『ブライアン・エプスタインの死を伝える「デイリーミラー」紙』

1967年8月27日は、全世界を熱狂させたアイドル・グループ「ザ・ビートルズ」のマネージャーであったブライアン・エプスタインが死亡した日である。
典型的なロックンロールバンドであったザ・ビートルズをスカウトし、衣装をスーツに決定し、ステージでの演奏後には必ず一礼するなど、初期ビートルズのイメージ戦略を担ったことで知られ、その絶大な効果は彼らの輝かしいキャリアが証明している。
それは、彼らがアメリカに渡り世界中の人気を獲得するのに、1年半もかからないという爆発的なヒットであった。
そしてビートルズは、デビュー3年でライブ活動も停止せざるを得ないほど狂乱の日々を送ったのである。以降はスーツを脱ぎ捨て、アーティスト化していくビートルズの陰で、マネージャーとしてのエプスタインの存在感は次第に失われていったが、それぞれの道を模索するメンバーのまとめ役としてのエプスタインの重要性が明らかになったのは、皮肉にもその突然の死以降であった。
アスピリンの過剰摂取という半ば自殺ともとれる彼の死から3年も経たないうちに、世界最大の人気グループは解散を迎えてしまったのである。
ちなみに、寡黙な男として知られていたエプスタインであったが、その訃報は当日のうちにタブロイド紙の一面を飾るほどに大きなニュースバリューを持っていた。
当時のビートルズの人気の為せる業といえばそれまでであるが、一マネージャーの死がここまで大々的に報じられたのは前代未聞である。
それは生前のエプスタインの静かな人間性には似つかわしくない、スキャンダラスな最期であった。

(写真は英『デイリーミラー』紙/1967年8月27日夕刊)

8月27日の不幸

1394年
【死去】長慶天皇【天皇】

南北朝時代の第98代天皇および南朝第3代天皇(1368年〜1383年)となった人物。1368年に天皇へ即位し奈良県吉野町へ移住。翌年に大阪府河内長野市の金剛寺へ移る。1373年に武将・細川氏春、赤松光範らの軍に攻撃されたため再び吉野へ帰還。以後、歌合を盛んに行ない『新葉和歌集』(1381年)などを著す。1383年に弟の後亀山天皇へ譲位。譲位後は南朝勢への協力を求め全国を行脚したとされ、この時に摂った食事が後に南部煎餅の祖となったという説がある。その後、禅宗に帰依し1394年8月27日に死去。没年51歳。

1576年
【死去】ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)【画家/イタリア】

ルネサンス時代の最盛期に活躍したヴェネツィア派の中心的な画家。英語圏では「Titan」の名で知られる。代表作に『聖母被昇天』等。ペストで死去。没年推定88歳。死亡時に完成していなかった『ピエタ』は、弟子のパルマ・ジョヴァーネが完成させた。

1590年
【死去】シクストゥス5世(Sixtus V)【ローマ教皇/イタリア】

16世紀末のイタリアで第227代ローマ教皇(1585年〜1590年)となった人物。フランシスコ会修道院に入り説教師および弁証家として従事。その後、ヴェネツィア教皇巡察師、フランシスコ会総代理を経て、1565年にスペイン使節団に選出される。ローマに帰還後はフランシスコ会教皇総代理に就任し1570年にモンタルト枢機卿となる。1585年にローマ教皇へ就任しローマ教皇庁の財政立て直しや教皇領の治安回復に専念。1590年8月27日に死去。没年68歳。

1664年
【死亡】フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)【画家/スペイン】

17世紀のセビージャで活躍したスペイン黄金期を代表するバロックの画家。静物画と宗教画で数々の傑作を残し、その明暗のコントラストの強い作風からスペインのカラバッジオとも呼ばれた。晩年は不況に喘ぎマドリードに移り、1664年8月27日に死亡。没年65歳。

1876年
【死去】ウジェーヌ・フロマンタン(Eugene Fromentin)【画家・小説家・評論家/フランス】

19世紀フランスのロマン主義時代後期の画家および小説家、評論家として知られる人物。 風景画家ルイ・キャバトに師事しオリエンタリスト派として『ナイルの渡し船を待ちながら』(1872年)といった北アフリカの風景画を多く発表。1856年にアルジェリア滞在記『サハラの夏』を発表。最晩年の1876年にベルギー・オランダ絵画紀行評論『昔日の巨匠たち』を発表し1876年8月27日に死去。没年55歳。

1883年
【自然災害】「1883年クラカタウの噴火」

1883年8月27日にオランダ領東インド(現インドネシア)クラカタウ島で大噴火が発生。噴火は4回発生し島の3分の2が消失。また火砕流や津波も発生し周辺のジャワ島などにも被害がおよび36,417人の死者が出ることとなった。

1957年
【原子力】「日本原子力研究所第1号実験炉臨界点到達」

1957年8月27日、茨城県東海村の日本原子力研究所第1号実験炉(原子炉JRR-1)が日本で始めて臨界点に達する。この成功により1956年のインドに次、アジアで2番目の原子炉稼働国となった。

1965年
【死去】【怪死】ル・コルビジェ(Le Corbusier)【建築家/スイス】

近代建築の基礎を築いた世界的建築家。無駄のない美を湛えつつ、自由な創作溢れるコンクリート建築などで20世紀初頭の建築界に君臨し、その「ドミノシステム」と呼ばれる建築法で世界中に影響を与え続けた。代表的なものではサヴォア邸、ラ・トゥーレット修道院(ともにフランス)等が挙げられ、日本では東京・上野の「国立西洋美術館」を手がけている。海水浴中に心臓発作で死亡。医者の警告を振り切っての事故だっただけに意図的な死であったとも。没年77歳。

1967年
【死去】ブライアン・エプスタイン(Brian Samuel Epstein)【音楽プロダクションマネージャー/イギリス】

稼業の電気店の中でレコード部門を担当していた時に、ザ・ビートルズをスカウト。そのマネージャーとして世界的大ブームを巻き起こした彼らと行動を共にした。スーツ姿や、ステージでの演奏後のお決まりだった一礼など、ビートルズのイメージ戦略を担った。32歳でアスピリンの過剰摂取で死去。自殺説も流れた。その死はビートルズ解散の一因とも言われている。また、その死後、同性愛者であったことが判明し、エプスタインが惹かれていたジョン・レノンとのスペイン旅行等が明らかになったが、ジョンにより恋愛(肉体)関係は否定されている。

1975年
【暗殺】ハイレ・セラシエ1世(Haile Selassie I)【貴族・政治家/エチオピア】

20世紀エチオピアの最後の皇帝(1930年〜1974年9月12日)およびアフリカ統一機構初代議長となった人物。エチオピア南部の貴族の家に生まれ州知事を歴任。1916年に起きたクーデターにより即位した女帝ザウディトゥの皇太子兼摂政となる。1924年にエチオピアの国際連盟加盟を行なう。1930年にザウディトゥが死去すると皇帝に即位。1931年にエチオピア1931年憲法を制定。1934年にイタリアとの間で「ワルワル事件」が勃発、1935年に「アドワの報復」でイタリアがエチオピアへ進攻し「第二次エチオピア戦争」が勃発。1936年に「マイチァウの戦い」でイタリア軍によりエチオピア軍が壊滅したため、ロンドンへ亡命しエチオピアは敗北しイタリア領東アフリカ帝国へ。「第二次世界大戦」中の1941年にイギリス軍によりエチオピアが解放されたため帰国。以後、独裁政治を続け1963年にアフリカ統一機構初代議長に就任。1970年頃からインフレと飢饉が続きストライキやデモが発生するも対策を怠り内戦も勃発。1974年に自身の不正が発覚。同年に軍の反乱により逮捕・廃位され拘束中の1975年8月27日に暗殺された。没年83歳。1997年にエチオピア当局は廃位直後に射殺されたと発表している。

1979年
【暗殺】「ルイス・マウントバッテン暗殺」

1979年8月27日、アイルランド北西部ドネゴール湾で休暇中のイギリス元海軍軍人ルイス・マウントバッテンが乗船していたヨットがアイルランド共和軍暫定派(IRA暫定派)トーマス・マクマホンが仕掛けた爆弾により暗殺された事件。同じくヨットに乗船していた孫ニコラス(14歳)とポール(15歳)らも死亡。その後、犯人のマクマホンは終身刑となった。

1990年
【航空事故死】【夭折】スティーヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan)【ミュージシャン・歌手/アメリカ合衆国】

テキサス・ダラスに生まれ、ジョニー・ウィンターの目に止まりデビューした天才ブルースギタリスト。1989年の『In Step』でBest Contemporary Blues Recordingのグラミー賞を受賞した。1990年8月26日、アメリカウィスコンシン州イースト・トロイにあるアルパイン・ヴァレイ・ミュージック・シアターで開催されたブルース・フェスティバルでエリック・クラプトンと共演後、移動のヘリコプターが濃霧でスキー場のゲレンデに墜落。クラプトンのボディーガード3人やパイロットとともに即死した。没年35歳。

1996年
【死去】小林昭二【俳優】

ドラマ『仮面ライダー』のおやじさん役でおなじみの名脇役。『ウルトラマン』『西武警察Part3』等のテレビドラマから『犬神家の一族』『ゴジラVSキングギドラ』等の映画まで、幅広く活躍した。肺ガンにより65歳没。

2006年
【航空事故】「2006年コムエアー5191便墜落事故」

2006年8月27日、アトランタ・ハーツフィールド国際空港へ向かうアメリカの旅客機コムエアー5191便(ボンバルディアCRJ-100ER型機)がケンタッキー州のブルーグラス空港で離陸に失敗し墜落。この事故により乗員乗客合わせて49人が死亡、唯一の生存者であった副操縦士は重傷を負った。事故原因は滑走路への誤進入であった。

2009年
【死去】ショータ・チョチョシビリ(Shota Samsonovich Chochishvili)

【柔道家・格闘家/グルジア】旧ソ連の代表として1972年ミュンヘンオリンピック柔道93キロ級の金メダリスト。アマチュア引退後は新日本プロレスに”赤い軍団”として参戦、東京ドームで行なわれたアントニオ猪木との異種格闘技戦に勝利した。白血病で59歳没。

2010年
【死去】アントン・ヘーシンク(Antonius Johannes Geesink)【柔道家・プロレスラー/オランダ】

東京オリンピックの柔道無差別級で金メダルを獲得し、その後の柔道の世界的人気を決定付けたオランダの柔道王。198センチという恵まれた体格で日本柔道への黒船として立ちはだかった全盛期は、過去最強の重量級覇者とも囁かれている。引退後は全日本プロレスに誘われてプロレスラー転向したが、肌に合わなかった。晩年は柔道指導者になり、国際オリンピック委員会委員としても活躍、柔道の国際化に貢献した。没年76歳。

2012年
【死去】横森良造【ミュージシャン】

日本を代表するアコーディオン奏者賭してテレビ等で活躍。心不全で没年79歳。