『林眞須美著「和歌山カレー殺人事件 獄中からの手紙」(創出版)の表紙』

1997年7月25日は和歌山市園部地区で開催された夏祭りで出されたカレーに混入した毒物が原因で4人の死亡者と67人の重軽傷者を出した「和歌山毒物カレー事件」の発生した日である。
捜査により、自宅からヒ素が検出された近隣住民の林眞須美が12月9日に容疑者として逮捕された(それ以前の10月4日に保険金詐欺罪で夫の建治とともに逮捕されているため再逮捕)。
それは自宅での薬物所持と、カレー鍋を1人で担当していた時間が長かったからという、状況証拠を根拠にした逮捕であった。
そして1997年の年末から開始された公判により、2002年12月11日に死刑判決が下った。
しかし、全面否認を続けた林被告は即座に控訴し、あくまでも無罪を主張したが、2009年4月21日に棄却。眞須美被告の死刑が確定した。
しかし、それから9年近くが経過し、現在は事件から20年が経過しているが、その動機は不明のまま。
確かに、家族に食べさせるリスクを冒してまで、無差別殺人を犯す理由は判明していない。
そして、状況証拠のみで死刑判決を下してよいのかという道義的な反論もあり、いまだ真相は明らかになっていないのが現状である。
今年に入って、林眞須美の成人した息子がメディアでコメントを発し始めるなど、一部著名人やジャーナリストを中心に新たに事件を見直す動きも出てきている。
果たして、その真実が白日の下に晒される日が来るのか?
死刑により闇に葬られたオウム事件の真相を思うと、その可能性は限りなく少ないといえるだろう。

(画像は林眞須美著『和歌山カレー殺人事件 獄中からの手紙』創出版刊)

7月25日の不幸

1694年
【死去】菱川師宣【浮世絵師】

『見返り美人図』等後世に残る名画の数々を残し、江戸期に隆盛する浮世絵の礎を築いた"初の浮世絵師"。本の挿絵的な役割でしかなかった浮世絵版画を独立した芸術の域にまで高め、世界美術史にその名を残した。 元禄7年6月4日(西暦1694年7月25日)に死亡。没年齢は年64〜65歳、もしくは77歳と定かではない。

1863年
【急死】緒方洪庵【医師・蘭学者・武士】

備中国足守藩士の家に生まれ、江戸、長崎での留学を経て大坂に蘭学の私塾、適塾を開き大村益次郎、福沢諭吉ら数々の後進を育てた教育者。また、日本初の医学書『病学通論』を記し、種痘(予防接種)により天然痘治療に絶大な貢献を果たした"日本の近代医学の祖"としても知られる人物。江戸医学所頭取役の家で突然血を吐いて窒息死。没年52歳。

1929年
【急死】牧野省三【映画監督・実業家】

京都の芝居小屋大野座を買収し、映画劇場「千本座」として経営を始めたことがきっかけで自ら映画製作を開始。1908年の『本能寺合戦』を皮切りに、『忠臣蔵』シリーズを始めとした時代劇映画を製作し、生涯300本以上の映画を手がけた"日本映画の父"。実子のマキノ雅弘、そして孫にあたる長門博之、津川雅彦兄弟など、映画ビジネスに輝かしい足跡を残したマキノ一家の始祖とも呼ばれる人物である。心臓麻痺により50歳没。

1974年
【死去】花菱アチャコ【漫才師・喜劇俳優】

横山エンタツとの漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」との"しゃべくり漫才"で一世を風靡した"漫才ブームの祖"。1934年にコンビ解消後も吉本興行の一枚看板としてラジオ、映画、舞台にと大活躍し、同社創設期を牽引したバラエティ・タレントだった。直腸ガンで75歳没。

1978年
【死去】古賀政男【作曲家】

『丘を越えて』『湯の町エレジー』『無法松の一生』『東京五輪音頭』『柔』等、1930年代〜1960年という戦前戦後期に"古賀メロディー"と呼ばれる国民的ヒット曲を数多く手がけ、昭和歌謡、ひいては日本ポップミュージックの礎を築いた作曲家。生涯の作曲数は5,000曲以上とも言われている。日本作曲家協会初代会長を務め、服部良一らとともに『日本レコード大賞』の創設にも関わった。冠状動脈硬化症の悪化で74歳没。死後の8月4日に史上二人目となる国民栄誉賞を追贈された。

1986年
【死去】ヴィンセント・ミネリ(Vincente Minnelli)【映画監督/アメリカ合衆国】

『若草の頃 』『巴里のアメリカ人』等数々のミュージカル映画を手がけたハリウッドの映画監督であり、1958年の『恋の手ほどき』でアカデミー監督賞を受賞した人物。私生活では女優のジュリー・ガーランドの2番目の夫として知られ、彼女のとの間に歌手・女優のライザ・ミネリを設けた。没年83歳。

1995年
【テロ】「1995年パリ地下鉄駅爆弾テロ事件」

1995年7月25日から10月17日にかけて武装イスラム集団(GIA)がパリで起こした連続爆弾テロ事件。7月25日にパリの地下鉄サン・ミッシェル駅内のガスボンベが爆発したことに始まり、凱旋門のゴミ箱、リヨンの鉄道内などから次々と爆弾が発見された。その後も10月6日に地下鉄メゾン・ブランチェ駅のガスボンベが爆発、10月17日にはサン・ミッシェル・ノートルダム駅内でガスボトルが爆発した。この一連の事件により8人が死亡、157人が負傷した。

2000年
【航空事故】「コンコルド墜落事故」

2000年7月25日、商業用超音速旅客機・コンコルドが墜落した事件。事故は、離陸直後にタイヤが破損、部品が飛散したことでエンジンや飛翼が損傷したことで起きたが、根本の原因は整備不良であった。この事故で乗客乗員併せ113人全員が死亡。事件後コンコルドは退役したため、最初で最後のコンコルドでの人身死亡事故となっている。

2001年
【事故死】【夭折】淺川誠二【プロボクサー】

"新開地の貴公子"と呼ばれた、元ボクシング日本および東洋太平洋(OPBF)フェザー級チャンピオン。1986年にデビュー、翌年全日本新人王決定戦で勝利。1992年にWBA世界フェザー級チャンピオン朴永均に挑戦し敗北するも、同年に東洋太平洋フェザー級王者クリス・サギドに勝利しタイトルを奪取。1993年、防衛を1度した後タイトルを返上。翌1994年、WBA世界フェザー級チャンピオンエロイ・ロハスと対戦、敗北後引退を発表した。引退後は選手の育成などを行なっていたが、2001年7月25日、趣味のバス釣り中に事故死。没年33歳。

2011年
【急死】【怪死】森祐喜【政治家】

元内閣総理大臣・森喜朗の息子であり石川県議会議員、初代石川県議会建設委員長を務めた人物。森喜朗の秘書を経て、2006年に石川県議会議員補欠選挙に立候補し初当選。翌年も再選し初代石川県議会建設委員長に就任したが、2010年、飲酒運転による交通事故を起こし逮捕、議員辞職。同年、自宅で心肺停止となり緊急入院、一命は取り留めるも翌年から再び入院し、2011年7月25日、急性膵炎による多臓器不全により死去。この唐突な死に方は様々な憶測を呼んでいる。没年46歳。