『1955年のフランク・シナトラ』

1992年5月14日は、20世紀のエンターテインメント界に君臨した巨人、フランク・シナトラが死亡した日である。
『My Way』『New York, New York』等、数多くのスタンダードナンバーを歌い上げる美声でアメリカのエンターテインメント界に燦然と光り輝くスターであり、娘のナンシーも歌手として成功するなど、“シナトラ一家”として世界有数の成功を収めた人物である。
また、私生活ではエヴァ・ガードナー、ミア・ファローを含む4人の女性たちとの華やかな結婚生活を送ったことで知られ、その一方でマリリン・モンローなど数々の女優とのロマンスの噂が常に絶えないプレイボーイでもあった。
さらにそのカリスマ性は歌手の範疇を遙かに超えた政治的影響力を持ち、アメリカの大物マフィアとの親交や、当時のアメリカ大統領、J・F・ケネディとの蜜月で知られている。
ケネディとの決別後は、そのマフィア人脈を駆使して暗殺にも関与したとの噂も出るほどであった。
しかし、その裏社会との繋がりは半ば“公然のタブー”であり、インタビューの最中にマフィア関連の質問をするなりその場を中断するほどであった。
極めつきはその死後にCIAのスパイであったなどということまでが実の娘の発言により噂となったが、それら全ての噂の真偽はともかく、あらゆる噂を呼ぶほどに絶大な権力を有していた人物であったことは間違いないであろう。
その代表曲『New York, New York』は、ライザ・ミネリ主演の同名映画のために書かれたテーマ曲であるが、もはやその曲に付いた顔はシナトラのそれである。
黒い噂の数々にも関わらずその人生の最中には破綻もなく82歳の人生を終えた彼は、『New York, New York』の歌詞に倣うなら、紛れもなく世界を眺望する丘の上に佇む王、“King of the Hill”そのものであった。

(写真はWikipedia Frank Sinatraより使用。Public Domain)

5月14日の不幸

964年
【急死】【夭逝】ヨハネス12世(Ioannes XII)【ローマ教皇/イタリア】

10世紀イタリアで第130代ローマ教皇(955年~964年)となった人物。10世紀ローマで権力を持った貴族アルベリーコ2世の息子として生まれ、955年に18歳の若さでローマ教皇に就任。就任後は教皇領拡大を目指し、イヴレア辺境伯ベレンガーリオと戦うも大敗。東フランク王国国王オットー1世に救援を要請し、962年にオットー1世へローマ皇帝の帝冠を授与。以降、神聖ローマ帝国が開始され、963年にオットー1世によりヨハネス12世はローマを追放されることに。翌964年5月14日、復位することなく急死。没年27歳。

1350年
【死去】吉田兼好【随筆家・歌人】

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した随筆家および歌人。“兼好法師”として知られ、日本三大随筆のひとつ『徒然草』の作者として知られる人物。京都・吉田神社の神職の家に生まれ、1301年に六位蔵人の役職に就く。従五位下左兵衛佐に昇進後は出家し、法名として兼好を名乗る。南北朝時代になると大阪市の正圓寺へ移り住み、二条為世から和歌を学ぶ。1330年から1350年代頃、『徒然草』を発表。1350年5月14日に死去したとされる。推定没年齡68歳。

1610年
【暗殺】アンリ4世(Henri IV)【王族/フランス・スペイン】

16世紀後期から17世紀初頭のフランス、スペインでブルボン朝初代フランス国王(1589~1610年)およびナバラ国王エンリケ3世(1572年~1610年)となった人物。ブルボン家に生まれ、改革宗教派ユグノーの盟主となり、1572年にナバラ国王へ即位。1589年、アンリ3世が暗殺されフランス国王へ即位。1598年「ナントの勅令」を発令しカトリックとユグノーの宗教戦争「ユグノー戦争」を締結。国家の再建を志すも1610年5月14日、カトリック教徒フランソワ・ラヴァイヤックにより刺殺された。没年56歳。

1912年
【奇妙な死】フレゼリク8世(Frederik 8.)【王族/デンマーク】

20世紀デンマークの国王(1906年~1912年)となった人物。デンマーク国王クリスチャン9世の長男として生まれる。1864年「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争」に立太子として従軍。1906年に父の死去により国王に即位。1912年5月14日、ドイツ・ハンブルクの公園を散歩中に倒れ、公園のベンチで寝ているところを警官に発見された。死因は心臓麻痺と発表された。没年68歳。

1931年
【死去】デヴィッド・ベラスコ(David Belasco)【劇作家・舞台監督・演出家/アメリカ合衆国】

19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したアメリカの劇作家、舞台監督および演出家で主にブロードウェイ劇の著者として知られる人物。1865年頃に舞台劇を書き始め、1871年に多くの劇場に務める傍ら、俳優や外国劇の翻訳などの仕事を行なった後、劇作家、舞台監督として活躍するように。1882年にマディソン・スクエア劇場に拠点を移し、代表作となったオペラ『蝶々夫人』(1903年)『西部の娘』(1910年)などを発表。晩年も活躍を続け脚本制作や舞台演出として携わったロードウェイ劇は100作以上となった。1931年5月14日に死去。没年77歳。

1971年
【引退】【大相撲】「第48代横綱大鵬引退」

幕内最高優勝32回を誇る大横綱。通算幕内成績746勝144敗136休。引退後は初の一代年寄に。

1976年
【奇妙な死】【夭折】キース・レルフ(Keith William Relf)【ミュージシャン/イギリス】1960年代から活躍したイギリスのロック・バンド、ヤードバーズのリーダーであり、メインボーカル。どちらかといえば歌声よりも甘いマスクが売りのヴォーカリストであったため、ジミー・ペイジを中心にした後期のメンバーのハードロックの方向性には技術的についてゆけず脱退。そして1976年5月13日、自宅の地下スタジオで作曲のため演奏していたギターの演奏中に感電死。没年33歳。
1978年
【暗殺】大久保利通【政治家・武士】

幕末「明治維新」時に活躍した政治家および武士で西郷隆盛、木戸孝允らとともに“維新の三傑”と称される人物。薩摩藩士・大久保利世の長男として生まれ、1846に薩摩藩の記録所書役助として従事。1850年「お由羅騒動」が勃発し謹慎処分へ。1853年から再び記録所へ復職、御蔵役に就く。1857年、徒目付となり精忠組として活動。以後、御小納戸役、御側役と出世。1866年「第二次長州征討」に反対し四侯会議を開催。1868年、「王政復古の大号令」の計画し実行し「明治維新」を起こす。維新後の1871年に大蔵卿へ就任、同年岩倉使節団へ参加。1873年、内務省を設置し初代内務卿へ就任。就任後は学制などを実施。1877年「西南戦争」で政府軍を指揮。1878年5月14日、皇居へ向かう途中の紀尾井坂で暗殺された(紀尾井坂の変)。没年47歳。

1987年
【死去】リタ・ヘイワース(Rita Hayworth)【女優/アメリカ合衆国】

20世紀に活躍したアメリカ合衆国の女優。ダンサーの家に生まれ、1930年に初舞台を経験。1935年に映画会社FOXと契約し『ピラミッドの殺人』で映画デビュー。その後、フリーとなり1939年の映画『コンドル』で注目されることに。1946年フィルム・ノワールの『ギルダ』に出演、以後セックス・シンボルとして人気女優の一員へ。晩年はアルツハイマーを患い、1987年5月14日に同病で死去。没年68歳。

1991年
【引退】【大相撲】「第58代横綱千代の富士引退」

度重なる怪我に悩まされながらも幕内最高優勝31回を誇る大横綱、千代の富士が引退を発表。幕内通算807勝253敗144休、幕下時代を入れると前人未踏の1000勝をクリアした唯一の力士(1045勝437敗159休 )。引退会見では「気力・体力の限界」と涙した。

1991年
【鉄道事故】「信楽高原鐵道列車衝突事故」

1991年5月14日、滋賀県甲賀郡信楽町黄瀬の信楽高原鐵道信楽線で、信楽発貴生川行き上り普通列車(SKR200形)と、京都発信楽行き西日本旅客鉄道(JR西日本)直通下り臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」(キハ58系)が正面衝突。この事故により両車合わせて42人が死亡、614人が負傷した。原因は事故当時「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91」が開催されており、それに伴い運行本数を倍増するも列車集中制御装置を設置しなかったため起こった信号システムのトラブルであった。

1991年
【自殺】江青(Jiang Qing/こうせい)【女優・政治指導者/中華人民共和国】

「文化大革命」時の政治指導者および女優で“紅色女皇”と呼ばれた女性であり、毛沢東の4番目の妻として知られる人物。1933年、中国共産党へ入党。その後、上海で藍蘋(ランピン)の芸名で女優活動を開始。1934年、俳優・映画監督・映画評論家の唐納と結婚するも江青が不倫をしたことが発覚し上海芸能界から追放されることに。1937年「第二次上海事変」が起こり延安へ移住し、魯迅芸術学院で演劇を教えていた際に毛沢東と出会う。1939年に毛沢東と結婚、1949年に中華人民共和国が建国され、1960年代から政治活動を行なう。1966年から「文化大革命」を主導するも1976年に毛沢東が死去すると逮捕、無期懲役となる。1991年5月14日、病気治療仮釈放中の住居で自殺。没年77歳。

1998年
【死去】フランク・シナトラ(Francis Albert “Frank” Sinatra)【歌手・俳優/アメリカ合衆国】

『My Way』『New York, New York』数々のスタンダードナンバーを歌い上げた美声でアメリカのエンターテインメント界に燦然と光り輝くスター。娘のナンシーも歌手として成功。マリリン・モンローなど数々の女優とのロマンス、ミア・ファローを含む4人の女性たちとの結婚で知られるプレイボーイでもあった。さらにその政治的影響力は歌手の範疇を遙かに超え、アメリカの大物マフィアとの親交や、時の大統領、J・F・ケネディとの蜜月で知られ、ケネディとの決別後はその暗殺にも関与したとの噂もあるほど。また、その死後にCIAのスパイであったことも噂になった。心臓発作で82歳没。

2000年
【急死】小渕恵三【政治家】

第84代内閣総理大臣。官房長官時代に平成の元号を発表したことで知られる政治家。橋本龍太郎の後を継ぎ総理大臣として在職中に脳梗塞で急死。4月2日に脳梗塞を発症したが、その前日に記者との問答中に不思議な間が空いたといわれ、それが脳梗塞の初期症状だったと推測されている。没年62歳。総理大臣在職中の死去は 1980年6月12日に死亡した第69代大平正芳以来4人目。

2000年
【死去】三浦洋一【俳優】

恵まれたスタイルと眼光の鋭さを武器に、主に刑事役などで活躍した俳優。代表作に『七人の刑事』『池中玄太80キロ』『さすらい刑事旅情編』等。離婚やDV等、プライベートで話題になることも多く、晩年は食道ガンで激やせしながらも仕事をこなした。46歳で死去。

2004年
【死去】ヘスス・ヒル(Gregorio Jesús Gil y Gil)【実業家・政治家/スペイン】

建設業で成功し、アンダルシア州マラガ県マルベーリャ市長を務めるなどしたが、特にフットボール界に於けるスペイン第3の規模となるビッグクラブ、アトレチコ・マドリードの名物会長として知られた人物。とにかく短気なことで知られ、すぐに監督の首をすげ替えることで有名だった。脳出血で71歳没。

2010年
【競技中事故死】岩永高弘【ボートレーサー】

通算優勝1回、通算勝利271勝という名ボートレーサー。若松競艇場で行なわれた「スポーツニッポン杯争奪 GW特選競走」で隣の艇と接触事故で後頭部を強打。搬送時には心肺停止状態になっており、搬送先の福岡新水巻病院で死去。没年36歳。

2010年
【死去】鈴木俊一【政治家】

4期にわたって務めた元東京都知事。没年99歳。

2015年
【死去】B・B・キング(B. B. King)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1950年代からその死まで、第一戦で活躍し続けたブルース・ギタリスト、シンガー。代表作にロイ・ホーキンスの曲をカバーした『The Thrill Is Gone』等多数。『Blues on the Bayou』他、数度のグラミー賞受賞を果たす。晩年はラスベガスの自宅で療養していたが、そのまま死去。遺族は毒殺の可能性があるとしてマネージャー、アシスタントに嫌疑をかけて再調査したが、アルツハイマーや糖尿などの合併症がその死因だと判明した。没年89歳。