『満州国時代の甘粕正彦』

1945年8月20日は、日本陸軍の軍人であり、憲兵時代に関東大震災の混乱に乗じてアナキストの大杉栄・伊藤野枝らを折檻死させた「甘粕事件」の実行犯として知られる甘粕正彦が服毒自殺した日である。
「甘粕事件」を自らの単独犯として禁固10年の刑を受けた後に満州へ渡り、阿片ビジネスや「満州事変」でめざましい活躍を見せ、憲兵としては最高位ともいえる民政部警務司長に登り詰めた甘粕は、その後も中央本部総務部長、満洲映画協会理事長という要職に就任してゆく。
生涯つきまとった「甘粕事件」という武闘派のイメージとは異なり、満映理事長時は、森重久弥、李香蘭ら、数々の映画監督、俳優から慕われる人格者としてのエピソードも多い。
そして8月15日のポツダム宣言受諾後、満州国に迫りくるソ連軍の到着する前に満映の社員たちに退職金を出し、後の大映画監督・内田吐夢の手の中で青酸カリを使用して服毒自殺をしたのだった。
その見事すぎる死に際、さらに新京で行なわれた葬儀に3,000人もの弔問客が集まったという人格を鑑みるに、赤子すら井戸に突き落としたといわれる「甘粕事件」が彼の単独犯であったとは信じ難い。そう思わせるに十分な、甘粕の死に際である。

(写真はWikipedia 甘粕正彦より使用。Public Domain)

8月20日の不幸

1672年
【虐殺】ヨハン・デ・ウィット(Johan de Witt)【政治家/オランダ】

17世紀オランダの政治指導者で知られる人物。弁護士として活動しながら、1650年にドルドレヒト市長に選ばれた後、1653年にホラント州法律顧問に選出。1668年、フランスの侵攻を阻止すべく、イングランド・オランダ・スウェーデンの三国同盟を締結するも、1970年代に入るとイギリス・スウェーデンがフランスと同盟を結び三国同盟は崩壊。このことにより、オランダは危機的状況となり、デ・ウィット政権を不安視した世間はデ・ウィットの兄コルネリスをハーグ監獄へ収監。コルネリスは拷問を受けた後国外追放となったため、デ・ウィットは兄の求めに応じヘバンゲンポールトへ。しかし、到着後民衆に取り囲まれ、1672年8月20日にコルネリスとともに虐殺された。没年46歳。

1823年
【死去】ピウス7世(Pius VII)【司祭・ローマ教皇/イタリア】

18世紀末に第251代ローマ教皇(1800年〜1823年)となり、教会を利用しようとしたナポレオンと対立した人物。修道院院長、司教、枢機卿などを経て、1800年にローマ教皇に選出。1801年、コンコルダートを成立させるもナポレオンとの関係は悪化。1809年にナポレオンが教皇領を押収したため、ピウス7世はナポレオンを破門。同年、ピウス7世はイタリアのサヴォーナへ監禁され、ナポレオンの退位後にローマへ復帰した。1823年8月20日、老衰のため死去。没年81歳。

1945年
【自殺】甘粕正彦【軍人・役人】

大正・昭和期の陸軍軍人。陸軍憲兵大尉時代に関東大震災の混乱に乗じてアナキストの大杉栄・伊藤野枝らを折檻死させた「甘粕事件」の実行犯として知られる人物。「甘粕事件」を自らの単独犯と認めて禁固10年の刑を受けた後に、満州に渡り、阿片ビジネスや「満州事変」でめざましい活躍を見せ、憲兵としては最高位ともいえる民政部警務司長に登り詰め、その後も中央本部総務部長、満洲映画協会理事長という要職を歴任。ポツダム宣言受諾後、満州国に迫りくるソ連軍の到着する前に満映の社員たちに退職金を出し、後の大映画監督・内田吐夢の手の中で青酸カリを使用して服毒自殺。54歳没。

1945年
【戦争】【第二次世界大戦】「真岡郵便電信局事件」

1945年8月20日、樺太で起こった”北ひめゆり事件”とも呼ばれる集団自決事件。第二次世界大戦終結後もソ連軍は侵攻をとめず、真岡に上陸。このため、真岡郵便局内で勤務中であった女性電話交換手12人の内、10人が青酸カリやモルヒネで自決を図り、9人が死亡した。

1946年
【連続殺人事件】「小平事件」

1945年〜1946年にかけて東京周辺で小平義雄(逮捕時41歳)が起こした連続強姦殺人事件。小平は女性に就職口の斡旋などを持ちかけ、山林に誘い出した後、強姦・殺人を行なっていた。手口は同じで、10代〜30代の女性7人が犠牲となった。1946年8月20日に逮捕され、1949年10月5日に死刑が執行された。

1954年
【死去】ピウス10世(Pius PP.X)【司祭・ローマ教皇/バチカン】

20世紀初頭に第257代ローマ教皇(1903年〜1914年)となった人物。1858年に司祭、枢機卿へ。1903年にローマ教皇に選出されると、コンクラーヴェにおける拒否権の行使を廃止した。1914年8月20日、心筋梗塞により死去。没年79歳。1954年にローマ教皇・ピウス12世により列聖。

1989年
【水難事故】「マーショネス号転覆沈没事故」

ロンドンのマーチャント銀行の行員、アントニオ・デ・バスコンセロスの26歳の誕生日パーティを開催していたクルーズ船のマーショネス号が、1989年8月20日午前1時45分にテムズ川のキャノン・ストリート鉄道橋付近で浚渫船ボウベルに衝突され転覆、沈没。マーショネス号の乗客132人中船長を含む51名が死亡する大惨事となった。

1998年
【政治事件】「1998年アメリカ大使館爆破・報復事件」

1998年8月7日に起きたアメリカ大使館爆破事件に対し、当時の大統領ビル・クリントンは爆破にアルカーイダが関与した可能性が高いとし、1998年8月20日、報復としてスーダンのハルツーム郊外を巡航ミサイルで爆撃。しかし、実際に爆撃されたのはアルカーイダの拠点ではなく、ミルク製造などを行なっていた一般の工場であることが発覚した。

2007年
【航空事故】「チャイナエアライン120便炎上事故」

台北空港発那覇空港着のチャイナエアライン120便ボーイング737-800型機が、那覇空港着陸直後にエンジンから出火し炎上。機体は全て炎上したが、直ちに非難したために犠牲者は0人、乗員乗客165人中2名と地上の職員1名が負傷する被害に止まった。事故原因は脱落したボルトが燃料タンクを突き破ったことにあると発表された。

2008年
【航空事故】「スパンエアー5022便離陸失敗事故」

スペインの国内便、マドリード=バラハス空港発カナリア諸島ラス・パルマス県グラン・カナリア島のグラン・カナリア空港着のスパンエアー5022便マクドネル・ダグラスMD-82双発ジェット機が離陸直後数秒で滑走路脇に墜落。機体が真っ二つに裂け爆発を起こし、機体は炎上。乗員乗客172人中154人が死亡する大惨事となった。事故原因は異常設定のまま離陸を試みたため、そして操縦士の人為的ミスと発表された。

2012年
【戦死】山本美香【ジャーナリスト】

イラク、シリア等紛争地での取材で活躍したジャパンプレス所属のジャーナリスト。シリア内戦を取材中の2012年8月20日にシリア北部アレッポでシリア政府軍の銃撃を受け死亡。没年45歳。死後、設立された一般財団法人山本美香記念財団により「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」が創設された。

2017年
【死去】ジェリー・ルイス(Jerry Lewis)【俳優・映画監督・歌手/アメリカ合衆国】

1950年〜1970年代にかけ、そのスラップスティックで過激な笑いで世界的な人気と影響力を発揮し、伝説的な存在となったコメディアン。1946年にディーン・マーティンと結成したコメディユニット”Martin and Lewis(底抜けコンビ)”でナイトクラブを席捲し、日本では底抜けシリーズといわれる1950年の『At War with the Army(底抜け右向け!左)』に始まる数々の主演映画でコメディ映画の一時代を築く。1956年にコンビを解消すると単独で役者としての出演を続けながら、1960年には映画『The Bellboy(底抜けてんやわんや)』で監督デビュー。以降は自ら脚本・プロデューサーを務めることも多くなり、1980年代に至るまで多くのヒット作を手がけた。筋ジストロフィー患者への支援活動を続けながら、最晩年まで出演を続けたが、心臓病と閉塞性動脈硬化症で、ラスベガスの自宅にて91歳没。