『イバラとハチドリのネックレスを付けたフリーダ・カーロの自画像』1940年

1954年7月13日はメキシコを代表する画家、フリーダ・カーロが死亡した日である。
この作品は、夫である画家のディエゴ・リベラとの離婚、写真家のニコラス・ムライとの失恋をした時期に描かれたもので、イバラがその首筋に食い込み、死んだハチドリを身に付けていることからもわかるように、私生活での精神的荒廃がそのまま現われた痛々しいものであるといわれている。
このエピソードからもわかるように、フリーダ・カーロは自らの人生の体験を作品に投影し、夫の浮気、離婚、不妊体質等、当時の世界では、特に女性としては、“表現すること自体がタブー”とされるようなジャンルに踏み込んだ作品を数多く発表したアーティストなのである。
晩年は度重なる浮気で離婚したリベラと再婚し、その精神を安定させることに成功したというが、その時は既に、身体が悲鳴を上げていたのだろう。
右手は急性真菌性皮膚疾患なる病のために絵を描くこともままならず、右足も血行障害の後に切断している。
自殺への葛藤もあったようだが、最後まで生き抜いて死亡したフリーダ。
その作品は、『青の家』と呼ばれた終の棲家『フリーダ・カーロ記念館』(メキシコシティ)にて、現在も展示されている。

(画像はWikipedia Frida Kahloより)

7月13日の不幸

1954年
【死去】フリーダ・カーロ(Magdalena Carmen Frida Kahlo y Calderón)【画家/メキシコ】

メキシコを代表する女性画家。生涯にわたり自画像を描き続け、自らの人生の体験を作品に投影し、夫の浮気、離婚、不妊体質等、当時の世界では、特に女性としては表現することがタブーとされたジャンルに踏み込むような作品を数多く発表した。晩年は、急性真菌性皮膚疾患なる病のために右手に障害を持ち、絵を描くこともままならず、右足も血行障害の後に切断している。自殺への葛藤もあったようだが、最後まで生き抜いて死亡した彼女の作品は、『青の家』と呼ばれた終の棲家『フリーダ・カーロ記念館』で現在も展示されている。肺炎で47歳没。

1978年
【自殺】畠山麦【俳優】

早稲田大学中退後陸上自衛隊入隊を経て俳優に。『秘密戦隊ゴレンジャー』のキレンジャー役などの出演で知られ、その他にも『プレイガール』『大江戸捜査網』等数多くのテレビドラマで刑事役、犯人役で出演をした。ドラマ『特捜最前線』の撮影中であった1978年7月13日に自宅で首吊り自殺。没年34歳。

1980年
【死去】セレツェ・カーマ(Seretse Khama)【政治家・王族/ボツワナ】

英領ベチュアナランドに住むツワナ人の有力部族、ングワト族の第一王子として生まれ、南アフリカのフォート・ヘア大学、英オックスフォード大学で学び、ボツワナの独立運動の中心となった人物。独立後はボツワナ初代大統領に就任し、議会制民主主義による政治経済の発展に寄与した。晩年は糖尿病の悪化に苦しみ、1974年には心臓にペースメーカーを埋め込む手術も受けていた。1980年7月13日に膵ガンで59歳没。

1995年
【急逝】マッティ・ペロンパー(Matti Pellonpää)【俳優/フィンランド】ヘルシンキ出身のフィンランドを代表する俳優・ミュージシャン。長髪とヒゲ、そしてコミカルな演技で、アキ・カウリスマキ監督の映画作品には欠かせない存在の名優として知られる。代表作に『ラヴィド・ボエーム』『レニングラード・カウボーイズ』シリーズ等々。44歳で心臓発作のために急死。
1995年
【大量殺人】【ジェノサイド】「スレブレニツァの虐殺(Srebrenica massacre)」

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の中で発生したジェノサイド(組織的虐殺)。7月13日から22日にかけて、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァでスルプスカ共和国軍(セルビア人勢力)がおよそ8,000人のボシュニャク人(スラブ系ムスリム人)を順次殺害。事件後の2004年に、ハーグの「旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)」で行なわれた裁判において満場一致でジェノサイド認定をされた、第二次世界大戦以降の欧州最悪とされるジェノサイドである。

2002年
【死去】ユーサフ・カーシュ(Yousuf Karsh)【写真家/カナダ】トルコ出身のカナダ人写真家。『LIFE』誌の表紙を飾った英首相ウィンストン・チャーチルのポートレートを始め、ダリ、アインシュタイン、ヘミングウェイ等々当時の世界的超有名人らのモノクロームのポートレートを手がけた。手術後の合併症で死亡。93歳没。
2003年
【怪事件】【未解決事件】「プチエンジェル事件」

児童買春デートクラブ「プチエンジェル」の経営者・吉里弘太郎が2003年7月13日に渋谷で小学校6年生の少女4人を誘拐し、赤坂の事務所マンションに監禁した事件。16日に犯人が自殺し、17日に少女のひとりが脱出したことで被害者全員が保護された。しかし、犯人が自殺した動機が不明なことや、その方法、ビニール袋を被り練炭自殺という行為が理に適っていないために様々な疑惑が巻き起こったものの、売春の容疑についての捜査は早々に打ち切られた。一説によれば押収されたその2,000名ともいわれる膨大な顧客名簿に大量の著名人・要人の名があったからともいわれているが真相は不明。後の2003年9月12日にこの事件の真相を追っていたといわれるフリージャーナリストの柏原蔵書が怪死したことも疑惑を招く結果となった。

2013年
【夭折】【薬物過剰摂取】コリー・モンティス(Cory Allan Monteith)【俳優/カナダ】大ヒットドラマ『glee/グリー』のフィン役で知られる新進俳優。死亡した2013年の初め頃には薬物依存治療のために長期入院していたが、退院後3カ月で、アルコールとドラッグの過剰摂取で死亡。死体はバンクーバーのホテルで発見され、シャンパンのボトルと薬物反応のあるスプーン、注射器もそのその傍らで発見された。没年31歳。
2015年
【急死】渡辺英樹【ミュージシャン】

1985年のヒット曲『Romanticが止まらない』で知られるロックバンド「C-C-B」のベーシストであり、リーダーであったミュージシャン。1989年に同バンドを解散した後は、バンド「VoThM」を結成するなどして活動を続けたが、2015年7月17日に自身のオフィシャルブログ「COLORS」にて、渡辺が急性大動脈解離による多臓器不全で2015年7月13日18時5分に急死したことが発表された。没年55歳。

2017年
【獄中死】劉暁波(Liu Xiaobo/リウ・シャオポー)【教育者・人権活動家/中国】

北京師範大学卒業後、同校の教職に。その後その後、オスロ大学、ハワイ大学、コロンビア大学で客員研究員を務めたが、コロンビア大学客員研究員として在米中、1989年に中国での民主化運動に参加し「六四天安門事件」直前に断食抗議に参加。学生と政府軍の交渉役として活躍したが事件後には投獄された。1991年の釈放後も国内で民権運動を続け、2008年に中国の民主化を図る『零八憲章』の起草者として身柄を拘束された。2011年には国家政権転覆扇動罪で懲役11年となり自身4度目の投獄を経験。その直後にノーベル平和賞を受賞し、中国在住の中国人として史上初の受賞者に。2017年6月26日に末期の肝臓ガン治療のため仮出所申請が許可され、中国医科大学付属第一病院に移動。ドイツ、アメリカ等が受け入れを表明するなど国際社会がその身柄拘束を非難したが、中国政府はその容態を理由に拒否。7月10日に危篤状態となり、7月13日に肝臓ガンによる多臓器不全で死亡したと中国政府が発表。没年61歳。獄中死したノーベル平和賞受賞者はナチスドイツに反逆罪で問われたジャーナリスト、カール・フォン・オシエツキー(1935年受賞)に以来の2人目。死後、北京当局による隔離措置となっていた妻の劉霞はドイツに出国。

2018年
【死去】浅利慶太【演出家・実業家】

大規模なミュージカル等で人気を博している「劇団四季」の創設者のひとりであり、その演出家として知られる人物。1953年7月に学生を中心に「劇団四季」を結成し、小規模で芸術志向の作品を上演していたが、1970年頃から中曽根康弘や石原慎太郎などの政界要人などの人脈を利用し商業的に方向転換。越路吹雪主演のミュージカル『アプローズ』のヒットを皮切りに、同劇団を『キャッツ』に代表されるような大型ミュージカルに特化したものとして成功に導いた。1998年には長野オリンピック開会式の総合プロデューサーに就任。晩年の2015年にはの浅利演出事務所を設立し独自の活動も開始していたが、2018年7月13日に悪性リンパ腫で85歳没。