『映画『Lip Stick』に出演中のマーゴ・ヘミングウェイ』

1996年7月1日は女優・モデルであり、世界的な文豪であるアーネスト・ヘミングウェイの孫でもあるマーゴ・ヘミングウェイが薬物過剰摂取により自殺した日である。それは、祖父アーネストがショットガン自殺をした7月2日の前日だった。
モデル、女優として成功を手にしていたマーゴであったが、私生活では二度の離婚とアルコール依存症、双極性障害に苛まれた激しい人生にあった人物として知られ、その最期もバルビツール酸系の抗てんかん薬フェノバルビタールの過剰摂取で自殺を遂げた。
ちなみに、アメリカを代表するノーベル文学賞作家、アーネスト・ヘミングウェイは二度の飛行機事故で心身ともに崩れ、晩年には鬱病から電気ショック療法を試すなどしながら、最期には散弾銃で自殺を遂げた。そして、アーネストの父、クラレンス(医師)も自殺をしており、アーネストの弟で作家のレスターも自殺、妹のウルスラ(教授)も、父、兄の選択をなぞるように自殺を選び、その生涯を終えている。そして孫娘であるマーゴに至っては、祖父アーネストの命日からちょうど35年後の全く同じ7月1日に向けたかのようなタイミングでの死に方を選んでいるのである。
元来、自殺とは孤独なものである。心中という形で行なわれるものもあるが、往々にして自殺とはごく個人的な行動である。しかし、不思議なことに、家族、近親者に自殺が集中する事例は、ヘミングウェイ一家をはじめ、世界でも枚挙にいとまがない。科学的に明白な立証がなされているわけでもないが、“自殺の家系”は、明確に存在するのである。

(写真はWikipedia Margaux Hemingway より。Public Domain)

7月1日の不幸

1991年
【死去】マイケル・ランドン(Michael Landon)【映画監督・俳優・脚本家/アメリカ合衆国】

世界中で繰り返し放送されたドラマ『大草原の小さな家』の大黒柱、チャールズ・インガルス役で知られる俳優。そのキャラクターそのままの家庭的な人柄で親しまれた。1991年に膵臓ガンと発表、自然療法で治療したが、その年のうちに死亡した。没年54歳。

1996年
【自殺】マーゴ・ヘミングウェイ(Margaux Louise Hemingway)【女優・モデル/アメリカ合衆国】

世界的な文豪であるアーネスト・ヘミングウェイの孫である女優・モデル。日本では「アヲハタ・マーマレード」「ポカリスエット」等のCMで活躍した。生来双極性障害を患い、アルコール中毒症でもあり、2度の離婚を経験するなど激しい人生を送っていたが、祖父アーネストがショットガン自殺した7月2日の前日に、薬物過剰摂取により自殺。没年42歳。

1998年
【死去】豊登道春【プロレスラー】幕内力士出身のプロレスラー。日本プロレスに入団後活躍したが、エース力道山の死後、ジャイアント馬場とのエース争奪戦に敗れ退団、東京プロレスを旗揚げし、アントニオ猪木を引き抜く。東京プロレス消滅後は国際プロレス、新日本プロレスで活躍した。桁外れのギャンブラー、大食漢として知られ、失踪などの奇行も絶えなかった。また数多くのプロレスラーの名付け親としても知られ、代表的なものにアントニオ猪木、上田馬之助、、山本小鉄、星野勘太郎等がある。晩年は糖尿病に苦しみ、急性心不全で67歳没。
2003年
【猟奇殺人事件】【少年犯罪】「長崎男児誘拐殺人事件」長崎市内の家電量販店のゲームコーナーで遊んでいた4歳児を、加害者の14歳の少年が誘拐。長崎市万才町の築町パーキングビル屋上に連行し、幼児を裸にして殴打、暴行。さらに、ハサミで男性器を数箇所切り刻んだ。すると泣き叫ぶ幼児にパニックを起こし、屋上から約20メートル下の通路に突き落として死亡させた。加害者は少年期に友人から男性器を蹴られたことで、男性器に異常な執着を持っていたとされ、そこに端を発した異常性欲行動を事件前にも数多く露呈していたという。
2003年
【死去】ニカウ(Nǃxau)【俳優/ナミビア】アフリカのカラハリ砂漠に住む先住民族サン族の村にコーラ瓶が空から降ってきたことを巡るコメディ映画「ミラクル・ワールド ブッシュマン」シリーズの主演俳優。"ブッシュマン"、"ニカウさん"の愛称で日本でも人気者となった。2003年に薪を拾いに出かけた先で死亡しているところを家族により発見された。死因は結核だったとされている。没年58歳(推定)。
2004年
【死去】マーロン・ブランド【俳優】『欲望という名の電車』『ラストタンゴ・イン・パリ』『ゴッドファーザー』等数々の大ヒット映画の出演で知られるアメリカを代表する俳優。一時期は世界一ギャラの高い俳優として知られていた。少年期から素行の悪さで有名で、俳優となっても台詞は覚えない、競演女優に手を出すといった問題が絶えなかったが、その一方で人種差別問題に積極的に取り組む一面もあった。心不全、呼吸不全で80歳没。
2006年
【死去】橋本龍太郎【政治家】厚生大臣、運輸大臣、大蔵大臣(3期)、通商産業大臣、副総理等の要職を歴任し、第82代、83代内閣総理大臣を務めた政治家。首相在任中は、ロシア大統領のエリツィンとは公私ともによい関係を結んでいた。また、甘いマスクと、常にオールバックに撫でつけた髪型で女性人気を博した政治家でもあった。政界引退後の68歳で、敗血症性ショックによる多臓器不全で死去。腸管虚血なる珍しい死因であったために、死後、病理解剖が為された。
2017年
【死亡】上田利治【プロ野球選手・監督・評論家】

阪急ブレーブス(オリックス・ブレーブス)と日本ハムファイターズの監督として20年の任期で通算1,322勝を上げたプロ野球史上に残る名将。1959年に広島カープに捕手として入団するも、肩の負傷もあり1961年に現役引退。翌年から日本プロ野球史上最年少の25歳で広島カープの二軍コーチに就任し、1971年からは阪急ブレーブスのヘッドコーチに就任。その後の1974年に名将・西本幸雄の後任として37歳で監督に就任。翌年1975年から4年連続のリーグ優勝と3年連続日本一という同球団最初の黄金期を築き上げた。なお、4年連続日本一を賭けて臨んだ1978年のスワローズとの日本シリーズ第7戦の6回裏に、相手チームの大杉勝男が放ったレフトポール際の本塁打を不服とし、前代未聞の1時間19分もの抗議を敢行。そのまま試合には負けたが、上田の勝負師としての顔を物語る事件として球史に語り継がれた。オリックス時代から15年も務めたブレーブスの監督を離れると、1995年からは日本ハムファイターズの監督に就任、"ビッグバン打線"と呼ばれる強力打線を擁しリーグ2位を2度記録するなど、長らく低迷していた同チームを強豪に引き上げたが、1999年シーズンに家族の統一教会入信がスキャンダルとなり、その責任をとって辞任。翌年から評論家として活動を始め、2003年に野球殿堂入り。2017年7月1日に肺炎で80歳没。