4月7日の不幸
- 1782年
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【死刑】タークシン大王(Taksin the Great)【政治家/タイ】
華僑出身のタークシンは兵を率いて国内対抗勢力を制圧し王朝を築く。だが高僧を粛正したことにより反乱を招いて捕らえられ、処刑死。没年48歳。
- 1803年
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【獄中死】トゥーサン・ルーヴェルチュール(François-Dominique Toussaint Louverture)【思想家・革命家・軍人/フランス】
民衆を指揮し、フランス領地からの独立運動を指揮。ナポレオン軍との戦争中に捕らえられ60歳で獄中死したが「ハイチ建国の父」として讃えられている。
- 1850年
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【死去】黒住宗忠【宗教家】
霊的体験により天命を受け、神道系の新宗教のさきがけとなる黒住教を幕末の岡山県に開く。病者の救済を行うカリスマ性に皇室や公家にも信仰者は多かった。没年71歳。
- 1926年
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【死去】尾崎放哉【俳人】
東大卒エリート生保マンから酒で転落、極貧の寺男生活を送りながら代表作「咳をしても一人」など五・七・五の定型に縛られない自由律俳句を確立した。炎湿性カタルにより41歳で逝去。
- 1945年
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【第二次世界大戦】「戦艦大和沈没」
大日本帝国が誇った当時世界最大の戦艦・大和が沖縄に上陸した米軍を攻撃に向かう途中、鹿児島県の沖で米軍機の猛攻撃を受けて沈没。死者は3721人に及んだ。
- 1947年
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【死去】ヘンリー・フォード(Henry Ford)【実業家・技術者/アメリカ合衆国】
見習い機械工から身を起こして発明王エジソンに学び、T型フォードで大衆にモータリゼーションを広めた自動車王。脳内出血により83歳で逝去。
- 1954年
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【死去】伊東忠太【建築家】
築地本願寺や平安神宮など建築史に残る名作を設計するかたわら、建築史を創始して日本に「建築」という言葉を定着させた。建築界初の文化勲章を授章し、87歳で逝去。
- 1966年
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【事件】「千葉大学腸チフス事件 」
千葉大学医学部附属病院の医局員鈴木充(当時42歳)を、チフス菌の人体実験をした容疑で逮捕。同僚、患者などに飲食物を介しチフス菌・赤痢菌を摂取させ、感染させたとして傷害罪に問われた。犯行は1964年9月から1966年3月の間に13回行なわれ、感染者は60人以上とされている。判決は一審では無罪、控訴審では懲役6年の有罪判決となったが真相は謎のままである。
- 1968年
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【競技中事故死】【夭折】ジム・クラーク(James “Jim” Clark, Jr.)【レーシングドライバー/スコットランド】
F1の歴史においてアイルトン・セナと並び称される夭折の天才ドライバー。”フライング・スコット”の異名をとった。牧童をしながらレーサーとしても活動していたところ、才能を見出され、レーシングチーム「ロータス」からF1デビュー。デビューから2年後の1962年には3度の優勝、チャンピオンシップを争うも最終戦でエンジン部品の脱落によりリタイア。チャンピオンの座を逃すも、翌年にはモナコGPを除いた全てのレースで表彰台入りし、圧倒的な強さで初のチャンピオンとなった。アメリカ最大のレースであるインディ500では初出場で2位の成績を残す。1965年には史上初のインディ500、F1タイトルの同時制覇を果たした。1968年4月7日、ホッケンハイムのF2レースで事故死。没年32歳。
- 1969年
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【事件】「連続ピストル射殺魔逮捕」
1968年10月11日より発生した拳銃による4件の無差別殺人事件の犯人・永山則夫が逮捕される。
- 1989年
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【海難事故】「ソ連原子力潜水艦沈没」
ソビエト連邦の潜水艦コムソモレツがノルウェー沿岸のバレンツ海で火災を起こし沈没。乗員42名が死亡。
- 1992年
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【戦争】「フォチャの虐殺」
紛争中だったボスニア・ヘルツェゴビナのフォチャ地区で非セルビア人の市民に対して「民族浄化」の名の下に軍による大量虐殺がはじまった。約1カ月間で2704人の市民が殺害され、数百人の女性が組織的に強姦された。
- 2004年
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【死去】芦屋雁之助【俳優・歌手】
幼時から旅回りの一座で巡業、喜劇俳優として活躍。画家・山下清をモデルにした『裸の大将』シリーズで人気を不動のものに。心不全のため逝去、没年72歳。
- 2004年
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【人質事件】「イラク日本人人質事件」
米軍侵攻中のイラクで日本人ボランティア3人がイラク武装勢力によって誘拐、身柄を拘束される。4月15日に3名とも無事に解放。
- 2010年
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【急死】木村拓也【プロ野球選手・コーチ】
広島カープ・巨人でユーノリティプレイヤーとして19年間プロ生活を送る。コーチ転身後、試合前のノック中に突然クモ膜下出血で倒れ急逝。37歳の若さだった。