「唐十郎著『佐川君からの手紙』の表紙」

1981年6月15日は、当時パリに留学していた日本人留学生、佐川一政が、オランダ人女性のレニー・ハートベルを殺害し、その死体を食べ、屍姦した罪でパリ警察に逮捕された日である。
この事件が明るみに出る前にも、日本で同種の目的のためにドイツ人女性を襲ったこともあるという佐川は、6月11日にハートベルを呼び出し銃殺。そのまま人肉食や屍姦等の極めてアブノーマルな性癖に基づく凶行を犯した。
このニュースは全世界的に衝撃を与えたが、何よりも不幸なことに、佐川はフランス警察により心神喪失状態にあったとして罪に問われず、日本へと送り返されたのである。それは、日本で精神科に強制入院と検査を行なった結果、責任能力を保有していると申し出ても、フランス側の無罪は変わらなかった。
そしてこのあと、世にも残酷な事件を犯した佐川は、一躍マスメディアで取り上げられる“不思議な有名人”として生きてゆく。
そのきっかけとなったのが、俳優・劇作家の唐十郎との往復書簡を元に書籍化した『佐川君からの手紙』(1983年/河出書房新社)であり、同書は第88回の芥川賞を受賞したほどであった。
以降、各種メディアに登場した佐川は、自らの死体食愛好癖をはばかることなく公言し、自らも各雑誌メディアで連載を開始、『まんがサガワさん』(2000年/オークラ出版)等の著書を大量に出版したほか、挙げ句の果てにはアダルトビデオや、事件自体を再現した映画『喰べたい。』(1994年/監督・山地昇)等にまで出演を続けた。
異常性犯罪者を取り巻く環境は、フランス警察の特殊な判断により、犯罪者がその犯行をネタとして商売をするという、世界的にも稀に見る不条理のまっただ中にあった。
現在は病床で晩年を送っている佐川だが、その人生のスポットライトが犯罪を犯した後に待っていたのは、果たして、幸せだったといえるのだろうか。

(画像は唐十郎著『佐川君からの手紙』1983年/河出書房新社)

6月15日の不幸

1938年
【自殺】エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner)【画家/ドイツ】

デフォルメと鮮やかなコントラストの画風で20世紀前半のベルリンで活躍した画家。第一次大戦で兵役に就いたが、生来の体の弱さから除隊になり、帰国後は療養に務めたが肺結核も患い衰弱していった。その後ナチス・ドイツが政権を握り、『退廃芸術展』に作品が32点も選ばれたことに絶望しダボス・フラウエンキルヒの自宅で拳銃自殺。没年58歳。

1938年
【自殺】川上眉山【小説家】

『大盃』『うらおもて』等の代表作で明治時代に人気を博した小説家。1908年6月15日未明にカミソリで喉を切って自殺。没年40歳。

1960年
【事故死】樺美智子【学生・活動家】

1957年に東京大学文科二類に入学した学生であり、同年11月に日本共産党に加入し1960年の安保闘争などに身を投じた新左翼運動家。1960年6月15日に行なわれた新安保条約批准阻止のための第2次実力行使デモで、全学連の7,000人のうちの一人として衆議院南通用門から国会議事堂に突入し、警官隊との衝突で死亡した。没年22歳。学生側は機動隊の暴力によって殺されたと主張したが、警察は転倒による圧死と発表。国を揺るがした安保闘争にあっても"東大女学生の死"は日本社会に大きな影響を及ぼした。

1981年
【猟奇殺人】【怪事件】「パリ人肉事件」

当時パリに留学していた日本人留学生、佐川一政が、オランダ人女性のレニー・ハートベルを殺害し、その死体を食べ、屍姦した罪でパリ警察に逮捕された。6月11日にハートベルを呼び出し銃殺した佐川は、そのまま人肉食や屍姦等の極めてアブノーマルな性癖に基づく凶行を犯したが、死体を持ったまま外出したところを発見され逮捕された。後日、フランス警察により心神喪失状態にあったとして罪に問われず、日本へと送り返された。

1993年
【急死】ジェームス・ハント(James Simon Wallis Hunt)【レーシングドライバー/イギリス】

マクラーレン在籍時の1976年に年間総合優勝を果たしたF1レーサー。熾烈なライバル関係にあったニキ・ラウダのストイックな姿勢とは好対照に、奔放な私生活のプレイボーイとして名を馳せたが、ラウダとは同居していた時期があるほど仲のよい友人でもあった。まだ全盛期と思われた32歳で現役を引退し、引退後はBBCのF1解説者として活躍、歯に衣を着せぬ語り口で現役当時と変わらぬ人気を誇った。私生活では2度の結婚と離婚を繰り返し、18歳年下の元ウェイトレス、ヘレン・ダイソンに電話で3度目のプロポーズをした翌朝に心臓発作で急死した。没年45歳。

1996年
【死去】エラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald)【歌手/アメリカ合衆国】

20世紀のアメリカを代表する不世出の女性ジャズシンガー。グラミー賞を13回受賞したことや、ジョージ・W・ブッシュ大統領からは大統領自由勲章を受賞したことでも知られている。『Cry Me A River』『Summertime』等数多くのスタンダードナンバーを歌い上げ、長きにわたり活躍した。私生活では2度の結婚と離婚を経験し、結婚詐欺未遂に遭うなど、恵まれたとはいえない生活を送った。晩年は糖尿病を患い、その合併症で失明し、1993年には両脚を切断するまでに至った。1996年6月15日に死亡。没年79歳。

1996年
【死去】ディック・マードック(Dick Murdoch)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

テキサス出身でファンク道場を経てデビューを果たしたプロレスラー。ラフファイトも辞さないタフなファイトスタイルで、ダスティ・ローデスとのタッグチーム「テキサス・アウトローズ」で人気を博し、アメリカのみならず日本マットでも長きにわたり活躍をみせた。得意技は垂直落下式ブレーンバスター、カーフ・ブランディングなど。最晩年まで現役として活動を続けていたが、心臓麻痺で急死した。49歳没。

2002年
【死去】室田日出男【俳優】

川谷拓三や志賀勝ら東映所属の大部屋俳優で結成した"ピラニア軍団"のリーダー的存在として知られた性格俳優。若かりし頃には暴行事件や覚醒剤不法所持などで謹慎することもあったが、そのアクの強い個性的な存在感を活かし、多くのテレビ・映画で印象的な出演を重ねた。肺ガンのため64歳没。ちなみにその告別式で弔辞を読み上げたのは室田が出演する予定であったがクランクイン直前の暴行事件で出演できなかった1961年の映画『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』の監督、深作欣二であった。

2012年
【死去】伊藤エミ【歌手】

双子の妹である伊藤ユミと結成した「ザ・ピーナッツ」で国民的人気を博した歌手。『恋のバカンス』『恋のフーガ』『情熱の花』『モスラの歌』等の大ヒット曲で一世を風靡し、クレイジーキャッツやドリフターズ、タイガース等とともに渡辺プロ黄金期を牽引した。1975年4月に芸能界を引退し、私生活では同じプロダクション所属の沢田研二と結婚したことでも知られ、結婚式直後の沢田の「比叡山フリーコンサート」で結婚報告を行なった(1987年に離婚)。その後公の場に姿を現わすことはなかったが、2012年6月15日にガンで死亡したということが、同月27日に報道で明らかになった。71歳没。

2014年
【死去】ダニエル・キイス(Daniel Keyes)【小説家・教育者/アメリカ合衆国】

SF小説『アルジャーノンに花束を』ノンフィクション小説『24人のビリー・ミリガン』等、幅広いジャンルでの世界的ヒット小説で知られる小説家。心理学、英米文学の修士号を持ち、オハイオ大学で教授、名誉教授を務めたことでも知られている。肺炎の合併症で86歳没。