『イルゼ・コッホとその囚人の皮膚のコレクション』

1967年9月1日は、ブーヘンヴァルト強制収容所所長の妻にして、看守のイルゼ・コッホが首吊り自殺を遂げた日である。
所長の妻ということを利用し、多くの囚人たちに拷問や虐待行為をした“ブーヘンファルトの魔女”は、囚人たちの剥がした皮膚のコレクションの他、それを利用したブックカバーやランプシェードまで作っていたと偏執狂であったと言われている人物だ。
他には女囚に犬との獣姦を強要したなど、考えられないような蛮行の伝説も残っている。
しかし、その数々の残虐伝説のほとんどが戦勝国側の発表によるものであり、事実であったかは、明らかになっていない。
さらに、1974年の映画『イルザ ナチ女収容所 悪魔の生体実験』はコッホをモデルにしたエクスプロイテーション・フィルムであるが、金髪グラマーの収容所女所長・イルザの物語と、“史実”といわれるのコッホの伝説は、あり得ないようなエンターテインメント性を持つという意味においてほぼ同じ印象なのである。
となればその“史実”はつまり作られたものであるかのように思うのが妥当であるが、しかし写真の皮膚のコレクションは存在するのである。
最後は何も語らずに、アイヒャッハ女性刑務所にて首吊り自殺したコッホ。
アイヒャッハ墓地にある彼女の墓には、真実はもとより、名前すらも記されていない。

(写真はWikipedia Ilse Kochより)

9月1日の不幸

1923年
【自然災害】【地震】「関東大震災」

1923年9月1日11時58分32秒頃に推定マグニチュード7.9〜8.3という「関東地震」が発生。死者・行方不明者105,000人、建物109,000棟が全壊、210,000棟が火災により全焼するという日本史上最大の地震災害であった(2011年の東日本大震災が更新)。また社会的混乱に乗じて朝鮮人の虐殺事件その他多くの犯罪が蔓延したことでも記憶されている。

1934年
【死去】竹久夢二【画家】

明治から大正期にかけて活躍した日本画家で、大正ロマン文化を代表する人物。独特の細身で艶やかな美人画で数多くの作品を残した。晩年は結核を患い、長野県八ケ岳山麓にある富士見高原療養所で療養に努めたが、1934年9月1日に死亡。没年49歳。最期の言葉は「ありがとう」であった。

1967年
【自殺】イルゼ・コッホ(Ilse Koch)【看守/ドイツ】

ブーヘンヴァルト強制収容所所長の妻にして、第二次大戦中にその看守であった人物。所長の妻ということを利用し、多くの囚人たちに拷問や虐待行為をした"ブーヘンファルトの魔女"は、囚人たちの剥がした皮膚のコレクションの他、それを利用したブックカバーやランプシェードまで作っていた偏執狂であったとも言われている。他には女囚に犬との獣姦を強要したなど、考えられないような蛮行の伝説も残っているがその真相は定かではなく、アメリカ軍による捏造という噂もある。彼女は戦後、アメリカ軍により戦犯として逮捕され、1949年に恩赦で釈放となったが、1951年に西ドイツ当局により再告発され、終身刑となった。最後は、アイヒャッハ女性刑務所にて首吊り自殺。没年60歳。アイヒャッハ墓地にある彼女の墓には、何も名前も記されていないという。

1983年
【航空事故】【国際問題】「大韓航空機撃墜事件」

アメリカ・ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港発韓国ソウル金浦国際空港行きの大韓航空007便(ボーイング747-230)がカムチャッカ半島の上空を通過しソ連の領空を侵犯したところ、ソ連防空軍がそれを撃墜。乗員・乗客269人の全員が死亡する大事故となった。後日その撃墜が判明するとアメリカ・韓国を始めとした国際社会はソ連に対し猛抗議。アメリカはソ連のアエロフロート機の自国乗り入れを無期限停止し、さらには連邦政府職員の同航空の利用を制限。そして、パンアメリカン航空機のソ連乗り入れも停止した。ソ連側はその事故責任を冷戦の終結まで明かすことはなかった。

1985年
【競技中事故死】ステファン・ベロフ(Stefan Bellof)【レーシングドライバー/ドイツ】

1984年にティレルからF1にデビューし、初年度に3位入賞(第6戦モナコGP。後にチームのレギュレーションにより失格)を記録するなど、将来を嘱望されたF1ドライバー。1985年9月1日に行なわれた「世界耐久選手権第7戦スパ1000キロメートル」に出場し、スパ・フランコルシャンの最難関高速コーナー、"オー・ルージュ"で1位のジャッキー・イクスを抜きにかかったところで接触しコース外のコンクリート壁に激突。炎上事故となり、救出後に死亡が確認された。没年27歳。

1989年
【事故死】カジミエシュ・デイナ(Kazimierz Deyna)【サッカー選手/ポーランド】

ポーランドを代表する点取り屋として1972年ミュンヘンオリンピックで祖国を優勝に導き、自らも9点を記録し大会得点王に輝いた伝説的なフットボールプレイヤー。1974年のワールドカップ西ドイツ大会ではチームを3位に導き、ポーランド代表通算で国際Aマッチ97試合出場41得点を記録した。クラブシーンではレギア・ワルシャワ、マンチェスター・シティなどで活躍しが、インドアサッカーの選手としてプレーしていたアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴで、自動車事故死。没年41歳。

2010年
【死去】若乃花幹士【大相撲力士・元日本相撲協会理事長】

45代横綱・初代若乃花として数々の偉業を成し遂げた昭和期の大横綱。"土俵の鬼"の異名をとった闘争心溢れる取り組みで絶大な人気を誇り、幕内最高優勝10回、幕内通算593勝253敗70休4分の記録を収めた。引退後は二子山親方として後進の指導に当たり、1988年からは第6代日本相撲協会理事長も務めた。実弟に初代貴ノ花(藤島親方・後に二子山親方)、甥に第66代横綱・3代若乃花(藤島親方、現実業家・タレント)と第65代横綱・貴乃花(現貴乃花親方)がいる。また 愛人の韓国人女性との間の息子に若剛志(幕下、現在は引退)がいる。2010年9月1日、慶應義塾大学病院で腎細胞ガンで死亡。82歳没。

2013年
【エイズ死】トミー・モリソン(Tommy Morrison)【プロボクサー・俳優/アメリカ合衆国】

1988年11月10日のプロデビュー戦に1RKO勝ちを収めて以来、28連勝(うち24KO)を記録した白人ヘビー級ボクサー。29戦目のWBOヘビー級タイトルマッチ、レイ・マーサー戦に5RTKO負けを喫するも1993年6月7日のジョージ・フォアマン戦に12R判定勝ちを収めWBO世界ヘビー級タイトルを獲得した。2度の防衛後に王座陥落をするも、その後の1995年にドノバン・ラドックに6RTKOをしIBCヘビー級王者に。1990年に大ヒット映画『ロッキー5/最後のドラマ』に出演するなど人気実力を兼ね備えた若手ボクサーとして活躍したが、1996年2月10日のアーサー・ウェザーズとの試合直前にHIV陽性反応が発覚。以降のマイク・タイソン戦がキャンセルになるなど、キャリアの存続が危ぶまれる事態に。日本やメキシコ、HIV規程のない州での試合を続けるも、本格的なボクシングのリングへの復帰は叶わず、2007年には総合格闘技に進出することに。2011年2月の試合をキャンセルして以降は表舞台に出られず、2013年にエイズの合併症で死亡した。没年44歳。

2015年
【死去】中平卓馬【写真家・写真評論家】

1968年11月1日に写真同人誌『Provoke』創刊しその編集も務めた写真家、写真評論家。「アレ、ブレ、ボケ」も辞さない型破りな作風で話題を集め、同誌でともに活動した森山大道とともに世界的にも評価の高い日本写真の新しい波を作った。代表作に『来たるべき言葉のために』『なぜ、植物図鑑か』等。1977年9月11日に泥酔し昏睡状態に陥り、言語と記憶に障害が残り引退。しかし1979年頃から復帰し、昏睡の前後で著しく作風が変わったことで話題を集め、1983年に写真集『新たなる凝視』を発表するなど、晩年まで精力的に活躍した。肺炎で77歳没。