『藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」のジャケット』

2013年8月22日は、歌手の藤圭子が新宿区の高層マンションから飛び降り自殺を遂げた日である。
近年は“宇多田ヒカルの母”という印象が強い藤であったが、本人も1970年に第1回歌謡大賞を受賞するなど一世を風靡した“超”人気歌手である。
現在活躍するアイドルグループらと同様に10代で世に出た女性歌手でありながら、歌う歌詞の内容は“怨歌”と形容され、“夜の女の悲哀”という暗く湿ったテーマの曲を歌い上げる新進の歌手であった。
その代表曲が、元々は練馬刑務所で歌われていた歌であるという『夢は夜ひらく』である(藤版は『圭子の夢は夜ひらく』)。
晩年は夫の宇多田との別居に始まり、彼女自身のプライベートが明かされるようになり、その浪費癖や鬱病も報道によって明らかになった。
2009年のアメリカ渡航時に過剰な現金を持ち込もうとして没収されたニュースなどもあり、とても“幸せな余生”と呼べるような晩年の印象ではなかった。
しかし彼女は元々芸能活動をリタイアしていたとはいえ、“宇多田ヒカルの母”などという枠に収まるような人物ではなかったのであろう。
西新宿のマンションからの投身自殺を含め、晩年のゴシップも、死後に沢木耕太郎が緊急出版した暴露本ですら、藤圭子の歌手としての全盛期のイメージを何一つ裏切るものではなかったともいえるだろう。
スポットライトの当たる場所で放っていた若き藤圭子の“大きな影”は、紛れもなく多くの人々を魅了し、その美しくももの悲しい彼女の世界に引きずり込んでいた。
そして、「15、16、17と〜」どころでは終われない人生の暗闇に、自らも消えていっただけなのだろう。

(写真は『圭子の夢は夜ひらく』)(1970年/ビクター/RCA)のジャケット)

8月22日の不幸

1806年
【死去】ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard)【画家/フランス】

ロココ期を代表するフランスの画家のひとり。1738年からロココ期の画家フランソワ・ブーシェに師事し、1752年に王立絵画彫刻アカデミーのコンクールで優勝。翌年、王立特待生学校に入学。装飾画家として経験を積み、1767年、代表作となる『The Swing(ぶらんこ)』を発表。晩年は美術管理委員会メンバーに選出された。1806年8月22日、脳卒中により死去。没年74歳。1789年のフランス革命以後、ロココが廃れたため、貧困の中で亡くなったと言われている。

1943年
【死去】島崎藤村【詩人・小説家・教員】

明治女学校高等科英語科教師時代から『文学界』に寄稿を始め、教え子への恋愛を心に咎め辞職。その後も教職を転々としながら作品を発表し続け、自然主義文学を代表する作家となる。代表作に『破戒』『春』『新生『夜明け前』等。『東方の門』を連載中の1943年8月22日に脳溢血で死亡。没年71歳。

1952年
【死去】平沼騏一郎【政治家・司法官僚・教育者】

大審院検事局検事総長、大審院長を歴任した司法官僚から第2次山本権兵衛内閣の1923年に司法大臣に任命され政治家に転身。以降、貴族院議員、枢密院副議長、枢密院議長を経て、1939年1月に第35代内閣総理大臣に就任したが、第二次大戦直前の国際関係に疲弊し、「ノモンハン事件」の直後に内閣総辞職。1年に満たない短命政権となった。その後太平洋戦争時に国務大臣、内務大臣を枢密院議長を歴任し、終演後にA級戦犯として終身刑に。刑務所内で奇行が散見されたために1952年に病気仮釈放となるが、釈放直後に死亡。没年84歳。

1958年
【死去】ロジェ・マルタン・デュ・ガール(Roger Martin du Gard)【小説家/フランス】

1922年から18年をかけて発表した大河小説『チボー家の人々』で知られる、フランスの代表的小説家。『チボー家の人々 第7部 1914年夏』により1937年のノーベル文学賞を受賞した。心筋炎の発作で77歳没。

1976年
【怪死】【交通事故死】ジュセリーノ・クビチェック(Juscelino Kubitschek de Oliveira)【政治家/ブラジル】

ブラジルの第21代大統領(1956年〜1961年)となった人物。1955年、大統領選挙に出馬し、翌年に大統領へ就任。1960年の選挙に敗れたため、1961年に任期を終え辞任。1964年、カステロ・ブランコ将軍によるクーデターが起こり、公民権が剥奪されたため、欧米へ亡命。1967年に帰国したが、1976年8月22日に自動車交通事故により死亡。この交通事故は後に軍部による暗殺と言われているが、詳細は謎のまま。没年73歳。

1978年
【死去】ジョモ・ケニヤッタ(Jomo Kenyatta)【政治家/ケニア共和国】

ケニア共和国の独立に貢献し、ケニア共和国の初代首相・初代大統領を務めた人物。1923年頃から政治活動に関心を持ち、1926年にKCA(キクユ中央連盟)の書紀として活動へ参加。KCAの代表として1931年と渡英後、ロンドンの大学に入学。1938年、アフリカ人として初の著書『Facing mount Kenya(ケニア山を望んで)』を出版。1946年に帰国、翌年にKAU(ケニア・アフリカ人連合)の党首に選出された。1952年、民主主義的独立運動「マウマウ団の乱」に関係したとして、逮捕、投獄され、1959年に出所。1963年、イギリスからケニアの独立が成立すると初代首相に選出、翌年、大統領制に移行したため初代大統領に就任した。1978年8月22日、老衰により死去。没年84歳。

1981年
【航空事故】「遠東航空103便墜落事故」

台湾・台北松山空港発高雄行きの国内線、遠東航空103便ボーイング737-200が、9:54に離陸してからたった14分後、上空22,000フィート(6,700メートル)を飛行中に突然空中分解を起こし、山中に墜落。乗員乗客110人全員が死亡する大事故となった。事故原因は機体の老朽化であったされている。乗客の日本人18人の中には取材中の脚本家・向田邦子や出版プロデューサーの志和池昭一郎が含まれており、日本でも大きく報道された。現在のところ、台湾史上2番目に大きな被害が出た航空事故である。

1981年
【事故死】【航空事故】向田邦子【小説家・脚本家】

映画雑誌編集者から脚本家に転身。昭和の人気テレビドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』等の脚本を手がけるなど、昭和のテレビ界を代表する脚本家のひとり。生来の飛行機嫌いであったが、台湾への旅行中に乗った飛行機が「遠東航空機墜落事故」で墜落。その他109人の乗員乗客とともに死亡した。没年51歳。

1985年
【航空事故】【火災】「ブリティッシュ・エアツアーズ28M便火災事故」

1985年8月22日にイギリス・マンチェスター国際空港で発生したブリティッシュ・エアツアーズ28M便(ボーイング737-236)による火災事故。離陸滑走を開始直後、機体の左エンジンが爆発。離陸を中断し、誘導路上へ向かうも燃料漏れが続いていたため、機体は二つに折れるほど炎上した。乗員乗客中131人の内、この事故の死者は55人、負傷者は15人となった。

1998年
【死去】村山実【プロ野球選手・監督】

"2代目ミスタータイガース"といわれ、"ザトペック投法"なる全身全霊をかけた投球フォームで愛された昭和の阪神タイガースを代表する大投手。巨人、特に長嶋茂雄との激烈なライバル関係は有名で、長嶋の人気を決定的にした天覧試合でのサヨナラホームランも、打たれたのは村山だった(しかもそれを生涯ファールだと言い続けていた)。史上最多である3度の沢村賞受賞の他、1度のリーグMVP、最多勝3回等を誇り、大卒としては史上最多の通算222勝を挙げた。監督としては奮わず直腸ガンのため61歳没。

1999年
【航空事故】「チャイナエアライン642便着陸失敗事故」

1999年8月22日、香港国際空港で起きたチャイナエアライン642便(MD-11)による着陸失敗事故。事故当時、経由先であった香港国際空港付近は悪天候であったが、機長が着陸を断行し失敗。機体は滑走路に接触し両主翼がもぎ取られ、仰向けの状態で着地し、火災も発生事態となった。この事故による死傷者は乗員乗客併せて300人中、死者3人、負傷者203人となっている。

2004年
【盗難事件】「ムンクの『叫び』盗難事件」

オスロのムンク美術館所蔵のテンペラ画の『叫び』と『マドンナ』が、午前11時頃に銃を持った2人組の強盗に盗み出される事件が発生。作品は容疑者逮捕後の2006年8月31日に警察によって発見された。

2006年
【航空事故】「プルコボ航空612便墜落事故」

2006年8月22日にウクライナ東部上空を巡航していたロシアのプルコボ航空612便(Tu-154)が墜落、大破した事故。事故原因は機体が最大飛行高度を超えたため、きりもみ状態となったため墜落したともいわれている。乗員乗客併せて170人全員が死亡しているが、171人分の遺体と1人分の遺体の断片が回収されている。

2013年
【自殺】藤圭子【歌手】

10代でデビューするなり"怨歌"と呼ばれた"夜の女の悲哀"という暗く湿ったテーマの曲をそのルックスに似合わぬハスキーボイスで歌い上げて人気を博した歌手。代表曲に『圭子の夢は夜ひらく』等。晩年は宇多田ヒカルの母として知られていたが、夫との別居に始まり、彼女自身の浪費癖や鬱病も明らかに。アメリカ渡航時に過剰な現金を持ち込もうとして没収されたニュースなどもあり、とても幸せな余生と呼べるような印象ではなかった。新宿区の高層マンションから飛び降り自殺。没年62歳。

2015年
【運行終了】「ブルートレイン消滅」

2015年8月22日16時12分札幌発上野行きの寝台特急「北斗星」臨時列車をもって約57年にわたるブルートレインの運行が終了。その際札幌駅に1,500人もの観衆が集まり、翌23日の終点上野駅には2,500人もの観衆が集まった。