『1953年撮影のマリリン・モンローの宣材写真と、彼女の死を伝える「ニューヨーク・デイリーミラー」紙の一面』

1962年8月5日は、世界的女優にして“20世紀最大のセックス・アイコン”マリリン・モンローが36歳で早世した日である。
『お熱いのがお好き』『7年目の浮気』等の数々のヒット映画だけでなく、メジャーリーガーのジョー・ディマジオとの結婚と離婚、ジョン・F・ケネディ兄弟との不倫等、そのスキャンダラスな人生も含めての“ハリウッド・スター”であった。
そしてなにより、その36歳での突然死は世界中を震撼させた一大事件であった。
ロサンゼルスの自宅の寝室で全裸で死亡しているところをメイドが発見。死因は「睡眠薬の過剰摂取による自殺」とあらゆるメディアで大々的に報道されたが、ほどなくして他殺説が流布した。
その原因はケネディ兄弟等の著名政治家との繋がりに加え、フランク・シナトラ、そしてその背後に存在した巨大マフィア組織とも密接な繋がりを持っていたマリリンの巨大すぎる人間関係があった。
それは、彼女がひとりの女優としての存在を遙かに凌駕し当時の社会を左右するほどの影響力を持った存在であったことの証明でもある。
なお、ベッドでシーツににくるまれて死んでいる死体写真も後に公開されたが、その衝撃的な写真ですら、彼女のイメージを損なうことのない、けだるい寝姿に見えてしまうから、いかにそのパブリックイメージが時代を超えて共有されているかがわかるというものだ。

(写真はWikipedia Marilyn Monroeより)

8月5日の不幸

824年
【死去】平城天皇【天皇】

平安時代に第51代天皇(806年〜809年)となった人物。785年に立太子、806年に天皇に即位。即後は官司の統廃合、年中行事の停止などを行なう。809年に病のため嵯峨天皇へ譲位し上皇となる。同年に平城京へ移住。810年に寵愛していた藤原薬子(くすこ)、薬子の兄・藤原仲成(なかなり)らと嵯峨天皇に対し挙兵するも坂上田村麻呂らに阻まれ断念(「薬子の変」)。その後、薬子は服毒自殺、平城天皇の三男・高岳親王は皇太子を廃位され平城天皇は仏門へ入ることに。824年8月5日に死去。没年49歳。

882年
【事故死】【夭逝】ルイ3世(Louis III)【王族/西フランク王国】

9世紀西フランク王国の国王(879年〜882年)となった人物。“吃音王”と呼ばれたカロリング朝ルイ2世の長男として生まれ、879年に弟のカルロマン2世とともに国王に即位。880年にフランク王国ネウストリアを相続。同年にカルロマン2世とともにプロヴァンス王に選出されたプロヴァンス公ボソに対し挙兵するも失敗。882年8月5日、狩猟中の事故により死去。没年22歳。

989年
【死去】藤原頼忠【貴族】

平安時代の公卿で関白、太政大臣となった人物。公卿で歌人でもあった藤原実頼の家に生まれ、956年に権左中弁に任命される。その後、右大弁、左大弁を経て968年に従三位中納言に就任。963年に参議となり、970年に権大納言および左近衛大将へ就任。971年に右大臣へ就任。977年に関白および太政大臣に就任。986年に懐仁親王が即位すると懐仁親王の外祖父・藤原兼家との対立により関白を辞退。太政大臣に就任中の989年8月5日に死去。没年66歳。

1364年
【死去】光厳天皇【天皇】

鎌倉時代末期に北朝初代天皇(1331年〜1333年)となった人物。持明院統・大覚寺統から交互に天皇を即位させる両統迭立の時代に持明院統である後伏見天皇の第三皇子として生まれる。1331年に後醍醐天皇の起こした「元弘の乱」により、同年に北朝初代天皇へ即位。1336年に弟・豊仁親王を光明天皇として即位させ自身は治天の君として院政を行なう。同年に後醍醐天皇との対立により南北朝時代となる。1348年に第一皇子の崇光天皇を即位させ、引き続き院政を行なうも1351年に南朝へ帰順。その後、出家し1364年8月5日に死去。没年54歳。

1783年
【自然災害】「1783年浅間山大噴火」

1783年8月5日、長野県北佐久郡軽井沢町・御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村との堺にある浅間山で噴火が発生。火砕流により被害地域では1,624人が死亡、そのうち被害の大きかった嬬恋村では483人が死亡した。この噴火は天明の大飢饉の一因と言われている。

1792年
【死去】フレデリック・ノース(Frederick North, 2nd Earl of Guilford)【貴族・政治家/イギリス】

18世紀イギリスの貴族および政治家で第12代イギリス首相(1770年〜1782年)となった人物。初代ギルフォード伯爵の長男として生まれ、1754年に下院議員へ選出される。1759年に財務次官として初入閣。1765年にホイッグ党のロッキンガム侯チャールズ・ワトソン=ウェントワースの政権下になると入閣を断り平議員へ。1766年にチャタム伯ウィリアム・ピット政権下となると再び入閣し陸軍主計官および枢密院顧問に就任。その後財務大臣、下院院内総務を経て1770年に首相に就任。首相就任中は「レキシントン・コンコードの戦い」に続く「アメリカ独立戦争」の問題へ着手するも1778年にアメリカとフランスの同盟国との戦争に発展。1779年にスペイン、1780年にオランダなどが参戦しイギリスは同盟国のないまま、1782年に事実上の敗戦へ。同年にノースは首相を辞任、1783年に内務大臣しパリ条約が締結されることに。晩年も政界で活動し、1792年8月5日に死去。没年60歳。

1944年
【第二次世界大戦】「カウラ事件」

「第二次世界大戦」中の1944年8月5日、オーストラリア・カウラの第12戦争捕虜収容所から、収容所では史上最多となる545人の日本兵捕虜が脱走。この脱走により235人が死亡(内オーストラリア人4人、日本人231人)。8日後、脱走に成功した全員が捕縛されている。

1945年
【第二次世界大戦】【日本本土空襲】「湯の花トンネル列車銃撃事件」

「第二次世界大戦」中の1945年8月5日、東京都八王子市裏高尾町内の日本国有鉄道中央本線内の湯の花トンネル付近を走行中の列車に対し、複数のアメリカ軍P-51戦闘機が機銃掃射を加えた事件。この事件による負傷者は130人以上とされ、死者は国鉄では49人、警視庁では52人、事件の慰霊会では65人以上とされている。

1946年
【死去】ヴィルヘルム・マルクス(Wilhelm Marx)【法律家・政治家/ドイツ】

19世紀から20世紀ドイツの法律家および政治家で第8代・第10代ドイツ国首相(1923年〜1924年・1926年〜1928年)となった人物。ボン大学で法学を学び卒業後は裁判所の試補の職に就く。以降、中央党での政治活動も行ないながら地方裁判所判事、最高裁判所判事を経て1899年にプロイセン王国議会議員へ選出される。1910年にドイツ帝国議会議員へ選出される。1916年に中央党議員団執行部となり「第一次世界大戦」後はヴァイマル制憲会議議員、プロイセン州制憲会議議員に選出される。1923年にドイツ国首相へ就任。翌年に退陣し、プロイセン州首相へ就任。1926年に再びドイツ国首相へ就任するも社会民主党のフィリップ・シャイデマンにソビエト軍とドイツ国防軍との協力関係を暴露され1928年に辞任。1932年に政界から引退し隠居生活へ。1946年8月5日に死去。没年83歳。

1962年
【死去】【自殺】【怪死】マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)【女優/アメリカ合衆国】

世界的女優にして”20世紀のセックス・アイコン”。『お熱いのがお好き』『7年目の浮気』等の数々のヒット映画だけでなく、ジョー・ディマジオとの結婚と離婚、ジョン・F・ケネディ兄弟との不倫等、そのスキャンダラスな人生も含めての”ハリウッド・スター”であった。LAの自宅の寝室で全裸で死亡しているところをメイドが発見。「睡眠薬の過剰摂取による自殺」とあらゆるメディアで報道されたが、ほどなくして他殺説が流れた。没年36歳。

1981年
【社会事件】【国際事件】【スパイ事件】「男鹿脇本事件」

1981年8月5日、秋田県男鹿市脇本海岸で警察がゴムボートに乗った3人の男性を発見、2人はゴムボートで逃走し1人の男を逮捕。その後、逮捕した尹敏哲(当時29歳)が北朝鮮の工作員であることが発覚、尹は出入国管理令違反で懲役10カ月、執行猶予2年の判決を受けることとなった。

1987年
【死去】澁澤龍彦【小説家・評論家・フランス文学者】エロティック文学、カルチャーのオーソリティとしてとして活躍した作家。マルキ・ド・サド作『悪徳の栄え』の翻訳者としてわいせつ文書販売の罪に問われ被告人となったことも(結果としては有罪が確定し7万円の罰金)。晩年は下咽頭ガンの影響で声帯を切除し声を失っていた。読書中に頚動脈瘤破裂により死去。没年59歳。
1991年
【死去】本田宗一郎【事業家・技術者】本田技研工業設立者。39歳で静岡県浜松市に本多技術研究所を設立、後のホンダを世界的な企業に育て上げた日本を代表するカリスマ的経営者。肝不全で84歳没。
1992年
【死去】ロバート・マルドゥーン(Sir Robert David Muldoon)【会計士・政治家/ニュージーランド】

20世紀ニュージランドの会計士および政治家で第31代ニュージーランド首相(1975年〜1984年)となった人物。会計士として働く傍ら1947年にニュージーランド国民党に参加。1960年にタマキから国会議員へ選出される。以後、観光大臣、財務大臣、副首相を歴任し1974年に野党党首へ就任。翌1975年に首相に就任。晩年まで政治家として活動し1991年に政界を引退。1992年8月5日、病により死去。没年87歳。

1993年
【未解決事件】【殺人事件】「阪和銀行副頭取射殺事件」副頭取の小山友三郎が射殺されたが犯人は不明。2008年に時効が成立。
1994年
【銀行強盗】【未解決事件】「福徳銀行5億円強奪事件」日本史上最大の銀行強盗事件と言われている。犯人のひとりは事情聴取後に自殺し、もうひとりの犯人である元暴力団員の森本喜博は時効成立まで逃げながらえたが、2007年に愛知信用金庫西大須支店で別件の強盗事件で逮捕。懲役8年となったが、5億円強奪に関しては問われていない。
1998年
【死去】トドル・ジフコフ(Todor Hristov Zhivkov)【政治家/ブルガリア】

20世紀ブルガリアの政治家でブルガリア共産党書記長(1954年〜1989年)・閣僚評議会議長(1962年〜1971年)・国家評議会議長(1971年〜1989年)を歴任しブルガリア最高指導者として知られる人物。1932年にブルガリア共産党へ入党。「第二次世界大戦」中はレジスタンス運動に参加しブルガリア人民軍司令官に就任。1951年にブルガリア共産党政治局員、1954年に党書記長へ就任。1962年にブルガリア人民共和国閣僚評議会議長を兼任。1971年にブルガリア人民共和国国家評議会議長に就任。その後ジココフへの不満が高まり、1989年にベルリンの壁崩壊とともに辞任。辞任後は公金横領罪で起訴され、1992年に懲役7年の判決を受けた後の1998年8月5日に肺炎のため死去。没年86歳。

1998年
【事故死】オットー・クレッチマー(Otto Kretschmer)【軍人/ドイツ】

「第二次世界大戦」のUボート指揮官として知られるドイツの海軍軍人。1930年に海軍兵学校へ入校し1934年に少尉となる。同年からUボート部隊となり1936年に海軍中尉へ昇進。「第二次世界大戦」中の1940年にデンマーク船籍タンカー、イギリス海軍の駆逐艦デアリング、イギリスの商船を撃沈させ戦果をあげる。哨戒中の1941年にイギリス海軍から爆雷を受け、航行不能となったU-99を自沈させ捕虜となる。同年、本人不在のままアドルフ・ヒットラーから柏葉剣付騎士鉄十字章を授与される。その後、イギリスで捕虜生活を送り1947年に釈放され帰国。1955年に西ドイツ・ドイツ連邦軍海軍に入隊。晩年はNATOの参謀将校(Staff Officer)、NATOバルト海連合艦隊司令官参謀長、准将となった後1970年に退役。1998年8月5日、ボート事故により死去。没年86歳。

2000年
【死去】アレック・ギネス(Sir Alec Guinness)【俳優/イギリス】映画『戦場にかける橋』でアカデミー主演男優賞を受賞したイギリスを代表する名優。『スターウォーズ』最初の3部作でオビ=ワン・ケノービ役で知られるが、本人的には「人生最大の失敗」と感じていたという。1959年に大英帝国勲章を受章し、ナイトに。肝臓ガンで86歳没。
2001年
【死去】ズオン・バン・ミン(Dương Văn Minh)【軍人・政治家/ベトナム共和国】

20世紀ベトナムの軍人および政治家でベトナム共和国(南ベトナム)最後の大統領(1963年〜1964年・1975年4月28日〜同月30日)として知られる人物。1940年代にフランス植民地軍へ入隊しベトナム人将校となる。1955年「ベトナム戦争」が勃発しベトナム共和国(南ベトナム)が樹立するとベトナム共和国軍に参加、1962年に軍事顧問へ就任。1963年にクーデターを起こし、ゴ・ディン・ジエム大統領と弟のゴ・ディン・ヌー大統領顧問を殺害しズオン・バン・ミン軍事政権を樹立。1964年にグエン・カーン将軍がクーデターを起こし、タイへ追放されることに。その後南ベトナムへ戻り大統領へ復帰するも南ベトナム軍部強硬派によるクーデターで翌年にフランスへ亡命。1968年に帰国し第三勢力として活動を開始し1975年に大統領へ就任。同年に北ベトナム軍によりサイゴンが陥落、同軍が作成した“アメリカ傀儡大統領”としての降伏声明をラジオで読み上げたことでベトナム戦争が終結となった。再教育キャンプで過ごした後、アメリカへ移住し2001年8月5日に死去。没年85歳。

2002年
【殺人事件】「マブチモーター社長宅殺人放火事件」千葉県松戸市にあったマブチモーター社長・馬渕隆一宅で妻と長女が絞殺され放火された。犯行目的は窃盗であったが、金庫も開けられないというお粗末すぎる強盗であった。犯人2人組のうち主犯格の畠山鐵男(旧姓小田島)は死刑が確定。共犯の守田克美については現在審議中である。
2006年
【死去】ダニエル・シュミット(Daniel Schmid)【映画監督・演出家/スイス】

20世紀スイスの映画監督およびオペラ演出家。大学卒業後の1966年にライナー・ヴェルナー・ファスビンダーと出会い、1970年にテレビ映画『主人の蝋燭を節約するためにすべてを暗闇のなかで行うこと』で映画監督デビュー。1971年にファスビンダーらと映画製作会社タンゴ・フィルムを設立。1972年に発表した『今宵かぎりは…』がヴェネツィア国際映画祭新人監督賞を受賞。以降『ラ・パロマ』(1974年)や『天使の影』(1976年)などを発表。1980年代からオペラ演出家としても活動し『青ひげ』(1984年)、『夢遊病の娘』(1995年)などを発表。1999年に発表した7年ぶりの長編劇映画『ベレジーナ』がロカルノ国際映画祭名誉豹賞を受賞。晩年まで活躍し2006年8月5日、ガンにより死去。没年64歳。

2010年
【崩落事故】「チリ・コピアポ鉱山落盤事故」

2010年8月5日、チリ・アタカマ州コピアポ近郊のサンホセ鉱山で坑道の崩落事故が発生。この事故により男性鉱山作業員33人が閉じ込められるも同年10月13日に全員救出された。

2011年
【死去】前田武彦【タレント・放送作家】『夜のヒットスタジオ』『笑点』等の人気テレビ番組で司会を務めた。肺炎で82歳没。
2011年
【死去】前田武彦【タレント・放送作家】

1960年代から1990年代にかけて“マエタケ”のあだ名で活躍したタレントおよび放送作家で“フリートークの天才”と呼ばれた人物。「第一次世界大戦」後の1946年に鎌倉アカデミア演劇科へ入学。その後は職を転々とし1953年にNHKの放送作家の職を得る。1960年代からタレント活動を主に行ないフジテレビの音楽番組『夜のヒットスタジオ』で司会者を勤めたことをきっかけに人気司会者となる。以降、演芸番組『笑点』(1969年〜1970年)『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(1969年〜1971年)といった人気番組の司会者、『ゴールデン洋画劇場』では初代映画解説者として出演。1973年に日本共産党員沓脱タケ子の応援をしたとして出演番組が打ち切りになる事態に発展。一方、ラジオでは1978年に生ワイド番組『マエタケの朝は自由大通り』のパーソナリティを開始。1980年代からテレビ業界へ復帰しTBSの『朝のホットライン』でお天気キャスターとして出演。1988年に映画『釣りバカ日誌』シリーズへレギュラーキャストとして出演。 2011年8月5日、肺炎により死去。没年82歳。

2012年
【死去】浜田幸一【政治家・タレント】元ヤクザを自称し無鉄砲なキャラクターで人気を博した”政界の暴れん坊”。愛称は”ハマコー”。自由民主党の衆議院議員として通算7回の当選を誇り、衆議院予算委員長、自由民主党広報委員長、自由民主党副幹事長等を歴任したが1993年に政界引退、タレントとしてテレビ等で活躍した。晩年はアドバンスト・メディアの株券を勝手に売却して2億円の損害を与えたとして背任罪で逮捕されたが、認知症のために公判は停止。そのまま急性心不全で富津市大堀の自宅で死去。没年83歳。
2014年
【自殺】笹井芳樹【大学教授・医学者】京都大学の医学博士であり、理化学研究所の副センター長。小保方晴子の発表した論文に端を発したSTAP細胞問題の渦中で自殺。自らの研究室がある先端医療センター棟内の4〜5階の間の踊り場で首吊りをしていた。没年52歳。
2015年
【自殺】児玉広志【競輪選手】2000年オールスター競輪とKEIRINグランプリ2000を含む通算優勝回数54回を誇る現役競輪選手だったが、自宅風呂場で溺死。没年46歳。
2015年
【死去】花紀京【コメディアン】エンタツ・アチャコの横山エンタツの次男として生まれ、吉本新喜劇の座長を務めるなど、同劇団の看板として活躍した喜劇俳優。「ほな、百万円」等の名台詞で知られる。2002年8月に脳腫瘍の摘出手術を受け、2003年5月に自宅で入浴中低酸素脳症を発症。事実上の引退となった。最終的には肺炎で死去。没年78歳。
2016年
 【夭折】平田実音【タレント・モデル】

赤ちゃんモデルとして2歳の頃にデビュー。1991年の『ひとりでできるもん!』で初代・舞ちゃんとして出演。1994年に同番組を離れるも1988年、1999年には同番組のお姉さん役で復帰。翌年の『みんなの広場だ!わんパーク』への出演も含めNHK教育テレビで活躍した。大学進学とともに芸能界を引退。2016年8月5日に肝不全のため自宅で死去。没年33歳。

2016年
【死去】【夭逝】平田実音【女優】

平成に活躍した女優でNHK教育テレビ『ひとりでできるもん!』の初代舞ちゃん約として知られる人物。1985年に子役として芸能界デビュー。1991年に放送されたNHK教育テレビ『ひとりでできるもん!』の舞ちゃん役で人気を博す。その後、学業に専念するため芸能活動を休止。大学卒業後、女優活動へ復帰するもすぐさま芸能活動を引退。2013年頃から肝臓を病み入退院を繰り返していたが、2016年8月5日に肝不全により死去。没年33歳。

2018年
【自然災害】「2018年8月ロンボク島地震」

2018年8月5日、インドネシア・バリ島東隣ロンボク島北部でマグニチュード6.9の地震が発生。この地震で91人が死亡、209人が負傷。