『2番目の染みを落としたロールシャッハ・テスト』

1922年4月2日は、スイスの心理学者、ヘルマン・ロールシャッハが死亡した日である。
紙の上にインクを落下させ、それを閉じて開くことによりできた模様を分析するという心理テスト「ロールシャッハ・テスト」の生みの親として広く知られている人物である。インクの染みが4本足の動物——犬、ゾウ、クマに見えるというものもいることを利用し、被験者の深層心理を分析するというこのテストは、写真のように数種の色を使用するものと単色のものがある。このテストは、一部懐疑的な意見もあるものの、被験者の反応が想像しにくいということで、誕生からおよそ100年が経った現代でもいまだに深層心理の分析に実用され続ける息の長い検査法であり、それは近年になって大幅な進歩を遂げている心療医学の分野のものとしては珍しいものである。
ロールシャッハの優れた《思考》は、たった37歳でこの世を去った本人の人生を遙かに超え、3倍以上もの長寿を獲得し、今もなお生き続けているのである。

(画像はWikipedia「Rorschach Test」より。Public Domain)

4月2日の不幸

1118年
【死去】ボードゥアン1世(Baudouin I,)【エルサレム王】エジプト遠征中に食中毒で死亡。
1657年
【死去】フェルディナント3世(Ferdinand III.)【神聖ローマ皇帝】48歳で死去。
1742年
【夭折】市川團十郎 (3代目)【歌舞伎役者】大阪への旅の最中に死亡。没年22歳。
1791年
【死去】オノーレ・ミラボー(Honoré-Gabriel de Riquetti, Comte de Mirabeau)【革命家・思想家/フランス】

演説の上手さで大衆の絶大な支持を受けたフランス革命時の指導者だったが、人気絶頂のさなかに死去。肖像画が日本プロ野球で活躍する現巨人軍の投手・澤村拓一投手に似ていると一部で話題に。42歳没。

1822年
【死去】上杉鷹山【武士】

第9代米沢藩主。江戸時代を代表する名君と言われ、財政難であった米沢藩を再建へ導いた人物である。主な政策は大倹令と藩校設立。1782年から1788年まで続いた『天明の大飢饉』では非常食の普及、倹約の奨励、自らも倹約を行なった。1773年に起きた『七家騒動』では藩主である治憲の改革に対し反対した重役7名を処分している。1802年から「鷹山」の雅号を名乗り隠居生活へと入る。1822年に老衰により死去。没年70歳。米沢市の上杉神社に鷹山の名言『なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり』の碑が建てられている。

1872年
【死去】サミュエル・モールス(Samuel Finley Breese Morse)【発明家・画家/アメリカ合衆国】

モールス電信機を開発し、モールス信号を考案した人物。モールス電信機の発明は、仕事先で妻の危篤の知らせを馬に乗ったメッセンジャーから知らされるも、最期を看取ることができなかったことによる。電信機を発明する以前は画家として活躍、美術学校の所長なども務めるなどし生計を立てていた。妻の死後から研究を重ね、1838年に電信のデモンストレーションに成功。1844年に、ワシントンからボルチモア間の電信が開通、初めての電報である聖書の一節"What hath God wrought"の文字が送られた。電信機の発明はオスマン帝国のアブデュルメジト1世から電信の特許を授与、フランス皇帝からレジオンドヌール勲章を授与されるなど、当時は海外での評価が高かった。1856年に通信事業のためのウエスタンユニオン社を創設。電信の特許で得た利益のほとんどを慈善事業に費やしつつ、1872年肺炎により死去、没年80歳。

1874年
【死去】桂文枝(初代)【落語家】大阪心斎橋出身。上方落語の祖といわれるひとり。54歳没。
1877年
【死去】古川正雄【学者・教育者】福沢諭吉の弟子であり、慶應義塾初代塾長。41歳で病死。
1914年
【死去】パウル・フォン・ハイゼ(Paul Johann Ludwig von Heyse)【作家/ドイツ】

ドイツの著名な作家のひとりでノーベル文学賞受賞者。代表作には『Kinder der Welt(Children of the World)』などがある。著作数は多く、詩や短編小説のほか、イタリア語詩の翻訳なども手がけた。1900年、ミュンヘンの名誉市民に命名。1910年にノーベル文学賞を受賞。1914年、老衰により死去。没年84歳。

1922年
【死去】ヘルマン・ロールシャッハ(Hermann Rorschach)【精神病理学者/スイス】

インクの染みから想像するもので診断する「ロールシャッハ・テスト」の考案者として知られているフロイト派の精神療法士。1904年にチューリッヒ大学に進学後、オイゲン・ブロイラーに師事。卒業後はロシアでの生活を模索するも断念し、スイス国内の精神科病院に勤務。1911年頃からインクの染みを使った診療を始め、1921年「ロールシャッハテスト」についても書かれた全2巻の『精神診断学(Psychodiagnostik)』を主著者として発表。しかし翌年4月2日に腹膜炎により死亡。没年37歳。

1937年
【死去】ナータン・ビルンバウム(Nathan Birnbaum)【思想家】オーストリア出身のユダヤ系思想家であり、シオニズムの指導者。ユダヤ人という概念と共に、「シオニズム」「シオニスト」等の用語も考案した。ナチス政権成立後に亡命したオランダで病死。没年72歳。
1950年
【交通事故死】ジャン=ジョルジュ・オリオール(Jean-George Auriol)【編集者・脚本家・映画プロデューサー・評論家/フランス】

ヌーベルバーグの温床となった雑誌『デュ・シネマ』『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』を刊行。『呪われた映画祭』の開催も。43歳で交通事故死。

1951年
【急死】シモン・バレル(Simon Barere /Симон Барер)【ピアニスト/アメリカ合衆国】

ロシア(ソビエト連邦)出身のピアニスト。超絶的な演奏テクニックで知られる。有名な演奏としてフランツ・リストの『ソナタ ロ短調』や『スペイン狂詩曲』などがある。ペテルブルグ音楽院卒業後、1919年にキエフ音楽院の教授に就任、1928年はリガの文化大使なども務めた。1930年代に入ると、バレルの名は世界的に知られるようになり、その後アメリカに移住。1951年、カーネギーホールで『ピアノ協奏曲』を演奏中に脳梗塞を起こして死亡。没年54歳。

1956年
【死去】高村光太郎【芸術家、詩人】

日本を代表する芸術家のひとり、詩人としても知られる。父は彫刻家の高村光雲。美術学校を卒業後、欧米留学。帰国後は芸術家、詩人として活動を始める。1914年に詩集『道程』を刊行。彫刻家としては、1918年にブロンズ塑像『手』といった作品を製作。1938年に妻の智恵子を亡くし、1941年に詩集『智恵子抄』を出版。1942年、『道程』により第1回帝国芸術院賞受賞。1950年に戦後書いた詩を収録した『典型』を刊行、翌年の1951年に第2回読売文学賞を受賞。1953年、青森県の依頼で制作された『乙女の像』が完成。1956年、肺結核のため自宅で死去。没年73歳。

1958年
【急死】戸田城聖【宗教家・実業家】

創価学会創設者。学会の初代会長、法華講総講頭などを歴任した人物。1930年に創価学会の前身である創価教育学会を設立。日蓮正宗との関わりは、妻子を病気で失い、戸田自身も肺結核を患っていた際に知人である牧口常三郎のすすめで入信したことに始まる。教職者を務めたこともある戸田は学習塾などを主催しており、この頃出版した『推理式指導算術』はベストセラーとなっている。この成功を期に出版事業にも取り組み、創価教育学会から『創価教育学体系』を刊行。終戦後、創価教育学会を創価学会に改め、会員数を増やしていった。1958年、急性心不全を起こし緊急入院。入院の翌日に死去、没年58歳。

1974年
【急死】ジョルジュ・ポンピドゥ(Georges Jean Raymond Pompidou)【政治家】

国立近代美術館を始めとした総合文化施設「ポンピドゥーセンター」の発案者として知られる第19代フランス大統領。大統領在任中の1974年4月2日に白血病で死亡。没年62歳。

1987年
【死去】山本悍右【詩人・写真家】

日本を代表するシュルレアリストのひとり。山本とシュルレアリスムとの出会いは15歳の時に読んだ『詩と詩論』、『cine´』といった文芸誌であった。また、この頃、治安維持法下の東京で左翼思想に感化され革命を意識するようになる。1931年に新興写真グループ「独立写真研究会」に参加、会誌である『独立』に作品を発表。1939年、下郷羊雄、山中散生らと「ナゴヤ・フォトアバンガルド」結成。その後も反戦・反権力を主にした作品を発表。晩年は中部学生写真連盟顧問として指導にあたるなどしていた。1987年、肺ガンで死去。没年73歳。

1989年
【テロ】日本飛行機専務宅放火殺人事件

中核派によるテロ事件。神奈川県鎌倉市の日本飛行機専務宅が時限発火装置で全焼。逃げ遅れた専務夫人が死亡した。

1992年
【急死】若山富三郎【俳優】

日本の俳優・歌手・監督。殺陣の名手として知られ、数々の映画作品で活躍した。勝新太郎の実兄でもある。1954年に新東宝からスカウトされ入社。『忍術児雷也』でデビューし、時代劇もので主演を演じようになる。1959年に東映、1962年に大映へと移籍し、城健三朗と改名。大映移籍後は不遇の日々を過ごすも、1966年に再び東映に戻り芸名も若山富三郎へと戻す。移籍後『緋牡丹博徒シリーズ』、『極道シリーズ』に出演し人気を博す。1970年に制作された映画『子連れ狼シリーズ』は代表作となり役者としての地位を確立した。1992年に勝新太郎とその妻中村玉緒、清川虹子で麻雀をしていたところ急性心不全で死去。前年に医者から余命宣告を受けていたが生活習慣を改めることはなかった。没年62歳。

2000年
【急死】「小渕恵三内閣総理大臣緊急入院」

脳梗塞を発症し意識不明で病院搬送。5月14日に死去。この日の記者の質問中に言葉が出ないなどの予兆もあったという。

2004年
【競技中事故死】【夭折】竹本貴志【騎手】

JRAの騎手としてデビューをした2003年の3月7日に初勝利を挙げるも、同月28日のレースで落馬。脳挫傷と診断され4月2日に死亡した。没年20歳。

2005年
【無差別殺人】「仙台アーケード街トラック暴走事件」

仙台市青葉区で7人が死傷した無差別殺人事件。被告である大友誠治は、4tトラックで青信号を歩行中の3人をはねた後、仙台市青葉区の商店街にそのまま進入。商店街では男女2人をトラックで轢き殺害、男性2人に重症を負わせた。その後、商店街に止められていた別のトラックに衝突し停止。被告は自殺を図り、車内で灯油をかぶり発炎筒で点火するも運転席を燃やすだけに留まった。被告は近くの仙台駅前交番に出頭、業務上過失致死傷及び道路交通法違反で緊急逮捕となった。現在、大友被告には無期懲役が確定している。

2005年
【死去】ヨハネ・パウロ2世(John Paul II)【ローマ教皇/ポーランド・ヴァチカン市国】

本名カロル・ユゼフ・ヴォイティワ(Karol Józef Wojtyła)。大司教、枢機卿の要職を経て1978年にパウロ6世の死去に伴うコンクラーベに参加し、次代のローマ教皇にはヨハネ・パウロ1世が選出されることとなったものの、ヨハネ・パウロ1世が就任33日で死去。その直後のコンクラーベで選出され1978年10月16日からこの世を去る2005年4月2日まで務めたポーランド出身の第264代ローマ教皇。任期中は精力的に世界を飛び回る姿勢で知られ、母国ポーランドをはじめとした東ヨーロッパ諸国の民主主義化に絶大な影響力を持った。2005年5月2日、インフルエンザと喉頭炎が悪化し死亡。没年84歳。

2007年
【災害】「ソロモン諸島沖地震 」ソロモン諸島付近でマグニチュード8.0の大地震が発生。津波による被害もあり、52名が死亡。
2010年
【死去】山内鉄也【映画監督・テレビ演出家】1969年に放送開始したテレビ時代劇『水戸黄門』のメインディレクターとして活躍。心不全で75歳没。
2015年
【テロ】「ガリッサ大学襲撃事件」

ケニア・ガリッサにあるガリッサ大学に銃を持った武装グループ(アルカイーダ系のグループ、アルシャバブと言われている)が乱入し、キリスト系の学生を中心に攻撃。襲撃犯4人を含む152名が死亡する大事件となった。事件後、関連したとされる5人の男が逮捕、首謀者逮捕には賞金がかけられた。この事件はニアの犯罪史上、被害者数が2番目に多い事件となった。

2015年
【死去】マノエル・ド・オリヴェイラ(Manoel de Oliveira)【映画監督/ポルトガル】代表作に『アブラハム渓谷』等。105歳で『レステルの老人』をベネチア映画祭に出品するなど晩年まで現場で活躍した。呼吸器障害と心不全で死去。没年106歳。