『アーシル・ゴーキー作「芸術家と母」』

1948年7月21日は、アルメニア出身の画家、アーシル・ゴーキーが首吊り自殺を遂げた日である。
少年期の1915年に、史上空前のジェノサイド、オスマントルコ政府による「アルメニア人虐殺」で母親を失い、命からがらアメリカに渡り、画家となったゴーキー。
抽象主義ともシュルレアリスムともいわれる独特な作風は、幼い頃からの壮絶な体験が活かされていると思わざるを得ない。
亡き実母と自分自身のポートレートといわれる作品『芸術家と母』も、母への愛、郷愁というよりは、その感情が抜け落ちたような不思議な緊張感が、その背後にある悲劇を叫んでいるように思われてしまう。
晩年まで、利き腕の怪我や火災、ガン等、その苦しみは絶え間なく芸術家を苛み続け、そしてゴーキーは44歳で自殺を選択した。
その人生が短いとみるか、長いとみるか。
その決断を《悲劇》とみるか、《救済》とみるか。
彼の残した異様な作品群を見るに、容易にその判断は下せるものではない。

(写真はWikipedia Arshile Gorkyより)

7月21日の不幸

1944年
【自殺】ルートヴィヒ・ベック(Ludwig August Theodor Beck)【軍人/ドイツ】

第一次大戦後の1935年に参謀本部総長に就任し、ドイツ陸軍の正常化に努めた人物。ナチス政権の侵略政策に懐疑的な立場をとり、1938年8月に辞任。以降退役したまま、「ヒトラー暗殺計画」の中心人物として暗躍し、成功の暁には国家元首に就任する予定であった。しかし1944年7月20日のシュタウフェンベルク大佐による暗殺計画が失敗に終わり、ベルリンで逮捕。フリードリヒ・フロム将軍により自殺を許され、拳銃自殺を図ったものの失敗し、その部下によりとどめを刺された。没年64歳。

1944年
【処刑】クラウス・フォン・シュタウフェンベルク(Claus Philipp Maria Schenk Graf von Stauffenberg)【軍人・貴族/ナチスドイツ】

1944年7月20日に起きた「ヒトラー暗殺計画(7月20日事件)」の実行者として知られるナチスドイツの軍人。公爵貴族の出身のクラウスはナチスドイツの反ユダヤ主義に嫌悪感を抱いており、「ヒトラー暗殺計画」に加わり、1944年7月20日の「狼の巣」での爆殺の実行犯を買って出た。しかし爆発には成功したものの爆風はヒトラーを直撃することもなく暗殺は失敗。爆破の直前に姿を消したクラウスは翌日逮捕され、即日銃殺された。没年36歳。左目と右手を失い、さらに左手の指は3本しか残っていなかったが、その死後、勇気をもってヒトラーと戦った"終戦後ドイツのヒーロー"として今も語り継がれている。

1967年
【事故死】ジミー・フォックス(James Emory "Jimmie"Foxx)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

1930年代にフィラデルフィア・フィリーズ、ボストン・レッドソックスの大砲として活躍したメジャーリーガーで、同時代に活躍したベーブ・ルースやルー・ゲーリッグと並び、"MLB史上最強の右打者"に数えられる一塁手。選手生活の最晩年はアルコール依存症や不眠症に悩み成績を急落させたものの、リーグMVP3回、首位打者2回、本塁打王4回、打点王3回、そして1933年には三冠王を獲得するなどメジャーリーグ史上に残る華々しい成績を残した。通算打率.325、2646安打、534本塁打、1922打点。1951年にアメリカ野球殿堂入り。生来の浪費癖がたたり晩年は貧しい生活を送っていたという。1967年7月21日の食事中にものを喉に詰まらせ窒息死。没年59歳。2番目の妻ドロシーも前年窒息死していた。

1998年
【死去】アラン・シェパード(Alan Bartlett Shepard Jr.)【軍人・宇宙飛行士/アメリカ合衆国】

アメリカ海軍のテストパイロットを経て、アメリカ合衆国最初の宇宙飛行計画「マーキュリー計画」で選ばれた7人の宇宙飛行士「マーキュリー・セブン」の一人となった人物。1961年5月5日にマーキュリー3号へ搭乗しアメリカ人初の宇宙飛行に成功した。1971年2月にはアポロ14号の船長を務め、月面に着陸。月面に降りた5人目の人間となり、月面でゴルフをするというパフォーマンスで話題を呼んだ。退役後の1998年7月21日に合併症で74歳没。その功績を称え、アメリカ海軍はルイス・アンド・クラーク級貨物弾薬補給艦3番艦を"アラン・シェパード"と命名した。

1999年
【自殺】江藤淳【文芸評論家・教育者】

戦後日本を代表する文芸評論家として活躍した人物。代表作に『奴隷の思想を排す』『海は甦える』等。長きにわたり東京工業大学、慶應義塾大学の教授として勤めた教育者でもあり、日本文藝家協会理事長等も歴任した。1999年7月21日に首吊り自殺。没年66歳。遺書には「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」とあり、前年にガンで病死した妻の慶子を後追いした自殺といわれている。

2004年
【死去】ジェリー・ゴールドスミス(Jerry Goldsmith)【作曲家/アメリカ合衆国】

事務員としてCBSに入社後、その音楽的才能を活かして音楽部門に転属。ラジオドラマ等への楽曲提供からキャリアを始め、テレビ、映画音楽に進出。以降、生涯170作以上の映画音楽を手がけたアメリカの代表的映画音楽作曲家。1976年の映画『オーメン』でアカデミー作曲賞を受賞。その他『猿の惑星』『パットン戦車団』『スタートレック』『ポルターガイスト』『トワイライトゾーン』『ランボー』『グレムリン』等数多くの人気作品で長きにわたる活躍を見せた。肝臓ガンで72歳没。

2017年
【死去】平尾昌晃【作曲家・歌手】

昭和の歌謡界を代表する作曲家・歌手のひとりであり、JASRACの理事も務めた人物。高校中退後、ウエスタンバンド「チャック・ワゴン・ボーイズ」に参加。1957年に渡辺プロの渡辺美佐らに見出され、映画『嵐を呼ぶ男』に出演。1958年にはキングレコードから『リトル・ダーリン』でソロデビュー。デビュー後はミッキー・カーチス、山下敬二郎らの3人で「ロカビリー三人男」として日劇ウエスタンカーニバルなどで人気を博す。また、この頃に楽曲提供を行なった『星はなんでも知っている』は100万枚のヒットとなった。作曲家としてはロカビリーブームが終焉を迎えた1965年頃から活動を行ない、『霧の摩周湖』がヒットし第9回日本レコード大賞の作曲賞を受賞。その後も、『よこはま・たそがれ』(1971年)、『わたしの城下町』(1971年)、『カナダからの手紙』(1974年)、『銀河鉄道999』(1979年)など幅広いジャンルでヒット曲を出し続け、多くの音楽賞を受賞した。1980年代からはテレビ出演が増え、ものまね番組に審査員で出演するなどタレントとして活躍の幅を広げた。2017年7月21日、肺炎のため死去。没年79歳。