『古尾谷雅人主演『丑三つの村』のDVDジャケット』

2003年3月25日は、俳優の古尾谷雅人が首吊り自殺で死亡した日である。
都井睦雄の津山30人殺しをモチーフにした映画『丑三つの村』をはじめ、数々の意欲的な作品での怪演で知られる大型俳優であったが、後年はテレビドラマ『金田一少年の事件簿』等のライトな作品での活躍も見せていた。
しかし晩年はバラエティ化するテレビメディアへの対応を拒否してきたということもあり、俳優としての仕事量の減退や、継母との遺産相続争いに思い悩無日々を送ったとされ、昼間から飲酒を続けるような荒廃した日々を送っていたことが、その死後に妻の古尾谷登志江(元女優の鹿沼絵里)により出版された著書『最期のキス』や、彼女のコメントとして伝えられている(壮絶なことにその著書は、「その存在を忘れて欲しくない」との理由で、古尾谷の墓碑の所在地で結ばれている)。
古尾谷は、45歳の3月25日に、自宅にて首吊り自殺を決断し、実行に移した。
26歳の新進気鋭俳優であった古尾谷は、20歳で30人を殺害し自害を遂げた殺人鬼を演じた時、果たして自らも自殺を選ぶことを、想像したであろうか。

(画像はDVD『丑三つの村』2009年発売/松竹)

3月25日の不幸

1837年
【反乱】「大塩平八郎の乱」

1837年3月25日、摂津国大阪で発生した大坂東町奉行の元与力で陽明学者・大塩平八郎らによる江戸幕府に対する反乱。当時「天保の大飢饉」のため各地で百姓一揆が勃発。江戸幕府に対する不満により大塩は決起を計画。同日、自宅に火をかけ決起し「救民」を掲げた大塩一党は三井呉服店や鴻池屋などを襲撃、火災も発生させた。反乱は半日で鎮圧され、翌年、自害や獄中死した大塩ら18人の塩漬け死体と門弟・竹上万太郎の19人は市中引廻し後、磔にされた。

1911年
【火災】「トライアングルシャツウェスト工場火災」

1911年3月25日、ニューヨークのマンハッタンにあった縫製工場・トライアングルシャツウェスト工場で火災が発生。この火災により工員146人が死亡、71人が負傷。犠牲者の多くが建物から脱出できず、焼死や窒息していたため、事件後工場の安全基準改善を要求する法律が制定されることとなった。

1918年
【死去】クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy)【音楽家・作曲家/フランス】

19世紀後半から20世紀にかけて活躍したフランスの音楽家・作曲家。幼少期から音楽の手ほどきを受け、1872年にパリ音楽院へ入学。1878年、ピアノ曲『フーガ』で初の作曲を行なう。1880年、ピアニストとしてチャイコフスキーのパトロンであるフォン・メック夫人の長期旅行へ同行。1882年、歌曲『星の輝く夜』を発表。1884年、カンタータ『放蕩息子』でローマ大賞受賞し、ローマへ留学。1889年、国民音楽協会へ入会。1894年、管弦楽『牧神の午後への前奏曲』を初演。その後、『ビリティスの歌』(1900年)、『夜想曲』(1900年)、『版画』(1904年)などを発表し、作曲家として知られることに。1903年、レジオン・ドヌール五等勲章受勲。1905年、代表曲のひとつ交響詩『』、ピアノ曲集『映像 第1集』などを発表。1910年『前奏曲集 第1巻』、1913年、バレエ音楽『遊戯』を発表。晩年はガンを発病するも作曲を続け、『6つの古代碑銘』(1915年)、『チェロソナタ』(1916年)などを発表。1918年3月25日、直腸ガンにより死去。没年55歳。

1948年
【死刑】川島芳子【皇族・軍人】

清朝の皇族で“男装の麗人”“東洋のマタ・ハリ”の異名で知られる中国の情報員。清朝の皇族であった第10代粛親王善耆の第十四王女として生まれ、1915年に大陸浪人・川島浪速の養女として日本で教育を受ける。1927年、蒙古族の運動家・パプチャップの次男カンジュルジャップと結婚。離婚後の1930年に上海へ渡り上海駐在武官・田中隆吉と交際するようになり、諜報活動に携わることに。1931年、清朝皇帝・愛新覚羅溥儀の皇后・婉容の護送任務に参加。1932年に満洲国樹立、同年に川島をモデルとした村松梢風の小説『男装の麗人』が発表され、日本のマスコミから注目されることに。1933年、関東軍の熱河自警団・総司令に就任、“東洋のマタ・ハリ”、“満洲のジャンヌ・ダルク”と騒がれマスコミの寵児へ。1937年、天津を日本軍が占領すると、料亭「東興楼」を経営。「第二次世界大戦」終了後の1945年に北平で中国国民党軍により逮捕され、1948年3月25日に北平第一監獄で銃殺刑に処され刑死。没年40歳。

1975年
【暗殺】ファイサル(Faisal bin Abdulaziz Al Saud)【王族/サウジアラビア】

20世紀に第3代サウジアラビア国王(1964年〜1975年)となった人物。初代国王アブドゥルアズィーズ・イブン・サウードの三男として生まれ、1926年にヒジャーズ知事に就任。1932年、サウジアラビアが建国され外務大臣に就任。1964年に摂政となった後、同年に国王へ即位。即位後は女学校の設立やテレビ放送を開始、1967年に弟・ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズを初代第二副首相に任命。1969年、イスラム協力機構結成。1973年「第四次中東戦争」が勃発、石油の価格を4倍にし「石油危機」が起こる。1975年3月25日、甥・ファイサル・ビン・ムサーイド王子により暗殺される。没年68歳。ムサーイド王子は同年、リヤドの公共広場で処刑されている。

1979年
【死去】安藝ノ海節男【大相撲力士・指導者・実業家】

昭和に活躍した力士で第37代横綱となった人物。1931年、関西中学校相撲選手権に出場し第31代横綱・藤嶌にスカウトされ角界へ。1932年、出羽海部屋から初土俵を踏み、1938年に新入幕。1939年、69連勝中の双葉山定次を破り一躍有名に。1940年、関脇、大関と昇進。1942年に横綱へ昇進。1946年に現役を引退し生涯戦歴は209勝101敗38休となっている。その後、年寄・不知火を襲名し相撲協会理事に就任。1953年、平年寄に降格し自身の経営していた「ちゃんこ安藝」を閉店。晩年は北鎌倉で洋品店を経営し1979年3月25日に鬱血性心不全のため死去。没年64歳。

2003年
【自殺】古尾谷雅人【俳優】

1977年に日活ロマンポルノで俳優としてデビューし、その後1980年の映画『ヒポクラテスたち』で一般作映画に進出。その後『丑三の刻』をはじめ、数々の意欲的な作品での怪演で知られる大型俳優であったが、後年はテレビドラマ『金田一少年の事件簿』等のライトな作品での活躍も見せていた。しかし晩年は俳優としての仕事量の減退や、継母との遺産相続争いに思い悩み、昼間から飲酒を続けるような荒廃した日々を送り、45歳の3月25日に、自宅にて首吊り自殺。

2004年
【死去】下川辰平【俳優】

武蔵野美術大学中退後文学座に入団し俳優に。1972年に開始された人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』の長さん役で名脇役としての評価を確立。その後も人気ドラマ 『スクール☆ウォーズ』や、映画では『どですかでん』『黒部の太陽』『華麗なる一族』などの大作で活躍もみせた。2004年3月25日に敗血症で死亡。没年75歳。

2006年
【死去】リチャード・フライシャー(Richard Fleischer)【映画監督/アメリカ合衆国】

ドキュメンタリー映画出身ながら、1966年の映画『Fantastic Voyage(ミクロの決死圏)』 等、数多くの娯楽映画を手がけた映画監督。黒澤明との共作になるはずだった1970年の『Tora! Tora! Tora! (トラ・トラ・トラ!)』の監督としても知られている。晩年まで活動を続け、2009年3月24日に睡眠中、老衰で死亡。没年89歳。