわれている。

2001年
【死去】あすなひろし【漫画家】

『青い空を白い雲がかけてった』などの作品で知られる昭和に活躍した漫画家。東宝映画宣伝部やデザイン会社を経て1959年に『まぼろしの騎士』でデビュー。1976年『青い空を白い雲がかけてった』を少年チャンピオンで発表。晩年は実家のある広島へ戻り、主に肉体労働に従事。2001年3月22日に死去。没年60歳。

2004年
【暗殺】アフマド・ヤースィーン(Sheikh Ahmed Ismail Hassan Yassin)【活動家/パレスチナ】

パレスチナのイスラム主義者であり、イスラム主義組織の「ハマース」を創設した人物。ガザ地区で反イスラエル運動に身を投じ、イスラム主義活動を開始。1989年に二度目の逮捕を受け、イスラエル軍事法廷により終身刑を言い渡された。その獄中で少年時代に怪我を負っていた脊髄の障害が悪化して全身麻痺に。以降、車椅子での生活を送った。ほぼ同時期に盲目にもなったが、1997年にモサドの工作員との人質交換で釈放され、再びガザに戻り運動を再開。その求心力を重くみたイスラエル軍により、2004年3月22日早朝、モスクで礼拝をするための道のりを車椅子で移動中にヘリコプターで爆撃された。没年67歳。その死亡時には2人の警備員と9人の一般市民も巻き込まれて死亡した。

2004年
【死去】豆千代【芸者・歌手】

昭和に活躍した芸者および歌手。幼少期から三味線や長唄、日舞などを習い、1924年に花柳界へ入る。1933年『恋はひとすじ』で歌手デビュー。松平晃とのデュエット曲『恋はひとすじ』(1934年)、『夕日は落ちて』(1935年)がヒットしスター歌手の仲間入りへ。1942年、映画『歌う狸御殿』に出演。1951年、タイヘイレコードと契約し『雨の明石町』(1953年)などを発表。晩年も歌手活動を行ない、NHKラジオ放送『歌謡大全集』などにも出演。2004年3月22日に死去。没年93歳。

2005年
【死去】阪田寛夫【詩人・小説家】

童謡『サッちゃん』の作詞者として知られる昭和に活躍した詩人および小説家。1959年に童謡『サッちゃん』の作詞を担当。その後、朝日放送のラジオプロデューサーなどを経て小説『音楽入門』で小説家デビュー。1975年に発表した『土の器』で芥川賞受賞。以降、小説『トラジイちゃんの冒険』(1980年)で野間児童文芸賞、『海道東征』(1987年)で川端康成文学賞を受賞。晩年は主に小説家として活動し、2005年3月22日、肺炎により死去。没年79歳。

2005年
【死去】丹下健三【建築家・都市計画家】

“世界のタンゲ”と称された国内外で活躍した20世紀の建築家および都市計画家、一級建築士。1935年、東京帝国大学工学部建築科へ入学。1938年、前川國男建築事務所へ就職し岸記念体育会館を設計。1942年、大東亜建設記念造営計画設計競技に1等で入選。1946年、丹下研究室を設立。1958年にアメリカ合衆国建築家協会(AIA)汎太平洋賞を受賞。1963年に東京大学工学部都市工学科教授へ就任。1965年、国立屋内総合競技場が日本建築学会特別賞、イギリスRIBAゴールドメダル受賞。その後もフランス芸術文化勲章コマンドール章(1984年)、アメリカ・プリツカー賞(1987年)、勲一等瑞宝章受章(1994年)など国内外で多くの賞を受賞。その他に手がけた代表的建築としては東京都庁舎第一本庁舎(1991年)、フジテレビ本社ビル(1996年)などがある。2005年3月22日、鬱血性心不全で死去。

2006年
【射殺】ピーター・オルワ(Peter Orwa)【プロボクサー/ケニア】

1972年のミュンヘン・オリンピックのボクシングに出場し、銅メダルを獲得したケニア人ボクサー。1975年に来日しダンサーやボクサー”ピーター南木”として活躍したが、1977年9月6日に日本ミドル級王者・工藤政志に挑戦したが敗戦。その試合を最後に現役引退した。その後は歌手としても活動、テレビ『わくわく動物ランド』のテーマ曲、「サントリーオールド」のCMソングなどを歌った。また、著書『楽園ペポニ』で独自の日本ーケニア論を披露している。2006年3月16日朝、ケニア・ナイロビにあった自宅に強盗団が侵入し、頭部と胸部を撃たれ銃殺された。没年56歳。

2007年
【死去】城山三郎【小説家】

主に経済小説で知られる20世紀の小説家。大学卒業後、教官助手などを経て、1963年から作家生活へ。『硫黄島に死す』(1968年)、『官僚たちの夏』(1975年)、『男たちの好日』(1981年)などを発表。2007年3月22日、間質性肺炎のため死去。没年79歳。

2016年
【テロ】「 2016年ブリュッセル爆発(2016 Brussels bombings)」

ベルギーの首都であるブリュッセルのブリュッセル空港の出発カウンター付近で8時頃に3度の爆発が発生。その1時間後に同市内のマールベーク駅で爆発が起き、テロリスト3人を含む35人が死亡した連続爆破テロ事件(「ベルギー連続テロ事件」とも)。空港で14人、駅で17人が死亡し、その後4人が病院への搬送後に死亡。犯人はイスラム国メンバーであることが事件後にイスラム国側から発表されたが、2名は自爆死しており、死に損ねたモハメド・アブリニは翌月8日に逮捕された。事件後、そのあまり大規模な被害にベルギーのテロ警戒レベルは最高に引き上げられた。

2017年
【テロ】「2017年ロンドンテロ事件(2017 Westminster attack)」

2017年3月22日の14時40分頃に、ロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスターで発生した連続殺人事件。イスラム教に改宗したイギリス黒人、ハリド・マスードがレンタカーでウェストミンスター橋を暴走し一般市民を轢きながらイギリスの国会に当たる「ウェストミンスター宮殿」の壁に激突。そこから宮殿に入り警備の警官をナイフで刺殺し、車で撥ねた3人と合わせ4人を殺害したところで駆けつけた警官により射殺された。後にさらにもう一人の女性が搬送先の病院で死亡し、合計6人の犠牲者を出したこの事件後、イスラム国は前年の「2016年ブリュッセル爆発」の時と同様に犯行声明を出したが、マスードがその影響下にあったかは明らかになっていない。この事件はウェストミンスター宮殿内で起きたテロとしては1979年にの「エアリー・ニーブ殺害事件」以来のできごととなった。