『1995年3月20日の「地下鉄サリン事件」に対応する救急隊員』

2018年7月6日は、オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫とその弟子である教団幹部6人の死刑執行が為された日である。
メディアを巻き込んでの殺人である1989年の「坂本堤弁護士一家殺害事件」を始め、「松本サリン事件」「駐車場経営者VX襲撃事件」等、数多くのテロと暗殺をしてきたとされる新興宗教、オウム真理教。
その一連の「オウム事件」の中でも最も特筆すべきものが、1995年3月20日に発生した世界初の大規模化学テロ「地下鉄サリン事件」である。通勤ラッシュの東京を狙って化学兵器サリンを散布するというその犯行は、死亡者13人、被害総数は6,000人以上を出す前代未聞の事件となった。
結果的にはこの事件をきっかけに、5月16日に同教団への強制捜査、幹部の一斉逮捕に繋がるのだが、拘留後の公判に於いて、主謀者の松本は一切の罪状を認めないどころか、弟子たちによる勝手な行動であったと言い切り、長きにわたる公判期間に於いて、精神鑑定を誘発するような奇行、そして沈黙等、裁判を長引かせる行為ばかりに終始した。
その結果、2003年10月31日に死刑が言い渡されるまでに257回の公判、年月にして7年10カ月もの時間を要した。
その後の控訴審と再審請求により再び長きにわたる公判が始まるが、2013年5月10日に再審を認めない決定が下され、その死刑は事実上の確定となった。
そして、2018年7月6日早朝、松本と一連のオウム事件の実行犯である、早川紀代秀、中川智正、井上嘉浩、新実智光、遠藤誠一、土谷正実の死刑は執行された。
新実を除く幹部たちはその罪と責任を認めていたが、その最上位にいた松本は、遂に自らの罪を認めることもなく、この世を去ることとなった。
こうして、世紀末の日本を象徴するようなカルト教団による大規模テロ事件は、当事者が真相を語ることなく終結を向かえるというまたひとつの《不幸》を重ねることとなった。

(写真はWikipedia Tokyo subway sarin attackより。Public Domain)

7月6日の不幸

1535年
【処刑】トマス・モア(Thomas More)【法律家・思想家/イングランド】

15世紀イングランドの法律家、思想家。代表的な著書には「ユートピア」という言葉の元となった政治風刺作『ユートピア』(1516年)がある。1494年にニュー法学院へ入学、1501年に弁護士の資格を得る。1515年からイングランド王ヘンリー8世に仕え、1529年には大法官へ就任。ヘンリー8世の離婚問題を巡り、熱心なカトリック教徒であるモアは離婚に反対、さらに1534年に国王至上法が成立すると、カトリック教徒の立場から反対したため、反逆罪に問われロンドン塔に幽閉。翌年の1535年7月6日、斬首刑により死去。没年57歳。処刑については「法の名の下に行なわれたイギリス史上最も暗黒なる犯罪」と言われ、死から400年後に列聖、その後、弁護士・政治家の守護聖人として信仰されるようになっている。

1893年
【死去】ギ・ド・モーパッサン(Henri René Albert Guy de Maupassant)【小説家・詩人・劇作家/フランス】

19世紀フランス自然主義を代表する小説家。代表作に小説『女の一生』等。先天性の梅毒により弱視であり、晩年はさらに病状が悪化、酷い不眠症もあり麻酔薬を乱用するなどして生活していたが、1891年頃に発狂。翌年には自殺未遂を起こしパリ16区パッシーにある精神病院に入院し、そのまま1893年に死亡。没年43歳。生涯独身であった。

1916年
【死去】オディロン・ルドン(Odilon Redon)【画家/フランス】

19世紀後半フランスの象徴主義を代表する画家のひとり。代表作には『Eye-Balloon(眼=気球)』(1878年)、『Les yeux clos(目を閉じて)』(1890年)などがある。幼少期から絵を描き始めるが、父親の意向により建築家となるべく、15歳で美術学校「エコール・デ・ボザール」を受験するが失敗。1864年にパリで画家ジャン=レオン・ジェロームの元へ入門するも数カ月で辞め、その後、同版画家ロドルフ・ブレダンや画家アンリ・ファンタン=ラトゥールの指導を受ける。1870年に独仏戦争に従軍後、1872年からパリに定住。1879年に石版画集『夢の中で』刊行。1886年に長男が幼くして死去したことにより失望感に苛まれていたが、1889年に次男の誕生により、晩年は色彩鮮やかな作品を制作した。1916年7月6日、第一世界大戦に招集された次男の行方を探すうち風邪をこじらせパリの自宅で死去。没年76歳。

1938年
【死去】御木徳一【宗教家】

ひとのみち教団(現・PL教団)の開祖として知られる人物。御嶽教徳光大教会教祖として知られる金田徳光の元で教師を務め、その死後解散した徳光大教会を再建。 その後、扶桑教人道徳光教会、扶桑教ひとのみち教団と改称し、1936年に息子の御木徳近に譲位。同年9月28日に教団の娘を強姦した容疑で警察に逮捕され、厳しい取り調べで衰弱し、保釈後の自宅療養中に死亡。没年67歳。死後の1944年に教団の不敬罪が確定するも、翌年マッカーサー司令部令により無罪となり教団は存続した。

1949年
【未解決事件】【事故死】下山定則【鉄道官僚・政治家】

東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し鉄道省に入省。第二次大戦後は名古屋鉄道局、東京鉄道局の局長を歴任し、1949年6月1日に日本国有鉄道(国鉄)が発足した際、その初代総裁に就任した。1949年7月1日に10万人の国鉄職員の解雇を決定、4日には組合側に第一次整理の30,700人を通告した直後の7月6日未明、東京都足立区の常磐線と東武伊勢崎線が交差する地域から轢死体となって発見された。没年47歳。他殺、自殺かは不明の未解決事件「下山事件」と呼ばれている。

1962年
【死去】ウィリアム・フォークナー(William Cuthbert Faulkner)【小説家/アメリカ合衆国】

20世紀に活躍したアメリカの小説家。ヘミングウェイと並び称される人物。代表作には長編小説『響きと怒り』『サンクチュアリ』などがある。1925年に作家・シャーウッド・アンダーソンと知り合い執筆活動を開始、翌年に初の長編小説『兵士の報酬』を出版。1929年に「ヨクナパトーファ・サーガ」と呼ばれる3部作の第1作目『サートリス』と代表作のひとつ『響きと怒り』を刊行。執筆活動を続けるもごく一部の評論家からの支持しか得られず、生活のために『THE BIG SLEEP(三つ数えろ)』(1946年)など、ハリウッド映画の脚本制作を手がける。1946年に評論家マルカム・カウリーに選出され、作家として注目を集めることに。その後、絶版となっていた作品が復刊され、1950年にノーベル文学賞を受賞するに至った。1962年7月6日、心筋梗塞により死去。没年64歳。

1971年
【急死】ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

"サッチモ"の愛称でも知られる20世紀を代表するジャズ・ミュージシャン。ジャズをポピュラーミュージックに昇華した最大の功労者であり、優れたトランぺッターでありながら不朽の代表曲『What a Wonderful World』のように、優れた歌手でもあった。睡眠中に心臓発作で死亡。没年69歳。

1979年
【死去】ヴァン・マッコイ(Van Allen Clinton McCoy)【音楽プロデューサー・作曲家/アメリカ合衆国】

1975年にインストゥルメンタルのアルバム『ディスコ・ベイビー』を発表し、同作からシングルカットされた『THE HUSTLE』が世界的に大ヒットし、ディスコ・ブームを巻き起こした音楽プロデューサー。その他にも日本の高校野球の応援歌として使用されている『African Symphony』の作曲者としても知られる。心臓発作で急死。39歳没。

1988年
【急死】東八郎【コメディアン】

東京・浅草のフランス座で活躍した昭和のコメディアン。小島三児、原田健二と共に結成した「トリオ・ザ・スカイライン」の活動でも知られる。テレビ『志村けんのバカ殿様』の家老役など他出演多数。次男にお笑いコンビTake2の東貴博がいる。自宅滞在時に脳溢血で急死。没年52歳。

2002年
【死去】ジョン・フランケンハイマー(John Frankenheimer)【映画監督/アメリカ合衆国】

第二次戦後に活躍したアメリカの映画監督。アメリカ空軍で映画班として記録映画を撮影、その後、1950年代からCBSでテレビドラマを監督し、1957年に映画界へ進出。社会的な作品やサスペンス作品への評価が高く、1962年の『Birdman of Alcatraz(終身犯)』や『The Manchurian Candidate(影なき狙撃者)』といった作品のほか、娯楽作品やアクション映画も得意とし、三船敏郎を起用したモータースポーツの映画『Grand Prix(グラン・プリ)』などがある。2002年7月6日、脊髄手術後の合併症により死去。没年72歳。

2004年
【死去】トーマス・クレスティル(Thomas Klestil)【政治家/オーストリア】

オーストリア共和国の第7代連邦大統領(任期1992年〜2004年)。1957年に商学博士号を取得した後、オーストリア政府に勤務。国連大使、駐米大使、オーストリア外務省事務長を経て、1992年にオーストリア国民党から大統領選挙に出馬し当選。同年から大統領に就任、1998年に再選。退任予定であった2004年7月8日を迎える3日前に心臓発作により入院、翌日の2004年7月6日に死去。没年71歳。

2005年
【死去】クロード・シモン(Claude Simon)【小説家/フランス】

1950年代フランスで流行った「ヌーヴォー・ロマン」と呼ばれる作風で知られる作家のひとり。代表作に『La Route des Flandres(フランドルへの道)』などがある。第二次世界大戦初期の1939年に招集され、捕虜となった後、1940年に脱走。その後、レジスタンス運動に加わり執筆活動を始める。1945年に処女作『ペテン師』を刊行。1956年に『Le Vent(風)』を出版し、以後、「ヌーヴォー・ロマン」の中心的人物となる。1960年に『La Route des Flandres(フランドルへの道)』を出版しエクスプレス賞を受賞。1985年にはノーベル文学賞受賞。2005年7月6日、老衰により死去。没年91歳。

2006年
【自殺】フアン・パブロ・レベージャ(Juan Pablo Rebella)【映画監督・脚本家/ウルグアイ】

2004年の代表作『ウィスキー』で東京国際映画祭グランプリ、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞等を受賞した映画監督。2006年に自宅アパートで拳銃自殺。没年32歳。

2007年
【自殺】美咲沙耶【AV女優】

2005年デビューのロリ系AV女優。7月6日未明に東京・代々木の自宅マンションで首吊自殺。没年21歳。自殺3日前「悩みすぎてて、blog更新する元気がなかったのよ。」とブログに投稿していたばかりであった。

2013年
【急死】金子勇【プログラマー・ソフトウェア開発者】

社会問題にまで発展したファイル共有ソフト「Winny」の開発者。2003年11月はWinny経由で著作物を送信した人物が逮捕され、2004年5月10日にはその開発者である金子自身も著作権法違反幇助の疑い逮捕。1度は有罪判決が下るも、控訴の後に逆転無罪に。しかし2013年に急性心筋梗塞のため急死。没年42歳(推定)。

2018年
【死刑】「オウム真理教幹部7人死刑」

2018年6月7日早朝に、オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫とその弟子である教団幹部6人の死刑が執行。この日死刑となったのは、教祖の松本と、1995年3月20日に発生した「地下鉄サリン事件」を始めとした一連の「オウム事件」に深く関与した実行犯の早川紀代秀、中川智正、井上嘉浩、新実智光、遠藤誠一、土谷正実であった。