『1946年の川端康成の肖像』鎌倉市長谷の自宅にて撮影

1982年4月16日は日本人で初めてノーベル文学賞を受賞した小説家、川端康成がガス自殺を遂げた日である。
『伊豆の踊子』『雪国』『眠れる美女』等数々の著作で知られ、日本を代表する小説家であった川端は、1968年の受賞を機に、ノーベル賞作家として日本人の《美的感覚》、さらには《死生観》を世界に広めることに成功した人物である。
そんな彼の最後が、逗子のマンションでガス管を咥えての自殺だったことは、国内外に衝撃をもって迎えられた。
睡眠薬の中毒状態での悲劇であったともいわれているが、遺書は残されておらず、その真相は永遠に知られるところではない。
しかし、晩年の川端は敗戦後に変わりゆく社会に適応できない自らの心情を年齢の離れた同志ともいわれた三島由紀夫に「私はこれからもう、日本の哀しみ、日本の美しさしか歌ふまい」と漏らしており、1947年のエッセイ『哀愁』では「敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰つてゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。現実なるものをあるひは信じない。」と書き綴っている。
そのような前時代的なものへの強い郷愁が川端に死を選ばせたのか、遂にその確固としたものであろう《美学》は、誰にも伝えられることはなかったが、多くの作品群は、その《心の哀しみ》を永遠に代弁し続けるであろう。

(写真はWikipedia Yasunari Kawabataより使用。Public Domain)

4月16日の不幸

73年
【自殺】【戦争】『ユダヤ人集団自決』ローマ帝国とユダヤ人による戦いで、マサダ要塞に籠城したユダヤ人1000人ほどが集団自決。これによりユダヤ戦争が終結。
1780年
【死去】中山高陽【南画家】江戸時代の南画家。『鳳凰孔雀図』等。船に乗っている最中に死亡。精神病の発作が原因ともいわれる。没年64歳。
1797年
【クーデター】「スピットヘッドの反乱」ポーツマス近郊のスピットヘッドでブリットボート提督の元で働く水兵たちが賃金の低さに抗議。反乱は失敗に終わり、29人のリーダーが絞首刑、他のものもオーストラリアへ島流しなどに。
1825年
【死去】ヘンリー・フュースリー(Henry Fuseli)【画家/スイス】スイス出身だが国外追放され、イギリスのシェイクスピア画廊等で活躍した画家。代表作に『夢魔 The Nightmare 』等。没年84歳。
1828年
【死去】フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco José de Goya y Lucientes)【画家/スペイン】

スペインを代表する画家。40歳の頃に宮廷画家として高みに登り詰める。代表作に『裸のマハ』『着衣のマハ』『我が子を食らうサトゥルヌス』等。46歳で聴力をなくし、晩年はマドリードの郊外に「聾者の家」なる別邸を構え、『黒い絵』のシリーズを描き上げる。78歳でフランスに亡命し、そのままボルドーで死亡。没年82歳。

1850年
【死去】マリー・タッソー(Marie Tussaud)【蝋人形作家/フランス】ロンドンに蝋人形館「マダム・タッソー館」を開く(後にベルリン、ラスベガス、ニューヨーク、上海等世界各国に別館を展開)。88歳で睡眠中に死亡。
1925年
【テロ】「聖ネデリャ教会襲撃事件」

1925年4月16日、ブルガリアの聖ネデリャ教会でブルガリア共産党 (BKP)グループのニコラ・ペトロフらが起こした爆弾テロ。事件当日は暗殺された民主党政治家で軍人であったコンスタンティン・ゲオルギエフの葬儀が営まれており、建物の倒壊で150人が死亡、500人が負傷した。事件後、主犯メンバー全員の死刑宣告が言い渡されたが、ペトロフはソビエト連邦へ逃亡している。

1925年
【暗殺】ステファン・ネレゾフ(Stefan Nerezov)【軍人/ブルガリア】1925年、ブルガリア軍参謀総長当時、共産主義者の爆弾によりソフィア広場で暗殺される。
1929年
【政治事件】「四・一六事件」

4月16日より日本共産党員の一斉検挙を開始。この年4942人が逮捕となった。

1947年
【死刑】ルドルフ・フェルディナント・ヘス(Rudolf Franz Ferdinand Höß)【軍人/ドイツ】元アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所所長。イギリス軍の捕虜となり、第二次大戦後に絞首刑とされた。没年45歳。裁判時、アウシュビッツのガス室で殺されたユダヤ人の数は250万人に上ると発言した。
1947年
【海難事故】「テキサスシティ大災害」

1947年4月16日、アメリカ・テキサス州テキサスシティでフランス船籍の貨物船グランドキャンプ号が炎上・爆発。当初はぼや程度の火災であったが、積荷であった硝酸アンモニウムの被害を恐れ、船関係者が消火活動を拒否したため、火災が船体全体に燃え広がりその後爆発、爆風は市街地まで広がった。この爆発により地上にいた野次馬を含む581人が死亡、5,000人以上が負傷した。

1955年
【自然災害】「安倍鉱業ボタ山崩落事故」

1955年4月16日、66年ぶりという大雨のため、佐世保炭鉱で大規模なボタ山崩落事故が発生、小学生、幼児を含む73人が犠牲となった。

1972年
【自殺】川端康成【作家】

日本初のノーベル文学賞受賞作家。代表作に『雪国』『伊豆の踊子』他。1972年4月16日、仕事用に購入した逗子のマンションでガスチューブを咥えガス中毒死。没年72歳。

1980年
【事故死】アルフ・シェーベルイ(Alf Sjöberg)【映画監督/スウェーデン】

『もだえ』『令嬢ジュリー』で二度のカンヌ国際映画祭グランプリに。1980年4月16日、交通事故により死去。没年76歳。

1988年
【死去】中村勘三郎(十七代目)【歌舞伎役者】長年途絶えていた中村勘三郎の名跡を再興して十七代目を襲名、中村屋を新たに構えた。生涯800役以上を演じ、ギネスブックに登録された。縦隔腫瘍のため78歳で死去。
1989年
【死去】ルシル・ボール(Lucille Désirée Ball)【女優/アメリカ合衆国】

『アイ・ラブ・ルーシー』で知られる女優。1989年4月16日、大動脈乖離で死去。没年77歳没。

1990年
【医療事件】「自殺幇助事件」

積極的な安楽死肯定者、”ドクター・デス”ことアメリカの元医師、ジャック・ケヴォーキアンが、自ら開発した自殺装置によって初めての自殺幇助を行なった。1998年に告訴され、1999年に有罪判決。

1991年
【死去】デヴィッド・リーン(David Lean)【映画監督/イギリス】『アラビアのロレンス』『戦場にかける橋』でアカデミー監督賞、『逢びき』でカンヌ国際映画祭グランプリ、『ホブスンの婿選び』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した、世界三大映画祭全てでグランプリを獲得した名監督。コンラッド原作の『ノストロモ』企画進行中に83歳で死亡。死因は喉頭ガン。
1999年
【死去】別当薫【プロ野球選手・監督】

現役時代は大阪タイガース、毎日オリオンズで活躍、監督としても多くの球団で活躍した”球界の紳士”。1999年4月16日、心不全で死去。没年78歳。

2001年
【急死】河島英五【シンガーソングライター】

昭和に活躍したシンガーソングライターで多くの歌手にカバーされる大ヒット作『酒と泪と男と女』や『時代遅れ』などで知られる人物。2001年4月16日、長女の結婚式に参加した直後、肝臓疾患により急死。没年48歳。

2005年
【死去】高田渡【シンガーソングライター】

1960年代、アマチュアフォーク集団「アゴラ」で活躍したフォークシンガー。『自衛隊に入ろう』等。2016年4月16日、北海道でのライブの直後に心不全で死去。死ぬ直前にカトリックの洗礼を受けた(洗礼名パウロ)。没年56歳。

2007年
【大量殺人】「バージニア工科大学銃乱射事件」

2007年4月16日、アメリカ在住の韓国籍学生チョ・スンヒがバージニア工科大学キャンパスで教授を皮切りに32名を射殺し自殺。33人が死亡するという、アメリカの学校で起きた乱射事件の中では最悪のものとなった。

2009年
【死去】センサク・ムアンスリン【プロボクサー/タイ】

ムエタイのチャンピオンから転身し、プロボクシング史上わずか3戦で元WBC世界スーパーライト級王者に。生涯千隻は14勝(11KO)6敗。2009年4月16日、肝炎のため死去。没年57歳。

2010年
【死去】一言多十【プロ野球選手】

急映フライヤーズなどで活躍した投手。珍名選手として有名。2010年4月16日、老衰により死去。没年88歳。

2014年
【海難事故】「セウォル号沈没事故」

2014年4月16日、韓国・珍島付近で仁川港から済州島へ向かう途中の清海鎮海運所属・大型旅客船セウォル号が転覆・沈没した事故。この事故により乗員乗客をあわせた476人の内299人が死亡、5人が行方不明となった。死亡者は修学旅行中の高校生が大半をしめており、家族などに送られた動画がメディアに公表されることとなった。事件後、乗客を置き去りにした船長イ・ジュンソクは無期懲役となり、また船を改築・過剰積載した清海鎮海運会長ユ・ビョンオンには賠償命令がくだっている。

2016年
【自然災害】「2016年熊本地震」

2016年4月16日、熊本県熊本地方でマグニチュード7の本震が発生。地震は同月14日から続き、大分県中部でもマグニチュード5規模の地震が発生している。この地震による全体の死者は267人、負傷者はおよそ2,800人に及んだ。

2016年
【自然災害】「2016年エクアドル地震」

2016年4月16日、エクアドル・エスメラルダス県ムイスネで発生したマグニチュード7.8の地震。この地震により661人が死亡、16,600人が負傷、58人の行方不明者を出すこととなった。