『ジム・モリソンのポートレート』1959年撮影7月3日

1971年7月3日は世界的ロックバンド「ドアーズ」のボーカリスト、ジム・モリソンの死んだ日である。
薬物過剰摂取で死んだと言われているが、その没年齢27歳というのは当時のロックミュージシャン共通の死亡年齢と言われ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ブライアン・ジョーンズらとともに“27クラブ”のメンバーであるといわれている。
ちなみに、後年ではカート・コバーン、エイミー・ワインハウスが27歳で死んでいる。
そして、ジム・モリソンとブライアン・ジョーンズに至っては、同じ薬物過剰摂取という死因で同じ7月3日に死亡したという、“7月3日クラブ”とでもいえるような深い因縁が存在している。
7月3日は、同じ世界的ロック・ミュージシャンである両者が死亡した日として、記憶に止めておくべき日であろう。

(画像はWikipedia James Douglas "Jim" Morrisonより。Public Domain)

7月3日の不幸

1837年
【切腹】生田万【国学者】

江戸時代後期の国学者で「生田万の乱」を起こしたことで知られる人物。上野国館林藩士の家に生まれ、藩校で儒学を学ぶ。1825年に江戸で平田篤胤に入門し国学を学ぶ。その後、篤胤の二大高弟のひとりとして平田塾塾頭を務める。1828年に藩政改革を記した『岩にむす苔』を藩主に提出し追放処分を受けることに。1831年、父の死により帰国を許され上野国太田で私塾厚載館を開設。1836年に越後国柏崎に移住し桜園塾を開設。「天保の大飢饉」の中、1837年3月に「大塩平八郎の乱」が勃発。触発された生田は同年6月に“奉天命誅国賊”の旗を掲げ柏崎大久保陣屋を襲撃(生田万の乱)。襲撃は長岡藩の兵に鎮圧され失敗に終わり、同年7月3日、切腹して死去。没年37歳。

1844年
【絶滅】「オオウミガラス絶滅」

1844年6月3日、アイスランド・エルデイに生息していた残り2羽のオオウミガラスの夫婦が、剥製目当てでジグダー・イスレフソン、ヨン・ブランソン、ケティル・ケンティルソンの3人の男により殺され絶滅。

1916年
【死去】ヘティ・グリーン(Hetty Green)【実業家・投資家/アメリカ合衆国】

“ウォール街の魔女”と呼ばれた19世紀アメリカの実業家および投資家。捕鯨業を営み成功した資産家の家に生まれ、父親の下で事業を手伝い13歳で簿記係となる。両親の死後は財産を引き継ぎ「南北戦争」時にアメリカ国債、大陸横断鉄道などへ投資。その後、莫大な財産を築くこととなった。私生活は“世界一のケチ”としてギネスブックに公認されており、息子が骨折した際に治療費を惜しんだため息子が足を切断することになった、といったエピソードがある。1916年7月3日、遺産およそ1億ドルを残し脳卒中で死去。没年81歳。

1918年
【死去】メフメト5世(Mehmed V Reshad)【王族/オスマン帝国】

20世紀オスマン帝国の第35代皇帝(1909年〜1918年)となった人物。第31代皇帝アブデュルメジト1世の次男として生まれ、1908年の「ヤングターク革命(青年トルコ党革命)」により兄・アブデュルハミト2世が幽閉されたため、翌1909年に皇帝へ即位。国内での混乱が続く中、1911年に「伊土戦争」が勃発、北アフリカのトリポリ・キレナイカなどがイタリア軍に占領される。1912年にアルバニアで独立運動が起こり「第一次バルカン戦争」へと発展。オスマン軍は大敗しアルバニアが独立。続く1913年の「第2次バルカン戦争」ではバルカン半島のトラキア地方奪取に成功。「第一次世界大戦」が勃発、オスマン帝国によるアルメニア人虐殺が発生。1916年にイギリス軍を撃退したことで同盟国のドイツから元帥位を授与される。「第一次世界大戦」中の1918年7月3日、うっ血性心不全により死去。没年73歳。

1935年
【死去】アンドレ・シトロエン(André-Gustave Citroën)【実業家/フランス】

20世紀フランスの実業家で自動車会社「シトロエン」創業者として知られる人物。1900年にエコール・ポリテクニークを卒業し、1908年にモース自動車工業の会長に就任。「第一次世界大戦」中に兵器の大量生産を成功させ、自動車業界に参入。1919年にシトロエン自動車会社を開設。その後、フランス国内第1位、世界第4位の自動車メーカーとなるも1934年に経営破綻し経営から引退。翌1935年7月3日、胃ガンにより死去。没年57歳。

1969年
【宇宙事故】「N-1ロケット2号機打ち上げ失敗」

1969年7月3日、ソ連のバイコヌール宇宙基地で打ち上げられてたN-1ロケット2号機が打ち上げに失敗。原因は発射後に金属片がターボポンプに入りエンジンが停止したことによる。その後、ロケットは発射台に落下、ロケットの事故では最大級の爆発を起こすこととなった。

1969年
【自殺】ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)【ミュージシャン/イギリス】ミック・ジャガー、キース・リチャーズと共に後の世界最大級のロック・ンバンド「ローリング・ストーンズ」を結成し、ギタリストとリーダーを務めたミュージシャン。バンドの成功と共にドラッグに溺れてゆき、1969年6月に脱退。その直後の7月3日に自宅プールの底で沈んでいるところを発見された。アルコール、ドラッグの過剰摂取による自殺だった。享年27歳。
1970年
【航空事故】「ダン・エアフライト1903便墜落事故」

1970年7月3日、マンチェスターからバルセロナに向かっていたダン・エア・サービスのダン・エアフライト1903便(DH106コメット)がバルセロナ近郊に墜落。原因はパイロットによる高度のミスであった。この事故により乗員乗客合わせて112人全員が死亡。

1971年
【航空事故】「ばんだい号墜落事故」

1971年7月3日、函館空港へ着陸を行なっていた東亜国内航空(現・日本航空)63便「ばんだい号」(YS-11)が函館郊外の横津岳へ墜落。この事故により乗員乗客合わせて68人全員が死亡。事故原因はパイロットミスなど様々な説があるが未だ不明。

1971年
【自殺】【怪死】ジム・モリソン(”Jim” Morrison)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

大ヒット曲『Light My Fire』で知られるロック・バンド、ドアーズのボーカリスト。パリのアパートのバスタブで死んでいるところを発見された。警察発表は心臓発作。しかし、証言などから薬物過剰摂取が原因であるとみられている。没年27歳。

1981年
【社会事件】【エイズ】「エイズ発見」

1981年7月3日、ニューヨーク・タイムズが、同性愛者から原因不明のガンを発見と報道。同性愛者の男性のうち、カポジ肉腫といった特殊なガンを発症した41例を診断し診断後8人が2年以内に死亡していることを発表した。

1988年
【航空事故】「イラン航空655便撃墜事件」。アメリカ海軍のミサイル巡洋艦ヴィンセンスが、ホルムズ海峡でイラン航空のエアバスA300B2型機を攻撃態勢に入った軍用機と見なして撃墜。乗員乗客合わせて290名が死亡するという、世界有数の、中東では最大の航空事故となった。後にアメリカ政府は犠牲者の遺族に賠償金を支払った。
2006年
【列車事故】「バレンシア地下鉄脱線事故」

2006年7月3日、スペイン・バレンシアのバレンシア地下鉄で速度超過した列車が脱線しトンネルの内壁に激突。この事故により運転士と乗客を合わせた43人が死亡、47人が負傷した。

2006年
【引退】「中田英寿現役引退」

2006年7月3日、サッカー日本代表の中心選手として活躍した中田英寿がドイツワールドカップ後に自身のブログで現役引退を発表。

2007年
【自殺】【いじめ】「滝川高校いじめ自殺事件」高校3年生の男子生徒が5時間目の授業中に「トイレに行く」と言って教室を出てそのまま飛び降り自殺。同級生からのいじめ、金銭を要求されたことを苦にしての自殺だった。ポケットの中にはいじめていた数人の生徒の名前が書かれた遺書が入っていたが、桐山智夫校長は「仲間うちのふざけあいだと思っていた」と、学校側としてはいじめはなかったと断定。しかし2カ月後に最初の加害者が逮捕されるとその対応を一変させ、いじめの事実を認めた。
2013年
【クーデター】「2013年エジプトクーデター」

2013年7月3日、エジプトでムハンマド・ムルシー大統領に対しエジプト軍によるクーデターが発生。経済改革を達成できなかった国民の批判が高まったこと、またムルシーは軍の既得権益の問題に着手しようとしていたため軍がクーデターを起こしたとされている。クーデター発生後、ムルシーは解任・拘束されその後、裁判にかけられ再審中の2019年6月17日に死去。

2014年
【死去】春一番【芸人】アントニオ猪木のモノマネ芸で人気を博した芸人。元々は片岡鶴太郎の弟子としてそのキャリアをスタートしたが、生来の飲酒癖がたたって太田プロを解雇される。晩年も腎不全など体調を壊しながらも活動したが、肝硬変で死去。没年47歳。
2016年
【死去】吉良知彦【ミュージシャン】

1980年代から活躍したギタリストおよび作曲家でロック・ユニット「ZABADAK」のメンバーとして知られる人物。大学在学中からライブハウスなどの専属ギタリストとして活動しながら1984年に自主アルバム『AFTER THE MATTER』を発表。1985年に上野洋子らと「ZABADAK」を結成し翌1986年にデビュー。その後1993年からソロ活動を開始し舞台音楽や映画音楽など作曲。2011年、妻で作詞家の小峰公子とのユニットで活動開始。2016年「ZABADAK」結成30周年記念コンサート開催中に体調不良となり療養。同年7月3日に死去。没年56歳。