『1960年頃の坂本九の宣材写真』

1985年8月12日は『SUKIYAKI(上を向いて歩こう)』の全米ヒットで世界的な知名度を獲得した日本の国民的歌手、坂本九が事故死した日である。
そして、それは520人という死亡者を出した世界最大の航空機墜落事故、「日本航空123便墜落事故」によってであった。
「日航機墜落事故」という呼び名で現在も語り継がれる最悪の航空機事故は、日本が世界に誇るエンターテイナーである坂本の命の他にも、女優の北原遥子、中埜肇阪神タイガース球団社長、浦上郁夫ハウス食品代表取締役社長等著名人の命も奪ったが、やはり今となっては500人以上もの人命を奪った事故としての印象が強い。日本を代表するスターの死といえども、その他519人と同時に死亡したという“不幸”からは逃れられない。
ちなみに、「日航機墜落事故」からちょうど27年前になる1958年8月12日は「全日空下田沖墜落事故」が起きた日であり、この日が全日本空輸として初めて旅客機が墜落した日でもある。
その意味で、全日空に関わる人間にとって、8月12日は、絶対に忘れられない日付である。

(写真はWikipedia 坂本九より使用。Public Domain)

8月12日の不幸

1827年
【死去】ウィリアム・ブレイク(William Blake)【版画家・詩人/イギリス】

イングランドの国歌とされる『エルサレム』の歌詞に使用されている預言詩『ミルトン』の序詩で知られる詩人であり、版画作品、出版物など数多くの作品を遺し、現代の作家にまで影響を与える巨人。69歳で死ぬ直前まで創作にかかっており、死の間際にも看病する妻のポートレートを描いて死んだといわれている。

1883年
【絶滅】「クアッガ絶滅」

アムステルダムのアルティス動物園で飼育されていたメスのクアッガ(南アフリカに生息していたサバンナシマウマの亜種)が死亡。この1頭が確認できた最後の個体であり、この日でクアッガは絶滅となった。

1944年
【戦死】ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア(Joseph Patrick "Joe" Kennedy, Jr.)【軍人・パイロット/アメリカ合衆国】

ジョン・F・ケネディの実兄である米海軍のパイロット。第二次世界大戦中のイギリス南部ニューデライトウッド上空で爆発死。没年29歳。

1955年
【死去】トーマス・マン(Paul Thomas Mann)【小説家/ドイツ・チェコ・アメリカ合衆国】

ナチス・ドイツの政権掌握とともにアメリカに亡命。『ヴェニスに死す』『魔の山』等数多くの世界的ベストセラーを発表し続け、1929年にノーベル文学賞を受賞。心臓冠状動脈血栓症でオランダ・チューリッヒで死亡した。80歳没。

1958年
【航空事故】「全日空下田沖墜落事故」

1958年8月12日、羽田空港発名古屋飛行場行きの全日空25便(ダグラスDC-3型機)が、飛行中の20時20分頃下田沖上空を飛行中に、エンジントラブルにより羽田に引き返す旨の連絡を入れた後に行方不明に。翌日下田市沖に墜落しているところを発見され、乗員乗客あわせて33人の全員が死亡した。被害者の遺体は18人が引き上げられたが、残りは当時の技術では不可能であった。エンジントラブルの他、詳細な事故原因は不明。なおこの事故は、全日本空輸が創業後初の人身死亡事故として知られている。

1970年
【航空事故】「中華航空206便墜落事故」

1970年8月12日に花蓮から台北に向かう中華航空(現チャイナエアライン)206便(日本航空機製造YS-11双発ターボプロップ機)が悪天候のために台北松山空港への着陸に失敗し、空港の西側にある山林に墜落。乗員乗客31人中14人が死亡、17人が重軽傷を負った。死亡者の中には宝塚歌劇団花組生徒の清月輝が含まれていたために日本でも衝撃をもって報道された。

1970年
【航空事故死】【夭折】清月輝【女優】

宝塚歌劇団花組所属の女優。夏休みに単身で台湾旅行へ行き、その日本への帰路、花蓮から台北に向かうために乗っていた飛行機が台北松山空港近くに墜落(中華航空206便墜落事故)し死亡した。没年22歳。

1980年
【死去】立原正秋【小説家・随筆家・編集者】

朝鮮半島出身の小説家。代表作に第55回直木賞を受賞『白い罌粟』等。文芸誌『早稲田文学』の編集長を務めたことも。食道ガンで54歳没。

1982年
【交通事故死】サルバドル・サンチェス(Salvador Sánchez)【プロボクサー/メキシコ】

通算44勝32KO1敗1引き分けという元WBC世界フェザー級王者。9連続防衛中の現役WBC世界フェザー級王者のまま自らの運転していたポルシェで交通事故死。没年23歳。

1985年
【航空事故】「日本航空123便墜落事故」

1985年8月12日、東京・羽田空港発大阪・伊丹空港行きの123便(ボーイング747SR-46)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落。乗員乗客524人中、520人が死亡。単独の飛行機事故としては史上最悪の犠牲者を出した事故であり、著名人では歌手の坂本九を始め、北原遥子(女優)、中埜肇(阪神電気鉄道専務取締役鉄道事業本部長・阪神タイガース球団社長)、浦上郁夫(ハウス食品工業代表取締役社長)等の面々が犠牲となった。事故原因は後部圧力隔壁の損壊とされ、1978年6月2日に発生した「日本航空115便しりもち事故」の際にボーイング社の修理が不完全であったことが影響したといわれている。

1985年
【航空事故死】北原遥子【女優】宝塚歌劇団出身の女優。日本航空123便の墜落事故で死亡。没年24歳。
1985年
【航空事故死】坂本九【歌手】

『SUKIYAKI(上を向いて歩こう)』の "Billboard Hot 100"3週連続1位というヒットで世界的な知名度を誇った日本の国民的歌手。その他ヒット曲に『見上げてごらん夜の星を』、『明日があるさ』など。そして、それは520人という死亡者を出した世界最大の航空機墜落事故、日本航空123便の墜落事故で死亡。没年43歳。

1986年
【夭折】【急死】岡田京子【女優】

テレビドラマ『仮面ライダーストロンガー』の岬ユリ子等。同作のメイクと結婚引退後、喘息の発作による内臓疾患で27歳没。

1988年
【薬物過剰摂取】ジャン・ミッシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)【画家/アメリカ合衆国】

主にニューヨークのスラム街などで活躍した画家。アンディ・ウォーホールとの共作でも知られ、死後の1996年に、その生涯が映画化され(『バスキア』)、作品やその刹那的な生き方に注目が集まった。ヘロインの過剰摂取で27歳没。

1992年
【死去】中上健次【小説家・詩人・評論家】

和歌山県新宮市の被差別部落出身の作家であり、自ら「路地」と呼ぶ部落の世界観を芥川賞を受賞した『岬』等の作品で表現した。腎臓ガンで46歳没。

1992年
【死去】ジョン・ケージ(John Milton Cage Jr.)【作曲家・音楽家/アメリカ合衆国】

前衛的な作風で音楽表現の概念を根底から覆した現代音楽の大家。代表曲に、無音の名曲『4分33秒』等。脳溢血没年79歳。

2000年
【死去】秋山登【プロ野球選手】

高校、大学の同期である土井淳とのバッテリーで入団した大洋ホエールズで通算193勝を上げた下手投げの速球派投手。1960年に初のリーグ優勝・初の日本一を遂げたチームのエースであり、同年のシーズンMVPを獲得した。1998年に横浜ベイスターズ(1993年大洋ホエールズから改名)が38年ぶりの日本一に輝いたのを見届けるように、2000年に呼吸不全で死亡。66歳没。

2009年
【死去】山城新伍【俳優・司会者】

テレビ時代劇『白馬童子』の主演で人気を博し、その後あらゆるメディアを席巻した20世紀のスター俳優。テレビバラエティ『独占!男の時間』『新伍&紳助のあぶない話』、映画『仁義なき戦い』、CM『日清どん兵衛』等、多くの大ヒット作品で知られる。プライベートでは女優の花園ひろみと二度の結婚・離婚を繰り返し、晩年は孤独であった。最後は東京都町田市の特別養護老人ホームにて、嚥下障害による肺炎で死亡。没年70歳。

2010年
【自殺】影山日出夫【ジャーナリスト】

NHK入局後政治部の記者を経て『おはよう日本』編集責任者に。その後NHK解説委員として活動していたが、NHK放送センターの個室トイレで首吊り自殺。翌日搬送先の病院で死亡した。56歳没。