『ベートーヴェンが31歳の時にしたためた弟と甥への手紙、通称「ハイリゲンシュタットの遺書」の1枚目』

1827年3月26日は、世界音楽史において最重要人物のひとりに数えられる古典派音楽の巨人、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが死亡した日である。
ベートーヴェンは20代後半頃から難聴に苦しんでいた天才音楽家であったが、40歳の頃には全聾になっていたといわれ、それ以降のおよそ16年の活動を聴力なしに行なったというのは誰もが知るベートーヴェンの超人的伝説である(もちろん数々の全聾ではなかったというエピソードも存在する)。
しかし、31歳の時に書かれたこの“遺書”は、ベートーヴェンが自らの生涯を嘆き、絶望し、自ら命を絶とうとすることを残してゆく弟たちや世間に対し正当化するような文面で埋め尽くされ、いわば弱音の限りを告白したあまりにも人間臭い書簡となっている。
その手紙はベートーヴェンの言いつけ通りに死後公開され、世界に驚きをもって受け止められた。
聴力を失ってから16年の創作を続けたこととともに、死を決意してから26年もの間、数多くの名作を作り続けたことによっても記憶されるべきその人生であったといえるだろう。

(写真はWikipedia Heiligenstadt Testamentより使用。Public Domain)

3月26日の不幸

1685年
【死去】後西天皇【天皇】

江戸時代に第111代天皇(1655年〜1663年)となった人物。後水尾天皇の皇子として生まれ、1655年に即位。1663年、識仁親王に譲位。1685年3月26日に死去。没年49歳。

1827年
【死去】ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)【作曲家/ドイツ】

世界音楽史において最重要の人物に数えられる古典派音楽の巨人。交響曲第9番で知られる9つの交響曲や、ピアノ曲『エリーゼのために』他多数。20代後半頃から難聴に苦しみ、40歳の頃には全聾になったものの、それから死亡するまでのおよそ16年の活動を聴力なしで行なったといわれる。1826年12月に肺炎を患い病状が悪化。10番目の交響曲にとりかかった矢先に翌年3月26日に肝硬変で死去。没年56歳。葬儀にはシューベルトを含む2万人もの人々が駆けつける盛大なものとなった。

1910年
【死刑】安重根(アン・ジュングン/An Jung-geun)【運動家/韓国】

初代総理大臣にして前韓国統監の伊藤博文を、1909年10月26日に北満州のハルビン駅構内で銃殺した朝鮮の独立運動家。現場でロシア官憲に逮捕され日本の関東都督府に引き渡された後、1910年3月26日9時に処刑された。没年30歳。暗殺した伊藤の月命日と死亡時刻に合わせての絞首刑だった。日本ではテロリストとしてとらえられることが多いが、韓国では独立の父として現在も崇められていることが多い。

1910年
【殺人事件】オーギュスト・シャルロワ(Auguste Honoré Charlois)【天文学者/フランス】

19世紀フランスで活躍したフランスの天文学者。ニース天文台で働き、1887年に小惑星ティルザを発見。その後、99個の小惑星を発見し、1899年にソシエテ天文学会最優秀賞であるジュール・ジャンセン賞受賞。1910年3月26日、シャルロワの再婚に対し激怒した前妻の兄弟により殺害された。没年46歳。その後、シャルロワの功績を称え1939年に発見された小惑星はシャロアと命名された。

1935年
【死去】与謝野鉄幹【歌人・教師】

文芸誌『明星』の創刊や後の妻となる与謝野晶子の『みだれ髪』を編集刊行したことで知られる歌人。晩年は慶應義塾大学文学部教授として後進の育成に努めた。1935年に気管支カタルを患い死亡。没年62歳。妻の晶子はその死に際し「筆硯煙草を子等は棺に入る名のりがたかり我れを愛できと」という追悼の歌を捧げた。

1959年
【死去】レイモンド・チャンドラー(Raymond Thornton Chandler)【小説家・脚本家/アメリカ合衆国】

世界恐慌で職を失い44歳で作家に転身。代表作『大いなる眠り』『さらば愛しき女よ』『長いお別れ』等のいずれも映画化されたヒット作を連発したアメリカを代表するハードボイルド作家。アルフレッド・ヒッチコック監督作品『見知らぬ乗客』等で脚本家としても活躍している。1954年に最愛の妻が死亡したあとは酒に溺れ荒廃した生活を送り、翌年には自殺未遂も起こした。1959年に肺末梢血管ショックと腎前性尿毒症で死亡。没年70歳。妻の隣に埋葬されることを臨んだが、妻の遺骨を放置していたためにそれは叶わなかったが、チャンドラー研究者ローレン・ラトカーが隣り合わせに埋葬することを誓願し、2011年2月14日に妻の遺骨がチャンドラーの墓の隣に埋葬されることとなった。

1962年
【死去】 室生犀星【詩人・小説家】

詩集『叙情小曲集』に収められた『小景胃情』その二冒頭の「ふるさとは遠きにありて思ふもの」で広く知られた詩人。高等小学校を中退後、金沢地方裁判所に給仕として就職。その頃から新聞に詩作の投稿を開始し、1906年頃から室生犀星を名乗り始める。た萩原朔太郎との交友もあり、ともに同人誌『感情』を出版するなどの共作も。代表作に『性に目覚める頃』など。戦後は主に小説家として活動した。1962年3月26日に肺ガンで死亡。没年72歳。3月26日はその死にちなみ『犀星忌』とも呼ばれている。

1973年
【死去】ジョージ・シスラー(George Harold Sisler)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

1915年に入団したセントルイス・ブラウンズで活躍した強打の1塁手で、イチローに破られるまでは不倒の記録といわれたシーズン257安打というMLB記録を84年にわたり保持していた伝説のメジャーリーガー。257安打を記録した1920年のシーズンでは打率.407という大記録も達成し、1922年には再び打率.420を記録、生涯打率も.340という空前の安打製造器として15年の長きにわたり活躍した。生涯安打数2,812本。1924年からは選手兼任監督も務めた。1930年に37歳で引退、以降はブルックリン・ドジャースのスカウトとして活躍し、後に黒人初のメジャーリーガーとなるジャッキー・ロビンソンを発掘する等の功績を残した。1939年に野球殿堂入りを果たし、1973年3月26日に80歳没。

1978年
【テロ】【社会事件】「成田空港管制塔占拠事件」

1978年3月26日、福田赳夫内閣に反対する和多田粂夫・前田道彦ら新左翼党派・第四インターが結成した「三里塚を闘う青年学生共闘」が、同月30日開港予定であった千葉県・新東京国際空港(現・成田国際空港)に侵入し管制塔を占拠した事件。この事件により活動家・新山幸男が死亡、実行犯を含む168人が逮捕された。

1982年
【死去】水原茂【プロ野球選手・指導者】

慶応大学在学中に六大学野球のスターとして活躍し、1936年に東京巨人軍(後の読売ジャイアンツ)に入団。三塁手として活躍したが、1942年からはシベリア抑留に向かい、1949年に帰国後、そのシーズンチームをリーグ優勝に導いた三原脩が選手たちのクーデターにより求心力を失うと、翌1950年から巨人軍第7代監督に就任し(選手兼任)、翌年からは監督に専念。1951年からはチームを3年連続日本一に導くなど、11年間の指導期間で4度の日本一、8度のリーグ優勝に導くという巨人軍の第二次黄金期を演出。勝負に徹し、時には非常な采配を辞さない名監督としてその地位を球史に残した。1960年に巨人軍監督を退任後は、翌年西鉄フライヤーズの監督に就任し、1962年にはチームを日本一に。1969年には中日ドラゴンズの監督に就任し、1971に退任。その後は野球解説者として活躍し、教え子の長嶋茂雄を公然と批判するなど、存在感を発揮した。1977年に野球殿堂入り。1982年に肝不全で73歳没。巨人軍は1947年に現役のまま急死した黒沢俊夫以来、2人目の球団葬で追悼した。

1984年
【死去】セク・トゥーレ(Ahmed Sékou Touré)【政治家/ギニア共和国】

フランスから独立後初のギニア共和国初代大統領となった人物。1952年、ギニア民主党(PDG)書紀長に就任。1956年、フランス国民議会議員に選出。1958年にギニア共和国がフランスから独立し大統領へ就任。同年、アフリカ諸国連合結成。就任後は独裁政治を行ない、アフリカ統一機構初代事務総長を務め、ギニアの政治家であったディアロ・テリといった反体制派を虐殺した。1984年3月26日、心臓疾患により死去。没年62歳。

1999年
【死去】金平正紀【ボクサー・プロモーター・指導者・実業家】

協栄ジム初代会長でボクシング指導者およびプロモーターとして活躍した人物。1950年代に野口ボクシングジムに入門、ボクサーとしてフライ級・バンタム級で活躍。1958年に引退し、とんかつ屋を開業。アルバイト募集できた海老原博幸と出会い、とんかつ屋を廃業し金平ジムを設立。1963年、指導を行なった海老原がWBA・WBC世界フライ級王者となる。その後、具志堅用高、オルズベック・ナザロフといったチャンピオンを育てることに。1966年、袴田事件を受け「無実のプロボクサー袴田厳を救う会」の発起人となる。1971年、テレビ東京で『KO(ノックアウト)ボクシング』を提供。翌年、キックボクシングの興行にも進出したことで、全日本ボクシング協会から利敵行為を行なったとして除名処分へ(「黒い霧事件」)。1982年、対戦相手選手の食べ物に毒物を入れたことが発覚(「薬物投与事件」)、ボクシング界を永久追放となる。晩年もプロモーターとして活動し、1992年にボクサーでもあった俳優のミッキー・ロークなどを手がけた。1999年3月26日、大腸ガンで死去。没年65歳。

2004年
【死亡事故】「六本木ヒルズ・回転ドア事故」

2004年3月26日、港区六本木・六本木ヒルズ内の森タワー2階入口に設置されていた回転ドアに、男児(6歳)がドアとドア枠に頭部を挟まれ死亡する事故が発生。事故は森ビルの管理過失、回転ドアを制作した三和タジマの過失となり、遺族側に損害賠償金約7,000万円が支払われ示談が成立。回転ドアは現在、スライド・ドアに変更されている。

2006年
【死去】小篠綾子【ファッションデザイナー】

昭和のファッションデザイナーでコシノ三姉妹(ヒロコ、ジュンコ、ミチコ)の母として知られる人物。洋裁の修業を積み、1934年にコシノ洋装店を開業。1982年フジテレビの『三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』に出演したのをきっかけにタレントとしても活躍。1988年、ブランド『アヤコ・コシノ』を創設。晩年もファッションデザイナーとして活躍し2006年3月26日、脳梗塞により死去。没年92歳。

2006年
【航空事故】アンジェロ・ダリーゴ(Angelo d’Arrigo)【冒険家・飛行家/イタリア】

2000年代に活躍したイタリアの冒険家・飛行家でハンググライダーや無機関・無動力の超軽量飛行機を用いた冒険飛行の世界記録保持者。2001年に鳥とともに飛行するスタイルで冒険飛行を開始し、鷲とサハラ砂漠・地中海を横断。2002年、シベリア・カスピ海・イランを飛行。2004年に鷲とともにエベレスト山、2006年に南アメリカ・アコンカグア山を飛行。2006年3月26日、イタリアで航空ショーの最中、乗っていた軽飛行機が墜落し死去。没年45歳。

2006年
【交通事故】【夭逝】ポール・ダナ(Paul Dana)【記者・レーシングドライバー】

2000年代アメリカの記者およびレーシングドライバー。2005年、モータースポーツの記者からドライバーとなり、インディカー・シリーズでデビュー。同年『インディ500』の練習走行に事故に合い2006年にレースへ復帰。2006年3月26日、『ホームステッド・マイアミ』での練習走行中にクラッシュしたエド・カーペンターの車体に衝突し死去。没年30歳。

2007年
【殺人事件】「リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件」

千葉県市川市福栄で、当時22歳の英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカー(Lindsay Ann Hawker)が、当時28歳の無職市橋達也に殺害された事件。2007年3月26日に被害者の同居人から通報を受けた千葉県警船橋警察署員が、被害者宅から市橋の電話番号・メールアドレス等を発見、千葉県市川市の市橋宅に同日午後9時40分頃に家宅捜索にゆくと市橋は非常階段から逃走した。市橋の室内からはベランダに置かれていた浴槽に全裸で土に完全に埋められた被害者の遺体が発見された。逃走した市橋は整形をしながら全国を転々としたが、2009年11月10日に神戸市東灘区の六甲船客ターミナルで逮捕された。

2010年
【軍事事件】【海難事故】「天安沈没事件(韓国哨戒艇沈没事件) 」

2010年3月26日、大韓民国海軍の軍艦・浦項級コルベット「 天安」が、大韓民国・白翎島西南海域で北朝鮮 朝鮮人民軍による魚雷攻撃を受け船体が切断・沈没した事件。 この事件により乗組員104人のうち46人が死亡したが、 北朝鮮側の発表では天安が座礁に衝突して沈没したとしている。また、 後年の2012年に韓国地震研究所が出した見解では、韓国海軍が放置した機雷による爆発の可能性が高いと発表している。

2016年
【死去】喜早哲【歌手】

ロシア歌謡『ともしび』や『雪山讃歌』『山男の歌』等、数々のヒット曲を連発した男性歌唱グループ「ダークダックス」のメンバーで、初期はバリトンを担当し、佐々木行の休業後はメロディーを担当した。『日本の抒情歌』(誠文堂新光社)『日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀』(新潮社)等の著作を残したことでも知られる。メンバー内では2011年1月7日に死亡した高見澤宏に続き、2016年3月26日に急性肺炎で85歳没。

2017年
【死去】 鄭問(Chen Uen)【漫画家/台湾】

1990年から『モーニング』誌上で連載開始した『東周英雄伝』で日本デビューを果たした台湾人の漫画家。その後も台湾、日本の両方で活動を続け、ゲームソフト『鄭問之三國誌』のキャラクターデザインなども手がけた。2017年3月26日、心筋梗塞で死亡。没年58歳。