『ダイアナ妃が交通事故死したパリ・アルマ広場下のトンネルとその日の「ニューヨーク・デイリーニュース」紙の一面』

1997年8月31日は、英王室のウェールズ公チャールズの元夫人、ダイアナ妃が交通事故死した日である。
1981年にチャールズ公と結婚し、「ごく普通の市民層の少女が英国のプリンセスに」というシンデレラストーリーで世界中の人気者となったダイアナだったが、後年は長年の冷え切った夫婦の別居生活が露わになり、最終的にはお互いの不倫が発覚するなど、夫婦生活の晩年は世界でも最もスキャンダラスな王室の主役として知られるようになった。
1996年の離婚後も未だその美貌を誇っただけに、数々の浮き名を流したダイアナ妃だったが、そのうちの一人であったドディ・アルファイド(イギリスのデパート「ハロッズ」のオーナー、モハメド・アルファイドの長男)とリッツホテルに滞在中に突然の交通事故に遭い、世界中が騒然とする急逝となった。
事項当時に車に乗っていたのはドディとダイアナ妃の他、リッツホテルの運転手のポール、ボディガードのトレヴァー・リース=ジョーンズの4人であり、ドディとポールは即死、ダイアナも意識を取り戻すことなく搬送された病院で死亡、唯一シートベルトをしていたジョーンズのみが無事生き残った。
時速130キロオーバーでの激突死というあまりに派手な事件であったため、モハメド・アルファイドを始め、多くの人物が陰謀説を主張したが、原因は運転手ポールの飲酒と、追跡していた大量のパパラッチとのカーチェイスによるものであったと結論づけられている。
ダイアナ妃の死亡後、女王エリザベス2世は一般人として扱うことを望んだというが、チャールズ皇太子、トニー・ブレア首相の強い希望でイギリス王室による準国葬「王室国民葬」ということになった。
その葬儀のテレビ中継の視聴者数は、親交のあったエルトン・ジョンが自らの『Candle In The Wind』『Goodbye English Rose』
と歌詞を代えて捧げたという話題性も手伝い、3,210万人もの数字を記録し(イギリスの2016年の人口65,110,000人の約半数)、歴代最高の視聴率となっている。国外の数多くの視聴者を含めれば、ダイアナ妃の葬儀は、有史以来最大といえる葬儀イベントの1つといえるものだろう。

(写真はWikipedia Death of Diana, Princess of Wales / Erik1980撮影と、1997年8月31日の「ニューヨーク・デイリーニュース」紙)

8月31日の不幸

1056年
【死去】テオドラ(Theodōra)【王族/東ローマ帝国】

11世紀東ローマ帝国マケドニア王朝の女帝(1042年・ 1055年〜1056年)となった人物。 東ローマ帝国皇帝のコンスタンティノス8世の三女として生まれ、 1042年に姉のゾエとともに女帝に即位。 即位後2カ月で退位し、 その後ゾエの夫で同国の皇帝であったコンスタンティノス9世モノ マコスが1055年に死去し再び女帝へ即位。 在位中の翌年8月31日に病により死去。没年61歳。 跡継ぎがいなかったため、 テオドラの死によってマケドニア王朝の血筋は途絶えることとなっ た。

1158年
【急死】【夭逝】サンチョ3世(Sancho III)【王族/スペイン】 12世紀スペインのカスティーリャ王国国王(1157年〜 1158年)と

なった人物。“ヒスパニア皇帝” を自称したカスティーリャ王およびレオン王アルフォンソ7世の長 男として生まれ、 1157年にアルフォンソ7世の死去によりカスティーリャ王へ即 位。即位から1年未満の1158年8月31日に急死。 没年24歳。

1234年
【死去】【夭逝】後堀河天皇【天皇】

鎌倉時代に第86代天皇(1221年〜1232年) となった人物。1221年の「承久の乱」 により後鳥羽上皇の直系子孫ではない、 出家をしていないといった条件から1221年に天皇に即位。 1232年に自ら院政を行なうため四条天皇へ譲位。 1234年8月31日に病により死去。没年22歳。

1762年
【死去】【夭逝】桃園天皇【天皇】

江戸時代に第116代天皇となった人物。1747年、7歳で天皇(1747年〜1762年)に即位。在位中の1758年に「宝暦事件」が起きた。1762年8月31日に死去。没年22歳。

1867年
【死去】シャルル・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire)【詩人・評論家/フランス】

19世紀フランスの詩人および評論家で詩集『悪の華』 で知られる人物。 文学者を目指し1839年に文芸新聞などへ寄稿。 1841年に父親の遺産を散財していたため、 親族から強制的にインド旅行へ出されるも旅半ばで帰郷。 1842年にサン・ルイ島に移住し詩を制作。 1845年にサロンの美術批評家として『1845年のサロン』 を執筆し批評家として注目を集める。1847年に小説『ラ・ ファンファルロ』をシャルル・ドゥファイスの名義で発表。 1855年に詩篇を発表し詩人としても認知される。 1857年に代表作である詩集『悪の華』を出版。出版後、 治安裁判で六篇が削除され罰金刑となるも散文詩6篇として発表。 1861年に35篇を追加した『悪の華』第二版を発表。 評論活動や詩作を続けるも1863年から梅毒による体調不良が続 き、負債を負うことに。1865年に散文詩集『パリの憂鬱』 の制作を続けるも病状が悪化、翌年に脳神経に異常をきたし入院。 1867年8月31日、梅毒による原発性進行性失語により死去。 没年46歳。死後の1869年に散文詩集『パリの憂鬱』 が発表された。

1879年
【死去】坂本乙女【市民】

幕末から明治時代にかけての女性で坂本龍馬の姉として知られる人 物。土佐藩郷士の郷士・坂本八平の三女として生まれ、 1846年に母・幸が死去すると龍馬の面倒をみる。 1856年に典医・岡上樹庵と結婚するも1867年に離婚、 同年に坂本龍馬が暗殺され実家へ戻る。 1879年8月31日に壊血病で死去。没年48歳。

1888年
【連続殺人事件】「切り裂きジャック事件」

1888年8月31日、イギリス・ ロンドンのホワイトチャペルで連続殺人者“切り裂きジャック” による最初の殺人事件が発生(「ホワイトチャペル殺人事件」)。 被害者は売春婦のメアリー・アン・ニコルズ(当時42歳) であった。

1896年
【自然災害】「陸羽地震」

1896年8月31日、 秋田県と岩手県の県堺付近にある横手盆地東縁断層帯・ 六郷断層群などでマグニチュード7.2の内陸直下型地震( 大陸プレート内地震)が発生。 この地震により秋田県を中心に209人が死亡、 779人が負傷した。

1923年
【武力衝突】【国際事件】「コルフ島事件」

1923年8月31日の「第一次世界大戦」後、 バルカン半島諸国のギリシャ王国領ケルキラ島でイタリア王国とギ リシャ王国による武力衝突が発生。 同月27日にギリシャ王国の国境確定のために派遣されたイタリア 王国陸軍のエンリコ・テッリーニ将軍が何者かに暗殺され、 その報復としてイタリア王国がケルキラ島(コルフ島) を砲撃し占領。その後、 ギリシャ王国がテッリーニ暗殺に対しイタリア王国へ賠償金を支払 うことでケルキラ島を奪還した。

1939年
【第二次世界大戦】「グライヴィッツ事件」

「第二次世界大戦」 直前の1939年8月31日にドイツ領ポーランド国境付近のグラ イヴィッツ市にあったラジオ局をドイツ工作員が自作自演の襲撃を 行なった事件。 この自作自演の襲撃はポーランド侵攻を正当化するために行われた 親衛隊(SS)全国指導者のハインリヒ・ルイトポルト・ ヒムラーによる「ヒムラー作戦」の1つであった。

1949年
【自然災害】「キティ台風関東上陸」

1949年8月31日、南鳥島近海で発生したキティ台風( 台風第10号)が関東地方に上陸。首都圏から関東北部、 新潟県の山岳部まで被害が及び、死者135人・負傷者479人・ 行方不明者25人を出すこととなった。

1969年
【事故死】ロッキー・マルシアノ(Rocky Marciano)【プロボクサー/アメリカ合衆国】

ボクシングヘビー級王者で史上唯一無敗のまま引退したボクサー。通算成績49戦49勝(43KO)無敗無引き分け。6度目の防衛戦だったアーチー・ムーア戦KO勝利後に「戦う相手がいない」として引退した。1969年8月31日に米アイオワ州で乗ったセスナ機が墜落し死亡。没年45歳。

1973年
【死去】ジョン・フォード(John Ford)【映画監督/アメリカ合衆国】

代表作『荒野の決闘』『駅馬車』『アパッチ砦』等の数々のヒット作で知られる西部劇映画の巨匠。西部劇の大スター、ジョン・ウェインを起用した『静かなる男』等で4度のアカデミー監督賞を受賞している。胃ガンで79歳没。

1982年
【スポーツ事件】【暴行事件】「横浜スタジアム審判集団暴行事件」

1982年8月31日に行なわれた横浜大洋ホエールズ対阪神タイガース戦の7回表に藤田平が放った三塁線の打球へのファール判定に対し、河野旭輝三塁ベースコーチが猛抗議。そこへ島野育夫一塁ベースコーチ、さらにはベンチにいた柴田猛コーチらが激高し、判定を下した鷲谷亘三塁塁審をフェンスに追い詰めて暴行。さらにベンチから選手たちも加わり、制止に入ったた岡田功球審も含めて審判団に殴る蹴るの暴行を加えた。結果的には引き揚げた審判団に対し阪神の監督・安藤統男が謝罪し、島野、柴田の両コーチを退場処分にして試合は続行された(結果は阪神の勝利)。再開の際に「たいへん傷めつけられましたが、柴田、島野両コーチを退場させて試合を再開します」という岡田球審のアナウンスが事件の異常性を物語っている。なお、後日、神奈川県警察加賀町警察署は暴行事件として捜査を進め、審判団、コーチ陣への事情聴取を元に同年9月29日に島野、柴田両コーチを略式起訴。横浜簡易裁判所は両名に対し罰金5万円の略式命令を提出した。なお、阪神側は両コーチに10日間の活動禁止処分を出していたが、十分反省をしたとして後に再契約している。

1986年
【航空事故】「アエロメヒコ航空498便空中衝突事故」

1986年8月31日にロサンゼルス郊外のセリトス上空で、 ロサンゼルス国際空港へ向けて降下を開始したアエロメヒコ航空4 98便(マクドネル・ダグラス DC-9)と航空管制の許可を得ずに同空港のターミナル・ コントロール・ エリアを飛行していたプライベート機のパイパーPA-28- 181アーチャーが空中衝突し爆発。 この事故により両機共に乗員乗客含む67人全員が死亡、 また爆発により散乱した機体で地上にいた15人が死亡した。

1997年
【交通事故死】【死去】【怪死】ダイアナ妃(Diana, Princess of Wales)【王族】

英王室のウェールズ公チャールズの元夫人、元イギリス皇太子妃であり、その息子ケンブリッジ公爵ウィリアム王子とヘンリー王子の実母。1981年にチャールズ公と結婚し、世界中の人気者となったが、最終的にはお互いの不倫が発覚するなど、世界でも最もスキャンダラスな王室の主役として知られた。離婚後、交際していたドディ・アルファイドとパリ滞在中に交通事故死。運転手の飲酒と、パパラッチとのカーチェイスが原因だった。没年36歳。