『ヘンリー・ウォリス作「チャタートンの死」』

1916年8月24日は、イングランドの詩人、トーマス・チャタートンがヒ素服毒自殺を遂げた日である。
教会で見つけた薔薇戦争時の古文書に魅入られた少年は、トーマス・ローリーの偽名で自らの生きた300年以上も前の世界の詩人が書いたという触れ込みで『ローリー詩編』『慈善のバラード』を書き上げた。
しかし、当時の出版社とは折り合いが上手くいかずに生活は困窮、チャタートンはヒ素で服毒死という道を選択した。
この時、僅か17歳9カ月。
その間、多くの詩と散文、政治批評、オペラの脚本等々膨大な創作を書き上げ、法律事務所勤務や船医アシスタントの経験もした。
チャタートンの人生は、大きな才能を持っていてそれを実現するに十分な気力を兼ね備えていたとしても、“芸術家が生きているうちに評価されること”がいかに難しいかを示している。
当然のようにその死後、作品の成熟度の高さから作家として評価されロマン主義を代表する人物と賞賛を集めたが、あまりに早く成熟した詩人は、あまりに早く自らの人生を見限ってしまったのだ。

(画像ははWikipedia Henry Wallisより使用。Public Domain)

8月24日の不幸

1770年
【自殺】【夭折】トーマス・チャタートン(Thomas Chatterton)【詩人/イングランド】

作品の成熟度の高さからロマン主義の作家として評価された詩人。教会で見つけた薔薇戦争時の古文書に魅入られ、トーマス・ローリーの偽名で自らの生きた300年以上も前の世界の詩人が書いたという触れ込みで『ローリー詩編』『慈善のバラード』を書き上げた。当時の出版社とは折り合いが上手くいかず、生活に困窮し、ヒ素で服毒死した。没年17歳9カ月。

1922年
【死去】加藤友三郎【軍人・政治家】

日露戦争時に連合艦隊参謀長を務め、後に第21代内閣総理大臣(1922年〜1923年)となった人物。1884年に海軍兵学校を卒業し日清戦争へ従軍。1905年の日露戦争では連合艦隊参謀長を務め、1915年に海軍大臣に就任。1922年、内閣総理大臣に就任するも、翌年8月24日に在任のまま大腸ガンにより死去。没年62歳。

1929年
【政治事件】【宗教事件】「嘆きの壁事件」

当時イギリスの植民地であったパレスチナ・エルサレムにある嘆きの壁で起こったイスラム教徒とユダヤ教徒の武力衝突。1929年8月15日、ユダヤ教徒の青年たちが嘆きの壁の前でシオニスト運動の旗を掲げてイスラエルの国家を歌う事件が発生。これを知ったイスラム教徒たちは激怒し、パレスチナ全域でユダヤ教徒の襲撃が相次いだ。衝突は同月24日に収束し、ユダヤ教徒は死者133人・負傷者339人、イスラム教徒は死者116人・負傷者232人を出すこととなった。

1938年
【戦争】【政治事件】「桂林号事件」

1938年8月24日に中国・広東省で日本海軍による中国航空公司所有のDC-2「桂林号」が撃墜された事件。日中戦争中の当時、日本軍側の作戦地帯上空を飛んでいた「桂林号」は攻撃態勢にある日本軍水上機を発見。回避行動を取るも直後に攻撃を受け川に不時着水、その後も1時間ほど攻撃は行なわれた。この事件で乗員乗客合せて17人の内14人が死亡した。「桂林号事件」は民間航空機が敵の軍用機に撃墜された世界初の事件となった。

1938年
【航空事故】「大森民間機空中衝突墜落事故」

1938年8月24日に大森上空で発生した、訓練中のアンリオ製HD.14 EP-2型・複葉機とフォッカー スーパーユニバーサル旅客機の空中衝突事故。事故原因は未だ不明であるが、悪天候であったことや両機とも訓練生が操縦していたため運転が不慣れであったことなどが推察されている。この事故により、全搭乗員5人と事故に巻き込まれた民間人を含む82人が死亡、106人が負傷した。また、事故は日本初の民間機同士の空中衝突による航空事故となった。

1945年
【戦争】「浮島丸事件」

1945年8月24日、朝鮮半島出身者約4,000人を釜山へ送還中であった日本海軍特設運送艦浮島丸が京都府・舞鶴港沖で、アメリカ軍が敷設した2,000ポンド音響式機械水雷に触雷・沈没した事件。終戦直後、海域にはアメリカ軍の機雷が多く残っており特に音響機雷は掃海艇の先導がなくては入港は危険であった。しかし、急遽入港を指示された浮島丸は掃海艇を待たずに入港したため、ディーゼルエンジンの音に機雷が反応し爆発することとなった。この爆発により乗員・乗船者合せて549人が死亡した。

1954年
【自殺】ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス(Getulio Dornelles Vargas)【政治家/ブラジル】

ブラジル第15〜17(1930年〜1945年)および20代大統領(1951年〜1954年)を務めた人物。法科大学卒業後の1909年にリオグランデ共和党に入党。1926年、大蔵大臣を務め1930年に大統領選へ出馬。選挙には敗れるも、同年軍事クーデターを指導しクーデターは成功、1934年に大統領へ。在任中の1945年、軍事クーデターが起こり失脚。その後1951年、ブラジル史上初となる民主的な選挙によって大統領に選出された。1954年、アメリカからの独裁政治の糾弾や反政権のジャーナリスト暗殺計画への関与などが取り沙汰される中、同年8月24日に拳銃自殺を遂げた。没年72歳。

1955年
【社会事件】「森永ヒ素ミルク中毒事件」

1955年8月24日、森永乳業製の粉ミルクにヒ素が混入されていたことを岡山県を通じ厚生省(現厚生労働省)が発表し社会問題となった事件。同年6月頃からヒ素が混入した粉ミルク「森永ドライミルク」は販売され、西日本を中心に飲用した乳幼児に多くの死者・中毒患者を出した。当初は奇病として扱われていたが、岡山大学医学部の妹尾左知丸が原因は粉ミルクであることを特定した。この事件で同省は中毒患者として認定された12,344人のうち130人が死亡したと発表している。

1956年
【死去】溝口健二【映画監督】

『雨月物語』『山椒大夫』等、女性の悲哀をテーマにしたスタイリッシュな映画を撮り続け、ヴェネチア国際映画祭など海外でも高く評価された映画監督。後のヌーベルバーグ作家たち、特にジャン=リュック・ゴダールに影響を与えた。単球性白血病で58歳没。

1964年
【殺人事件】「高島忠夫長男殺害事件」

人気俳優の高島忠夫・寿美花代夫妻の当時生後5カ月であった長男・道夫が住み込みの家政婦(17歳の少女)によって殺害された事件。長男を風呂場の浴槽に沈め窒息死させ、物取りの犯行に見せかけるために室内を荒らして自ら通報。証言に不審な点が多かったために問い詰めたところ犯行を自白した。夫妻のファンであった家政婦は、赤子の誕生により自らへの愛情が注がれなくなることと、同僚への嫉妬から犯行に及んだとされる。未成年の家政婦であったが成人と同じく殺人罪で起訴され、懲役3〜5年という不定期刑に処された。

1966年
【自殺】老舎(Lao She)【小説家/中国】

小説『駱駝祥子』で知られる北京生まれで満州族出身の小説家。毛沢東による文化大革命の初期である1966年に紅衛兵から暴行を受けて、そのまま8月24日に入水自殺を遂げた。その死後の1979年、未完の自伝的小説『正紅旗下』が発表され話題を呼んだ。

1989年
【スポーツ賭博】【永久追放】「ピート・ローズMLB永久追放」

MLB歴代最高の4,256安打、3,562試合出場等の大記録を持つ伝説的な名選手、ピート・ローズがシンシナティ・レッズ監督在任中に野球賭博に関わったことが発覚し、MLBコミッショナー、バート・ジアマッティが永久追放を宣言。後にローズ本人も毎試合のように賭博に加わっていたことを告白した。

1991年
【政治事件】「ソ連崩壊」

ソ連大統領であったミハイル・ゴルバチョフがソビエト連邦共産党書記長を辞任し党解散を宣言。実質この瞬間にソ連は崩壊することとなったが、同年12月25日にゴルバチョフはソ連大統領を辞任。ソ連史上最初で最後の大統領であった。

2000年
【急死】【夭折】アンディ・フグ(Andy Hug)【空手家/スイス】

極真空手のスターからプロ転向にあたって正道会館に移籍。正道会館が立ち上げた新しい立ち技系格闘技『K-1グランプリ』を草創期から支えたK-1選手。1996年『K-1グランプリ』王者。派手な必殺技の「かかと落とし」と好戦的なファイトスタイルで日本で絶大な人気を誇った上に、本国スイスでも凱旋試合が視聴率50パーセント超えを果たすという国民的英雄となった。現役のまま、急性前骨髄球性白血病で急死。没年35歳。

2001年
【航空事故】「エアトランサット236便滑空事故」

2001年8月24日にカナダ・トロント・ピアソン国際空港発ポルトガル・リスボン国際空港行きのエアトランザット236便(エアバスA330-200)が、大西洋上空で航空燃料切れが発覚。アゾレス諸島テルセイラ島にあるポルトガル空軍ラジェス航空基地に無動力着陸することに成功したため、306人全員が生存させることに成功した。原因はエンジン整備の不備。

2004年
【テロ】【自爆テロ】「2004年ロシア航空機爆破事件」

モスクワ・ドモジェドヴォ空港初の国内線2機が相次いで爆破された事件。ヴォルゴグラード行きのエア・ボルガ1303便(ツポレフTu-134ロシア)に乗った乗客乗員合わせて43人と、ソチ行きのS7航空1047便(ツポレフTu-154)に乗った乗員乗客合わせて46人、2機合わせて89人が死亡した。事件直後に「Islambouli Brigades」が、9月17日にチェチェン独立派の強硬派指導者シャミル・バサエフが犯行声明を出したが、その真相は定かではない。その後の調査により実行犯はチェチェン人女性二人であることが判明し、ロシアとの「チェチェン紛争」の一環で行なわれたテロであったと見なされている。

2010年
【急死】今敏【アニメーション監督・漫画家】

『虜-とりこ-』で漫画家としてデビューし(『週刊ヤングマガジン』)し、大友克洋のアシスタントに。その後アニメーションの監督に専念。代表作にTVシリーズ『妄想代理人』筒井康隆原作の映画『パプリカ』等。『夢みる機械』制作中に膵臓ガンで死去(同作も制作休止)。没年46歳。生前に、今から死んでゆく自らの気持ちを丁寧に綴った『さようなら』というメッセージが死亡した翌日付で公開され、現在も読むことができる。

2013年
【死去】土橋正幸【プロ野球選手・指導者・解説者】

1995年にテスト入団した東映フライヤーズで16年の長きにわたり主力投手として活躍し、当時弱小チームであったフライヤーズで通算162勝135敗という大記録を残した好投手。台東区浅草生まれの頑固親父的な性格から豪快なプレイスタイルは"江戸っ子投法"と呼ばれ、1962年にはチームを初の日本一に導き、日本シリーズのMVPを獲得している(史上唯一となる種茂雅之との同時受賞)。引退後の1969年から東映の投手コーチに就任、その後1974年から解説者に転身するも、1984年からヤクルトの投手コーチに就任。成績不振で武上四郎監督が休養すると、それを継いだ代行監督の中西太も即座に休養となり、5月22日から代行監督、そして正式に監督に。そのまま1986年まで同チームの指揮を執ったが、連続最下位に低迷し退任。1992年からは古巣となる日本ハムファイターズの監督となったが、わずか1年で退任となった。2012年9月に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の診断を受け、以降は自宅療養を続けていたが翌年8月24日に死亡した。没年77歳。