『リオ・デ・ジャネイロのカンデラリア教会』

1993年7月23日は、リオ・デ・ジャネイロのカンデラリア教会で8人のストリートチルドレンたちが警官らに射殺され、多くの子供たちが重軽傷を負った日である。
カンデラリア教会は、ストリートチルドレンの養護施設的役割を果たしており、売春や薬物売買に携わったような子供たちの宿泊や食事のサポート、そして教育までも補助している場所であった。
事件の前日の朝、数人のストリート・チルドレンたちが、パトカーに向かって投石をすると、警官は「安心しろ、すぐに捕まえてやるからな」と言い残してその場を去った。このようなやりとりは普段もよく見られた光景であり、子供たちも特段警戒をしていたわけではなかったという。
しかし、翌23日の深夜、教会の前に停められたシボレーコルベットの中から、その場で寝ていた70人ものストリート・チルドレンたちに向かい拳銃が乱射されたのだった。
その結果、最低でも8人のストリート・チルドレンが死亡(当初の警察発表は6人)。犯人の車のナンバーは覆面されていたが、その銃弾から警察官によるものと判明。後の捜査により、50人もの容疑者が走査線に浮上した。
その中でも有力とされたマルシオ・ダ・コンセイソンは逮捕直前の1994年に死亡、さらに終身刑を言い渡されたマルコス・エマニュエルとネルソン・クンハも無罪として上告中である。
ブラジルのストリートチルドレンの問題は、年々深刻化しており、その存在を疎んだ近隣住民が安月給の警官たちに謝礼を渡し殺害を依頼していたという事実も判明している。
それは、この事件の生き残りであるサンドロ・ド・ナシメントが、2000年6月12日に起こしたバスジャック事件「バス174ハイジャック」で訴えたことにより(テレビ生中継もされた)、より世界に知られることとなった。
事件は『Ônibus 174(Bus 174)』として2002年にドキュメンタリー映画化され、2008年にはナシメントを主役とした映画『Última parada174
シティ・オブ・マッド)』も公開された。
この問題が国際社会に知られるようになった結果、1996年に、マルクス・ビニシウス・エマヌエルに禁固309年が言い渡されたが、それは8人の少年たちの魂にいくばくかの救いとなったのだろうか。

(画像はWikipedia Candelária massacreより。Public Domain)

7月23日の不幸

1811年
【国際事件】「ゴローニン事件」

千島列島の測量ためディアナ号で択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島を訪れていたロシア艦長ヴァーシリー・ゴローニンを、国後島測量中の1811年7月23日に松前奉行が捕らえて箱館に監禁した事件。1813年、ロシア帝国側に拿捕された高田屋嘉兵衛らと引き換えに解放された。

1885年
【死去】ユリシーズ・S・グラント(Ulysses Simpson Grant)【軍人・政治家/アメリカ合衆国】

アメリカの軍人および第18代大統領(1869年〜1877年)となった人物。1839年、陸軍軍士官学校へ入学、アメリカ・メキシコ戦争に従軍し、中尉に昇進。その後、中佐に昇進するも1854年に多量飲酒を理由に辞職。辞職後は農場経営など事業に取り組んでいたが、1861年に南北戦争が勃発すると、再び軍へ。この戦争の活躍によりグラントは南北戦争の英雄となった。1868年、共和党から大統領候補に選ばれ、1869年に大統領に就任した。しかし、グラント政権は後年スキャンダルと汚職により支持率は低下し1877年に退任。晩年は事業の失敗により困窮し、1884年7月23日、喉頭ガンにより死去。没年63歳。

1948年
【死去】D・W・グリフィス(David Wark Griffith)【映画監督/アメリカ合衆国】

アメリカ初の長編映画といわれる1915年の『國民の創生』や『イントレランス』で知られ、数々の映画文法を確立した人物として"映画の父"と呼ばれる映画監督。1931年の『苦闘』を最後に監督業を引退し、晩年は飲酒に溺れる日々を送った。ロサンゼルスのホテルに滞在中に脳溢血で死亡。没年73歳。

1952年
【政治事件】【クーデター】「1952年エジプト革命」

1952年7月23日にエジプトでガマール・アブドゥン=ナーセルら自由将校団が君主制に反発し起こした軍事衝突事件。この事件によりファルーク国王が追放され、1953年にエジプト共和国が樹立した。

1971年
【死去】ウィリアム・タブマン(William Vacanarat Sharach Tubman)【政治家/リベリア共和国】

西アフリカ・リベリア共和国の第19代大統領(1944年〜1971年)であり"現代リベリアの父"と呼ばれる人物。1923年に弁護士から政治家へ。1931年に議員を辞職、1934年に再び当選。1944年に大統領に選出され、以後独裁的な政治により27年間の任期を務めた。1971年7月23日、前立腺術後の合併症により死去。没年75歳。

1981年
【死去】田岡一雄【ヤクザ・実業家】

二代目山口組の組員として数々の武勇を誇り、1946年に山口組三代目組長を襲名した人物。港湾労働の管理と、美空ひばり・田端義夫らを擁した神戸芸能社を通じての興行で強固な財源を確保し、襲名時は30人程度だった山口組を日本で最も有力な暴力団へと巨大化させた。急性心不全で死亡。没年68歳。

1983年
【航空事故】「ギムリー・グライダー事件」

1983年7月23日、エア・カナダ143便が飛行中に両エンジンが完全停止した事件。エンジンはカナダ・オンタリオ州の上空41000フィートを飛行中に停止。機体は落下しつづけたが、滑空状態(グライダー)で閉鎖されていたギムリー空軍基地への着陸に成功した。事故の原因は、燃料調節システムの故障により手計算で燃料を登載していたが、この時キログラムをポンドと間違えたことによる。この事件による死者は0人。当時搭乗していた機長ピアソンはグライダーのパイロット経験があった。

1988年
【海難事故】「なだしお事件」

1988年7月23日に起きた、海上自衛隊潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」による衝突事故。横須賀港の沖で「なだしお」が「第一富士丸」と衝突、「第一富士丸」の乗客乗員30人が死亡、17人が負傷した。判決は同等の過失があったとして、1992年に「なだしお」元艦長・山下啓介に禁錮2年6カ月執行猶予4年、「第一富士丸」元船長・近藤万治に禁錮1年6カ月執行猶予4年が言い渡された。1994年に近藤は処分取り消しを求めたが、公訴は棄却、しかし「なだしお」に主因があったことが認められた。この事件により、遊漁船業の適正化に関する法律が制定されることとなった。

1993年
【虐殺】「カンデラリア教会虐殺事件」

ストリートチルドレンの養護施設的役割を果たしており、売春や薬物売買に携わったような子供たちの宿泊や食事のサポート、そして教育までも補助しているリオ・デ・ジャネイロのカンデラリア教会で、8人の子供たちが射殺され(当初の警察発表は6人)、多くの子供たちが重軽傷を負った事件。事件の前日の朝、数人のストリート・チルドレンたちが、パトカーに向かって投石をしたことがその原因といわれているが、その原因は不明。事件の捜査により50人もの警察官が容疑者として浮上した。マルシオ・ダ・コンセイソンは逮捕直前の1994年に死亡、さらに終身刑を言い渡されたマルコス・エマニュエルとネルソン・クンハも無罪として上告中。この問題が国際社会に知られるようになった結果、1996年に、マルクス・ビニシウス・エマヌエルに禁固309年が言い渡された。

1999年
【ハイジャック】「全日空61便ハイジャック事件」

1999年7月23日、全日空61便が羽田空港を離陸後ハイジャックされた事件。犯人は西沢祐司(当時28歳)、客室乗務員に包丁を突きつけコックピットへ侵入後、飛行先を指示。その後、機長を刺殺し自ら操縦するも飛行は困難を極め、危険を感じた乗務員らが犯人の隙を突きコックピットに突入、犯人拘束に成功し操縦を奪還した。犯人の西沢は旅客機マニアであり、犯行動機も「宙返りやダッチロールをしてみたかった」などと発言している。逮捕後、精神鑑定を受けるも刑事責任能力は否定されず、殺人罪・銃刀法違反・ハイジャック防止法違反の罪に問われ無期懲役となった。

2007年
【死去】ザーヒル・シャー(Muhammad Zāhir Shāh)【政治家・王族/アフガニスタン】

アフガニスタン最後の国王(1933年〜1973年)となった人物。19世紀中頃から続くバーラクザイ朝の国王の息子として生まれ、1933年に起きた国王の暗殺により王位を継承。第二次世界大戦後の1960年代に立憲君主制を導入したほか、政党の設立の自由などを認めるといった政策を行なった。1973年、病気療養のためイタリアに滞在していたところ、従兄弟であるダーウード元首相によるクーデターにより王位が廃止され、アフガニスタンに帰国することなくイタリアに亡命。その後、ターリバーン政権崩壊後の2002年に帰国した。2007年7月23日、公式な病名は発表されないまま病により死去。没年92歳。

2011年
【暗殺】村崎百郎【ライター・作家・編集者】

ペヨトル工房の編集者から独立し、1990年代の鬼畜本ブームにあって"鬼畜系ライター"として活躍した人物。代表作『鬼畜のススメ』『電波系』で"鬼畜系""電波系"という言葉を定着させた人物としても知られている。妻はマンガ家の森園みるく。2010年7月23日午後5時頃に自宅に侵入してきた無職・吉本敏洋(32歳)に全身を滅多刺しにされ刺殺された。没年推定49歳。村崎の愛読者だという吉本は統合失調症との診断を受け無罪に。当初は根本敬を当初殺害する予定だったいわれている。村崎は死の一週間前から自身の殺害を予言しており、生命保険にも加入していた。

2011年
【急死】【夭折】エイミー・ワインハウス(Amy Jade Winehouse)【歌手/イギリス】

2003年の『フランク』でデビューするなりイギリス国内で67万枚以上の売り上げを記録しスターに登り詰めたソウル、R&Bの歌手。ハスキーな歌唱と全身のタトゥーが特徴のファッション・アイコンとしても絶大な影響力を誇った。私生活でも薬物やアルコールの中毒症や薬物不法所持での逮捕など、荒廃した生活を送っていたことでも知られ、その影響はライブでのコンディション悪化という形で影響を与え続けていた。しかし2008年にはその厚生施設での日々を元に作り上げたアルバム『リハーヴ』がグラミー賞で年間最優秀レコード賞、年間最優秀アルバム賞、年間最優秀楽曲賞、最優秀新人賞、最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞、シンガーとして世界的人気を獲得することに繋がった。2011年頃からはライブ活動にも問題をきたし始め、同年7月23日にロンドン・カムデンの自宅で死亡しているところを発見された。死因は致死量の摂取によるアルコール中毒と断定された。没年27歳。