『大戦後に発売された『リリー・マレーン』のジャケット』

1982年8月29日は、第二次大戦中にドイツ兵士並びに世界中の兵士に愛された歌謡曲『リリー・マレーン』の歌手として知られるララ・アンデルセンが死亡した日である。
故郷の恋人への思いを歌った感傷的な内容の同曲はナチスドイツの宣伝相ゲッベルスによりラジオ放送禁止処分になり、彼女自身もナチスによりユダヤ人アーティストとの交流を咎められ歌手活動は禁止。『リリー・マレーン』を歌うことも許されず、プロパガンダに協力させられる日々が続き、遂には鬱病のために自殺未遂を起こしたほどであった。
しかし、戦地からの要望が絶大であったために『リリー・マレーン』は頻繁に放送されることとなり、戦地では敵であったイギリス軍も好んで聴いていたという。
さらには、ヒトラーの寵愛を嫌ってアメリカに移った世界的女優、マレーネ・ディートリッヒが米軍兵士の慰問で歌っていたこともあり、『リリー・マレーン』は、ドイツ、そして連合国側という敵味方の区別無くその楽曲を楽しまれていたのである。
有史以来最大の戦争に於いて一つの曲が世界中の人々の心の支えになったという事実は、音楽の持つ力を改めて感じさせ、まさしく《不幸中の幸い》として我々を安堵させるようなエピソードである。

(画像は『Lili Marleen』1959年/Electrola発売)

8月29日の不幸

1799年
【死去】ピウス6世(Pius VI)【ローマ教皇/イタリア】

18世紀に第250代ローマ教皇(1775年〜1799年)となった人物。ローマ教皇ベネディクトゥス14世などの秘書を経て、1773年に枢機卿へ。1775年、ローマ教皇へ選出され24年にわたり在位するも、1789年に起こったフランス革命に続くフランス軍の教皇領占領に伴いローマから追放される。フランス軍の捕虜としてイタリアからフランス各地を移動させられる中、1799年8月29日に老衰により死去。没年81歳。

1876年
【死去】ムラト5世(Murat V)【皇帝/オスマン帝国】

第33代オスマン帝国皇帝(1876年5月30日〜同年8月31日)となった人物。1876年に皇帝に即位するも自由主義の思想の持ち主であったムラト5世は、立憲派の叔父から監視される身へ。この監視生活のため精神を病み、在位93日で退位、以後はチュラーン宮殿に幽閉されたまま1904年8月29日に死去。没年63歳。

1937年
【自殺】パナース・ペトローヴィチ・リューブチェンコ(Panas Lyubchenko)【政治家/ウクライナ・ソビエト連邦】

ロシア革命以降に活躍したウクライナ・ソビエト連邦の政治家でウクライナSSR人民委員会議長を努めた人物。キエフ軍医学校を卒業後、ウクライナ社会革命党へ入党。1919年にボロチビスト(ウクライナ共産党)を結成、翌年ボリシェヴィキ派ウクライナ共産党の党員へ。1934年、ウクライナSSR人民委員会議長に就任するもヨシフ・スターリンの共産党員の粛清を受け、反逆罪で起訴された後、1937年8月29日に自殺。没年40歳。

1972年
【死去】ララ・アンデルセン(Lale Andersen)【歌手・女優/ドイツ】

第二次大戦中にドイツ兵士並びに世界中の兵士に愛された歌謡曲『リリー・マレーン』の歌手として知られる人物。故郷の恋人への思いを歌った感傷的な内容の同曲はナチスドイツの宣伝相ゲッベルスによりラジオ放送禁止処分になったが、戦地からの要望が絶大であったために放送され、戦士たちは敵味方無くその美声を楽しんでいたという。しかしナチスによりユダヤ人アーティストとの交流を咎められ歌手活動は禁止。その際は鬱病のために自殺未遂を起こした。私生活では終戦直前に東フリースラント諸島ランゲオーク島に移住し芸能活動を引退。その後スイス人作曲家と結婚したために1952年に芸能活動を再開し、コンサートツアーやテレビ出演をこなした。ウィーンにて肝臓ガンで67歳没。

1975年
【死去】エイモン・デ・ヴァレラ(Edward George de Valera)【政治家/アイルランド】

20世紀初頭にアイルランド独立運動を指導し、初代アイルランド首相(1937年〜1948年)となった人物。1913年にアイルランド義勇軍に参加したことで本格的な政治活動を開始。1916年にイースター蜂起を図るも鎮圧され逮捕される。終身刑となるも、翌年に特赦により釈放へ。しかし、1918年に再び逮捕され脱獄。脱獄後はアイルランド国民議会で議長に就任し、1921年に議長から共和国大統領に。1924年のアイルランド内戦後、党首を辞任し、新党「フィアナ・フォイル」を結成。その後、1937年に初代アイルランド首相に就任。第二次大戦以降は党の影響力が弱まり敗退が続くも、1951年、1957年と首相に選出され、1959年に第3代大統領(1959年〜1973年)へ就任。1973年に大統領を辞任し1975年8月29日、肺炎により死去。没年92歳。

1979年
【死去】竹鶴政孝【実業家】

ニッカウヰスキー創業者。サントリー時代に山崎蒸溜所初代所長を務め、日本初のスコッチ・ウイスキーを製造した。NHK連続テレビ小説『マッサン』の主人公亀山政春のモデル。肺炎で85歳没。

1982年
【死去】イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)【女優/スウェーデン】

20世紀でも最も世界的に活躍したスウェーデン出身の女優。アメリカに活動の場を移してもその美しさと演技力で愛され、通算3度のアカデミー賞(『ガス灯』『追想』で最優秀主演女優賞、『オリエント急行殺人事件』で最優秀助演女優賞)を受賞した数少ない俳優のうちのひとりとなった。67歳の誕生日に乳ガンで死去。ロベルト・ロッセリーニとの娘に女優のイザベラ・ロッセリーニがいる。

1984年
【死去】ムハンマド・ナギーブ(Muhammad Naguib)【軍人・政治家/エジプト共和国】

エジプト王国第34代首相(1952年〜1953年)および初代エジプト共和国大統領(1953年〜1954年)となった人物。1918年に士官学校を卒業しスーダンに従軍、翌年エジプト革命に参加。その後転属を繰り返し1931年に大尉に昇進。1948年に勃発した第一次中東戦争の活躍により1950年に参謀総長へ。この頃、軍内部の秘密組織であった自由将校団へ参加し、1952年に自由将校団がエジプト革命を成功させると、同年、首相および初代大統領に就任。1954年、革命指導評議会からムスリム同胞団と結託したとされ、首相・大統領を解任され失脚。1984年8月28日、肝硬変により死去。没年83歳。

1996年
【医療事件】「薬害エイズ事件」

1980年代、主に血友病患者に対し非加熱製剤を治療に使用し、多くのエイズ患者を出した医療事件。1996年8月29日、事件に関与した製造販売元のミドリ十字社員、帝京大学副学長の安部英、厚生省官僚であった松村明仁など計5人が業務上過失致死で逮捕・起訴された。2000年、ミドリ十字の元社員3人に実刑判決。翌年、松村に禁固1年執行猶予2年の有罪判決、安部は無罪判決が下った。

1997年
【死去】藤田敏八【映画監督・俳優】

学生時代に俳優座に入り俳優として活動、卒業後は日活に入社し、『野良猫ロックシリーズ』『八月の濡れた砂』を手がけ、その後ロマンポルノ作品も数多く監督。晩年は再び役者として活躍し、鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞した。肺ガンからの肝不全で65歳没。

2004年
【死去】種村季弘【ドイツ文学者・評論家】

1958年光文社に入社し『女性自身』誌の編集を経験し書籍編集を経て独立。『怪物のユートピア』『ナンセンス詩人の肖像』等、人間の闇にフォーカスした異端文化と文学を専門に翻訳、紹介。澁澤龍彦らと1970年代アングラカルチャーを牽引する存在となる。胃ガンで71歳没。

2011年
【死去】滝口順平【声優・ナレーター】

1956年に日本初の吹き替えテレビドラマ『カウボーイGメン』をひとり全役で担当した声優で、民間放送初の声優でもある。アニメ『タイムボカン』シリーズのドクロベエ役や、テレビ『ぶらり途中下車の旅』のナレーション等で長きにわたり活躍。胃ガンで80歳没。

2014年
【死去】龍虎勢朋【大相撲力士・タレント・俳優・コメンテーター】

花籠部屋所属の元力士。最高位は東小結。現役引退後は年寄16代放駒を襲名するも2年ほどで廃業しタレントに転向。『料理天国』等でグルメリポーターの先駆けとして活躍した。クモ膜下出血で73歳没。