『ザプルーダー・フィルムの398コマ目で喉元を押さえて倒れるケネディ元米大統領』

1970年8月30日は、ジョン・F・ケネディ元アメリカ合衆国大統領暗殺事件の映像、通称“ザプルーダー・フィルム”を撮影した一般人、アブラハム・ザプルーダーが死亡した日である。
1963年11月22日、熱心なケネディ支持者であったザプルーダーは、大統領がダラスにやってくると聞きつけ、購入したばかりの8ミリカメラを持ってパレードに出かけ、その姿を記録した。
そして歴史的な凶行を、偶然記録してしまったのである。事件後、自ら撮影してしまった世紀の凶行に大変なショックを受けたザプルーダーは、捜査関係者だけにその映像を公開したが、その後『ライフ』誌にその出版権を売却(当時の15万ドルで)したものの、その際には頭部に弾丸が命中して鮮血や脳味噌のようなものまでが飛び散っている「313コマ目だけは公開しない」という条件を付けたほどであった。
その後も公の場で事件の供述をした際に泣き出して崩れ落ちるなど、生涯にわたってそのフィルムの残像は撮影者を苦しめ続け、その後の人生でカメラを持つことさえもできないという根深いトラウマを植えつけるものであったという。
事件後7年でその人生に幕を閉じたザプルーダーであったが、彼の撮影した“決定的瞬間”が、その後の彼の人生を支配してしまったといえるだろう。

(写真はWikipedia エイブラハム・ザプルーダーより。Public Domain)

8月30日の不幸

1428年
【死去】【夭逝】称光天皇【天皇】

室町時代に第101代天皇(1412年〜1428年)となった人物。1412年、12歳で天皇に即位。病弱であったため、政務に携わることなく1428年8月30日に死去。没年28歳。

1970年
【病死】エイブラハム・ザプルーダー(Abraham Zapruder)【実業家・婦人服製造/アメリカ合衆国】

1963年11月22日に暗殺されたジョン・F・ケネディ元アメリカ合衆国大統領の映像、通称”ザプルーダー・フィルム”を撮影した一般人。熱心なケネディ支持者であったザプルーダーは、大統領がダラスにやってくると聞きつけ、購入したばかりの8ミリカメラを持ってパレードに出かけ、歴史的な凶行を偶然記録した。生涯にわたってそのフィルムの残像は撮影者を苦しめ続け、事件の7年後、65歳で死亡。死因は脳腫瘍だった。

1974年
【テロ】「三菱重工爆破事件」

1974年8月30日に東京都千代田区丸の内の三菱重工業東京本社ビル(現丸の内二丁目ビル)で起きた、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ。事件当時、同ビルの1階出入り口にあったフラワーポット側に仕掛けられた時限爆弾が爆発。玄関ロビー部分が大破し爆発の衝撃で窓ガラスが飛散した。この爆発によりビル内にいた社員や通行人が巻き込まれ、8人が死亡、376人の負傷者を出した。犯人である「狼」のメンバー4人は1975年に一斉逮捕され、大道寺将司、益永利明は死刑が確定。しかし、日本赤軍の起こしたクアラルンプール事件で佐々木規夫、ダッカ日航機ハイジャック事件で大道寺あや子が超法規的措置で釈放され現在も逃亡中となっている。

1981年
【暗殺】モハンマド・アリー・ラジャーイー(Mohammad-Ali Rajai)【政治家/イラン・イスラム共和国】

イラン革命を支持したイラン・イスラム共和国の首相(1980年〜1981年)および第2代大統領(1981年8月2日〜同月30日)。1959年、大学卒業後にイラン反体制派組織であるムジャヒディン・ハルク(MKO)に加入。1960年からイラン民主化運動に参加、1974年に逮捕され1978年に保釈。1979年のイラン革命成功後は教育大臣を経て、1980年に首相に就任。第2代大統領に就任後の同1981年8月30日、イラン防衛最高評議会出席中にイラン人民平和会議(MEK)メンバーであるマスード・ケシミミに仕掛けられた爆弾により暗殺された。没年48歳。

1984年
【急死】有吉佐和子【小説家】

昭和に活躍した小説家で古典芸能から社会問題まで幅広いテーマを扱った作品で知られる。大学在学中から劇評や小説を発表し、1956年『地唄』で文壇デビュー。1959年に代表作のひとつ『紀ノ川』で小説家としての地位を確立した。1962年に興行師であった神彰と結婚し2年後に離婚。1967年に『華岡青洲の妻』を発表、1970年代には『恍惚の人』(1972年)、『複合汚染』(1974年)を発表しベストセラー作家となった。その後もエッセイや小説を発表していたが、1984年8月30日に急性心不全のため突然死。没年53歳。

1991年
【死去】ジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely)【画家・彫刻家/スイス】

20世紀に活躍したスイスの画家および彫刻家で、主に「キネティック・アート(動く美術作品)」で知られる人物。画家のクルト・シュヴィッタースに影響を受け、ダダイズムやジャンク・アートへの関心を深める。1950年代頃からパリで活動を始め、画家のイヴ・クラインらと知り合う。その後、捨てられた家電や機械などで『メタマティック』(1959年)といったキネティック・アートを発表。1960年にニューヨーク近代美術館で自ら炎上し崩壊する機械『ニューヨーク賛歌』を発表。1977年にスイス・バーゼルに『噴水の劇場』を制作。1982年にストラヴィンスキー広場に『自動人形の噴水』をニキ・ド・サンファルらと共同制作。以降、各国でパブリックアートを発表し1991年8月30日に死去。没年66歳。

1992年
【死去】 五社英雄【映画監督】フジテレビの社員監督として時代劇『三匹の侍』等を手がけたが、1980年に拳銃所持で銃刀法違反容疑で逮捕、フジテレビを退職する。その後映画界に復帰し『鬼龍院花子の生涯』『吉原炎上』『極道の妻たち』等の女任侠シリーズでヒットを飛ばした。呼吸不全で63歳没。
1995年
【死去】山口瞳【小説家・編集者】

昭和から平成にかけて活躍した小説家および編集者。息子は映画評論家の山口正介。1946年に鎌倉アカデミアへ入学し同人誌へ小説を発表。卒業後は国土社へ編集者として入社するも退社し、國學院大學文学部へ入学。卒業後の1954年に河出書房へ入社するも同社が倒産。その後、1958年に壽屋(現・サントリー)へ入社し「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」などのコピーを考案。壽屋の社員を務めながら生活情報誌『婦人画報』へ『江分利満氏の優雅な生活』を連載し、同作が1963年に直木賞を受賞。以降文筆活動に専念するためサントリーを退社。1963年から『週刊新潮』でコラム『男性自身』シリーズを31年間連載。1979年に私小説『血族』、1984年にエッセイ『草競馬流浪記』を発表。晩年は『男性自身』にエッセイを連載し続け1995年8月30日に肺ガンにより急死。没年71歳。

1999年
【社会問題】「郷ひろみ『GOLDFINGER ’99』渋谷ゲリラライブ事件」

1999年8月30日に東京・渋谷駅前の渋谷ハチ公前交差点に大型トレーラーに乗車した郷ひろみが4人のダンサーを引き連れ、トレーラー荷台にとりつけられたステージ場で新曲となる『GOLDFINGER ’99』のゲリラライブを開催。同交差点付近の109パートⅡのクリアビジョンにも郷ひろみの姿が映し出され、およそ2万人の群集が集まった交差点はパニック状態に。その後、同年9月に道路使用許可を取っていなかったことが発覚し警視庁交通捜査課および渋谷署はレコード会社、所属事務所、広告代理店の3社を家宅捜索。同17日に道交法違反容疑で3社および担当6人が書類送検となった。

2003年
【死去】チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson)【俳優/アメリカ合衆国】

アメリカ陸軍上がりの屈強な肉体で知られ、『荒野の七人』 『大脱走』等のヒット作に出演した強面のアクションスター。日本では「マンダム」のCM出演で爆発的な知名度を誇り、マンガ『北斗の拳』原作者の武論尊、みうらじゅんと田口トモロヲの「ブロンソンズ」等々、カルチャー界に強い影響を及ぼした。晩年はアルツハイマー病を発症した末に肺炎で死去。没年81歳。

2006年
【死去】ナギーブ・マフフーズ(Naguib Mahfouz)【小説家/エジプト】

20世紀に活躍したエジプトの小説家でアラブ圏初のノーベル文学賞受賞者となった人物。1930年代から、官吏を務めながら作家活動を開始。以後、小説34作品、短編およそ350本、映画脚本、演劇作品など多くの作品を発表し、代表作には『Midaq Alley(ミダク横丁)』(1947年)、『Cairo Trilogy(カイロ三部作)』(1956年〜1957年)などがある。1988年にノーベル文学賞受賞。2006年7月、散歩中に倒れ入院。同年8月30日に腎不全と肺炎を引き起こし死去。没年94歳。

2006年
【事故死】ジョセフ・オツオリ(Joseph Moganbi Otwori)【陸上競技選手/ケニア】山梨学院大学に入学し、箱根駅伝等で圧倒的な活躍を見せたケニア人ランナー。卒業後はトヨタ自動車に入社するも帰国。2003年に新潟の重川材木店に入社し、大工としても働きながらその活躍で、全日本実業団対抗駅伝大会の本選に初出場させた。一時帰国中のケニアで、自動車運転中に対向車線のバスと正面衝突し死亡。没年37歳。
2008年
【死亡】キラー・コワルスキー(Killer Kowalski)【プロレスラー/カナダ】

1947年にプロレスラーとしてデビューし、1952年10月15日に起きたトップロープからのダイビングニードロップで対戦相手の耳を切断させてしまう「耳そぎ事件」で悪名をとどろかせた悪役レスラー。その被害者であるユーコン・エリックがすぐさま自殺したため、その伝説は瞬く間に世界中を駆け抜けた。IWA、AWA、WWWE、NWAと主要団体でヒールとして長きにわたり活躍。1963年3月に日本プロレスに初来日してからは、全日本プロレスにも数度来日している。必殺技はダイビング・ニードロップとストマック・クロー。2008年8月8日に心臓発作で倒れ、延命治療を続けていたが18日に生命維持装置を撤去。そのまま30日に死亡した。

2015年
【死去】オリバー・サックス(Oliver Sacks)【神経学者/イギリス】

著書『レナードの朝』(1973年)などで知られるイギリスの神経学者。1966年から神経科医として勤務し、意識障害者やトゥレット障害、自閉症、アルツハイマーといった患者についての著書を残している。2008年、大英帝国勲章を受賞。2015年8月30日、ガンにより死去。没年82歳。

2015年
【死去】ウェス・クレイヴン(Wes Craven)【映画監督】

ホラーやスプラッター作品で知られるアメリカの映画監督。代表作には『エルム街の悪夢』(1984年)、『スクリーム』(1996年)などがある。大学教授として勤務しながら短編映画の制作を開始。その後、映画界に進出し1972年に『鮮血の美学』で監督デビュー。生涯多くのホラー作品を撮り、2015年8月30日に脳腫瘍で死去。没年76歳。