『映画「ラビリンス」の撮影現場にてプロデューサーのジョージ・ルーカスと写るジム・ヘンソン(写真左)』

5月16日はマペット(パペットとマリオネットを組み合わせた造語)という言葉を生み出した、偉大なるマペット作家、ジム・ヘンソンが死亡したある。
全世界で、あらゆる世代の子供が今も目にしている『セサミ・ストリート』、そしてカーミットとミス・ピギーで大人たちをも魅了し続ける『マペット・ショー』の全てを産み出したアーティストであり、その独自の技術を活かした映画『ラビリンス/魔王の迷宮』の監督としても知られる人物である。
化膿レンサ球菌の毒素ショック症候群という奇異な原因で死亡したが、その死の直前まで明確な意識を持っていたために誰にもその死期は伝わっておらず、医師が非常事態と宣言したわずか20時間後に息を引き取るという極めて静かな死であった。
そして、その死の5日後、故人の遺志を継ぎニューヨーク大聖堂行なわれたのは、『聖者が街にやってくる』の流れる中、マペット総登場による極めて“フランクな”追悼式だった。
死してなお自らの生み出したものたちの世界観を壊さなかったヘンソンの思いは最高の形で残っている。
彼が生み出したカラフルなマペットたちが、今も生き生きと世界を彩り続けていることがそのなによりの証明だろう。

(写真はWikipedia Jim Hensonより。Public Domain)

5月16日の不幸

1620年
【死去】ウィリアム・アダムス(三浦按針/William Adams)【航海士・貿易商/イギリス・日本】

江戸幕府の外交顧問として徳川家康に仕えたイングランドの航海士。イギリス人でありながら日本人女性お雪と結婚し、旗本としてその半生を送った。三浦は領地として与えられた三浦半島から、按針は水先案内人の意。家康没後は鎖国体制へと向かったためにその存在感は薄れていった。没年55歳。

1703年
【死去】シャルル・ペロー(Charles Perrault)【詩人・童話作家・弁護士/フランス】

弁護士、アカデミーの秘書などを経て1671年にアカデミー・フランセーズ会員に選出。その後、『グリゼリディズ』(1691年)、『ロバの皮』(1694年)などの韻文を発表。1695年秘書を辞め、1697年から童話作家として活動し『赤ずきん』『長靴をはいた猫』『シンデレラ』といった不朽の名作を含む『ペロー童話集』を発表。1703年5月16日に死去。没年75歳。

1953年
【死去】ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt)【ミュージシャン/ベルギー】

1920年代後半から1950年代初頭に活躍したベルギーのジャズギタリスト。ロマの旅芸人の家に生まれ、幼少からヨーロッパ各地を周りながらギターやヴァイオリンを学ぶ。10代からパリで音楽活動を開始。1926年にジャズシンガーのビリー・アーノルドの曲と出会いジャズへ傾倒するように。1928年、フランス・グラモフォンなどのレーベルでレコーディングを行なう。1934年にヴァイオリニストのステファン・グラッペリとともにバンド「フランス・ホット・クラブ五重奏団」を結成。1938年、イギリス公演開催。1939年イギリスツアー中に「第二次世界大戦」が起こりフランスへ帰国、同バンドは解散。戦時中も音楽活動を続け、1940年に『Nuages』を発表。1946年に再びステファンと活動を再開。その後、キャラバン生活に戻り、1951年からセーヌ=エ=マルヌ県へ住居を構える。1953年、ジャズミュージシャンのディジー・ガレスピーのヨーロッパツアーに参加。ツアーから帰国後の1953年5月16日、脳出血のため死去。没年43歳。

1954年
【事故死】ワーナー・ビショフ(Werner Bischof)【写真家・ジャーナリスト/スイス】

20世紀スイスの写真家およびフォトジャーナリスト。写真家ハンス・フィンスラーに師事し「第二次世界大戦」時の戦争写真を発表。1949年にマグナム・フォトへ参加。写真家として活動中の1954年5月16日、ペルー・アンデス山中で乗っていた自動車が崖へ転落、同行者2人とともに事故死。没年38歳。

1960年
【誘拐殺人事件】「雅樹ちゃん誘拐事件」

1960年5月16日、東京都世田谷区で天地堂カバン総本店社長の長男・尾関雅樹ちゃん(当時7歳)が登校途中、歯科医師の本山茂久(当時32歳)に身代金目的で誘拐後殺害された事件。結果的に身代金は受け取れず、精神的に追い詰められた本山は同月18日に雅樹ちゃんを殺害。遺体は同月19日に発見された。その後、本山は逃亡し同年7月に逮捕され、1961年に死刑判決。1971年に死刑執行された。

1960年
【政治事件】「大平内閣不信任決議案可決(ハプニング解散)」

「四十日抗争」後の1980年5月16日、日本社会党・飛鳥田一雄委員長が、浜田幸一衆議院議員の「ラスベガス・カジノ疑惑」「KDD事件」「鉄建公団不正経理事件」など、一連のスキャンダルを理由として、衆議院に大平内閣不信任決議案を提出。自民党の反主流派は浜田の証人喚問と事件のため国会に綱紀粛正委員会を設置、首相・大平正芳首相の回答を求めるも反主流派69人が本会議を欠席したことにより可決された。

1968年
「三陸沖地震(十勝沖地震)」

1968年5月16日、青森県東方沖でマグニチュード8.2の地震が発生。この地震により北海道、青森県が主に被害に遭い52人が死亡、330人が負傷した。

1990年
【死去】ジム・ヘンソン(Jim Henson)【マペット製作者・映画製作者・プロデューサー/アメリカ合衆国】

全世界のあらゆる世代の子供が目にしている『セサミ・ストリート』、そして大人たちをも魅了し続ける良質のエンターテインメント『マペット・ショー』を産み出したアーティスト。その技術を活かした映画『ラビリンス/魔王の迷宮』の監督としても知られている。肺炎化膿レンサ球菌の感染症が原因で1990年5月16日に死去。没年53歳。

1990年
【死去】サミー・デイヴィスJr.(Sammy Davis Jr. )【歌手・俳優/アメリカ合衆国】

歌、タップダンスとモノマネ等、ありとあらゆるエンターテインメントの技術を兼ね備えた20世紀のアメリカを代表する黒人スター。フランク・シナトラの”シナトラ・ファミリー”の一員として主にラスベガスで活躍した。映画出演も多数、代表作に『キャノンボール』『オーシャンと十一人の仲間』等がある。喉頭ガンで死去。死の間際まで声帯を維持するために残していた。64歳没。

1990年
【事故死】土家歩【俳優】

共に俳優の江藤真二郎・中原ひとみ夫妻の長男。千葉真一率いるJACに所属し、NHK大河ドラマ『徳川家康』の森蘭丸役でデビュー。その後は特撮ものの『兄弟拳バイクロッサー』バイクロッサーギン(弟)役、『宇宙刑事シャリバン』等で活躍。山中湖の友人宅からの帰路でスピードを出しすぎ大型トラックに激突、脳挫傷で死亡した。没年24歳。

2002年
【自殺】 荒井昌一【実業家・リングアナウンサー】

1990年から2000年に活躍したプロレス団体「FMW」社長およびリングアナウンサー。1989年、FMWへ入社しリングアナウンサーを務める。その後、FMWクリエイティブの取締役広報部長へ就任。1995年に大仁田の引退に伴い、FMW社長へ就任。1999年頃から経営が悪化、2002年に団体が倒産。同2002年5月16日、借金苦により首吊り自殺。没年36歳。

2002年
【死去】5代目柳家小さん【落語家】

昭和期に活躍した落語家であり、落語家として初の人間国宝となった人物。法律事務所の事務員として働く傍ら落語家を志す。1933年、4代目柳家小さんの元へ入門。1936年、徴兵され機関銃兵として「二・二六事件」に参加。1939年に除隊、二つ目に昇進し柳家小きんへ改名。「第二次世界大戦」時に再び徴兵され、戦後復員。1947年に真打へ昇進、9代目柳家小三治を襲名へ。1950年に5代目柳家小さんを襲名。1962年、1967年と芸術祭賞奨励賞受賞。1972年に落語協会7代目会長へ就任。1980年、紫綬褒章を授与される。1983年、7代目立川談志を破門。その後も都民文化栄誉章、浅草芸能大賞など多くの賞を受賞し、1995年に落語家初の人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定される。1996年、落語協会最高顧問へ就任。2002年5月16日、心不全のため死去。没年87歳。

2006年
【急死】田村高廣【俳優】

サイレント映画時代の大スター板東妻三郎の長男であり、同じく俳優の亮、正和とともに”田村三兄弟”として知られる。勝新太郎とのコンビでヒットした『兵隊やくざ』シリーズ等で人気を博す。脳梗塞のため急死。77歳没。

2011年
【死去】児玉清【俳優・司会者・タレント】

東宝ニューフェイス出身の俳優であり、『パネルクイズ アタック25』の司会をその死まで36年の長きにわたり務めた名司会者でもある。芸能界随一の読書家としても知られ、『週刊ブックレビュー』の司会も務めた。胃ガンにより77歳没。

2012年
【死去】小林すすむ【俳優・芸人】

1980年代に活躍した俳優およびタレント。1972年、日本テレビのドラマ『飛び出せ!青春』でデビュー。1979年に島崎俊郎、川上泰生らとお笑いユニット「ヒップアップ」を結成。1990年代に入りフジテレビのドラマ『踊る大捜査線』シリーズの中西修役で人気を博した。俳優として活動中の2012年5月16日、スキルス性胃がんと肝硬変により死去。没年58歳。

2018年
【死去】西城秀樹【歌手・俳優・タレント】

昭和から平成にかけて活躍した国民的人気歌手であり、デビュー当時は“新御三家”と呼ばれたアイドルのひとり。1967年、1968年とヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場し優勝。1971年、R&B喫茶でレギュラーバンドとなり活動していたところをスカウトされ、同年に広島から上京し芸能事務所芸映に所属。1972年『恋する季節』でRCAレーベルからデビュー。同年『チャンスは一度』で一躍アイドルとなり、郷ひろみ、野口五郎らと共に“新御三家”と呼ばれるように。1974年『傷だらけのローラ』がヒットし日本レコード大賞歌唱賞を受賞。同年、TBSドラマ『寺内貫太郎一家』や映画『愛と誠』で俳優としても活躍。1975年に日本人ソロ歌手として初の日本武道館リサイタルを開催。1979年にビレッジ・ピープルのカバー曲『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』を発表し大ヒット。1983年に独立しアースコーポレーションを設立。1983年に代表曲となる『ギャランドゥ』を発表。歌手、俳優として活躍中の2001年に脳梗塞を発症、その後も再発を繰り返す中、2018年に『同窓会コンサート2018 in足利』へ出演。完全復帰を目指すも2018年5月16日、急性心不全のため死去。没年63歳。