『畠山勇子のポートレート『護法の神 児島惟謙』(修文館/1926年)掲載』

1891年5月20日は、京都の魚問屋で奉公をしていた畠山勇子が、5月11日に発生したロシア帝国皇太子ニコライの暗殺未遂事件「大津事件」による国難を案じ皇太子宛の謝罪の遺書を残し自殺を遂げた日である。
滋賀県滋賀郡大津町で警備にについていた警察官・津田三蔵が斬りかかったことは、当時まだ国力の乏しかった明治期の日本にとっては一大事であり、明治天皇もすぐさま京都まで見舞いに赴くほどであった。しかしその甲斐もなく、ニコライは東京訪問をキャンセルし、ロシアへと帰ろうとしていた5月20日に、一介の平民である畠山は「天皇陛下の面目が立たない」と「露国御官吏様」「日本政府様」「政府御中様」というそれぞれに宛てた遺書を京都府庁に投げ入れ、その場で首と胸をカミソリで斬りつけて自害を遂げたのであった。
世間ではロシア帝国が報復のため攻めてくると騒ぎになっていただけに、この自害は「烈女勇子」の名で大きく報じられた。
元々、近隣では畠山は過剰に政治に熱狂していた変わり者とみられていたという。彼女の死がロシアまで伝わったかどうかは定かではないが、日本を守ろうとして果てたその激烈な人生を、我々は記憶しなければならないだろう。

(画像はWikipedia 畠山勇子より。Public Domain)

5月20日の不幸

1891年
【自殺】畠山勇子【魚問屋奉公】

5月11日に発生したロシア帝国皇太子ニコライの暗殺未遂事件「大津事件」による国難を案じ皇太子宛の謝罪の遺書を残し自殺を遂げた女性。東京訪問をキャンセルし、ニコライが帰国しようとしていた5月20日に、「天皇陛下の面目が立たない」と「露国御官吏様」「日本政府様」「政府御中様」というそれぞれに宛てた遺書を京都府庁に投げ入れ、その場で首と胸をカミソリで斬りつけて自害を遂げたのであった。没年25歳。

1945年
【戦死】【夭折】景浦將【プロ野球選手】

水島新司の大ヒット漫画『あぶさん』のモデルになったとも言われる強肩強打の大スターで、大阪タイガースで活躍したプロ野球選手。あの伝説の投手=沢村栄治のライバルでもあった。4番サードで投手も務めるという二刀流で、最優秀防御率と首位打者を同時に受賞した唯一のプロ野球選手である。2度の招集で戦地に赴くようになってからは手榴弾の投擲で肩を痛め強肩も失われていった。フィリピン・ルソン島のカラングランで戦死。没年29歳。

1999年
【死去】由利徹【コメディアン】

南利明・八波むと志とともに結成した『脱線トリオ』で活躍。解散後は単独で活動。代表的なギャグ「おしゃまんべ」「チンチロリンのカックン」等でお茶の間の人気者に。弟子にたこ八郎などがいる。肝臓ガンで死去。没年78歳。

2008年
【急死】【夭折】ジョシュア【ファッションモデル】

アメリカ生まれのハーフのファッションモデル。ジョシュア・新村。2004年6月に同じくモデルの土屋アンナと結婚し一児をもうけたことでも知られるが、2006年7月4日に離婚。心不全で25歳没。タレントのこずえ鈴の実弟としても知られる。

2009年
【自殺】ルーシー・ゴードン(Lucy Gordon)【女優・モデル/イギリス】

モデル出身の女優。映画『PERFUME パフューム』『スパイダーマン3』などで活躍。遺作の映画『ゲンスブールと女たち』では準主役のジェーン・バーキン役を務めた。その撮影直後、撮影監督のジェローム・アルメラと同棲していたパリの自宅で首吊り自殺をした。遺書には自らの不動産の分配法と、両親へのメッセージが書かれていた。没年28歳。

2011年
【事故死】ランディ・サベージ("Macho Man" Randy Savage)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

"マッチョマン"のアダ名でアメリカのメジャー団体WWF(現WWE)やWCWで活躍したトップレスラー。必殺技はトップロープからのダイビング・エルボー・ドロップ。フロリダ州の高速道路を走行中に心臓発作を起こして木に激突死。没年58歳。

2012年
【死去】ロビン・ギブ(Robin Gibb)【ミュージシャン/イギリス】

兄バリーと双子の弟モーリスとともに3人の兄弟が中心となって結成したボーカルユニット「ビージーズ」のメインボーカルとして活躍した世界的なミュージシャン。英領マン島の出身者としても知られる。「ビージーズ」のレコード売り上げは全世界で1億2,000万枚以上といわれ、『How Deep Is Your Love』『Stayin' Alive』『Night Fever』『First Of May』等の大ヒット曲は世界中で今もカバーされている。2010年10月、ベルギーでのコンサート中に腸閉塞で倒れ、2011年10月には結腸ガンと診断された。最終的には肺炎も併発し昏睡状態となり、2012年5月20日に62歳没。

2013年
【病死】レイ・マンザレク(Raymond Daniel Manczarek)【ミュージシャン・オルガニスト・映画監督/アメリカ合衆国】

アメリカのロック・バンド「The Doors」のオルガニスト。ロック・バンド内におけるキーボーディストの地位を確立させたひとり。シカゴ生まれ。カリフォルニア大学ロス校(UCLA)在学中の1965年に、ジム・モリソンと出会い「The Doors」を結成。この頃、同期にはフランシス・F・コッポラも在籍しており、後に映画『地獄の黙示録』の挿入歌として「The Doors」の『The End』が使われることとなる。マンザレクの名を一躍有名にしたきっかけとなったのは、1967年にリリースされた第2弾シングル『Light My Fire』でのオルガンフレーズである。1971年にジム・モリソンが死去してからもバンドを続け、1972年に「The Doors」は解散。その後もミュージシャン、小説家、映画監督など亡くなる直前まで活躍するも、2013年、ドイツのローゼンハイムにて肝外胆管ガンのため死去。没年74歳。

2015年
【死去】片平巧【オートレース選手】

優勝回数通算80回、年間最多優勝選手2回を誇る船橋オートレース場所属のオートレーサー。1985年に船橋オートレース場第19期生として登録。1987年、『第9回さざんか杯争奪戦』優勝。その後も優勝を重ね、1998年に史上初のSG6冠グランドスラムを果たす(SGとはスーパーグレードの略称、オートレース界において最高位に格付けされているレースのこと)。2009年には史上18人目の通算1000勝を達成。2015年5月20日に死去しているが、直前の5月10日までレースに出場していた。没年49歳。