『自宅でのホメイニ師』

1989年6月3日は、イランイスラム共和制政体を成立させたイラン革命の指導者、ルーホッラー・ホメイニ師が死亡した日である。
1979年、国外追放のために滞在していたフランスから「イラン革命」を成就させ、それまでの西欧化政策から一転、イスラム化を進め、国民からの絶大な支持を背景にイランを政治・宗教の両面から率いた。
1988年に、イギリスの作家、サルマン・ラシュディが発表した小説『悪魔の詩』(ムハンマドの生涯を批評的に描いた)を「冒涜的」だとして、著者及び発行に関わった者に対して死刑(ファトワー)を宣言。
1989年6月3日に心臓発作で死去するが、生前ファトワーの撤回は行なわれなかったため、発した本人以外は撤回できないというファトワーの規則に従い、以後、永遠に撤回されない“未来永劫の呪い”となった。
そしてその死の2年後の1991年7月11日には、同書の日本語版翻訳をした五十嵐一が筑波大学にて何者かによって殺害された(「悪魔の詩訳者殺人事件」)。
他言語の翻訳者も狙われ、1993年にはトルコ語翻訳者の集会を何者かが襲撃、37人が死亡する大事件となった。
果たして、その呪いが解ける日は、来るのであろうか。

(Wikipedia Ruhollah Khomeiniより。Public Domain)

6月3日の不幸

1615年
【戦死】真田信繁(幸村)【武将】

安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将。信濃国上田城主・真田昌幸の次男として生まれる。1582年に起こった『天目山の戦』で武田氏が敗れ徳川家康に臣属後、豊臣秀吉の下へ。1600年『関ヶ原の戦い』で西軍として参加し敗退したため九度山に幽閉されることに。1614年、『大坂冬の陣』が起こると九度山を脱出、息子・大助幸昌らと大坂城に入城、真田丸を築く(「真田丸の戦い」)。1615年『大坂夏の陣』の『道明寺の戦い』に参加、徳川家康本陣に二度に渡り攻め込むも敗退。同年6月3日、退却中に越前松平家鉄砲組頭・西尾宗次に発見され討ち取られた。没年49歳。

1875年
【死去】ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)【作曲家/フランス】

19世紀に活躍したフランスの作曲家。音楽家の家に生まれ、1847年にパリ音楽院へ入学。作曲家シャルル・グノーらに師事。1857年、カンタータ『クローヴィスとクロティルデ』がローマ大賞を獲得。以降はオペラを中心に『真珠採り』(1862年〜1863年)『美しきパースの娘』(1866年)『カルメン』(1873年~1874年)を作曲。1872年、付随音楽『アルルの女』を発表。作曲家として活動中の1875年6月3日、敗血症のため死去。没年36歳。

1889年
【自殺】ベルンハルト・フェルスター(Bernhard Förster)【活動家・思想家/ドイツ】

19世紀に「ベルリン団体」などで活動した反ユダヤ主義思想家。1886年に純粋アーリア人社会「新ゲルマニア」建設を目指しパラグアイの奥地に入植したが、気候や風土病で挫折し、モルヒネとストリキニーネで服毒自殺を遂げた。没年46歳。

1924年
【死去】フランツ・カフカ(Franz Kafka)【小説家/オーストリア・チェコスロバキア】

保険会社勤務の傍ら小説を発表し、20世紀を代表する小説『変身』で世界的人気を獲得した小説家。『審判』『城』『失踪者』等ほとんどの作品がその死後、友人のマックス・ブロートにより発表された。1917年9月に肺結核と診断されて以降は療養と執筆に専念し、咽頭結核で40歳没。

1963年
【死去】ヨハネ23世(Pope Saint John XXIII)【宗教家・司祭/イタリア】

イタリアのベルガモのソット・イル・モンテの小作農の家に生まれ(本名・アンジェロ・ロンカッリ)、1958年に76歳で第261代ローマ教皇に就任。1962年に第2バチカン公会議を開催したが、開催中の翌年6月3日に胃ガンのため死去。没年81歳。その死後、遺体が腐敗しなかったことを奇跡認定され、聖人として列聖された。

1964年
【死去】フランス・エーミル・シランペー(Frans Eemil Sillanpää)【小説家/フィンランド】

『聖貧』『若くして逝きし者』等の代表作で農民階級の現実を描いたフィンランドを代表する小説家。1939年にノーベル文学賞を受賞。ヘルシンキで75歳没。

1970年
【死去】ヒャルマル・シャハト(Horace Greeley Hjalmar Schacht)【政治家・銀行家/ドイツ】

ライヒスバンク総裁からナチス党に近づきナチス・ドイツ経済相、ドイツ帝国銀行総裁を歴任した人物。ヒトラー暗殺未遂事件に関与した疑いで逮捕されていたが、後にアメリカ軍により解放。その後終戦時に再びアメリカ軍により逮捕されニュルンベルク裁判にかけられたがヒトラーに戦争を踏みとどまるよう進言していたことなどを主張し無罪に。戦後はデュッセルドルフ銀行でアドバイザーとして働き1970年に死亡した。没年93歳。

1971年
【自殺】【怪死】剣持勇【インテリアデザイナー】

「第二次世界大戦」後に活躍した日本を代表するインテリアデザイナーのひとりで、渡辺力・柳宗理・長大作・水之江忠臣らと「ジャパニーズ・モダン」の基礎を創ったことで知られる人物。1932年、東京高等工芸学校卒業後、商工省(現・経済産業省)工芸指導所に入省。建築家ブルーノ・タウトに師事し椅子の研究を行なう。1952年、渡辺、柳宗らと日本インダストリアルデザイナー協会を設立。1955年に剣持勇デザイン研究所開設。同年、積み重ね可能な椅子『スタッキングスツール』を発表。1964年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)永久コレクションとなった代表作である椅子『ラウンジチェア』を発表。1968年、日本航空の旅客機ボーイング747のインテリアや「ヤクルト」の容器のデザインを担当。1971年6月3日、ガス自殺により急死。没年59歳。現在も自殺の理由はわかっていない。

1973年
【航空事故】「ソ連超音速輸送機Tu-144墜落事故」

1973年6月3日、ソ連の超音速輸送機Tu-144(SSSR-77102号機)がパリ航空ショーの展示飛行中にル・ブルジェ空港北側の村に墜落。この事故により乗員6人全員および地上の住民7人が死亡。

1975年
【死去】佐藤栄作【政治家】

運輸次官、内閣官房長官を経て政界に。郵政大臣、電気通信大臣、建設大臣、北海道開発庁長官、大蔵大臣、通商産業大臣、科学技術庁長官等の要職を歴任し、第61・62・63代内閣総理大臣を務めた人物。第56・57代内閣総理大臣岸信介の実弟。内閣総理大臣在任中に日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還を実現し、1974年にノーベル平和賞を受賞したが、その死後にアメリカ国務長官ヘンリー・キッシンジャーとの間に核持ち込みの密約があったことが発覚した。1975年5月19日に築地の料亭、新喜楽で脳卒中で倒れ意識不明になり、そのまま翌月3日に死亡した。没年74歳。

1977年
【死去】ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini)【映画監督/イタリア】

1940年代から1970年代にかけて活躍したイタリアを代表する映画監督で、『無防備都市』『ドイツ零年』等の作品で知られ、世界的女優のイングリッド・バーグマンを数多く起用し、彼女と結婚していたことでも知られる人物。その作品は下の世代に当たるフランスのヌーヴェル・ヴァーグ運動に影響を与え、”ヌーヴェル・ヴァーグの父”とも呼ばれている。心臓発作で71歳没。

1989年
【死去】ルーホッラー・ホメイニー(Āyatollāh Rūhollāh Khomeinī)【政治家・法学者/イラン】

1979年、国外追放のために滞在していたフランスから「イラン革命」を成就させ、それまでの西欧化政策から一転、イスラム化を進めたイランの最高指導者。国民からの絶大な支持を背景に、空前の権力をその手にイランを政治、宗教の両面から率いた。1989年6月3日に心臓発作で死去。没年86歳。

1990年
【死去】ロバート・ノイス(Robert Norton Noyce)【機械技術者・実業家/アメリカ合衆国】

集積回路の特許取得者(ジャック・キルビーも同時に取得)であり、1968年に世界の最大手半導体素子メーカーである「インテル」社を設立した人物。心不全で62歳没。

1991年
【事故死】カティア・クラフト(Katia Krafft)【火山学者/フランス】

20世紀フランスの火山学者で夫は同じく火山学者のモーリス・クラフト。 ストラスブール大学で地質学を学び、ストロンボリ山での撮影をきっかけに火山学者としての活動を開始。1970年、モーリスと結婚。以降、夫婦で活動を続け1973年の南アイスランドでの火山研究の功績により、火山学者として世界的な地位を確立。1985年、コロンビアのネバド・デル・ルイス火山噴火を予測。1988年、インドネシアのマキアン島キシ・ベシ火山噴火を予測。1991年6月3日、雲仙・普賢岳の地質調査中に予想外の火砕流に襲われ、モーリスやアメリカの調査隊らと共に死去。没年49歳。

1991年
【事故死】モーリス・クラフト(Maurice Krafft)【火山学者/フランス】

20世紀フランスの火山学者で妻は同じく火山学者のカティア・クラフト。1960年にフランス地質学会(SGF)に参加。ストラスブール大学で地質学修士号を取得。1968年、セルネー火山センターを創設。イタリアのストロンボリ山での撮影をきっかけに火山学者としての活動を開始。1970年、カティアと結婚。以降、夫婦で活動を続け1973年の南アイスランドでの火山研究の功績により、火山学者として世界的な地位を確立。1985年、コロンビアのネバド・デル・ルイス火山噴火を予測。1988年、インドネシアのマキアン島キシ・ベシ火山噴火を予測。1991年6月3日、雲仙・普賢岳の地質調査中に予想外の火砕流に襲われ、モーリスやアメリカの調査隊らと共に死去。没年45歳。

1991年
【自然災害】「雲仙普賢岳火砕流」

1991年5月15日頃から雲仙岳裾野の水無川で土石流が続き、5月20日には普賢岳に溶岩ドームが出現。24日にはドームが破裂し火砕流が発生した。しかしこの珍しい現象に報道は加熱し世界中からメディアが集まるという事態に。その結果、6月3日15時30分頃から雲仙普賢岳で小・中規模な火砕流発生し、15時57分からは大規模な火砕流が発生。報道関係者、消防団員を中心に43人が死亡した。

1998年
【脱線事故】「ドイツ・エンスヘーデ脱線事故」

1998年6月3日、 ミュンヘンからハンブルクへ向かっていたドイツの高速鉄道ICEが、ドイツのニーダーザクセン州ツェレ・エンスヘーデ付近で脱線し、車両の一部が橋脚に激突。この事故により101人が死亡、100人が負傷した。事故は車輪が疲労亀裂したために起こった。

2012年
【宗教事件】【社会事件】「オウム真理教元信徒・菊地直子逮捕(オウム真理教事件)」

2012年6月3日、「オウム真理教事件」で特別指名手配されていた元信徒・菊地直子が神奈川県相模原市緑区において発見、潜伏先で逮捕された事件。下された判決は「地下鉄サリン事件」「VX殺人事件」ともに処分保留、「東京都庁小包爆弾事件」では無罪となった。

2012年
【テロ】「オウム真理教菊地直子逮捕」

一連のオウム真理教事件により特別指名手配されていた”走る爆弾娘”こと元オウム真理教教団員の菊地直子が、神奈川県相模原市で市民の通報により逮捕される。2017年12月27日の最高裁での公判により無罪が確定した。

2016年
【死去】モハメド・アリ(Muhammad Ali / Cassius Marcellus Clay Jr.)【プロボクサー/アメリカ合衆国】

1960年のローマオリンピックのボクシング・ライトヘビー級で金メダルを獲得しプロデビュー。プロデビュー後にネーション・オブ・イスラムの信者であることを公表しモハメド・アリに改名。1964年のWBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストン戦に6ラウンドTKO勝ちを収め世界王者に。試合前に「Float like a butterfly, sting like a bee(蝶のように舞い蜂のように刺す)」という言葉を残したように、試合前の相手を挑発する派手なパフォーマンスや、KOラウンドを予告する等のメディア受けするスタイルでボクシングを超える爆発的な人気を獲得した。しかし当時アメリカ社会の一大事であったベトナム戦争への徴兵拒否を原因として1969年3月11日にWBC世界ヘビー級王座を剥奪された。その後訴訟で無罪を勝ち取り1971年にボクシングに復帰、1974年10月30日に当時のヘビー級王者、ジョージ・フォアマンに圧倒的不利という予想を覆し8ラウンドKO勝ちで収めるという”キンシャサの奇跡”で再び王者に。ボクシング史に今も残る伝説のチャンピオンとしての地位を確立した。日本では1972年に来日しアントニオ猪木との異種格闘技戦を戦ったことでも知られる。引退後はパーキンソン病に苛まれながらもたびたび公に姿を現わし、1996年のアトランタオリンピックの開会式の最終聖火ランナーとして点火したところは世界中の感動を呼んだ。敗血症ショックで74歳没。

2017年
【テロ】「2017年6月ロンドンテロ事件」

2017年6月3日、イギリスでイスラム過激派がワゴン車を暴走させロンドン橋の歩行者を轢き殺した後、バラ市場へ向かい市民を無差別に刃物で刺傷したテロ事件。このテロにより8人が死亡、48人が負傷した。実行犯はロンドン在住のイスラム過激派ユセフ・ザグバ(当時22歳)、クラム・バット(当時27歳)、ラシード・レドゥアン(当時30歳)の3人で警察により全員射殺されている。