『映画『Lip Stick』に出演中のマーゴ・ヘミングウェイ』

1996年7月1日は女優・モデルであり、世界的な文豪であるアーネスト・ヘミングウェイの孫でもあるマーゴ・ヘミングウェイが薬物過剰摂取により自殺した日である。
モデル、女優として成功を手にしていたマーゴであったが、私生活では二度の離婚とアルコール依存症、双極性障害に苛まれた激しい人生にあった人物として知られ、その最期もバルビツール酸系の抗てんかん薬フェノバルビタールの過剰摂取で自殺を遂げた。
ちなみに、アメリカを代表するノーベル文学賞作家、アーネスト・ヘミングウェイは二度の飛行機事故で心身ともに崩れ、晩年には鬱病から電気ショック療法を試すなどしながら、最期には散弾銃で自殺を遂げた。
そして、アーネストの父、クラレンス(医師)も自殺をしており、アーネストの弟で作家のレスターも自殺、妹のウルスラ(教授)も、父、兄の選択をなぞるように自殺を選び、その生涯を終えている。そして孫娘であるマーゴに至っては、祖父アーネストの命日からちょうど35年後の全く同じ7月1日に向けたかのようなタイミングでの死に方を選んでいるのである。
元来、自殺とは孤独なものである。
心中という形で行なわれるものもあるが、往々にして自殺とはごく個人的な行動である。
しかし、不思議なことに、家族、近親者に自殺が集中する事例は、ヘミングウェイ一家をはじめ、世界でも枚挙にいとまがない。
科学的に明白な立証がなされているわけでもないが、“自殺の家系”は、明確に存在するのである。

(写真はWikipedia Margaux Hemingway より。Public Domain)

7月1日の不幸

1784年
【死去】ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(Wilhelm Friedemann Bach)【作曲家/神聖ローマ帝国】

18世紀神聖ローマ帝国で活躍した即興演奏や対位法で知られる作曲家でヨハン・ゼバスティアン・バッハの長男として知られる人物。1733年にドレスデン聖ソフィア教会のオルガニストに就任。同年、『Concerto a duoi cembali concertati(2台のチェンバロのための協奏曲)』を作曲。1746年にハレ聖母教会のオルガニストへ就任。1750年に父・バッハが死去すると生活が困難となり以後、公職に就けず放浪の日々を送り1784年7月1日に死去。没年73歳。

1839年
【死去】マフムト2世(Mahmud II)【皇族/オスマン帝国】

19世紀初頭のオスマン帝国で第30代皇帝(1808年〜1839年)となった人物。1785年に第27代皇帝アブデュルハミト1世の子として生まれ、1808年に皇帝に即位。即位後は軍隊の近代化、中央集権化を進め、地方有力者アーヤーンの鎮圧やオスマン帝国常備歩兵軍団イェニチェリの廃止を行なう。1821年に「ギリシャ独立戦争」が勃発。大敗後ギリシャが独立、アルジェリアがフランス領へ。1826年、イェニチェリ廃止と同時に新式軍隊ムハンマド常勝軍を設立、1829年に服制に洋装を取り入れる。1831年「第一次エジプト・トルコ戦争」勃発、オスマン帝国属州エジプトの支配者ムハンマド・アリーへのシリア総督職を授与することに。1839年「第二次エジプト・トルコ戦争」勃発、戦争中の同年7月1日に結核により死去。没年53歳。

1860年
【死去】チャールズ・グッドイヤー(Charles Goodyear)【発明家/アメリカ合衆国】

19世紀アメリカの発明家でゴムの加硫法を発見したことで知られる人物。世界的タイヤメーカーであるグッドイヤー社は彼の名にちなんでつけられたが経営には関係ない。1816年に機械学を学び、実家のボタン製造業を手伝う。1821年にフィラディルフィアで鍛冶店を開業するも破産。借金返済のため、1831年からゴムの研究に取り組みゴム製品の生産を開始するも1837年に恐慌のため再び破産。その後も研究を続け、1839年にゴムの加硫法を発見、1844年に加硫ゴムの特許を取得。1855年にレジオンドヌール勲章を授賞。1860年7月1日に20万ドルの借金を残して死去。没年59歳。

1911年
【戦争】【軍事事件】「アガディール事件」

1911年7月1日、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコ政府に介入していたフランス軍に対し、モロッコ・アガディールへ軍艦を派遣し威圧した事件。別名「第2次モロッコ事件」とも呼ばれる。その後、ドイツはモロッコにおけるフランスの権益を認め、その代わりフランス領であったコンゴの一部を獲得。翌年にフランスはモロッコを保護国化している。

1916年
【第一次世界大戦】「ソンムの戦い」

1916年7月1日、フランス・ソンムで行なわれた連合国側であるイギリス軍・フランス軍と同盟国側であるドイツ軍との戦い。軽機関銃や戦車が初登場した戦いとして知られ、イギリス軍は初日に大戦中としては最大のおよそ2万人の死者、4万人の負傷者を出すこととなった。戦いは同11月19日まで続き、最終的に両軍合わせ100万人以上の損害となった。

1944年
【死去】【夭逝】ターニャ・サヴィチェワ(Tatyana Nikolayevna Savicheva)【市民/ロシア】

「第二次世界大戦」の「レニングラード包囲戦」中に記した『ターニャの日記』の著書として知られる少女。1941年「独ソ戦」が勃発、塹壕を掘りなどを手伝うことに。1942年にレニングラードから救出され、その後、入院するも1944年7月1日に結核により死去。没年14歳。

1946年
【核実験】「エイブル実験(クロスロード作戦)」

アメリカがマーシャル諸島・ビキニ環礁で1946年7月1日に原子爆弾を戦艦ネバダに投下する「エイブル実験」を実施。アメリカが行なった一連の核実験の1つで、トリニティ実験、広島、長崎に続く史上4回目の核爆発として知られている。

1962年
【自殺】エドガー・ド・ラルミナ(Edgard de Larminat)【軍人/フランス】

「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」に従軍したフランスの陸軍軍人で自由フランス軍に初参加した軍人のひとりとして知られる人物。「第一次大戦」に従軍し1915年に「ヴェルダンの戦い」に参加。1919年にモロッコ、インドシナ半島などで植民地軍歩兵隊として従事。「第二次世界大戦」が起こると中佐に就任、中東に駐留。1940年にフランスが降伏すると、シリアのダマスカスに監禁されたが脱出・逃亡し自由フランス軍に参加。「第二次世界大戦」後は植民地軍監察官や自由フランス初代協会会長を務める。1956年に退役、その後、1961年にアルジェリアの植民地軍の反乱の軍法会議議長に任命されるも法廷前の1962年7月1日に自殺。没年66歳。

1974年
【死去】フアン・ペロン(Juan Domingo Perón)【軍人・政治家/アルゼンチン】

20世紀アルゼンチンの軍人および政治家で第29代・第41代大統領(1946年〜1955年・1973年〜1974年)となった人物。妻は世界初の女性大統領となったイサベル・ペロン。1913年に士官学校を卒業、アルゼンチン陸軍少尉、大尉を経て1930年に陸軍学校軍事史の教授へ就任。「第二次世界大戦」が勃発するとイタリア駐在武官となり、ベニート・ムッソリーニのファシズムに影響を受ける。帰国後、秘密結社GOU(統一将校団)を結成。1943年に陸軍次官、国家労働局次長に就任。その後、労働福祉庁初代長官に就任。1944年、陸軍大臣兼副大統領に就任、この頃よりペロンの思想は「ペロニスモ」支持者は「ペロニスタ」と呼ばれることに。1946年に大統領へ就任。就任後は独裁政権を執り反対派を弾圧。1955年に軍事クーデターが起こり失職、スペインへ亡命。1973年に帰国し同年再び大統領へ就任するも翌1974年7月1日、心臓発作により死去。没年78歳。

1991年
【死去】マイケル・ランドン(Michael Landon)【映画監督・俳優・脚本家/アメリカ合衆国】

世界中で繰り返し放送されたドラマ『大草原の小さな家』の大黒柱、チャールズ・インガルス役で知られる俳優。そのキャラクターそのままの家庭的な人柄で親しまれた。1991年に膵臓ガンと発表、自然療法で治療したが、その年のうちに死亡した。没年54歳。

1996年
【自殺】マーゴ・ヘミングウェイ(Margaux Louise Hemingway)【女優・モデル/アメリカ合衆国】

世界的な文豪であるアーネスト・ヘミングウェイの孫である女優・モデル。日本では「アヲハタ・マーマレード」「ポカリスエット」等のCMで活躍した。生来双極性障害を患い、アルコール中毒症でもあり、2度の離婚を経験するなど激しい人生を送っていたが、祖父アーネストがショットガン自殺した7月2日の前日に、薬物過剰摂取により自殺。没年42歳。

1998年
【死去】豊登道春【プロレスラー】幕内力士出身のプロレスラー。日本プロレスに入団後活躍したが、エース力道山の死後、ジャイアント馬場とのエース争奪戦に敗れ退団、東京プロレスを旗揚げし、アントニオ猪木を引き抜く。東京プロレス消滅後は国際プロレス、新日本プロレスで活躍した。桁外れのギャンブラー、大食漢として知られ、失踪などの奇行も絶えなかった。また数多くのプロレスラーの名付け親としても知られ、代表的なものにアントニオ猪木、上田馬之助、、山本小鉄、星野勘太郎等がある。晩年は糖尿病に苦しみ、急性心不全で67歳没。
2002年
【航空事故】「ユーバーリンゲン空中衝突事故」

2002年7月1日、ロシア発スペイン・バルセロナ行きの旅客機バシキール航空2937便(Tu-154M)とバーレーン発ベルギー・ブリュッセル行きの貨物機DHL611便(ボーイング757-23APF)が、ドイツ・バーリンゲン上空で衝突した事故。この事故により両機に搭乗していた乗員乗客合わせて71人全員が死亡した。事故原因は管制を担当していたスカイガイド社の人為的ミスとチューリヒ航空管制センターのシステムの不具合などが原因であった。

2003年
【死去】ニカウ(Nǃxau)【俳優/ナミビア】アフリカのカラハリ砂漠に住む先住民族サン族の村にコーラ瓶が空から降ってきたことを巡るコメディ映画「ミラクル・ワールド ブッシュマン」シリーズの主演俳優。”ブッシュマン”、”ニカウさん”の愛称で日本でも人気者となった。2003年に薪を拾いに出かけた先で死亡しているところを家族により発見された。死因は結核だったとされている。没年58歳(推定)。
2003年
【猟奇殺人事件】【少年犯罪】「長崎男児誘拐殺人事件」長崎市内の家電量販店のゲームコーナーで遊んでいた4歳児を、加害者の14歳の少年が誘拐。長崎市万才町の築町パーキングビル屋上に連行し、幼児を裸にして殴打、暴行。さらに、ハサミで男性器を数箇所切り刻んだ。すると泣き叫ぶ幼児にパニックを起こし、屋上から約20メートル下の通路に突き落として死亡させた。加害者は少年期に友人から男性器を蹴られたことで、男性器に異常な執着を持っていたとされ、そこに端を発した異常性欲行動を事件前にも数多く露呈していたという。
2004年
【死去】マーロン・ブランド【俳優】

『欲望という名の電車』『ラストタンゴ・イン・パリ』『ゴッドファーザー』等数々の大ヒット映画の出演で知られるアメリカを代表する俳優。一時期は“世界一ギャラの高い俳優”として知られていた。少年期から素行の悪さで有名で、俳優となっても台詞は覚えない、共演女優に手を出すといった問題が絶えなかったが、その一方で人種差別問題に積極的に取り組む一面もあった。心不全、呼吸不全で80歳没。

2006年
【死去】橋本龍太郎【政治家】厚生大臣、運輸大臣、大蔵大臣(3期)、通商産業大臣、副総理等の要職を歴任し、第82代、83代内閣総理大臣を務めた政治家。首相在任中は、ロシア大統領のエリツィンとは公私ともによい関係を結んでいた。また、甘いマスクと、常にオールバックに撫でつけた髪型で女性人気を博した政治家でもあった。政界引退後の68歳で、敗血症性ショックによる多臓器不全で死去。腸管虚血なる珍しい死因であったために、死後、病理解剖が為された。
2016年
【テロ】「ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件」

2016年7月1日、バングラデシュ首都ダッカの飲食店にISILと目される武装集団7人が襲撃・人質をとり立てこもったテロ事件。翌日犯人たちは犯人たちは指導者カーレド・サイフッラーの解放などを要求しイスラム教徒の女性のみを解放。その後、救出作戦が決行されバングラデシュ系日本人モハメド・サイフラ・オザキなどを含む犯人6人を射殺したが、邦人7人を含む外国人の人質20人が死亡、警察官2人が死亡した。

2017年
【死亡】上田利治【プロ野球選手・監督・評論家】

阪急ブレーブス(オリックス・ブレーブス)と日本ハムファイターズの監督として20年の任期で通算1,322勝を上げたプロ野球史上に残る名将。1959年に広島カープに捕手として入団するも、肩の負傷もあり1961年に現役引退。翌年から日本プロ野球史上最年少の25歳で広島カープの二軍コーチに就任し、1971年からは阪急ブレーブスのヘッドコーチに就任。その後の1974年に名将・西本幸雄の後任として37歳で監督に就任。翌年1975年から4年連続のリーグ優勝と3年連続日本一という同球団最初の黄金期を築き上げた。なお、4年連続日本一を賭けて臨んだ1978年のスワローズとの日本シリーズ第7戦の6回裏に、相手チームの大杉勝男が放ったレフトポール際の本塁打を不服とし、前代未聞の1時間19分もの抗議を敢行。そのまま試合には負けたが、上田の勝負師としての顔を物語る事件として球史に語り継がれた。オリックス時代から15年も務めたブレーブスの監督を離れると、1995年からは日本ハムファイターズの監督に就任、”ビッグバン打線”と呼ばれる強力打線を擁しリーグ2位を2度記録するなど、長らく低迷していた同チームを強豪に引き上げたが、1999年シーズンに家族の統一教会入信がスキャンダルとなり、その責任をとって辞任。翌年から評論家として活動を始め、2003年に野球殿堂入り。2017年7月1日に肺炎で80歳没。