『甲斐智枝美のデビューシングル「スタア」のレコードジャケット』

2006年7月10日は、元アイドル歌手で女優としても活躍した甲斐智枝美が千葉県の自宅にて首吊り自殺をした日である。
1979年に当時の人気オーディション番組『スター誕生!』で第29代グランドチャンピオンを獲得し、翌1980年に『スタア』で歌手デビュー。同期デビューには、松田聖子、岩崎良美、河合奈保子、柏原芳恵、三原順子、田原俊彦らの錚々たる大物が並んだ世代であり、その中で甲斐はヒット曲には恵まれなかったものの、主役に起用されたドラマ『見上げればいつも青空』など、女優業で活躍を続けた。
1990年に堀越学園時代からの友人であった元「ザ・スクエア(現T-SQUARE)」のドラマー、長谷部徹と結婚し芸能界引退。二人の息子を出産し、幸せな家庭を築いていたとみられていた。
そんな中、二階の寝室で首吊り自殺をしている甲斐を発見したのは、起きてこない母親を心配した当時中学三年生の長男であっという。
一説には心不全などを患っていた体調を苦にしての自殺とも言われているが、その真相は不明である。
晩年も元所属事務所のホリプロは熱心に甲斐の復帰を呼びかけており、そのタレント性は引退後も高く評価されていたようだ。
果たして、死を決意したその瞬間にあったのは、ひとりの母としての苦悩であったのか、それとも、かつて望んだ「スタア」としての苦悩であったのだろうか——。

(写真は甲斐智枝美『スタア』のジャケット。1980年/発売・ビクター)

7月10日の不幸

1973年
【身代金誘拐事件】「ジョン・ポール・ゲティ三世誘拐事件」

当時世界一の富豪といわれたアメリカの石油王、ジャン・ゲティの息子、ジョン・ポール・ゲティ三世がローマのファルネーゼ広場で誘拐された。ジャンは当初、息子の狂言だと身代金の支払いを拒んだが、犯人から切断された息子の耳と毛髪が送られてきてからは態度を一変。世論に押され、身代金をギリギリまで値切った上で息子を救出した。ジャン・ゲティは5度の結婚の度に放浪、離婚を繰り返した奇人としても知られており、大富豪でありながら極度の吝嗇家としても知られていた。

1985年
【爆破事件】【テロ事件】「レインボー・ウォーリア号事件」

1985年7月10日、フランスの情報機関「DGSE」(対外治安総局)がフランスの核実験に抗議を行なっていたグリーンピースの活動船「レインボー・ウォーリア号」を爆破した事件。同船がニュージーランド・オークランド港へ入港している際に、DGSE直属のフランス海軍特殊部隊が船内に爆弾を仕掛け、数日後に船を爆破。この爆破により、グリーンピースのカメラマンであったニュージーランド人フェルナンド・ペレイラが死亡した。事件翌日、ニュージランド海軍のダイバーの調査により爆発がテロ工作であると断定され、フランスのエージェント2人が逮捕された。事件は国際問題に発展し、フランスではDGSE局長ピエール・ラコストが解任され、国防大臣シャルル・エルニュは辞任した。事件当初、ミッテラン政権下のフランス政府は関与を否定したが、国内からも反発の声が高まり、捕まったエージェント2人の身柄引き渡しをニュージーランドに要求するに至った。その後、オランダが仲介に入り、フランスがニュージーランドに対し1300万NZドルを支払いエージェントをフランス領の施設に3年間居住させることで取引が成立した。

1989年
【死去】メル・ブランク(Mel Blanc)【声優/アメリカ合衆国】

1940年に登場し、世界的な人気者となったユニバーサル・ピクチャーズの代表的なアニメーションキャラクター、ウッディー・ウッドペッカーの初代声優を務めた人物として知られるアメリカの人気声優。1948年にMel Blanc & The Sportsmen名義で発売した『The Woody Woodpecker Song』も大ヒットセールスを記録した。『原始家族フリントストーン』『ディック・トレイシー』『トムとジェリー』等の人気アニメでの出演だけでなく、数多くのラジオ出演でも成功した。1961年にハリウッドのサンセット大通りで交通事故を起こし、一時は昏睡状態となったことで一部のマスメディアで死亡報道が流れたが、3週間後に移籍的に意識が回復。仕事にも復帰した。心臓病で81歳没。

1993年
【死去】井伏鱒二【小説家】

早稲田大学文学部仏文学科中退後の1929年に代表作となる『山椒魚』を発表。1938年の『ジョン萬次郎漂流記』で第6回直木賞を受賞した小説家。唐代の詩人・于武陵の『勧酒』を《「サヨナラ」ダケガ人生ダ》と翻訳した人物としても知られている。また、1965年の作品『黒い雨』は後の1989年に今村昌平により同名作品で映画化された。最晩年まで著作を発表し続け、1993年に肺炎で95歳没。

2003年
【交通事故】【転落事故】「屯門公路2階建てバス転落事故」

2003年7月10日に香港で起きた2階建てバスの転落事故。香港新界荃灣区(ほんこんしんかいせんわんく)にある高速道路・屯門公路(とんもんこうろ)の高架橋をバスが通過しようとした際に、強引な車線変更を行なったバンを避けようと割り込んできたトレーラーの台車にバスが衝突。そのままガードレールを突破し、高さ35メートルの高架橋から転落した。この事故により運転手・乗客を含む40人のうち、20人が死亡、20人が負傷した。後の公判によりトラックの運転手に懲役5カ月が課された。

2006年
【死去】篠竹幹夫【アメリカンフットボール選手・監督】

日大アメリカンフットボールの元選手であり監督として黄金期を築いたことで知られる人物。独自の戦術に「ショットガン」「ドラゴンフライ」などがある。日大卒業後、コーチを経て、1959年に監督に就任。定年退職するまでの44年間、監督として活躍し2003年に後任の内田正人に監督を譲った。1990年頃から糖尿病や心臓疾患で入退院を繰り返し、2006年7月10日に死去。没年73歳。

2006年
【自殺】甲斐智枝美【歌手・女優】

1979年に当時の人気オーディション番組『スター誕生!』で第29代グランドチャンピオンを獲得し、翌1980年に『スタア』で歌手デビュー。同期デビューには、松田聖子、岩崎良美、河合奈保子、柏原芳恵、三原順子、田原俊彦らの錚々たる大物が並んだ世代であり、その中で甲斐はヒット曲には恵まれなかったものの、主役に起用されたドラマ『見上げればいつも青空』など、女優業で活躍を続けた。1990年に元「ザ・スクエア(現T-SQUARE)」のドラマー、長谷部徹と結婚し芸能界引退。二人の息子を出産し、幸せな家庭を築いていたとみられていたが、2006年7月10日に自宅二階の寝室で首吊り自殺。没年43歳。

2009年
【死去】青木廣彰(ロッキー青木)【実業家】

慶應義塾大学経済学部卒業後、在学時のレスリング遠征で訪れたアメリカに渡りニューヨーク市立大学シティカレッジ (CCNY)に入学。レストラン経営学を学び、鉄板焼きレストランチェーン「BENIHANA」を創業しアメリカで成功させたことで知られる人物。通称"ロッキー青木"。最初の妻である小林ちづるとの間に生まれた実子に世界的モデル・女優として成功を収めたデヴォン・青木がいる。肝臓ガンの合併症で69歳没。

2010年
【死去】つかこうへい【劇作家・演出家・小説家】

1974年の戯曲『熱海殺人事件』で岸田國士戯曲賞を当時最年少の25歳で受賞し、1970年〜1980年代にかけてのアングラ演劇ブームを牽引した人物。在日韓国人二世であり、ペンネームは「いつか公平に」の意味も込められていると語った。小説『蒲田行進曲』で1982年の第86回直木賞を受賞するなど、演劇の範疇に収まらない活躍をみせ、映画『二代目はクリスチャン』の原作・脚本、同じく映画化された小説『幕末純情伝』等、数多くの話題作をてがけた。2010年1月に自ら肺ガンを公表し、半年後の7月10に死亡した。没年62歳。

2015年
【死去】オマル・シャリーフ(Omar Sharif)【俳優/エジプト】

1950年代から活躍し、映画『アラビアのロレンス』(1962年)で人気を博したエジプトを代表する俳優。大学卒業後、イギリスへ留学し王立演劇アカデミーで演技を学ぶ。帰国後、『砂漠の悪魔』(1955年)でスクリーンデビュー、その後、『アラビアのロレンス』でアカデミー助演男優賞の候補となり国際俳優へ。1980年代から映画界から遠ざかっていたが、2003年に『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』(2003年)でセザール賞・最優秀男優賞を受賞、また、ヴェネツイア国際映画祭で栄誉金獅子賞を受賞した。2015年7月10日、心臓発作により死去。没年83歳。