『ノルウェー連続テロ事件での爆発から31分後のオスロ市街』

2011年7月22日はノルウェーのキリスト教原理主義者、アンネシュ・ブレイビクが「オスロ政府庁舎爆破事件」と「ウトヤ島銃乱射事件」を立て続けに起こし、爆破で8人、銃乱射で69人、両事件合わせて77人を殺害した単独犯行での世界最多殺人事件である(2位は韓国のウ・ポムゴンによる事件)。
自動車に仕掛けた多量な爆弾で政府庁舎を爆破し、その後警官の制服に着替えてタクシーとボートでウトヤ島に渡ったブレイビクは、ノルウェー労働党青年部の集会に乗り込み、捜査の振りをして整列をさせたあとに片っ端から射殺していったという。
この日はサマーバケーションに入っていたために犠牲者は少なくて済んだというが、それでも世界最多の犠牲者を出した惨劇となった。
政治的信念を持ち、Twitterやネット上で犯行声明を出した上での凶行であったために逮捕後の本人は無罪を主張。
その後に統合失調症であると診断されたために無罪になりかけたブレイビクだったが、検察側の控訴の結果、2012年8月23日に禁錮最低10年、最長21年の判決が下された。
それはノルウェーにおける最高刑であるが、事件のあまりの非道さに法改正の後に死刑を求めるという声も上がっている。
殺人の“世界最高記録”という不名誉は、国の法改正を求めるほどに、国民を駆り立てたのだ。
現在の日本では青葉真司容疑者による30人以上の犠牲者を出した「京都アニメ放火殺人」(2019年7月18日)が記憶に新しいが、時代や場所を問わず、我々の歴史はこういった《不条理な悲劇》とともにあるのだ。

(Wikipedia 2011 Norway Attackより。Public Domain)

7月22日の不幸

1676年
【死去】 クレメンス10世(Clemens X)【ローマ教皇/イタリア】

17世紀イタリアで第239代ローマ教皇(1670年〜1676年)となった人物。教皇庁に勤務し教皇使節を経て1670年にローマ教皇に就任。就任中はフランスの国王ルイ14世とガリカニスム問題を巡り対立。1676年7月22日に死去。没年86歳。

1916年
【免罪】【社会事件】「ムーニー事件」

1916年7月22日、アメリカ・サンフランシスコで行なわれた労働運動のデモで官憲の謀略により爆裂弾が破裂。9人の死者、40人の負傷者が出たため、デモの指導者であるトマス・ムーニー夫妻など4人が免罪により逮捕されることに。その後無罪を証明するデモが行なわれ、1938年にムーニーは釈放されている。

1922年
【死去】高峰譲吉【化学者・実業家】

明治から大正にかけて活躍した化学者および実業家で酵素「タカジアスターゼ」や「アドレナリン」の結晶化の発明で医薬品メーカー三共を創業したことで知られる人物。加賀藩の御典医の家に生まれ、1865年に長崎へ留学。その後、工部大学校で応用化学科を学び1880年にイギリスのグラスゴー大学へ留学。帰国後は農商務省へ入省し1884年に万国工業博覧会の事務官としてアメリカへ派遣される。1886年に帰国し専売特許局局長代理へ就任。同年に東京人造肥料会社(現・日産化学)を設立。1890年に麹の研究のため、再びアメリカへ渡り以後永住。麹の醸造法がアメリカで採用されたことでモルト職人やモルト工場の所有者たちから暗殺されそうに。1894年に酵素「タカジアスターゼ」、1900年に「アドレナリン」の結晶化を発明。1899年に東京帝国大学から名誉工学博士号を授与される。1913年に医薬品メーカー三共(現・第一三共)を創業し初代社長へ就任。同年帝国学士院会員へ。1919年に東洋アルミナムを創設。1922年7月22日、腎臓炎のため死去。没年67歳。

1934年
【射殺】【夭逝】ジョン・デリンジャー(John Herbert Dillinger Jr.)【ギャング/アメリカ合衆国】

FBIから“Public Enemy No.1”に指定された20世紀アメリカのギャング。10代から暴力事件や窃盗を繰り返し、16歳で中退後は機械工場員となる。1922年に自動車の窃盗で逮捕される。1924年に友人のエド・シングルトンとともに強盗で逮捕され、1933年に仮釈放される。仮釈放後は受刑中のハリー・ピアポント、ラッセル・クラークらの脱獄を手引きし『ファースト・デリンジャー・ギャング』と呼ばれる強盗団を結成。同年に12件の銀行強盗を起こし、逮捕されるも脱獄。以後、逮捕と脱獄、銀行強盗を繰り返し、1934年にFBIから“Public Enemy No.1”に指定される。同年7月22日、ギャング映画『男の世界』を鑑賞後、映画館の外でFBI捜査官らに一斉射撃をされ死去。没年31歳。

1946年
【テロ】「キング・デイヴィド・ホテル爆破事件」

1946年7月22日、イギリス委任統治下のエルサレムで過激派シオニストの非合法組織イルグンがイギリス軍関係者が使用していたキング・デイヴィッド・ホテルを爆破した事件。この事件により91人が死亡、46人が負傷したが爆破に巻き込まれた多くはホテルや政庁に勤務していた人たちであった。

1967年
【死去】カール・サンドバーグ(Carl Sandburg)【詩人・作家/アメリカ合衆国】

20世紀アメリカで活躍した詩人および作家でピューリッツァー賞受賞者として知られる人物。1898年「米西戦争」に参加、その後社会民主党に入党し同党の市長エミル・ザイデルの秘書となる。「第一次世界大戦」中は戦争特派員として参加する傍ら『シカゴ・デイリー・ニュース』などの新聞記者としても活躍。1904年に初の詩集『無謀なエクスタシーで(In Reckless Ecstasy)』を刊行。以降、詩人としても活動し1916年に発表した『シカゴ詩集(Chicago Poems)』で人気作家となる。1918年に発表した詩集『玉蜀黍(とうもろこし)の皮むき(Cornhuskers)』がピューリッツァー賞を受賞。1926年からエイブラハム・リンカーンの伝記を執筆し第4巻『リンカーン-南北戦争時代』(1939年)で再びピューリッツァー賞を受賞。1948年に小説『リメンバランス・ロック(Remembrance Rock)』を発表。晩年も作家として活躍し1967年7月22日に死去。没年89歳。

1979年
【自殺】【怪死】シャーンドル・コチシュ(Kocsis Sándor)【サッカー選手/ハンガリー・スペイン】

1950年代前半に無敵を誇り”マジック・マジャール”の名で恐れられたハンガリー代表の中心選手であり、1954年開催ワールドカップ・スイス大会で11得点を挙げて得点王を獲得したフォワード。ハンガリー動乱を免れてスペインに亡命、以降はFCバルセロナの中心選手として活躍した。晩年は胃ガン、アテローム性動脈硬化を患い、左足を切断するなど壮絶な人生を歩み、1979年7月22日に病院から転落死。詳細は明らかになっていないものの、飛び降り自殺だったという見方も強い。没年49歳。

1990年
【死去】マヌエル・プイグ(Manuel Puig)【作家/アルゼンチン】

20世紀アルゼンチンで活躍した作家で私生活ではゲイとして知られる人物。1945年に大学で哲学などを学び、1956年にイタリアへ留学。映画監督、脚本家を志しヴィットリオ・デ・シーカといった映画監督のもとで助監督を務めるも挫折し小説家へ転身。1963年に渡米し初の長編小説『リタ・ヘイワースの背信』を発表。同作がアメリカで人気となり、帰国後の1969年に『赤い唇』を発表。1973年に発表した『ブエノスアイレス事件』が自国でベストセラーへ。その後『蜘蛛女のキス』(1976年)、『天使の恥部』(1979年)『南国に日は落ちて』(1988年)などを発表し1990年7月22日に心筋梗塞で死去。没年57歳。

1996年
【事故死】【夭逝】ロブ・コリンズ(Robert James Collins)【ミュージシャン/イギリス】

20世紀イギリスで活躍したロックバンド「ザ・シャーラタンズ」のメンバーのひとりでキーボーディストとして知られる人物。1988年に「ザ・シャーラタンズ」に参加。1990年にシングル『インディアン・ロープ』でメジャーデビュー。1992年に強盗幇助罪で逮捕され1994年に出所。アルバム『テリング・ストーリーズ』レコーディング中の1996年7月22日、飲酒運転による交通事故で死去。没年33歳。

2000年
【労働災害】「八掌渓事件」

2000年7月22日、中国・台湾嘉義県番路郷の八掌渓呉鳳橋(ごほうばし)で、経済部水利署第五河川局から派遣された作業員8人が河床工事中に突如発生した増水に巻き込まれた事件。8人のうち避難が遅れた4人はテレビで全国生中継される中、濁流に飲まれ死亡した。

2003年
【銃殺】【イラク戦争】ウダイ・サッダーム・フセイン(Uday Saddam Hussein)【政治家/イラク】

イラクの政治家でイラク元大統領サッダーム・フセインの長男として知られる人物。サッダームの長男として生まれ、自堕落な生活を送る。「イラン・イラク戦争」中にサッカークラブを創設。1986年にサッダームからイラク・オリンピック委員会長に任命される。1988年にサッダームの侍従長カーミル・ハンナ・ジョジョと口論になり撲殺。事件後、自殺を図るも一命を取り留め、公的職から解任されることに。その後、陸軍刑務所へ収監され釈放される。釈放後はジュネーヴ国連代表部一等書記官に任命される。「湾岸戦争」が勃発するとアル=アミール社を設立し密貿易を行なう。同時期にイラク・オリンピック委員長に再び就任、成績不振のスポーツ選手に対する拷問や対立する人物宅にロケット砲を打ち込むといった行為を行なう。1995年に叔父ワトバーン・イブラーヒーム・ハサンを売春婦を巡った問題で銃撃する。1996年にパーティーへ向かう途中でイラク民主化を目指す地下組織集団に銃撃されるも一命を取り留める。2003年に「イラク戦争」が勃発、同年7月22日に米軍により銃殺された。没年39歳。

2003年
【銃殺】【イラク戦争】クサイ・サッダーム・フセイン(Qusay Saddam Husayn)【政治家/イラク】

イラクの政治家でイラク元大統領サッダーム・フセインの次男として知られる人物。サッダームの次男として生まれる。1990年にイラクがクウェートを占領すると叔父フセイン・カーミル・ハサンらとクウェート王族の宝石などを強奪。「湾岸戦争」後はマーシュ・アラブ人の虐殺を行なう。1991年に隠蔽作戦委員会委員長に任命される。1995年に国家安全保障会議副議長、1997年に民兵組織「フェダーイーン・サッダーム」総司令官に就任。2003年に「イラク戦争」が勃発、同年7月22日に米軍により銃殺された。没年37歳。

2004年
【死去】星セント【漫才師】

昭和に活躍した漫才師で漫才コンビ「星セント・ルイス」で知られる人物。高校卒業後に商業デザイナーを目指し上京。職業を転々とした後、1969年にてんや・わんやの下へ弟子入り。1972年に星ルイスとともに星セント・ルイスを結成。1977年に『NHK漫才コンクール』へ出場し優勝。1980年に「田園調布に家が建つ!!」といったフレーズで人気を博し漫才ブームが起こることに。以降は漫才活動をしながら舞台役者としても活躍。2002年に肺ガンで右肺を全摘出しその後回復、2003年にルイスとのコンビを解消。晩年も漫才師として活躍し2004年7月22日、肺ガンのため死去。没年56歳。

2005年
【死去】杉浦日向子【漫画家・エッセイスト】

昭和から平成にかけて活躍した漫画家およびエッセイスト。元夫は博物学者の荒俣宏。日本大学芸術学部を中退後、歴史小説家の稲垣史生の弟子となる。1980年に雑誌『ガロ』で漫画家デビューしやまだ紫、近藤ようこらとともに“ガロ三人娘”と呼ばれる。1983年に雑誌『漫画サンデー』で『百日紅』を連載し人気を博す。1988年に雑誌『ビッグコミックオリジナル』でコラム『一日江戸人』を連載。1993年に漫画家引退を宣言し江戸風俗や浮世絵研究家として活動。1995年にエッセイ『入浴の女王』を発表。同年NHK『コメディーお江戸でござる』の解説コーナーを担当。2004年に同番組を降板。2005年7月22日、下咽頭ガンのため死去。没年46歳。

2007年
【交通事故】「グルノーブル・ポーランド人巡礼者バス転落事件」

2007年7月22日、フランス東部グルノーブル付近の山道でポーランド人巡礼者らを乗せた長距離バスが40メートル下の川へ転落し炎上。バスに乗っていた乗員乗客を合わせた50人のうち26人が死亡、24人が負傷した。原因はバスのブレーキ異常とされている。

2008年
【通り魔】【殺人事件】「八王子通り魔事件」

2008年7月22日、東京都八王子市の駅ビル・京王八王子ショッピングセンター9階の啓文堂書店で、フリーター・菅野昭一(当時33歳)が同書店でアルバイトをしていた斎木愛さん(当時22歳)と女性客(当時21歳)を文化包丁で刺した通り魔事件。この事件により斎木さんが死亡。動機について菅野は「仕事でうまくいかず、親が相談にのってくれなかったため、無差別で人を殺そうと思った」と供述。

2009年
【急死】アベフトシ【ミュージシャン】

「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」のギタリストとして活躍したロック・ミュージシャン。2003年に同バンドを解散して以降はト「KOOLOGI」「CARRIE」等のバンドに参加し、その後は故郷に戻り音楽から離れた生活を送るなどしていた時期もあったが、2009年未明に急性硬膜外血腫で死去。没年42歳。

2011年
【大量殺人】【テロ】「ノルウェー連続テロ事件」

ノルウェーのオスロとウトヤ島で、キリスト教原理主義者、アンネシュ・ブレイビクが「オスロ政府庁舎爆破事件」と「ウトヤ島銃乱射事件」を立て続けに起こし、爆破で8人、銃乱射で69人、両事件合わせて77人を殺害。現在までのところ、単独犯行での世界最多殺人事件。その後の公判によりブレイビクには禁錮最低10年、最長21年の判決が下された。