『1969年9月12日の国葬にて共産党員に囲まれるホー・チ・ミンの遺体』

1969年9月2日はベトナムの国家独立を指揮した指導者、初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席であったホー・チ・ミンが死んだ日である。
大量の粛正を断行したという噂もあり、現在も国際的な評価は分かれる人物ではあるが、“ホーおじさん”の愛称で親しまれたカリスマ的指導者は彼の死後も続く国家にとっては意味があり過ぎる存在だった。
よって、生前の本人の意志とは反対であったといわれる『ホー・チ・ミン廟』として、現在もそのエンバーミングされた遺体は一般公開され続けている。
レーニン、毛沢東と同じように、偉大なる指導者の遺体は、“永久保存”という名の職務を今日も果たし続けている。
なお、 1945年の9月2日は、第二次大戦中に大日本帝国、フランスの占領下にあったベトナムがホー・チ・ミンの指導のもとで独立を宣言した「国慶節(建国記念日)」でもある。
つまり、9月2日は2つの意味で“ホー・チ・ミンの日”と記憶されるべき日といえるのである。

(写真は『ABC』より)

9月2日の不幸

1606年
【死去】カレル・ヴァン・マンデル(Karel van Mander)【画家・詩人・伝記作家/ドイツ】

16世紀フランドルで活躍したドイツ人の画家・詩人および伝記作家。ベルギーのウェスト=フランデレン州の貴族の家に生まれ、肖像画家ルーカス・デ・ヘーレに師事。その後、ローマで宗教劇の脚本や舞台装置などを手掛ける。1597年に詩集『De Gulden Harpe』を出版。1600年に代表作の1つである絵画『スキピオの寛容』を発表。1583年から美術品コレクションの目録作成を行ない、1604年にオランダのマニエリスム画家たちを記した『画家列伝(画家の書)』として発表。1606年9月2日に死去。没年58歳。

1910年
【死去】アンリ・ルソー(Henri Julien Félix Rousseau)【画家・税関職員/フランス】

19世紀から20世紀にかけて活躍したアウトサイダーアートの大家。代表作に『私自身:肖像=風景』(1890年)『戦争』(1894年)、『眠るジプシー女』(1987年)など。20数年間を税関の職員として務める傍ら、その余暇を使って、キュビズムやシュルレアリスムのはしりとでもいうようなオリジナルの画風の作品を数多く産み出したが、生前に正統な評価がされることはなく、ゴーギャン、ピカソ等の同業者たちからの評価だけに止まった。1910年9月2日に肺炎で66歳没。その直前の1909年に手形詐欺事件で拘留されているが、その真偽は定かではない。

1913年
【死去】岡倉天心【評論家・史家・教育者】

明治時代に活躍した美術評論家および美術史家で東京美術学校初代校長として知られる人物。福井藩士として横浜で貿易商店『石川屋』を営む家に生まれる。1873年の「廃藩置県」で同商店が廃業し東京へ移住、同年に官立東京外国語学校(現・東京外国語大学)へ、1875年に東京大学へ入学。1880年に文部省へ入省し翌年に東洋美術史家のアーネスト・フェノロサと日本美術を調査。1882年に専修学校の教官に就任。1886年に東京美術学校設立のためフェノロサと欧米視察を行ない、1889年に同学校を開校し帝国博物館理事、大博覧会美術部審査官へ就任。同年に美術雑誌『国華』を創刊。1890年に東京美術学校初代校長へ就任。1898年に「美術学校騒動」が起こり同学校校長を辞職、同年に美術団体である日本美術院を開設。1904年にボストン美術館中国・日本美術部担当となる。1907年に美術審査委員会委員へ就任。1910年にボストン美術館中国・日本美術部長へ就任。1911年に帰国し1912年に文展審査委員へ就任。晩年も日本の美術界へ貢献し、1913年9月2日に慢性腎炎で死去。没年50歳。

1927年
【死去】梅ヶ谷藤太郎 (2代目)【大相撲力士】

明治時代に活躍した大相撲力士で第20代横綱となった人物。1891年に富山県で巡業を行なっていた大相撲力士・2代目劔山谷右エ門から勧誘され雷部屋へ入門。同年に梅ノ谷音松として13歳で初土俵を踏む。1898年に新入幕し翌年に小結、関脇へ昇進。1900年に大関へ昇進し1902年に2代目梅ヶ谷藤太郎を襲名。1903年に当時の最年少記録24歳で横綱免許を授与され第20代横綱へ。以後、第19代横綱・常陸山谷右エ門と「梅常陸時代」と呼ばれる相撲黄金時代を築き、1915年に生涯戦歴183勝31敗116休48分2預で引退。1927年9月2日に死去。没年49歳。

1937年
【死去】ピエール・ド・クーベルタン(Pierre de Frédy, baron de Coubertin)【教育者・近代オリンピック創始者/フランス】第2代国際オリンピック委員会会長。歴史書『オリュンピアの祭典』に感化され、近代オリンピックを提唱。1896年の第1回アテネオリンピックを開催した。心臓発作で74歳没。
1969年
【急死】ホー・チ・ミン(Ho Chi Minh)【政治家・軍人/ベトナム】

第二次大戦中に「ベトナム独立同盟会」を組織し、その主席として1945年の9月2日に大日本帝国、フランスの占領下にあったベトナムを独立に導いたベトナム初代主席。大量の粛正を断行したという噂もあり、現在も国際的な評価は分かれる人物ではあるが、”ホーおじさん”の愛称で親しまれたカリスマ的指導者として知られ、第一次インドシナ戦争、ベトナム戦争等の激動の時代を過ごしたベトナムで絶大なリーダーシップを発揮した。そしてベトナム戦争下の1969年9月2日に心臓発作で急死。79歳没。死後その遺体は『ホー・チ・ミン廟』として一般公開され、ベトナム戦争後、南ベトナムの首都であったサイゴンはその建国の父としての功績に敬意を評しホー・チ・ミン市と改名された。

1973年
【死去】J・R・R・トールキン(John Ronald Reuel Tolkien)【小説家・言語学者/イギリス】20世紀で最も人気のある小説と言われるファンタジー小説『指輪物語』の作者。81歳没。
1998年
【航空事故】「スイス航空111便墜落事故」

1998年9月2日、アメリカ・ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港発、スイス・ジュネーヴのコアントラン国際空港行きののスイス航空111便(MD-11)が離陸から2時間ほど飛行した時点で火災が発生。最寄りのカナダ・ノバスコシア州ハリファックス国際空港に緊急着陸を試みたが操縦室にまで火の手が回り、操縦不能状態に。そのままカナダのノバスコシア州沿岸の大西洋に墜落した。乗員・乗客合わせて229人全員が死亡。原因は事故機に電気配線の保護機能が十分備わっていなかったためとされた。

2006年
【夭折】【急死】岩田ゆり【モデル・タレント】雑誌『ViVi』テレビバラエティ『ワンダフル』等で活躍したモデル・タレント。『HbG』なる自身のブランドを立ち上げ、デザイナーとしても活動し、そのプロモーションで行ったラスベガスで急死。脳動脈破裂による脳内出血で25歳没。
2008年
【スポーツ事件】【ドラッグ事件】「大相撲力士大麻問題」

2008年8月18日に当時前頭筆頭の大相撲力士・若ノ鵬寿則(間垣部屋)が大麻取締法違反の疑いで逮捕されたことを受け、大相撲協会は同年9月2日に抜き打ちの尿検査を実施。ロシア出身の大相撲力士の露鵬(大嶽部屋)と白露山(北の湖部屋)の兄弟に大麻吸引の陽性反応が発見された事件。両者ともに否定したが調査の後の9月8日に両名を解雇。同日北の湖日本相撲協会理事長も辞任することとなった。