5月19日の不幸
- 861年
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【隕石】「直方隕石落下」
861年5月19日に福岡県直方市下境の武徳神社(現・須賀神社)に落下目撃記録が残っている世界最古の隕石が落下。1981年に放射性炭素年代測定を行ない世界最古と正式認定された。
- 1296年
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【獄中死】ケレスティヌス5世(Caelestinus V)【ローマ教皇/イタリア】
13世紀末のイタリアで第192代ローマ教皇(1294年7月〜同年12月)となった人物。1294年7月にローマ教皇に即位し同年12月に存命のまま退位。その後退位が教会法に違背しているとして第193代ローマ教皇ボニファティウス8世によりフモーネ城へ幽閉され1296年5月19日に感染症による膿瘍で獄中死。推定没年齢86歳。
- 1389年
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【死去】ドミトリイ・ドンスコイ(Dmitry Donskoy)【皇帝/ロシア】
14世紀ロシアの皇族でモスクワ大公(1359年〜1389年)となった人物。モスクワ大公イヴァン2世の息子として生まれ、1359年に第4代モスクワ大公となる。1371年にウラジーミル大公位を獲得。1380年に「クリコヴォの戦い」で軍人ママイに勝利し勢力を拡大。その後、モンゴル帝国のトクタミシュ・ハンに敗北し1389年5月19日に死去。没年38歳。
- 1935年
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【事故死】トーマス・エドワード・ロレンス(Thomas Edward Lawrence)【軍人・考古学者/イギリス】
“アラビアのロレンス”の異名で知られる19世紀から20世紀イギリスの軍人および考古学者。1911年に大英博物館の調査隊に参加。1914年にイギリス陸軍省作戦部地図課として「第一次世界大戦」に参加。1916年に外務省管轄下のアラブ局に転属となり大尉となる。同年にアラビア半島へ向かいハーシム家当主フサイン・イブン・アリーらと接触。1918年にアラブ軍とともにダマスカスを占領し中佐へ昇進。終戦後の1921年に植民地省中東局・アラブ問題顧問に就任。1925年に空軍に入隊し1935年に除隊。同年5月13日にオートバイを運転中に事故に遭い、同月19日に死去。没年46歳。
- 1942年
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【死去】アーサー・エドワード・ウェイト、(Arthur Edward Waite)【文筆家・魔術師・ウェイト版タロット製作者/イギリス】
19世紀から20世紀イギリスの魔術師および文筆家で主にウェイト版タロット製作者として知られる人物。1891年に隠秘学結社・黄金の夜明け団、1902年に英国薔薇十字協会に加入。その後、ウェイト版タロットを共同制作し1909年に解説書『タロット図解』を出版。翌年に『儀式魔術の書』を出版。1914年に黄金の夜明け団の内部抗争により同結社を離れイシス=ウラニア・テンプルを結成。翌年に薔薇十字友愛団 を結成。1929年に『聖なるカバラ』を出版。晩年も執筆活動などを行ない、1942年5月19日に死去。没年84歳。
- 1946年
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【死去】中部幾次郎【実業家・政治家】
明治時代から昭和初期にかけての政治家および実業家で林兼商店(現・マルハニチロ)の創業者として知られる人物。1904年に日本初の発動機船を開発、東シナ海および朝鮮半島沖の漁場開拓を行なう。1924年に林兼商店を創立。1936年に大洋捕鯨株式会社を設立。「第二次世界大戦」中は内地水産部門等を合併し西太平洋漁業統制株式会社へ改称し戦後は大洋漁業株式会社へ改称。1946年に貴族院勅選議員に選出され、同年5月19日に死去。没年80歳。
- 1949年
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【二・二八事件】【白色テロ】【弾圧】「台湾省戒厳令施行」
1949年5月19日、台湾で勃発した「二・二八事件」を受け中国国民党政権が台湾省戒厳令を施行。38年間にわたり継続され1987年に解除されている。
- 1970年
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【急死】岡晴夫【歌手】
キングレコード所属の歌手として1939年に『国境の春』でデビュー。終戦後は、『憧れのハワイ航路』等の明るい大ヒット曲を連発し、戦後を代表するスター歌手として国民的人気を獲得した。近江俊郎・田端義夫とともに”戦後三羽烏”と呼ばれたことでも知られる。1954年にキングレコードを退社以降は当時の芸能界で流行していたヒロポン中毒などを患い、人気も低迷。晩年は糖尿や白内障も併発し、肝臓ガンで54歳没。
- 1987年
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【自殺】【心中】ジェイムズ・ティプトリー・Jr.(James Tiptree Jr.)【小説家・軍人/アメリカ合衆国】
男性名で数々のSF小説を発表していた小説家。代表作『愛はさだめ、さだめは死』のように、性についてかなり踏み込んだ作品が多い。痴呆症が悪化した夫を射殺し、自らもその場で拳銃自殺を遂げた。その遺体が発見された時、二人は手を繋いでいたという。没年71歳。
- 1991年
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【死去】竹中労【ルポライター】
日本共産党員を経てルポライターに。芸能界、政治、宗教、部落問題というあらゆるタブーに切り込んだ過激な書き手として活躍した。著書に『美空ひばり 民衆の心をうたって二十年』『エライ人を斬る』『たまの本』等多数。肝臓ガンで63歳没。
- 1994年
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1994年【自殺】ルイス・オカーニャ(Luis Ocaña【自転車競技選手/スペイン】
スペイン・クエンカ県プリエゴ出身の自転車競技選手。1969年からツール・ド・フランス 総合4連覇を果たした史上最強のロードレーサーことエディ・メルクスと激しい戦いを披露し、1973年に同大会で初優勝(その年はメルクスは不参加)を遂げた。しかしその後の成績は低迷し、フランスのジェール県ノガロで猟銃自殺。没年48歳。借金とC型肝炎を苦にしての自殺であったとされる。
- 1994年
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【死去】ジャクリーン・ケネディ・オナシス【新聞記者/アメリカ合衆国】
第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの夫人であり、元ファースト・レディ。ジョンの弟であるロバートの暗殺を機にギリシャの大富豪であるアリストテレス・オナシスと再婚するが、この結婚も幸せなものとは言い難く、オナシスの死去にも立ち会うことはなかった。1994年に非ホジキンリンパ腫で死去。没年64歳。
- 1996年
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【死去】高橋悦史【俳優】
1965年の吉永小百合主演映画『私、違っているかしら』で映画デビュー。1967年の岡本喜八監督作品『日本のいちばん長い日』で注目を浴び、以後は岡本作品に数多く出演した。脾臓ガンで60歳没。
- 1998年
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【死去】宇野宗佑【政治家】
防衛庁長官、科学技術庁長官、行政管理庁長官、通商産業大臣、外務大臣、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総裁を歴任し、第75代内閣総理大臣を務めた政治家。学徒出陣でシベリアに抑留された経験をまとめた著書『ダモイ・トウキョウ』が映画化(『私はシベリアの捕虜だった』1952年)されたことでも話題になった。1989年6月3日の総理大臣就任3日後に『サンデー毎日』に神楽坂の芸者とのスキャンダルが報道され、その影響もあり直後の参議院選で完敗。その責任をとる形でわずか69日で総理を辞任した。1996年に政界引退し、肺ガンで75歳没。
- 2004年
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【死去】金田一春彦【国語学者・教師】
言語学者である父・金田一京助に続き、国語学者となった人物。国語辞典の編纂や日本語方言のアクセント研究で多大な功績を残した。クモ膜下出血で91歳没。
- 2014年
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【死去】 ジャック・ブラバム(Sir John Arthur “Jack” Brabham)【レーシングドライバー/オーストラリア】
1959年、 1960年、1966年に年間チャンピオンを獲得したF1レーサーであり、1961年に自ら立ち上げたブラバムで年間チャンピオンを獲得したF1史上唯一の人物。ゴールドコーストの自宅で妻のマーガレットと朝食を食べている最中に死亡した。晩年は腎臓ガンと肝臓病に冒されていた。没年88歳。
- 2016年
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【航空事故】「エジプト航空804便墜落」
フランスのパリ=シャルル・ド・ゴール空港を離陸しエジプトのカイロへ向かう最中にエジプト沿岸から約280km北の地中海上空を飛行中にレーダーから消え、20日に期待の残骸が発見された。乗員乗客66人全員が死亡。ブラックボックスが回収されたものの現在のところ墜落の原因は不明。テロの嫌疑もかけられたが、証拠は何も出ていない。