4月18日の不幸
- 1940年
-
【自殺】【薬物過剰摂取】キッド・マッコイ(Charles “Kid” McCoy)【プロボクサー/アメリカ合衆国】
猫の手がボールをこねる動きをヒントにコークスクリューブローを考案した名ボクサー。1897年に世界ライトヘビー級王者となるが、1904年に引退。その後も復帰と引退を繰り返した。生涯成績84勝(64KO)7敗6引き分け9無効試合。病気のフリや画鋲を相手の靴に仕込む等、ダーティな伝説も数多く残している。私生活でも8回の結婚と離婚、同居中の不倫相手であるテレサ・モルスを射殺するなど、明かな奇人だった。1940年4月18日にデトロイトのホテルで睡眠薬のオーバードーズで自殺。没年67歳。その死は謎めいており、本名のノーマン・セルビー名義で書かれた遺書には「妻であるスーの元に行きたい。この世は狂っており耐えることはできない」と記されていた。
- 1943年
-
【戦死】山本五十六【軍人】
大日本敵国海軍の連合艦隊司令長官。太平洋戦争の真珠湾攻撃などで多くの戦果を上げたが、ラバウルから出発したブーゲンビル上空でアメリカ軍戦闘機により撃墜された(海軍甲事件)。59歳没。
- 1955年
-
【死去】アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)【物理学者/ドイツ・スイス・オーストリア=ハンガリー・アメリカ合衆国】
「相対性理論」「光の粒子と波動の二重性」「シュレディンガー方程式」「零点エネルギー」を始め、多くの理論を考案した”現代物理学の父”。1921年にノーベル物理学賞を受賞。第二次世界大戦時にアメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトに原子爆弾製造の可能性を示唆したが、広島・長崎への原爆投下後はそのことをことを生涯悔やみ続け、核兵器根絶のための活動を続けた。腹部動脈瘤破裂の末に死去。没年75歳。臨終の際ドイツ語で何かを発したが、イスラエル人の看護婦がドイツ語を認識できなかったため最期の言葉は不明となった。
- 1993年
-
【死去】木村政彦【柔道家・プロレスラー・柔道指導者】
全日本選手権13年連覇、天覧試合での優勝など、輝かしい業績を収め、15年間不敗のまま引退した昭和の柔道王。そのあまりの強さは”鬼”と呼ばれるほどであり、「木村の前に木村なし、木村のあとに木村なし」の言葉もある通り、現在でも史上最強の柔道家として世界の柔道関係者の意見が一致するほどの存在である。引退後はプロ柔道やプロレス興業にも参戦したが、1954年に行なわれたプロレスラー・力道山戦の敗戦がその後の人生に大きな影を落とした。晩年は拓殖大学柔道部監督となり後進の育成に努めた。肺ガンで死去。没年75歳。なお、グレイシー柔術の始祖であるエリオ・グレイシーは木村戦の敗戦を糧として世界最強ともいわれるその寝技を完成させたといわれており、現在の格闘技界にも多大な影響を及ぼした人物のひとりである。
- 2007年
-
【死去】小野兼弘【宗教家】
法華経の修業の後の1982年に釈尊会を設立。その会長を務める。2003年に女優の若村麻由美と結婚したが、2007年に肝不全で死去。没年54歳。
- 2008年
-
【自殺】麻生美由樹【グラビアアイドル・AV女優】
2008年に「芸能人がAVデビュー!」という触れ込みでAV出演。その後2カ月で4本の作品に出演したが、硫化水素自殺。没年22歳。
- 2011年
-
【夭折】松野秋鳴【ライトノベル作家】
第2作『えむえむっ!』がテレビアニメ化されたが、完結の前に2011年に死去。前年の時点で体調を崩していたことが明らかになっている。