『ナチス突撃隊に所属していた際のクルト・ヴァルトハイム(左写真左から2人目)と、その1971年撮影のポートレート』

1992年6月14日は、第6代オーストラリア大統領を務め、その大統領選挙中にナチス突撃隊の前歴が発覚したクルト・ヴァルトハイムが死亡した日である。
第二次大戦戦後、オーストリア外務省に入省しパリ駐在のオーストリア公使、カナダ駐在大使を経て、1964年には国連のオーストリア代表に就任。
さらには1972年に第4代国際連合事務総長までを歴任し、オーストラリアきっての国際派のエリートとして、1985年の大統領選に出馬したヴァルトハイム。
しかしその選挙期間中にジャーナリストのアルフレッド・ウォルムが週刊誌『Profil』上でヴァルトハイムの自伝に掲載された経歴に消された期間があることを追求し、結果的に世界ユダヤ人会議やアメリカ、イスラエル、フランス、イギリスなどの各国政府を巻き込んだ「ヴァルトハイム事件」なる反当選キャンペーンへと発展した。
しかしオーストラリア国民はその動きを内政干渉と反発し、ナチス突撃隊への所属は認めたものの、処刑行為には加わらなかったと主張したヴァルトハイムは、第6代オーストリア大統領に見事当選。
そしてその任期中は、反対した諸外国からは「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましくない人物)」とのレッテルを貼られ、大統領という立場にもかかわらずほぼ海外を訪問しないという不思議な状態に陥ったのだった。
しかもその「ペルソナ・ノン・グラータ」とは元々1961年にオーストリアで行なわれた「ウィーン会議」を基準とした「ウィーン条約」で規定されたものであったのである。
6年の任期を終えたヴァルトハイムは再選に出馬することもなく、静かに余生を送り2007年6月14日にウィーンの自宅で死亡した。
その葬儀には生前のヴァルトハイムの希望で、ほぼ全ての国家元首は招待されなかった。
例外的に、シリアと日本(大統領任期中に公式訪問した数少ない国のひとつ)だけがその墓を弔問しただけであるという。
一国の宰相から国連事務総長までを務めたにもかかわらず、極めて静かにこの世を去ったナチス出身の大統領。
その人生は、栄光と呼ぶにはあまりにも静かで暗い影を落とす最期となった。

(写真はWikipedia Kurt Josef Waldheimより使用。Public Domain)

6月14日の不幸

1583年
【自害】柴田勝家【武将】

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で「織田四天王」のひとりとして知られる人物。織田信長の父・織田信秀の家臣として仕え、1551年に信秀が死去すると、信長の弟・信行に仕える。1556年に「稲生の戦い」が勃発、信行側につき敗北するも信長に赦免される。翌1557年、信行の謀反を信長に密告、信行が殺害されると信長の家臣となる。以降、信長の家臣として「姉川の戦い」(1570年)、「比叡山焼き討ち」(1571年)、「一乗谷城の戦い」(1573年)、「長篠の戦い」(1575年)に参加。1582年に「本能寺の変」が起こり、信長が死去すると後継者問題で羽柴秀吉と対立。1583年6月14日、「賤ヶ岳の戦い」で秀吉に敗北、越前(現・福井県)の北ノ庄城内で信長の妹であり側室であったお市とともに自害。推定没年齡61歳。

1583年
【自殺】お市の方【戦国武将の妻】

織田信長の妹として浅井長政と政略結婚させられ人物。後に秀吉の側室となった茶々(淀殿)の母としても知られる。織田氏と浅井氏の対立により長政の死後織田家に出戻る。その後織田家重臣の柴田勝家の妻となったが、信長の死後、羽柴秀吉と対立した勝家が賤ヶ岳の戦いで敗れたために、勝家と共に越前北ノ庄城内で自害。没年36歳。辞世の句は「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ郭公かな」。

1897年
【死去】薩埵正邦【法学者・教育者】

19世紀の法学者および教育者で法政大学創立者のひとり。京都仏学校入学後、開成学校へ転任するため1875年に上京。上京後、太政官法制局少書記官・桜井能監らと仏国民法研究会に入会。1879年に内務省へ入省。1880年に法学者で師事していたギュスターヴ・エミール・ボアソナードの図らいで司法省へ入省し元老院民法編纂局を兼務。同年、東京法学社(現・法政大学)を開校させ、翌年に同学社の主幹へ就任。1885年、通信教育機関中央法学会設立、機関紙『中央法学会雑誌』創刊。1890年、 第三高等中学校(現・京都大学)に法学部を開設し法学部助教授へ就任。1892年、第三高等中学校壬辰会初代理事に就任。1894年、第三高等学校を開校し法学部教授に就任。在職中の1897年6月14日、病により死去。没年40歳。

1920年
【死去】マックス・ヴェーバー(Max Weber)【社会学者・経済学者/ドイツ】

社会学の第二世代にあたる第一人者として唯物論の反証に業績を残し、「社会理論」、「社会調査」の確立に貢献し、後生に多大な影響を与えた研究者。スペイン風邪による肺炎で56歳没。

1923年
【殺害】アレクサンドル・スタンボリスキー(Alexander Stoimenov Stamboliyski)【政治家/ブルガリア】

「第一次世界大戦」後にブルガリア首相(1919年〜1923年)となった人物。農学校を卒業後、1908年に農業組合の創立を目指し、ブルガリア農民人民同盟の指導者となる。同年、国会議員に選出される。1911年、大国会議員に選出される。1915年、政府批判により逮捕され終身刑となるも1918年にブルガリア軍による反乱「ブラダヤ蜂起」が起こり釈放される。同年、ブルガリア・ラドミルで共和制を宣言。1919年、連立政権へ入閣し、同年ブルガリア首相へ就任。1923年6月9日、右派および軍部によるクーデター(6月蜂起)が勃発、内部マケドニア革命組織によりスタンボリスキーは誘拐され、その後、同月14日拷問により、死去。没年44歳。

1926年
【死去】メアリー・カサット(Mary Stevenson Cassatt)【画家・版画家/アメリカ合衆国】

19世紀から20世紀にかけて活躍したアメリカの画家および版画家。従兄弟は画家のロバート・ヘンライ。1861年、画家を目指しペンシルベニア美術アカデミーで学ぶ。1866年、渡仏するも「普仏戦争」が起こり帰国。1871年、再びヨーロッパへ渡り、絵を独学で学ぶ。1872年、パリ・サロンへ出展するも酷評される。1874年、印象派の画家エドガー・ドガと出会い、1879年に印象派の展覧会へ出展。1891年、『髪飾り』などの連作版画を発表。以降、『子供の入浴』(1893年)など母と子をモチーフにした作品を発表し、ヨーロッパで画家としての地位を確立。1904年、レジオンドヌール勲章授与。1926年6月14日死去。没年82歳。

1927年
【奇妙な死】オッタビオ・ボテッキア(Ottavio Bottecchia)【自転車選手/イタリア】

1924年にイタリア人としてツール・ド・フランスに初の総合優勝を遂げた人物であり、翌年も総合優勝を収めたがその後は失速。1927年6月3日に自宅近くのオゾッポへ向かう道路で頭蓋骨骨折した状態で発見され病院に搬送されたが、事故原因を口にすることなく14日に死亡。没年32歳。社会主義者として知られていたためにファシストによって殺害されたとみられていたが、死後数十年して、その道に畑を持つ農民が、ブドウ畑から盗みをしているボテッキアに石を投げ頭に命中させたことを告白。

1946年
【死亡】ホルヘ・ウビコ(Jorge Ubico y Castañeda)【軍人・政治家/グアテマラ】

「第二次世界大戦」期にグアテマラ大統領(1931年〜1944年)となった軍人および政治家で“中米のナポレオン”と呼ばれた独裁者。政治家の家に生まれ、警察庁長官、軍事相を経て1926年に進歩党を結成。1931年、大統領に就任。就任後は極点な経済政策を執ったため、反発が起こるも1933年に反対派の共産党民100人を銃殺し鎮圧。1939年「第二次世界大戦」が勃発すると枢軸国側に宣戦布告、ドイツ人入植者を5,000人を弾圧。1944年、ウビコ打倒を目指した大規模な運動が起こり、アメリカへ亡命。1946年6月14日、亡命先で肺ガンにより死去。没年67歳。

1972年
【航空事故】「日本航空ニューデリー墜落事故」

日本航空の自主運行で最初の旅客死亡事故。羽田空港からロンドンへ向かう南回りヨーロッパ線、日本航空471便DC-8-53型が、経由地のインド・ニューデリーのパラム空港への着陸時に空港手前のジャムナ河畔に墜落。乗員乗客89人中の86人が死亡し、地上で作業していた工事作業員4人も死亡。事故原因は機長・副操縦士の経験が浅かったこと、さらには機長ら操縦スタッフが前日に徹夜で麻雀をしたこと等が挙げられたが、空港側のILS誘導電波の異常も事故機以外の証言から明らかになった。

1986年
【死亡】ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Francisco Isidoro Luis Borges Acevedo)【小説家/アルゼンチン】

1960年代のラテンアメリカ文学ブームの中心的作家であり、夢をモチーフとした幻想的な短編作品の数々とその手法”マジック・リアリズム”の使い手として知られる20世紀アルゼンチンを代表する小説家。代表作に『La biblioteca de Babel(バベルの図書館)』が収録された『伝奇集(Ficciones)』、『El Aleph(エル・アレフ)』等。晩年は1985年にスイスのジュネーブに移住し、翌年4月に助手であったマリア・コダマと再婚。そのほぼ2カ月後の6月に肝臓ガンで死亡した。

2003年
【社会事件】「八尾市ヤミ金心中事件」

2003年6月14日、大阪府八尾市在住の主婦(当時69歳)と夫で清掃作業員(当時61歳)、主婦の長兄(当時81歳)の3人が、西日本旅客鉄道(JR西日本)関西本線の踏切で、ヤミ金融による法外な利子と取り立てを苦に電車へ投身自殺した心中事件。残された遺書からヤミ金業者の捜査が行なわれ、従業員6人が逮捕されたが、店長の川畑将(当時25歳)は逃亡し、2011年6月22日に公訴時効が成立している。この事件により「ヤミ金融対策法」が制定され、翌年に施行された。

2007年
【死去】クルト・ヴァルトハイム(Kurt Josef Waldheim)【政治家・外交官/オーストリア】

第4代国際連合事務総長、第6代オーストラリア大統領を歴任し、その大統領選挙中にナチス突撃隊の前歴が発覚した人物。その選挙期間中にジャーナリストのアルフレッド・ウォルムが週刊誌『Profil』上でヴァルトハイムの自伝に掲載された経歴に消された期間があることを追求。結果的に世界ユダヤ人会議やアメリカ、イスラエル、フランス、イギリスなどの各国政府を巻き込んだ「ヴァルトハイム事件」なる反当選キャンペーンへと発展したが見事当選を果たした。6年の任期を終えた後は再選に出馬することもなく、静かに余生を送り2007年6月14日に心不全で88歳没。

2008年
【自然災害】「2008年岩手・宮城内陸地震」

2008年6月14日、岩手県内陸南部でマグニチュード7.2の地震が発生。岩手県奥州市および宮城県栗原市では最大震度6強を観測、死者17人、負傷者426人、行方不明6人が出ることとなった。

2009年
【死去】ボブ・ボーグル(Robert Lenard Bogle)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

本国アメリカとともに日本で絶大な人気を博した「ザ・ベンチャーズ」の結成時からのオリジナルメンバー、ベーシスト。私生活では1993年に日本人女性と結婚したことで知られていた。晩年は持病の腰痛の悪化でツアーからは引退しレコーディングのみ参加していたが、2009年6月14日、非ホジキンリンパ腫で死亡。没年75歳。

2016年
【死去】白川由美【女優】

晩年までテレビドラマでの姑役で活躍した女優。1964年に俳優の二谷英明と結婚し、その人生を通じ芸能界きってのおしどり夫婦として人気を博した。2014年に引退後は郷ひろみと結婚したことでも話題になった娘の二谷友里恵宅に同居していたが、2016年6月14日に浴室で昏倒してるところを発見され心肺停止状態で病院に搬送されたが、心不全で急逝した。没年79歳。

2017年
【火災】「グレンフェル・タワー火災」

14日深夜12時過ぎにロンドン西部の公営住宅であるグレンフェル・タワーの4階部分から出火。イギリスでは第二次世界大戦後最悪という79人が死亡したと発表されたが、実際には120人以上が死亡したともいわれている(世界各国の住人が住んでいたためにすべての歯形を取り寄せることが困難なため)。6月23日に警察によりアメリカの大手家電メーカー、ワールプール社製の冷蔵庫が火元であったと公表された。