『ドラクロワ作「サルダナパールの死」』(1827年)

1863年8月13日は19世紀のフランスロマン主義を代表する画家、ウジェーヌ・ドラクロワが死亡した日である。
鮮やかな色使いと艶めかしい肉体で知られるその作品の中でも、フランスの紙幣にも使用された『民衆を導く自由の女神』がドラクロワの表の顔なら、その裏側、“エロティシズムと人間の欲望”を描いたもうひとつの到達点といえるのがこの『サルダナパールの死』である。
バイロン作の戯曲『サルダナパール』を元に描かれたというこの絵画作品は、圧政を敷いたことで知られるアッシリア王サルダナパールが、自らに迫る反乱軍を前に、妾と財産を処分しながら死んでゆく様を描いている。
目の前で繰り広げられる《エログロの大惨劇》を前に惚けきった表情で横たわる王のその心情に、《人間の闇》が滲み出ているように思えてならない作品である。
この作品は現在、パリのルーブル美術館に所蔵され、世界中の観光客の注視を浴び続けているが、それは、ドラクロワがこの作品を描いた今から200年も前から現在も変わらず、我々が《死》と《欲望》に魅了され続けていることの何よりの証明であろう。

(画像はWikipedia Eugène Delacroixより使用。Public Domain)

8月13日の不幸

1863年
【死去】ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix)【画家/フランス】

19世紀のフランスロマン主義を代表する画家。鮮やかな色使いと艶めかしい肉体で知られるその作品の中でも、フランスの紙幣にも使用された『民衆を導く自由の女神』等で知られている。65歳没。

1896年
【死去】ジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everett Millais)【画家/イギリス】

19世紀を代表するイギリスの画家。1840年に史上最年少の11歳でロンドン「ロイヤル・アカデミー付属美術学校」に入学。1848年、同校の学生であったウィリアム・ホルマン・ハントらと「ラファエル前派」を結成。翌年にラファエル前派としての初の作品『ロレンツォとイザベラ』を発表。1852年に代表作のひとつとなる『オフィーリア』を制作し高い評価を得る。1857年『浅瀬を渡るイザンブラス卿』を発表後はラファエル前派から離れることに。その後、1860年に『ブラック・ブランズウィッカー』で再評価を受ける。1863年にイギリスで少女画ブームを起こすこととなった『初めての説教』を発表し、ロイヤル・アカデミーの正会員へ。1896年にロイヤル・アカデミーの会長に選出されるも同年8月13日に食道ガンで死去。没年67歳。

1910年
【死去】フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)【看護師/イギリス】

クリミア戦争に従軍し、超人的な働きで看護に従事、その後ナイチンゲール看護学校を設立し、後進の育成に努めた。晩年には完全に失明するが、精力的に活動を続け、90歳で睡眠中に死亡。

1946年
【死去】ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells)【小説家/イギリス】

"SFの父"と呼ばれるイギリスを代表するSF作家のひとり。科学師範学校で生物学を学び、教師を志すも肺を患い執筆生活へ入る。ジャーナリストとして『ネイチャー誌』などに寄稿しながら、1895年『タイム・マシン』で作家デビュー。その後、『モロー博士の島』(1896年)、『透明人間』(1987年)、『宇宙戦争』(1898年)など代表作を次々と発表。第一次世界大戦後は様々な社会活動を行ない、慈善団体「糖尿病患者協会」などを設立。1933年から1936年まで国際ペンクラブ2代目会長に就任。1939年、ルーズベルトの「世界人権宣言」や「日本国憲法9条」などに影響を与えた『新世界秩序』を発表。1946年8月13日、肺ガンにより死去。没年79歳。

1947年
【死去】伊波普猷(いはゆふう)【民族学者】

"沖縄学の父"として知られる、明治から昭和にかけての民俗学者。1903年、東京帝国大学で言語学を専攻後、沖縄に帰郷。沖縄県立図書館の館長を務めながら、沖縄研究資料を収集。沖縄を中心とした民俗学、歴史学、宗教学などを研究し、後の「沖縄学」発展に貢献した。中でも歌謡集『おもろそうし』の研究は大きな功績となっている。晩年は腎臓病に苛まれ、1947年8月13日に死去。没年71歳。

1949年
【死去】伊沢多喜男【政治家】

明治から昭和にかけての政治家。大学卒業後、内務省に入省し、岐阜県・福井県・滋賀県の各書記官、滋賀県事務官などを歴任。1907年に警視庁警視、和歌山県知事(1907年〜1909年)を務めた後、1909年に愛媛県知事(1909年〜1912年)、1912年には新潟県知事(1912年〜1913年)へ就任。1914年に第2次大隈内閣が樹立すると警視総監に就任、しかし、1915年の「大浦事件」により辞職。翌年、貴族院議員となり1924年から台湾総督(1924年〜1926年)へ。1935年に内閣審議会委員、1940年に枢密顧問官(1940年〜1947年)へ。戦後は公職追放となり、1949年8月13日に老衰により死去。没年79歳。

1965年
【死去】池田勇人【政治家】

日本の高度経済成長期に第58代〜60代内閣総理大臣(1960年から1964年)となった人物。1925年に大蔵省に入省、宇都宮税務署長を務めるも1929年に落葉状天疱瘡を発症し休職。完治後の1934年に玉造税務署長として大蔵省へ復職。1945年に主税局長となった後、1947年に樹立した第1次吉田内閣の元で大蔵次官に就任。1948年に政治家となるべく大蔵省を退官し、翌年、第24回衆議院議員総選挙へ出馬し初当選。その後、大蔵大臣(1949年〜1952)などを歴任し、1960年に岸内閣を引き継ぎ、内閣総理大臣に就任。1964年まで務めた後、同年9月に咽頭ガンにより入院し翌10月に退陣。翌1965年8月13日、咽頭ガンにより死去。没年65歳。

1971年
【殺人事件】キング・カーティス(King Curtis)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1950年代に活躍したR&B、ソウルのサクソフォーン奏者。10代後半からスタジオニュージシャンとして活動し、当時人気のグループ「コースターズ」とのセッションで有名となり1959年からソロ活動を開始。1962年の『soul twist』、1964年の『soul serenade』がヒット。その後、アトランティック・レコードと契約し、ソロ活動をしながらアトランティック所属のアーティストとのセッションや音楽監督なども行なった。1971年8月13日、ジョン・レノンの『イマジン』のリハーサルを終え帰宅中、自宅入り口前で麻薬中毒者であったファン・モンタネズと口論となり、ナイフで刺され搬送先の病院で死亡。没年37歳。

1973年
【薬物過剰摂取】【夭折】ウィリー・レイ(Willy Rey/Wilhelmina Rietveld)【ヌードモデル/オランダ・カナダ】

1971年2月号のプレイメイト・オブ・ザ・マンスとして米『Playboy』誌を飾るなど、プレイメイトやヌードモデルとして活動した人物。1971年11月に株式公開したがプレイボーイエンタープライズ社の株券に印刷されたイラストの元になった女性としても知られている。日本でも1972年にサントリービール「純生」のテレビCMで佐藤允と共演し、流行語となった「若さだよ、ヤマちゃん!」という台詞で人気を博した。1973年8月13日にバンクーバーにてバルツビールの過剰摂取で死亡。没年23歳。

1995年
【死去】ミッキー・マントル(Mickey Charles Mantle)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

1950年代から1960年代にかけて、メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースで長年主砲として活躍したスイッチヒッターの外野手(センター)。強打のスイッチヒッターとして知られ、1960年にタイガー・スタジアムで放った195メートルもの本塁打はギネスブックに「史上最長本塁打」と登録され、通算536本塁打はスイッチヒッターでの歴代1位であり、スイッチヒッターで唯一の三冠王記録者(1956年)でもある。リーグMVP3回、本塁打王4回、打点王、首位打者各1回。通算打率.298、通算2,415安打。選手生活の晩年は早世の血統を気に病み飲酒しながらプレイするなど、暗いパーソナリティも垣間見せ、1968年シーズンで引退。引退後の1995年8月13日に飲酒癖が原因とされる肝臓ガンで63歳没。

2003年
【夭折】穂積由香里【タレント】

1982年のベストセラー『積木くずし』のモデルとなった人物。1983年にはトルエン所持、覚醒剤取締法違反等で3度逮捕されている。20代から腎臓病を患い、多臓器不全で死去。没年35歳。

2005年
【死去】デビッド・ロンギ(David Russell Lange)【政治家/ニュージーランド】

第32代ニュージーランド首相(1984年〜1989年)となった人物。1977年、ニュージーランド労働党から出馬し初当選。1982年に同党の党首に就任し、1984年にニュージーランドでは最年少の41歳で首相に選出。1989年、首相を辞任。その後、検事総長に就任していたが、1996年に健康上の理由により政界から引退。2005年8月13日、腎不全のため死去。没年63歳。

2006年
【自殺】ジョン・ノトヴェイト(Jon Andreas Nödtveidt)【ミュージシャン/スウェーデン】

ブラックメタルバンド「ディセクション」のギタリスト、ヴォーカル。私生活でも新興悪魔崇拝団体の「Misanthropic Luciferian Order」に加入し、アルジェリア移民殺人の共犯で殺人幇助罪を犯し懲役8年の刑を受け、同バンドは1997年に解散。2004年に出所後別のメンバーで「ディセクション」を再結成するが、2006年に解散。その2カ月後にストックホルムで拳銃自殺。鬱からでも加齢からでもなく自ら死を選んだという彼の遺書の中で、「死は人生のオーガズムだ」との言葉を遺している。没年31歳。

2007年
【薬物過剰摂取】ブライアン・アダムス(Brian Adams)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

アメリカ空軍として赴任した横田基地で新日本プロレスを知り、除隊後の1986年に同団体に入門。日本では労働ビザの関係でデビューできなかったものの、帰国後の1987年にアメリカマットでデビュー。1990年にはWWFで活躍したデモリッションの一員となり、"デモリッション・クラッシュ"の名で活動。デモリッション解散後も同名で活動したが、スタンガンの不法所持とステロイド使用で1995年にWWFを解雇。その後はWCWに移籍しハルク・ホーガンの「nWoハリウッド」に加入し来日するなど活躍し、2002年7月には全日本プロレスに参戦し武藤敬司&太陽ケアが持つ世界タッグ王座を奪取するなどの活躍もみせた。その直後にプロボクサー転向等を目指したが精彩を欠き引退。2007年8月13日に一番下の息子に自宅のベッドで死亡しているところを発見された。没年43歳。死因は鎮痛剤ブプレノルフィン 、筋弛緩剤カリイソプロドール、鎮静剤クロルジアゼポキシド、抗不安薬アルプラゾラム等の混合接種による呼吸不全といわれている。

2009年
【死去】レス・ポール(Les Paul)【ギタリスト・発明家/アメリカ合衆国】

自らギタリストとして活動する傍ら、ソリッドボディのエレクトリックギター「ギブソン・レスポール」を開発しギブソン社から発売した発明家でもある。肺炎で94歳没。

2009年
【死去】海老沢泰久【小説家・ノンフィクションライター】

スポーツのノンフィクションに多くの作品を発表し、同ジャンルでのフィクションも手がけた。代表作に『監督』『F1走る魂』等。十二指腸ガンで59歳没。