『1971年のアルバム『What' Going On』のジャケット(写真左)とマーヴィン・ゲイの致命傷を知りその自宅に駆けつけたファンたち』

1984年の4月1日は、1960年〜1970年代のモータウン・レーベル全盛期を支えた代表的アーティストであり、大ヒット曲『Ain't No Mountain High Enough』『What's Going On』等で当時の黒人音楽に新しい地平を切り開いた歌手のマーヴィン・ゲイが実父により射殺された日である。
牧師のマーヴィン・ゲイ・シニアの家庭の長男として生まれたゲイ(・ジュニア)は、自然と教会で歌うようになり、ゴスペルの影響を受けて育った。父親も長男の持つ音楽の才能を見抜き、幼少期よりプロを目指すように育てたのだが、その教育法は、「厳格」という言葉では括りきれないほど過激な虐待行為であったという。
当時の父親をゲイは後年“残虐な王”と呼んだが、その親子関係が歪なものであったことは事実であろう。
さらに、家族の名字である「Gay」を、誤解を避けるためにデビュー当時に「Gaye」と改めたことも、その名字を誇る父親との関係を悪化させることに繋がっていたとも言われている(クック「Cook」という名字の響きが男性器を表わす「Cock」に近いことを嫌い「Cooke」に改名したサム・クックの例を参考にしたという説も)。
その複雑な父子の関係は、ゲイの才能がいかに世間的な評価を獲得しようとも、生涯にわたって絶えず歪なままであったのだろう。
ゲイの45歳の誕生日の前日、両親の口論を体当たりで仲裁し寝室に入った息子を、父親は射殺した。
心臓付近と肩に被弾したゲイはほぼ即死状態であり、使われた拳銃は、以前父親の誕生日に息子が贈ったものであった。
この黒人最大級の音楽スターを襲った突然の“悲劇”は、どこか1964年12月11日にモーテルの管理人に射殺されたサム・クックの怪死劇を彷彿とさせ、クックを敬愛して止まなかったゲイにとっては《皮肉な続編》となってしまったといえよう。

(写真はWilipedia Marvin Gayeより使用)

4月1日の不幸

1772年
【火災】「明和の大火」

1772年4月1日、目黒の大円寺から発生した火災で“江戸三大大火”のひとつ。同月3日に火災は鎮火したが、火は江戸城下から日本橋地区まで燃え広がり、死者はおよそ14,700人、行方不明者4,000人以上を出すこととなった。火災の原因は坊主・武州熊谷無宿の真秀による放火といわれており、その後、真秀は火付盗賊改長官・長谷川宣雄に捕縛され、同年7月21日に市中引き回しの後火刑となっている。

1914年
【死去】【奇妙な死】ルーブ・ワッデル(George Edward “Rube” Waddell)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

19世紀アメリカで活躍したプロ野球選手。試合中に消防車のサイレンを聞いて球場を飛び出し消火活動を手伝うなどの数々の奇行で知られるが現在は発達障害または自閉症であったとされている。1897年、ナショナルリーグでデビュー。ピッツバーグ・パイレーツを経て、1902年にフィラデルフィア・アスレチックスへ移籍。移籍後は6年続けての最多奪三振、1905年には投手三冠を記録した。1908年、セントルイス・ブラウンズへ移籍、1910年にメジャーリーグを引退。その後、マイナーリーグで活躍中の1912年、ケンタッキー州ヒックマン市の洪水からの復旧作業を手伝った結果、結核にかかる。1914年4月1日、同病により死去。没年37歳。

1922年
【死去】カール1世(Karl I)【オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝】

大伯父にあたるフランツ・ヨーゼフ1世の後を継いで1916年にオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝に即位。第一次世界大戦の敗北にも「国事不関与」を宣言し退位を拒否。財産を新生オーストリア共和国に没収されポルトガル領マデイラ島に流罪の身に。困窮の余り風邪の治療費を払わず、そのまま病状悪化し死亡した。34歳没。

1938年
【政治事件】【日中戦争】「国家総動員法公布」

「日中戦争」時の1938年4月1日、第1次近衛内閣によって交付された国防目的達成のため、人的および物的資源を政府が統制・運用する権限を有するとした戦時法規。1945年「第二次世界大戦」終了後に廃止された。

1945年
【第二次世界大戦】「第二次世界大戦・沖縄戦」

「第二次世界大戦」の1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島読谷村(よみたんそん)に上陸。アメリカ軍上陸に対し、読谷村村民およそ80人がチビチリガマと呼ばれる自然洞窟で集団自決した。

1945年
【国際事件】「阿波丸事件」

1945年4月1日、日本の貨客船阿波丸が米海軍の軍艦クィーンフィッシュの魚雷によりに撃沈。2,000人以上の乗客のほぼ全員が死亡。1名がクィーンフィッシュにより救出された。

1946年
【急死】【夭逝】桑野通子【女優】

昭和初期に活躍した松竹所属の女優で、高峰三枝子らとともに戦前の若手銀幕スターのひとりとして知られる人物。1932年に森永製菓に入社、初代スイートガールとして全国の百貨店を巡る。1934年、ダンスホール「フロリダ」で人気ダンサーとなり、松竹からスカウトされ入社。同年、清水宏監督の『金環蝕』で映画デビュー。1935年、上原謙との“アイアイコンビ”として人気を博す。その後も『淑女は何を忘れたか』(1937年)、『兄とその妹』(1939年)といった映画作品に出演。1946年、映画『女性の勝利』撮影中にワンカットを残し撮り終えたところで昏倒、病院に運ばれるも子宮外妊娠による出血多量で死亡。没年31歳。

1946年
【災害】「アリューシャン地震」

アラスカ・ハワイ沖に津波が発生。死者・行方不明者165人。「Tsunami」という言葉が初めて国際的に使われたといわれる。

1947年
【死去】ゲオルギオス2世(Georgios II)【王族/ギリシャ】

20世紀ギリシャの国王(1922年〜1924年・1935年〜1947年)となった人物。ギリシャ国王・コンスタンティノス1世の長男として生まれ、1913年に王太子(ディアドコイ)となる。「第一次世界大戦」の1917年、コンスタンティノス1世が退位し、ともにスイスへ亡命。1920年、コンスタンティノス1世が復位し、ともに帰国。1922年、国王に即位するも「希土戦争」でのギリシャ軍の大敗を受け、イギリス、イタリアなどで亡命生活を送る。1935年、君主制が復活しギリシャへ帰国。1939年「第二次世界大戦」が勃発し「ギリシャ・イタリア戦争」へ発展、1941年にギリシャがナチス・ドイツの占領下となりイギリスへ亡命。終戦後の1946年に帰国、再び王位に就くも翌年4月1日に心臓発作を起こし死去。没年56歳。

1958年
【政治事件】「売春防止法施行」

1957年4月1日、売春防止を目的とした「売春防止法施行」が施行。第1条「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである」とし、売春の勧誘および周旋、売春を助長する行為への処罰、売春を行なうおそれのある女子の保護・更生の措置などを規定している。

1976年
【死去】マックス・エルンスト(Max Ernst)【画家/ドイツ】

ダダイズムおよびシュルレアリスムを代表する20世紀ドイツの画家で、主にフロッタージュやコラージュなどを駆使した作品で知られる人物。フィンセント・ファン・ゴッホの作品と出会い、画家を志す。1912年、画家のアウグスト・マッケラインが主催する地方表現主義者グループへ参加。「第一次世界大戦」中は砲兵隊員として従軍。1919年、画家・ヨハネス・テオドール・バールゲルトらとケルン・ダダを創設するも翌年、猥雑を理由に閉鎖される。1925年、フロッタージュと呼ばれる手法を取り入れシュルレアリスム・グループ展に参加。翌年、版画集『博物誌』を刊行。1929年、サルバドール・ダリの映画『黄金時代』へ出演。1938年、シュルレアリスム・グループから離れ、小説『恐怖の家』『瓜実顔の夫人』の挿絵を手がける。「第二次大戦」中の1941年にアメリカへ亡命、同年に亡命シュルレアリスト・グループへ参加。亡命後はアメリカで作品展を行ない、アクション・ペインティングに目覚める。1949年にフランスへ戻り、翌年回顧展を開催。1954年、ヴェネツィア・ビエンナーレ展大賞受賞。1956年、ベルリン芸術アカデミー会員となる。1968年、バレエ『ラ・テュランガリラ』の装置を手がける。1975年、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館で大回顧展開催。1976年4月1日、老衰により死去。没年84歳。

1980年
【死去】五味康祐【小説家】

戦後に活躍した小説家で主に柳生一族を扱った作品で知られる人物。終戦後、中国南京市で捕虜として過ごし、1946年に帰国。帰国後は文芸評論家の保田與重郎に師事し、同年『文学地帯』を刊行。1947年、大阪府から東京都・三鷹へ移住しこの頃、太宰治、男女ノ川登三らとともに“三鷹の三奇人”と呼ばれる。その後、神戸で放浪生活をし、覚醒剤中毒で入院。1952年、再び上京し新潮社の社外校正に従事、同年に小説『喪神』を発表し第28回芥川賞受賞。1956年『週刊新潮』に『柳生武芸帳』を連載し人気作家となる。1964年、トラックと正面衝突し内臓破裂で一時重体となり、翌年には脇見運転・スピード違反で60代女性と少年を轢き殺し逮捕されることに。有罪判決を受けた後の1966年に小説『自日没』を刊行。晩年も『柳生宗矩と十兵衛』などの剣豪小説や随筆『西方の音』などを発表。1980年4月1日肺ガンのため死去。没年58歳。

1984年
【射殺】マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)【歌手/アメリカ合衆国】

1960年〜1970年代のモータウン・レーベル全盛期を支えた代表的アーティストであり、大ヒット曲『Ain’t No Mountain High Enough』『What’s Going On』等で当時の黒人音楽に新しい地平を切り開いた歌手。
牧師のマーヴィン・ゲイ・シニアの家庭の長男として生まれ、自然に教会とゴスペルの影響を受け幼少期よりプロを目指し、空軍除隊後の10代の頃からドゥーワップグループ「マーキーズ」等で音楽活動を開始。1973年頃からモータウン・レーベルでソロ活動を開始し、1973年のタミー・ティレルとのデュエット曲『Ain’t No Mountain High Enough』で人気が爆発。不動の地位を築いたが、1970年のティレルの夭折で一時音楽活動を休止。1971年の『What’s Going On』で劇的な復活を遂げ以降世界的なソロ歌手として君臨した。私生活では二度の結婚と離婚、さらには幼少期から愛憎を繰り返した実父との関係が暗い影を落とし続け、1970年代後半以降年は財政破綻や薬物依存などで低迷することとなった。そしてゲイの45歳の誕生日の前日、かつて自らプレゼントした銃で実父により射殺された。44歳没。

1987年
【急死】春日照代【漫才師】

夫との漫才コンビ「春日三球・照代」として活動。ツッコミ担当。テレビ番組『新伍のお待ちどおさま』出演中、くも膜下出血で倒れそのまま死亡。没年51歳。

1989年
【政治事件】「消費税導入」

日本で初めて消費税(税率3%)が導入された。

1994年
【死去】ロベール・ドアノー(Robert Doisneau)【写真家/フランス】

雑誌『ヴォーグ』などで活躍した20世紀フランスの写真家で、東京都写真美術館の外壁に作品が飾られている作家のひとり。1931年、写真家のアンドレ・ヴイニョーの助手となり、翌年独立。1934年自動車製造会社ルノーで工場内の記録写真担当となる。「第二次大戦」中は自由フランスに参加。1949年、雑誌『ヴォーグ』の専属の写真家へ。1950年、代表作『Le Baiser de l’hôtel de ville, Kiss by the Hotel de Ville(パリ市庁舎前のキス)』を発表。1960年、シカゴ美術館で展覧会を開催。1978年、写真『子供と鳩』を発表。 1984年、レジオンドヌール勲章を授与される。1994年4月1日、急性膵炎により死去。没年81歳。

1997年
【政治事件】「消費税率が3%から5%に増税」

橋本内閣が実施。

1998年
【経済】日本版金融ビッグバンスタート。
2002年
【経済】みずほ銀行、みずほコーポレート銀行が発足。初日からコンピュータシステムのトラブルが相次ぐ。
2002年
【教育】学習指導要領の見直しが図られ、完全週5日制のゆとり教育スタート。
2002年
【死去】シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä)【軍人・狙撃手/フィンランド】

“白い死神”の異名を持つ20世紀フィンランドの軍人で、公式戦果505人射撃成功の世界記録を持つスナイパー。猟師、農民を経て、1925年に兵役義務によりフィンランド国防陸軍へ入隊。兵長、予備役の後、民間防衛隊に入隊。ソビエト連邦との「冬戦争」が起こると狙撃兵として従事しスナイパーとして世界記録を樹立。1940年、ソビエト連邦赤軍に顎を撃ち抜かれ重症を負うも一命を取り留める。同年、モスクワで講和条約締結。終戦後、第一級自由十字褒章、コッラー十字章を受勲し、少尉へ昇進。その後は猟師兼猟犬の繁殖家として過ごし、2002年4月1日、老衰により死去。没年96歳。

2003年
【自殺】レスリー・チャン(Leslie Cheung/張國榮)【俳優/中国・カナダ】

1970年代から2000年代にかけて活躍した香港のアイドル歌手・俳優。私生活ではバイセクシャルであることを公言したことでも知られる。紡績工場を営む裕福な家庭に生まれ、弁護士事務所や販売員などを経て1976年にテレビ局主催の歌謡コンテストに出場し準優勝。翌年から歌手としてデビューするも下積み時代が続く。1983年、山口百恵の『さよならの向う側』をカバーした『風継続吹』、1985年に吉川晃司の『モニカ』のカバー『Monica』が香港・日本でヒットしアイドル歌手として人気を博す。1989年、歌手を引退しカナダへ移住するも同年香港へ帰国し俳優として復帰。その後、映画『男たちの挽歌』(1986年)『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(1987年)などに出演し、香港で俳優の地位を確立。1993年、出演した『さらば、わが愛/覇王別姫』がカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞。1996年、『夢翔る人/色情男女』で映画監督デビュー。1997年、映画『ブエノスアイレス』が日本で上映されヒット。活躍中の2003年4月1日、香港の最高級ホテルマンダリン・オリエンタル香港より鬱病が原因で飛び降り自殺。没年46歳。

2004年
【死去】中谷一郎【俳優】

ドラマ『水戸黄門』の風車の矢七役で活躍。咽頭ガン。73歳没。

2006年
【急死】アイ高野【歌手・ミュージシャン】

「ザ・カーナビーツ」、「ザ・ゴールデン・カップス」、「クリエイション」などのバンドで活躍した歌手、ドラマー。ヒット曲『好きさ好きさ好きさ』の「おまえのすべて」というフレーズで知られる。2006年4月1日、急逝心不全で死亡。没年55歳。

2006年
【急死】松本竜助【漫才師・タレント】

島田紳助との漫才コンビ「紳助・竜助」として昭和に活躍した芸人。高等学校を卒業後、大手食品会社味の素ゼネラルフーヅの社員を経て、芸人を目指し京都花月へ入社。1977年、島田紳助と漫才コンビ「紳助・竜介」を結成。漫才ブームにより吉本興業の看板芸人の一員としてお茶の間の人気者に。1983年に芸名を松本竜助に改名。活躍中の1985年にコンビを解散、1987年に漫才師青芝金太・紋太で活躍していた青芝と「竜助・モンタ」を結成するも1年ほどで解散。同時期に吉本興業を退所、その後、映像制作会社を起業。1998年、喫茶店やアダルトビデオ製作などの副業に失敗、1億3,000万円の負債により自己破産をすることに。破産後は河内音頭家元・河内家菊水丸に弟子入りし、河内家ピンポン丸として芸能界復帰を図るも無断欠勤を続けたため破門される。晩年は名古屋や大阪ミナミで風俗レポーターや風俗案内所長などの職に就き、風俗案内店に勤務中の2006年3月22日に脳幹出血で死去。没年49歳。弔辞はB&Bの島田洋七が担当、西川きよし、島田洋七、島田洋八、ぼんちおさむ、西川のりお、上方よしお、オール巨人、大平サブローらが棺を担いで見送った。

2011年
【八百長】大相撲八百長問題で日本相撲協会は八百長に関与したと見られる力士への処分を発表する。
2012年
【殺人事件】【社会事件】【警察不祥事】「水原バラバラ殺人事件」

2012年4月1日、大韓民国京畿道水原市で朝鮮族の呉元春=オウォンチョン(当時42歳)が工場員の韓国人女性(当時28歳)を自宅に拉致し性的暴行を加えた上、首を絞めて殺害後、遺体を切り刻む事件が発生。呉元春は翌日逮捕され、2012年に死刑が求刑され、個人情報公開10年・電子足輪着用30年が命じられている。被害者は性的暴行後、警察に電話をしているがすぐに救助しなかったため死亡している。そのため、当初警察は虚偽報告などを行ない事件を隠蔽しようとしたことを韓国メディアが報じることとなった。

2014年
【経済】「消費税率が5%から8%に増税」

第2次安倍信三政権が実施。

2015年
【死去】大川ミサヲ【最高齢女性】

世界暦第5位の長寿記録を持つ大阪府の女性。2015年4月1日、老衰による心不全で死去。没年117歳。

2015年
【死去】山岸一雄【料理人】

ラーメンチェーン「大勝軒」の創業者。2015年4月1日、心不全により死去。没年80歳。

2018年
【死去】剛しいら【小説家】

1990年代から2000年代に活躍した主にボーイズラブ小説で知られる小説家。1995年の「阪神・淡路大震災」をきっかけに小説の投稿を始め、翌年に小説『一枚の遺書』がボーイズラブ小説誌『小説イマージュ』に掲載され作家デビュー。その後、マガジン・マガジンの小説誌『小説JUNE』などでも活躍。晩年も『スワンドール奇譚シリーズ』といったライトノベルやボーイズラブ小説を書き続け、2018年4月1日、病気のため死去。没年齢不詳。