ジュール・パスキン作『リュシー・クローグの肖像』

1930年6月5日は、1920年代のパリ・モンパルナスで華やかな活動をした画家、ジュール・パスキンが自殺した日である。
ブルガリア出身のパスキンであったが、ウィーン、ミュンヘンで学び、その後は第一次大戦を避けてアメリカに渡り市民となるなど、世界を股にかけて活躍した。
アメリカ生活の後にフランスに渡り、独特の柔らかい画風で瞬く間に人気画家となったが、都会での派手な生活の一方で、アルコール依存症と鬱病に苛まれていた。
自堕落な生活の中で、自らの友人の画家、ペル・クローグの妻であるリュシーと10年来の不倫関係となったが、その長きにわたる堕落生活のあまり別れることになった。
その直後の1930年6月5日、自宅の浴槽で手首を切り裂いた後に首を吊って自殺。
ドアには自らの血で遺書が書き殴ってあり、「ADIEU LUCY(さようなら、リュシー)」と書かれていたとされる。
そして、パスキンの遺産は血でしたためられた彼の意向に沿って妻とリューシーとで分けられた。
突発的な芸術家の急死とはほど遠い、周到な最後であったともいえるだろう。

(画像はWikipedia Jules Pascinより)

6月5日の不幸

1017年
【死去】三条天皇【天皇】

一条天皇の後を受け1011年に即位した第67代天皇。視力を失ったことが原因で藤原道長らに退位を迫られ在位5年にも満たず退位し、その翌年に死亡した。没年41歳。

1910年
【死去】オー・ヘンリー(O. Henry)【小説家/アメリカ合衆国】

『最後の一葉』の作者として知られる中・短編作品の名手。1896年に以前の勤め先であるオハイオ銀行の預金を横領した疑いで起訴され、1898年に有罪判決が下った。懲役8年であったが、模範囚として3年で釈放され、服役期間に出版活動を開始し、釈放後に小説家として活躍するようになった。過度の飲酒癖を原因とした肝硬変で47歳没。

1930年
【自殺】ジュール・パスキン(Jules Pascin)【画家/ブルガリア・アメリカ合衆国】

1920年代のパリ・モンパルナスで華やかな活動をした画家。「パスキン」は、本名の「Julius Mordecai Pincas」のアナグラム。派手な生活の一方でアルコール依存症と鬱病に苛まれ、友人の画家、ペル・クローグの妻のリュシーと不倫関係となったが、堕落した生活のあまり別れることに。その直後の1930年6月5日、自宅の浴槽で手首を切り、さらに首を吊って自殺。ドアには自らの血で「ADIEU LUCY(さようなら、リュシー)」と書かれていたとされる。

1940年
【死去】徳川家達【武士・政治家】

幕末から昭和初期にかけての人物で徳川宗家第16代当主として知られる人物。徳川家・御三卿のひとつ田安家当主・徳川慶頼の三男として生まれる。「大政奉還」「王政復古」から江戸開城を経て、1868年に新政府から徳川宗家相続を許可される。同年、駿府藩主となった後、従三位左近衛権中将に任命される。1869年、静岡藩知事となり、駿府府中を静岡と改名。1871年、廃藩置県により免職となり上京。1877年からイギリスに留学し1882年に帰国。1884年、華族令公布により公爵となる。1890年に帝国議会が開設し貴族院議員へ。以降、貴族院議長(1903年〜1933年)、大日本蹴球協会名誉会長(1921年)ワシントン軍縮会議全権(1922年)、第6代日本赤十字社社長(1929年)、第12回オリンピック東京大会組織委員会委員長(1936年)などを務める。1940年6月5日に死去。没年76歳。死後、大勲位菊花大綬章を受章。

1943年
【社会事件】【第二次世界大戦】「連合艦隊司令長官・山本五十六国葬」

1943年6月5日、 日比谷公園で連合艦隊司令長官・山本五十六の国葬が行なわれた。戦前において皇族、華族ではない人物が国葬をされたのは史上初。

1945年
【第二次世界大戦】「神戸大空襲(日本本土空襲)」

1945年6月5日、アメリカ軍が神戸市および近隣地域を焼夷弾で無差別爆撃。この攻撃による死者はおよそ7,500人、負傷者は1万7,000人とされ、神戸市東部・武庫郡が焦土化し、神戸市全土が壊滅。

1946年
【死去】モード・ワトソン(Maud Watson)【テニスプレーヤー/イギリス】

19世紀後半から20世紀にかけて活躍したイギリスのテニスプレーヤーでウィンブルドン選手権女子シングルス部門初代優勝者として知られる人物。1880年にエジバストのローンテニスクラブで初優勝。1884年の第一回、翌年の第二回「ウィンブルドン選手権」ともに女子シングルス部門で優勝。1889年、エジバストでのトーナメントに参加後は引退生活へ。「第一次世界大戦」中は看護婦として勤務し、1946年6月5日に死去。没年81歳。モード・ワトソンが着用した白のテニスウェア以降、ウィンブルドンでの試合のユニホームは白色が義務化されている。

1949年
【火災事件】「国宝・松前城炎上」

1949年6月5日、北海道・松前町にある国宝の松前城が、松前町役場から出火した飛び火により天守と本丸御門東塀を焼失。その後、焼失部分は1961年に再建されている。

1960年
【未解決事件】【大量殺人】「ボドム湖殺人事件」

フィンランドのボドム湖を訪れていた男女4人組の10代の若者が早朝にナイフで襲われ3名が死亡、他の1人も骨折などの重傷を負った事件。事件から12年後にその遺書で自白した人物や、KGB諜報員という容疑者も浮かんだが、警察はそれらを全て否定。事件発生から45年が経過した2004年に唯一の生還者であった当時18歳のニルス・ウィルヘルム・グスタファソンが友人を殺害した容疑で逮捕され、検察による再捜査の末にボドム湖の事件の犯人とされたが、自身の怪我の具合から判断して全ての容疑が取り消された。

1968年
【暗殺事件】「ロバート・ケネディ暗殺事件」

大統領選に出馬表明直後のロバート・ケネディ上院議員が、ロサンゼルスのミッドウィルシャーのアンバサダーホテル内のエンバシー・ルームで、演説中に銃撃される。被弾したのは3発で、数センチの至近距離から撃たれた弾丸が脳内に、残りは右腋下から腰、もう1発は首の裏でに命中した。すぐさま手術が行なわれたものの翌日死亡。犯人はヨルダン国籍のアラブ人キリスト教徒、サーハン・サーハンであった。

1983年
【水上事故】「アレクサンドル・スヴォーロフ号衝突事故」

ヴォルガ川、ドン川を運行するソ連の大型客船、アレクサンドル・スヴォーロフ号が、400人近くを乗せた1983年6月5日の運行で、ウリヤノフスク鉄道橋に衝突し、177人が死亡する大惨事となった。原因は操舵室にいたウラジミール・ミテンコフとウヴァーロフによる技術的ミスといわれている。なお、休憩中であった船長のクレイメノフは適切な事件後の処理ができなかったとして懲役10年の罪に。なお現在もアレクサンドル・スヴォーロフ号はロシアで運用されている。

1987年
【死去】高橋新吉【詩人・小説家】

20世紀に活躍した詩人、小説家でダダイストとして知られる人物。高校を中退後放浪生活を送り、1920年に日刊新聞『萬朝報』へ短編小説『焔をかゝぐ』が入選し小説家デビュー。1922年に「今から俺はダダを全世界に宣伝するのだ」と発言しタクシー運転手をステッキで殴り逮捕される(「発狂事件」)。1923年、詩集『ダダイスト新吉の詩』を発表。1928年から禅に傾倒、独自表現を開拓し“ダダの新吉”と呼ばれることに。以降、『ダダと禅』(1971年)、『禅と美学』(1979年)など禅の研究本を刊行。晩年も作家として活動を続け、1987年6月5日に死去。没年86歳。

2003年
【死去】吾郷清彦【超古代文献研究家・古神道研究家・技術士】

明治から平成にかけての超古代文献研究家および古神道研究家として知られる人物。電気技師の傍ら超古代史や古神道を研究し、定年退職後から本格的に研究へ専念。1972年、研究書である『古事記以前の書』を発表し“古史古伝”という単語を提唱した。2003年6月5日、死去。没年94歳。

2003年
【自然災害】「2003年パキスタン最高気温51℃記録」

2003年6月5日、パキスタンを最高気温51℃の熱波が襲い26人が死亡。

2004年
【死去】ロナルド・レーガン(Ronald Wilson Reagan)【俳優・政治家/アメリカ合衆国】

俳優から政治家に転身しカリフォルニア州知事、そして第40代アメリカ合衆国大統領にまで登り詰めた人物。暗殺未遂事件も乗り越えながら、2期にわたる在任期間で冷戦のへ和的解決などの功績を残した。晩年はアルツハイマー病にかかっていることを自ら告白したことでも話題を呼んだ。アルツハイマー病の合併症の肺炎で93歳没。

2006年
【経済事件】「村上ファンド代表・村上世彰逮捕」

2006年6月5日11時に記者会見を行ない、過失であったもののインサイダー取引の容疑を全面的に認めた村上ファンド代表・村上世彰が、同日17時頃に、東京地検特捜部によって逮捕された。一連の取引で不当に得た利益は30億円といわれ、過去最高額のインサイダー取引といわれている。

2017年
【社会問題】「2017年カタール外交危機」

2017年6月5日、サウジアラビアを中心としたイスラム圏の一部諸国がカタールに対し、サウジアラビアと対立するイランへの過度な接近、支援を理由に国交断絶措置を表明。このことに対しカタールのムハンマド外相は対抗姿勢を取っている。