『1945年頃、13歳のエリザベス・テーラーの宣材写真』

2011年3月23日は、子役として10歳でデビューして以来、20世紀を通じて大スターとして活躍し続けた女優のエリザベス・テーラーが死亡した日である。
女優として1960年の『バターフィールド8』、1966年の『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』でアカデミー主演女優賞を獲得するなど、映画スターとしては考えられる限りの名声を獲得し続けていただけでなく、奇行に走るマイケル・ジャクソンとの終生続いた交際で知られるなど、まさにセレブリティという人生を歩み続けた“リズ”。
その女優としての人生の特異さが発揮された一面に、7人の男性との8度にわたる結婚生活が挙げられる。
18歳で結婚したホテル王の御曹司、コンラッド・ヒルトン・ジュニアに始まり、スター俳優、映画プロデューサー、歌手、政治家と各界のセレブリティとの激しい結婚生活を次々と披露。
その果てに、最後の結婚相手に選んだのは20歳近く年の差のあった若い土木作業員の男であった。
果たして、その過剰ともいえる祝福に溢れた人生は幸せであったのか——その真実を理解するものは今後も現われないであろう。
ただ、2011年に鬱血性心不全で急死した彼女がその莫大な遺産の受取人のひとりとして選んだのが、15年以上も前に離婚し、みすぼらしい生活を続けていた最後の夫、ラリー・フォーテンスキーであったことには、華美に彩られた彼女の人生とは異なる、普遍的な真実味を感じることができる。

(写真はWikipedia Elizabeth Taylorより使用。Public Domain)

3月23日の不幸

1555年
【死去】ユリウス3世(Julius III)【ローマ教皇/イタリア】

16世紀イタリアの第221代ローマ教皇(1550年〜 1555年)で最後のルネサンス教皇として知られる人物。 1512年にシポント大司教となり1520年からパヴィア司教も 兼任。1527年に「ローマ略奪」 が起こり神聖ローマ帝国軍の人質となるも解放される。 1536年に司教枢機卿となり1550年にローマ教皇へ就任。 就任中は芸術・建築愛好家として知られるようになりヴィラ・ ジュリア(現・エトルスク博物館)などを建設。 1555年3月23日に死去。没年67歳。

1801年
【暗殺】パーヴェル1世(Pavel I)【王族/ロシア】

18世紀末から19世紀初頭のロシアでロマノフ朝第9代ロシア皇 帝(1796年〜1801年)となった人物。 ロマノフ朝第8代ロシア帝国皇帝エカチェリーナ2世の息子として 生まれ、エカチェリーナ2世が死去した1796年に皇帝に即位。 即位中の1801年3月23日、レオンティイ・ レオンティイエビッチ・ ベニグセンといったパーヴェル1世に罷免された士官らにより暗殺された。没年46歳。

1842年
【死去】スタンダール(Stendhal)【小説家・軍人/ フランス】

19世紀フランスの小説家。軍人、官僚を経てナポレオン・ ボナパルト没落後はフリージャーナリストとして活躍。 その後エッセイ『恋愛論』(1822年)、代表作となった小説『 赤と黒』(1830年)を発表。1830年に「七月革命」が起こるとローマ教皇領チヴィタヴェッキア駐在フランス領事に就 任。1839年に小説『パルムの僧院』を発表。 1842年3月23日に脳卒中で死去。没年59歳。

1958年
【死去】山川均【経済学者・思想家・評論家・理論家】

明治から昭和にかけて活躍した経済学者および思想家・ 評論家で労農派マルクス主義の指導的理論家としても知られる人物 。同志社大学を中退し上京。1900年に雑誌『青年の福音』に掲載した論説『人生の大惨劇』で日本史上初の不敬罪に問われ重禁固刑となる。 1906年に日本社会党へ入党し社会主義運動に参加。 1908年に「赤旗事件」で投獄される。 その後売文社に入社し評論活動を行なう。1921年に堺利彦・ 近藤栄蔵・高津正道らと日本共産党準備会( コミンテルン日本支部準備会)を発足。1922年に時事評論誌『 前衛』を創刊。同年に日本共産党(第一次共産党) が創立されると総務幹事に就任。『無産階級運動の方向転換』などを発表し山川イズムと呼ばれる「方向転換論」を提唱。 1924年に共産党が解散し以後、 同党と距離を置きながら1927年に『労農』を創刊し共同戦線党論を展開。1937年に「人民戦線事件」で逮捕される。「第二次世界大戦」後は社会党左派の理論家として活動し1951年に社会主義協会代 表に就任。1958年3月23日に膵臓ガンで死去。 没年77歳。

1972年
【死去】クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga Eizaguirre)【ファッションデザイナー/スペイン】

20世紀スペインのファッションデザイナーで、世界的ブランド「バレンシアガ」の創設者として知られる人物。 裁縫師であった母親の影響から12歳で洋裁師見習いとして働き始め、顧客でパトロンのカーサ・ トーレス伯爵夫人の援助によりマドリードで洋裁師としての修業を積むことに。1919年にブティックを開店させ、 スペイン王室と王侯貴族が顧客となる。1936年に「 スペイン内戦」が起こるとフランス・パリへ移住。 以後パリを拠点としファッションデザイナーや指導者として活躍し1968年に現役を引退。 1972年3月23日に急性心筋梗塞で死去。没年77歳。

1976年
【テロ事件】「児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件」

1976年3月23日に右翼のフィクサーとして知られる児玉誉士夫の私邸へポルノ俳優・前野霜一郎(当時29歳)が操縦する小型航空機(PA-28-140型機)が特攻する自爆テロが発生。このテロにより児玉邸の2階一部が炎上、家政婦が負傷するも児玉本人は無事であった。テロの理由はロッキード事件で起訴された児玉に対し裏切られたと感じたことであった。

1981年
【交通事故死】マイク・ヘイルウッド(Mike Hailwood)【レーシングドライバー・ オートバイ競技選手/イギリス】

20世紀に活躍したイギリスのオートバイ競技選手およびF1レー サー。 1950年代から1960年代にかけてモーターサイクルロードレースの世界選手権(世界GP)で活躍。 1962年に当時最年少記録であった22歳で500㏄クラスのタイトルを獲得。その後初の世界GP3クラスでタイトルを獲得、 イタリア・MVアグスタでは500㏄クラス4連覇を達成。 1966年にホンダへ移籍。「マン島TTレース」では1958年から1979年までに14勝を挙げ当時の最多勝記録保持者となる。 1970年代から4輪へ転向し1972年にF2欧州チャンピオンとなる。1974年にF1を引退し、1978年に「マン島TT」 で2輪へ復帰し優勝。1979年にレースの世界から引退。 1981年3月23日に一般公道での交通事故で死去。 没年40歳。死後の2000年にMotoGP殿堂入り。

1984年
【自殺】シャナ・グラント(Shauna Grant)【ポルノ女優/アメリカ合衆国】

高校卒業後恋人と家を飛び出し、ロサンゼルスでヌードモデルとして活躍。『ハスラー』『ペントハウス』等のヌード誌で瞬く間に人気を獲得した。彼氏と別れた彼女はシャナ・グラントを名乗りポルノ女優に転身。人気女優の仲間入りを果たしたが、同時にコカイン中毒も患っていった。1983年に現役を引退したが、引く手あまたの彼女は翌年ポルノ女優復帰を計画。その直後の3月21日にカリフォルニア・パームスプリングスで拳銃自殺を遂げ、23日に死亡した。没年20歳。

1985年
【死去】小池朝雄【俳優・声優】

昭和に活躍した俳優および声優でテレビ映画『刑事コロンボ』の主人公コロンボの声で知られる人物。1950年に文学座付属演劇研究所へ入所し舞台デビュー。1963年に文学座が分裂のすると福田恆存の現代演劇協会附属・劇団雲の創設に参加。1975年に雲が分裂すると劇団昴創設に参加。以後同劇団の中心俳優として活躍し映画『仁義なき戦い』シリーズへやテレビドラマ『野性の証明』などに出演。アニメ『長靴をはいた猫』や1972年からテレビ映画『刑事コロンボ』で声優としても活躍。1985年3月23日に肺不全で死去。没年54歳。

1990年
【事故死】【夭逝】村松栄紀【レーシングドライバー】

昭和から平成にかけて活躍したレーシングドライバー。駿台自動車整備工業専門学校在学中にモータースポーツと出会い、プロのレーシングドライバーを目指すようになる。1987年に「筑波FJ1600」ABの両シリーズに参戦しAシリーズチャンピオンを獲得。翌年にF3となり1989年のF3マカオGPに参戦。1990年3月23日に全日本F3000選手権の合同タイヤテスト中に事故死。没年24歳。

1996年
【マスコミ不祥事】【報道被害】【坂本堤弁護士一家殺害事件】「TBSビデオ問題」

東京放送(現・TBS)のワイドショー番組『3時にあいましょう』のスタッフがオウム真理教を批判する坂本堤弁護士のインタビュー映像を放映前の1989年10月26日にオウム真理教幹部・早川紀代秀らに見せたことをTBS側が1996年3月23日に認める。

1999年
【死去】河野鷹思【グラフィックデザイナー・エディトリアルデザイナー】

昭和から平成にかけて活躍したグラフィックデザイナーおよびエディトリアルデザイナー。1929年に東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業し松竹へ入社。以後、ポスター、舞台美術、衣裳、パッケージ、ディスプレイなど幅広く活躍。1940年に日本写真工芸社へ参加し宣伝誌『VAN』『NDI』のデザインを担当。「第二次世界大戦」後は日本宣伝美術会へ参加。1959年にデザイン事務所デスカ・DESKAを設立し「札幌オリンピック」ポスターや万国郵便連合100年記念切手のデザイン、旧第一勧業銀行のロゴマークなどを手掛ける。1983年にロイヤルソサエティ・アーツから日本人初のロイヤルデザイナー・フォア・インダストリーに選出される。デザイナーとして活躍しながら美術教授としても活躍し1989年に愛知県立芸術大学名誉教授に就任。1999年3月23日に死去。没年93歳。

1999年
【暗殺事件】「パラグアイ副大統領ルイス・マリア・アルガーニャ暗殺」

1999年3月23日にパラグアイの副大統領ルイス・マリア・アルガーニャが自宅近くで待ち伏せしていた暗殺者に殺害される。その後、暗殺したパブロ・ヴェラ・エステチェらが逮捕され、暗殺は対立候補であったリノ・オビエド将軍に指示されたことを暴露。

2003年
【死去】天本英世【俳優】

東京大学法学部政治科中退後、劇団俳優座に所属し俳優に。1954年のオペラ『オテロ』において舞台デビュー、同年の映画『女の園』『二十四の瞳』で映画デビュー。1958年からは東宝と専属契約を結び、岡本喜八監督作などで長身怪異の性格俳優として活躍。1972年のテレビドラマ『仮面ライダー』で死神博士を演じたことがその後の怪優としての存在感を決定づけた。晩年活躍したテレビバラエティ『たけし・逸見の平成教育委員会』でも存在感を発揮したように、私生活でも奇人としてのエピソードには事欠かず、スペインに心酔したアナーキストであり、クリーニング屋の二階に居候をする、ファミレスに仕事の電話を取り次いでもらうなど、数々の逸話を残した。2003年3月23日、急性肺炎で77歳没。場所は故郷の福岡県北九州市若松区であった。葬儀はカトリック教会で行なわれ、故人の遺志により、その遺骨は2005年10月にスペインアンダルシア州グアダルキビール川に散骨された。

2006年
【急死】徳田ザウルス【漫画家・イラストレーター】

昭和から平成にかけて活躍した漫画家およびイラストレーター。漫画アシスタントやイラストレーターを経て1987年に『月刊コロコロコミック』の『走れ!前ちゃん』で漫画家デビュー。同年に『ダッシュ!四駆郎』で初連載となりその後『風のレーサー侠』『ダッシュボーイ天』などを発表。2006年3月23日に急性心不全で死去。没年47歳。

2008年
【通り魔事件】【連続殺傷事件】「土浦連続殺傷事件」

2008年3月23日、殺人容疑で指名手配中であった金川真大(当時25歳)が茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅の構内で通行人を刃物で切りつける事件が発生。この事件により1人が死亡、7人が負傷した。逮捕後は死刑が確定し2013年2月21日に刑が執行された。

2009年
【航空事故】「フェデックス80便着陸失敗事故」

2009年3月23日に千葉県成田市の成田国際空港で、中国・広州発成田行きのフェデックス80便(MD-11F貨物機)が着陸に失敗し爆発・炎上。この事故により乗員2人が死亡。事故はポーポイズ現象が原因で起こったとされる。

2011年
【死去】エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)【女優/アメリカ合衆国】

子役として10歳でデビューして以来、20世紀を通じて大スターとして活躍し続けた女優。女優としては1960年の『バターフィールド8』、1966年の『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』でアカデミー主演女優賞を獲得。私生活ではマイケル・ジャクソンとの終生続いた交際や7人の男性との8度にわたる結婚生活など、終生セレブリティとして生きた。2011年に鬱血性心不全で急死。没年79歳。

2011年
【死去】ホゼ・アグエイアス(José Argüelles)【思想家・オカルティスト/アメリカ合衆国】

21世紀アメリカのニューエイジ思想家、オカルティストでマヤ暦研究者として知られる人物。シカゴ大学在学中にロシアの神秘思想家ピョートル・ウスペンスキーやオルダス・ハクスリー、ティモシー・リアリーに影響を受け、卒業後は大学教授をしながらカウンターカルチャー、サイケデリック文化の活動家となる。その後大学から危険視されて失職。1987年にマヤの宇宙的叡智を結集した書物として『マヤン・ファクター』を出版。同年に2012年人類滅亡説が流行し、14万4000人以上が参加した「ハーモニック・コンバージェンス(調波収束)」というイベントを開催。晩年もマヤ暦研究を行ない2012年をみることなく2011年3月23日に死去した。没年72歳。

2014年
【死去】アドルフォ・スアレス(Adolfo Suárez González)【政治家/スペイン】

21世紀スペインの政治家でスペイン首相(1976年〜1981年)となった人物。1955年にフェルナンド・エレロ・テヘドール県知事の私設秘書となり、国民運動に入党。1958年に公設秘書となり、1965年にRTVEの番組制作局長、1967年にスペインのテレビ局であるTVE1の社長へ就任。1968年にセゴビア県知事に就任し1969年に家族代表議員となる。1975年にスペイン国民連合(UDPE)の党首へ就任し同年に国民運動事務総長として初入閣。1976年に内務大臣代行となり「ビトリア事件」を解決したことで国民評議会常任評議員に選出される。同年にスペイン首相へ就任。1991年に政界を引退。晩年はアルツハイマーを発症し2014年3月23日に死去。没年81歳。

2015年
【死去】リー・クアンユー(Lee Kuan Yew)【政治家・弁護士/シンガポール】

20世紀シンガポールの政治家で初代シンガポール首相(1959年〜1990年)となった人物。「第二次世界大戦」中に日本側と協働し報道部で連合国の通信を盗聴し内容を翻訳する業務に従事。1945年にイギリスへ留学しケンブリッジ大学で法律学を学び1949年に帰国し弁護士として法律事務所に勤務しながら政治活動を行なう。1954年に人民行動党を創設し党書記長に就任。1955年に初当選し1959年にシンガポール初代首相に就任。1963年にシンガポールがマレーシアの一部となるも1965年にマレーシアから分離し独立。1967年にイギリスがシンガポールに駐留する軍隊を撤退させたことで国民役務の実施。1990年にゴー・チョクトンへ首相を譲り上級相となり2004年に内閣顧問へ就任。1994年に「つばを吐いたり、ガムを噛んだり、ハトに餌付けをしたりした300万人のシンガポール市民を罰することの効果についての30年間の研究に対して」の名目でイグノーベル賞心理学賞を授賞。2011年5月14日に政界から引退し2015年3月23日に死去。没年91歳。

2018年
【汚職事件】「韓国・李明博元大統領逮捕」

2018年3月23日、韓国の李明博(イ・ミョンバク)元大統領(当時76歳)が在任中の収賄などの容疑で逮捕。朴槿恵(パク・クネ)前大統領に続き異例の逮捕となった。