『夫婦惨殺事件の舞台となったマサチューセッツのボーデン家』

1893年6月20日は、全米の話題となっていた両親殺し事件で殺人容疑のかかっていた娘、リジー・ボーデンの無罪が確定した日である。
1892年8月4日に米マサチューセッツ州フォールリバーの名士として知られたアンドリュー・ボーデン夫婦が何者かによって斧で惨殺されるというショッキングな事件が発生。
その容疑者として逮捕されたのが、事件当時使用人とともに家にいたという次女のリジーであった。
リジーはアンドリューの前妻サラとの娘であったが、サラの死後にアンドリューと結婚した継母アビーとは父の財産相続の件で対立しており、その犯行が疑われることとなった。
この地元の名士であるボーデン家の殺人事件は、頭部が斧の打撃でで粉々に変形していたこともあり、全米を揺るがすスキャンダルとなったが、民衆の期待をよそに、結果的にはリジーの無罪が確定。
しかしこのスキャンダルは長年にわたり大衆文化の題材として使用され、バレエ『Fall River Regend』(1948年)やオペラ『Lizzie Borden』(1965年)映画『The Legend of Lizzie Borden』(1975年)等のヒット作となり、子供たちの間では縄跳びの歌になるほどであった。
近年にも2014年に『Lizzie Borden Took an Ax』というテレビ映画がクリスティーナ・リッチ主演で制作された。
実際にはその冤罪が疑わしいという部分も含め、100年以上にわたりアメリカ国民を惹きつけて止まない事件なのである。

(画像はWikipedia Lizzie Bordenより。Public Domain)

6月20日の不幸

1549年
【自然災害】「デラ台風」

鹿児島県鹿児島市に上陸し九州を縦断した最大風速38メートルの「デラ台風(国際名Della)」の影響で、死者252人、行方不明者216人、負傷者367人。「梅雨期に台風は来ない」という言い伝えのために油断していたということもあり、甚大な被害が発生した。

1810年
【暗殺】ハンス・アクセル・フォン・フェルセン(Hans Axel von Fersen)【貴族/スウェーデン】

当時のスウェーデン王グスタフ3世の寵臣であり、フランス王妃、マリー・アントワネットの愛人として知られたスウェーデンの貴族。生涯誰とも結婚することなく、マリー・アントワネットひとりにその愛を貫いていたと言われている。帰国するも、フランス革命勃発時に再びパリへ向かい、1791年6月20日早朝にマリー・アントワネットとその夫、フランス国王ルイ16世を亡命させる『ヴァレンヌ事件』の主謀者となるがが失敗。帰国後国政に参加するものの、1810年6月20日にカール・アウグスト王太子の葬儀を任された際に民衆により撲殺された。没年54歳。ちょうど『ヴァレンヌ事件』から20年後の悲劇であった。民衆との関係悪化が原因であったとされ、周囲にも見殺しにされたといわれている。

1862年
【暗殺】【社会事件】「ルーマニア首相ラスカル・カタルジュ暗殺」

1862年6月20日、ルーマニア初の首相ラスカル・カタルジュが国会での会議を終えた後射殺された事件。未だ犯人は不明。

1869年
【戦死】【夭折】土方歳三【志士・幕臣】

新選組副長。新撰組局長であった近藤勇の右腕としてその武勇を轟かせ、数々の暗殺を成し遂げた土方は、新撰組内に厳格な起立を徹底し敵味方ともに震え上がらせた。戊辰戦争のさなかに函館五稜郭で狙撃されて死亡。没年34歳。

1894年
【自然災害】「明治東京地震」

1894年6月20日、東京湾北部を震源としたマグニチュード7.0の地震が発生。この地震による死者は31人、負傷者は157人となっている。同地震は南関東直下地震のひとつとされ、東京から横浜にかけて被害が集中した。

1913年
【死去】松本重太郎【実業家】

明治時代の実業家で関西経済界の重鎮として知られた人物。京都の庄屋の家に生まれ、1854年に呉服商「菱屋勘七」へ丁稚奉公に入る。1868年に独立し亀蔵から重太郎へ改名。1877年「西南戦争」が勃発すると軍用羅紗を買占め、洋反物商としての地位を関西で築く。1878年、旧徳島藩士・小室信夫などと組み第百三十銀行を設立。1880年、頭取へ就任。1898年、国立銀行が満期解散となり、普通銀行へ転換し百三十銀行となる。同年、西陣銀行、大阪興業銀行、百三十六銀行などと合併し、阪銀行集会所委員長へ就任。その後、百三十銀行は経営破綻、安田財閥傘下となり、重太郎は実業界を引退。隠居後は大工が提供した住居で暮らし、1913年6月20日にガンで死去。没年69歳。

1952年
【競技中事故】ルイジ・ファジオーリ(Luigi Cristiano Fagioli)【レーシングドライバー/イタリア】

20世紀に活躍したイタリアのF1ドライバー。1925年からヒルクライムやボアチュレットなどに参戦し、1931年にマセラティからグランプリデビュー。1932年、ローマグランプリ優勝。1933年にアルファロメオへ移籍、翌年にはメルセデスへ移籍しスペイングランプリで優勝。1936年、アウトウニオンへ移籍するもリウマチを発症。その後、1950年にF1世界選手権が開始するとアルファロメオ・ワークスチームのドライバーとして参戦。1951年、フランスグランプリのみ参戦しF1歴代最年長で優勝。1952年5月31日、モナコグランプリ練習走行中に事故を起こし意識不明の重体へ。回復の兆しがみえるも、同年6月20日に急変しそのまま死去。没年54歳。生涯のF1成績は出走7回・優勝1回(フランスグランプリ)となっている。

1958年
【死去】クルト・アルダー(Kurt Alder)【化学者/ドイツ】

20世紀ドイツの科学者でノーベル化学賞受賞者として知られる人物。1922年、ベルリン大学で化学を学び、その後キール大学へ入学。1926年に博士号を取得、1936年に講師となり合成ゴムの研究を行なう。1940年、ケルン大学の実験化学・化学技術教授および化学研究所所長へ就任。以後、有機化学の研究を行ない、1950年に師である化学者オットー・ディールスとともに「ディールス・アルダー反応」でノーベル化学賞を受賞。1958年6月20日に死去。没年55歳。

1959年
【死去】芦田均【外交官・政治家】

外交官から転じて政治家となり、第47代内閣総理大臣を務めた他、厚生大臣、外務大臣、副総理等を歴任した人物。現職衆議院議員のまま、悪性肉腫により71歳没。

1968年
【大学紛争】「東京大学9学部一斉ストライキ(東大紛争)」

1968年6月20日、東京都文京区・東京大学で起こった大学紛争に対し警察が導入され逮捕者がでたため、これに抗議した同大学法学部を除く9学部が、安保闘争時以来初めて一斉に終日ストライキを行なった。

1987年
【死去】嵯峨浩【華族・皇族/日本・満州国】

満州国皇帝の愛新覚羅溥儀の弟・溥傑(ふけつ)の妻として知られる大正時代から昭和にかけての人物。1914年に侯爵・嵯峨家(公家華族)の長女として生まれ、1937年に溥傑と婚約。同年、結婚し満州国へ移住。「第二次世界大戦」終了後は中国の八路軍により拘束され、1946年に釈放される。同年、再び同国の国民党軍に拘束され上海へ。その後、日本陸軍軍人・田中徹雄の助けで、1947年に日本へ帰国。帰国後の1957年に長女・慧生(えいせい)が大久保武道とピストル自殺(「天城山心中」)。1960年、溥傑が釈放されると北京へ居住。1987年6月20日、北京で死去。没年73歳。

1997年
【死去】ジョン・アキ=ブア(John Akii-Bua)【陸上競技選手・指導者/ウガンダ】

1972年のミュンヘンオリンピックの男子400メートルハードルに出場し、完全なダークホースながら決勝にまで辿り着き、1レーンから、当時世界新記録となる47秒82を叩き出し、見事金メダルを獲得したウガンダ初のオリンピック金メダリスト。その功績により、時のウガンダ共和国大統領であった“人食い大統領”ことイディ・アミンは彼に家を与え、国家の英雄として喧伝したが、北部ランゴ族というその出自のために1977年に開始した異部族狩りの対照として見なされ、突如として投獄、そして拷問にまであったとされている。その状態から逃げ出すために家族とケニヤの難民キャンプに身を隠したアキ=ブアは、ドイツのスポーツメーカーであるプーマ社に助けられ、ドイツに渡り同社で働きながら選手生活を続行。その間にアミン大統領は失脚したために、無事ウガンダに帰国したアキ=ブアは、同国で指導者となった。1997年6月20日に死亡。その死は国民挙げての国葬で偲ばれた。

2003年
【猟奇殺人】「福岡一家4人殺害事件」

福岡市東区に住む松本真二郎とその妻、子供2人の一家4人が殺害された事件。博多湾に手錠をかけられて沈められた遺体が発見された。中国人留学生の3人による犯行で、強盗目的と言われているが、現場から持ち去られた現金は4万円ほどということもあり、その他の犯行動機が憶測を呼んでいる。犯行グループの2名は中国帰国後に逮捕(楊寧は2005年に死刑執行。王亮は遼寧省遼陽市人民検察院により無期懲役)。 日本で逮捕起訴された魏巍は死刑判決が確定し服役中。

2004年
【死去】早坂茂三【政治評論家・政治秘書】

田中角栄の政務秘書を23年間務め、田中の掲げた『日本列島改造論」の名付け親として知られる人物。1985年に田中が脳梗塞で倒れると娘の眞紀子とその治療方針を巡って対立し、罷免された。その後は政治評論家に転身し、以降、多くの著書を残した。肺ガンで73歳没。

2005年
【死去】ジャック・キルビー(Jack St. Clair Kilby)【電子技術者・教育者/アメリカ合衆国】

テキサス・インスツルメンツ社勤務時代にIC(集積回路)を発明した電子技術者。電卓やサーマルプリンターの発明者としても知られており、2000年にはIC発明の功績によりノーベル物理学賞を受賞した。ガンにより81歳没。

2007年
【死去】谷伍平【政治家】

鉄道省へ入省、日本国有鉄道門司鉄道管理局長、東海道新幹線支社長などを経て、1967年に北九州市長選挙に立候補し当選。以後、20年にわたり同市長を務め、2007年6月20日に急性肺炎により死去。没年90歳。

2015年
【急死】貴ノ浪貞博【大相撲力士・指導者】

元大関貴ノ浪、引退後は音羽山親方。現役時代は若・貴兄弟全盛という藤島部屋黄金期にあって、196センチという日本人離れした長身を活かして大関にまで登り詰めた。幕内最高優勝2回。2006年1月末に心房細動、敗血症、重症肺炎を併発し緊急入院。一時は心停止するほどの危機を迎えたが見事復活。しかし2014年から胃ガンを患い、2015年6月20日に出張先の大阪のホテルで死亡していた。死因は急性心不全。没年43歳。

2016年
【死去】佐々木行【歌手】

ロシア歌謡『ともしび』や『雪山讃歌』『山男の歌』等、数々のヒット曲を連発した男性歌唱グループ「ダークダックス」のメンバーで、主にメロディーを担当。1997年末に一過性脳虚血発作で倒れ、その後は鬱病を発症。さらに、脳梗塞の後遺症が残ったために以降は療養に努めていたが、同メンバーの喜早哲が2016年3月26日に死亡したことに続くように、同年6月20日に心不全で84歳没。