『金日成のプロパガンダ用ポスター画』

1994年7月8日は、北朝鮮民主主義人民共和国の初代主席、金日成の死亡した日である。
満州での抗日パルチザン運動に参加した軍人から、ソ連のバックアップを力に朝鮮独立のリーダーに登り詰め、アメリカ、中国、ソ連を巻き込んだ韓国との朝鮮戦争の末に北朝鮮を建国した“偉大なる建国の父”。
生前、世襲制であるとは決して口外はしなかったが、その息子である2代目指導者の金正日、そして現在指導者を務める孫の金正恩まで、3代にわたる金家による独裁政治の礎を築いた。
国内体制の完備に成功した日成であったが、対諸外国となると、国として認められないまま長年を経過し、それは、息子の正日の代まで変わることはなかった。
しかし、2018年6月、正恩はアメリカのトランプ大統領との史上初となる「米朝会談」を実現した。
日成による建国以来、常に国際社会からは孤立の道を辿ってきた北朝鮮であるが、果たしてこの先、核兵器を後ろ盾としての国際社会との調和を実現してゆくのであろうか。

(画像はWikipedia 金日成より)

7月8日の不幸

1153年
【死去】エウゲニウス3世(Eugenius III)【ローマ教皇/イタリア】

12世紀イタリアでシトー会初の第167代ローマ教皇(1145年〜1153年)となった人物。カトリック教会に属するシトー会クレルヴォー修道院に入り神学者クレルヴォーのベルナルドゥスの下で学ぶ。その後シトー会修道院の院長を経て、1145年にシトー会初のローマ教皇へ就任。就任中は宗教改革者アルノルド・ダ・ブレシアの率いる反乱軍と教会側の反乱が続いていたため、ローマでは過ごさずイタリア各地を転々とすることに。1147年にフォントネー修道院を献堂、翌年にサンジミニャーノ教会を建設。同年に教皇勅書をフランス国王ルイ7世に送り十字軍を呼びかけるも失敗。1152年に教会と反乱軍が和平を結んだためローマへ帰還。1153年7月8日に死去。没年65歳。

1623年
【死去】グレゴリウス15世(Gregorius XV)【ローマ教皇/イタリア】

17世紀イタリアで第234代ローマ教皇(1621年〜1623年)となった人物。1593年からカトリック教会の最高裁判所に務め、1612年にボローニャ大司教に就任。1616年にサンタマリア教会の枢機卿へ。1621年にローマ教皇へ就任。就任後はフランシスコ・ザビエル、イグナチオ・デ・ロヨラなどを列聖。1623年7月8日に死去。没年69歳。

1864年
【暗殺】「池田屋事件」

1864年7月8日、京都三条木屋町の旅館「池田屋」に潜伏していた宮部鼎蔵、望月亀弥太らといった長州藩・土佐藩・熊本藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職の治安維持組織「新選組」の武士である近藤勇、沖田総司らが襲撃した事件。

1947年
【UFO】「ロズウェル事件」

1947年7月8日、アメリカ・ニューメキシコ州のロズウェル陸軍飛行場(RAAF)の報道官ウォルター・G・ハウト中尉が「第509爆撃航空群の職員がロズウェル付近の牧場で“空飛ぶ円盤”を回収した」と発表が数時間後に第8航空軍司令官ロジャー・M・レイミーが“空飛ぶ円盤”ではなく気象観測用気球であったと訂正。その後、1978年にUFO研究家スタントン・T・フリードマンが事件に関わったジェシー・マーセル少佐へインタビューを行ない、「軍は異星人の乗り物を極秘裏に回収した」と発表。再び「ロズウェル事件」が注目を集め様々な憶測が現在もなされることとなった。

1950年
【表現規制】「チャタレー事件」

警視庁がD・H・ローレンス作、伊藤整訳の『チャタレイ夫人の恋人』を露骨な性描写のある猥褻文書として6月26日に押収し7月8日に発売禁止処分に。その後翻訳者・伊藤整と、版元である小山書店社長小山久二郎が刑法第175条わいせつ物頒布罪で起訴され、有罪であるとして罰金刑に処された。

1957年
【政治事件】「砂川事件」

1957年7月8日、東京都北多摩郡砂川町でアメリカ軍の立川基地拡張に対し反対運動が勃発、デモ隊の一部が柵を破壊し基地内に侵入。侵入したデモ隊・土屋源太郎ら7人が日米安全保障条約第3条の行政協定に伴う刑事特別法違反として起訴された。事件は1961年に罰金2,000円の有罪の判決となった。

1963年
【脱獄】「ロナルド・ビッグズ脱獄」

1963年8月8日に起きた「大列車強盗」の犯人のひとりロナルド・ビッグズが1965年7月8日に服役中のイギリス・ロンドンのワンズワース刑務所を脱獄。その後、ビッグズはパリで顔を整形し同年オーストラリア・シドニーへ逃亡。2001年にイギリスへ帰国、逮捕・収監され2009年に釈放された。

1967年
【死去】ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh)【女優/イギリス】

1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役と1951年の映画『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ役で2度のアカデミー主演女優賞を受賞した20世紀を代表する大女優。晩年は双極性障害と慢性の結核に悩まされ、前者は女優としての仕事に支障を来すレベルにまで達し、精神不安定なまま公然と不倫をし始めるなど、業界内では知る人ぞ知るトラブル・メーカーでもあった。しかし女優としての才能は誰もが認めるところであり、晩年までごとをし続け、1967年5月舞台『デリケート・バランス』の稽古を開始したところで結核が再発。数週間の療養に入ったが同年7月7日の夜に寝室の床で死亡しているところを同居していた俳優のジョン・メリヴェールが発見。没年53歳。その現場には長きにわたり荒廃した結婚生活をともにし1960年に離婚した前夫の俳優・ローレンス・オリヴィエも駆けつけ、リーへの謝罪を繰り返していたという。

1967年
【国際事件】【政治事件】「東ベルリン事件」

1967年7月8日、東ドイツ駐留の北朝鮮大使館へ接触しスパイ活動を行なっていたとして、1958年から1967年にわたり主に西ドイツへと留学していた作曲家・尹伊桑といった芸術家、大学教授、留学生ら194人を韓国中央情報部(KCIA)が逮捕した事件。逮捕後、帰国した194人のうち107人は韓国当局により死刑や無期懲役などを宣告された。その後、国内外からの批判を受け強制帰国させられた韓国人を留学先などへ戻すことで事件は沈静化した。

1988年
【列車事故】「ペラモン鉄道事故」

1988年7月8日、南インド・ケーララ州のアッシュタミュディ湖に掛かるペラモン鉄橋でバンガロールからティルヴァナンタプラム・セントラルへ向かっていた急行列車が脱線、湖に転落した事故。この事故により乗客105人が死亡、およそ200人が負傷した。

1989年
【死去】荒垣秀雄【ジャーナリスト・コラムニスト】

昭和に活躍した新聞記者およびコラムニスト。大学卒業後、東京朝日新聞に入社し満州事変の従軍記者として活躍。1936年にイギリスのジョージ6世の戴冠式に特派される。1939年に同新聞社東京本社社会部長に就任。その後リオデジャネイロ支局長、マニラ総局長などを歴任。1945年に論説委員となり同新聞のコラム『天声人語』で執筆を開始。1956年に菊池寛賞受賞。退社後の1963年からコラムニストや自然保護活動を行ない、日本自然保護協会会長などを務め、1989年7月8日に死去。没年86歳。

1994年
【死去】金日成(Kim Il-sung)【政治家・活動家・軍人/北朝鮮】

満州にて抗日パルチザン運動の指揮官を務め、第二次世界大戦後はソ連のバックアップを受けて北朝鮮民主主義人民共和国を建国した初代国家主席。同国の社会主義化を推進し、政敵を葬ることで強固な独裁体制を完成させた。国家の理念として「主体思想」を考案した人物でもある。1994年7月8日午前2時に平安北道香山郡香山官邸で死亡したといわれるが、北朝鮮政府は平壌の錦繍山議事堂で死亡と公式発表したしたことになっている。死因は心筋梗塞。没年82歳。生前指名していたように、後継には実子の金正日が収まり、第二代の国家主席となった。

1998年
【連敗記録】「千葉ロッテマリーンズ18連敗」

プロ野球の千葉ロッテマリーズが、GS神戸で行なわれたオリックス・ブルーウェーブ戦に4対6で敗れ、日本プロ野球ワースト新記録の18連敗(途中1引き分け挟む)を記録。敗戦投手は薮田安彦。

2000年
【死去】トントン(童童/Tong Tong)【ジャイアントパンダ】

1986年に人工授精で父フェイフェイと母ホアンホアンの間に生まれ、上野動物園の人気者としてその生涯を送ったジャイアントパンダの雌。2000年7月8日にガンによる腹膜炎で死亡。没年14歳と1カ月。解剖の後に、剥製として国立科学博物館地球館3階でフェイフェイとともに展示された。

2007年
【夭折】村上恵梨【タレント】

2002年にサッポロビールキャンペーンガール、2004年からはユニチカマスコットガールを務めたグラビアアイドル。2006年頃から腹痛を自覚するも働き続け、2007年1月に盲腸ガンが発覚。摘出手術を受けたが、既に全身に転移しており、同年7月8日に死亡。没年25歳。

2007年
【夭折】【交通事故死】アレモン(Alemão)【サッカー選手/ブラジル】

2005年にJ2の京都パープルサンガに期限付き移籍し、同クラブをJ1昇格に牽引したフォワード。翌シーズンは不振となり、6月にJ2の横浜FCに期限付き移籍。翌2007年は母国のSEパルメイラスに移籍したが、父親の誕生日帰りに自ら運転中に交通事故死。没年23歳。

2008年
【閉店】「大阪名物くいだおれが閉店」

2008年7月8日、大阪府・道頓堀の老舗飲食店「大阪名物くいだおれ」が建物の老朽化などを理由に59年の歴史に幕を閉じた。閉店当日はマスコットキャラクターのくいだおれ太郎と弟のくいだおれ次郎が店頭に立った。

2012年
【死去】アーネスト・ボーグナイン(Ernest Borgnine)【軍人・俳優/アメリカ合衆国】

アメリカ海軍として「第二次世界大戦」に従軍し終戦後は演劇を学ぶ。1951年に『チャイナコルセア』で映画デビュー。1955年に『マーティ』でアカデミー主演男優賞受賞。『地上より永遠に』(1953年)『ワイルドパンチ』(1969年)などの粗暴な役柄で人気を博す。1972年に『ポセイドン・アドベンチャー』に出演。1980年代以降は『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』などテレビ番組で活躍。1962年『マクヘイルズネイビー』2009年『ER』などでエミー賞にノミネート。晩年まで俳優として活躍し2012年7月8日、腎不全で死去。没年95歳。

2014年
【スポーツ事件】「ミネイロンの悲劇」

2014年FIFAワールドカップ準決勝第1戦としてベロオリゾンテのミネイロン・スタジアムで行われた一戦で、開催国ブラジル代表チームが満場の自国サポーターの前でドイツ代表に1対7という記録的な惨敗を喫した。ブラジル初の母国開催となった1950年7月16日のFIFAワールドカップ決勝リーグでウルグアイに1対2で逆転負けを喫したことで優勝を逃し4人の死亡者を出した「マラカナンの悲劇(マラカナッソ)」にちなみ、「ミネイロッソ」と名付けられた。試合後のリオデジャネイロやサンパウロなどの大都市では家電量販店が襲われるなど多数の略奪・放火などの犯罪が発生した。