『テロリストにより撮影された体育館内の人質たち』

2004年9月3日は、9月1日に発生した『ベスラン学校占拠事件』の3日目で、治安部隊の突入により、少年少女を中心とした386人以上もの人質が死亡した日である。
9月1日午前にロシアの北オセチア共和国ベスラン市ベスラン第一中等学校にチェチェン共和国独立派の武装集団が7歳〜18歳の少年少女とその親ら1,181人を人質に立てこもり。
政治犯の釈放など様々な要求を突きつけた交渉の後、3日目に大規模な突入作戦が開始。
爆発をきっかけに犯行グループ30人と治安部隊との間で壮絶な銃撃戦が行なわれ、治安部隊が制圧したものの、386人以上(うち186人が少年少女)、負傷者700人以上という1,000人以上の犠牲者を出す史上稀に見る惨劇となった。
チェチェンの独立問題ではISに繋がるイスラム系テロ組織との密接な関わりが指摘されているが、この事件もその嫌疑はかけられている。
この写真には100人以上もの子供たちの人質と、バスケットボールのゴールから伸びたワイヤーに設置された爆弾が写っており、犯人グループがロシア政府との交渉に使用したものであるといわれている実に生々しいものである。
この爆弾の爆発をきっかけに起きたその突入作戦は賛否両論を巻き起こしたが、いずれにせよ、200人もの少年少女がその犠牲になったことは変わらぬ事実として語り継がねばならない。

(写真はWikipedia Beslan school siegeより使用)

9月3日の不幸

1941年
【大量殺人】【ジェノサイド】『ホロコーストでのガス室処刑』

1941年9月3日は、第二次大戦中のナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺、ホロコーストにおいて、ガス室での大量毒殺が初めて行なわれたといわれる日。チクロンBの使用により、32分で800名もの処刑が可能であったともいわれおり、その犠牲者は400万人とも150万人ともいわれている。

1989年
【交通事故死】【死去】ガエターノ・シレア(Gaetano Scirea)【サッカー選手/イタリア】

1990年代に活躍したフランコ・バレージと並び"イタリア史上最高"と呼ばれるリベロとして活躍した伝説的なフットボール選手。所属クラブのユベントス、そしてイタリア代表チームでチームメイトであった名ゴール・キーパー、ディノ・ゾフとともに鉄壁のディフェンスを築き、1982年スペインワールドカップでの優勝に中心選手として貢献した。長年活躍したディフェンスの選手としては奇跡的なことに、生涯一度も退場処分を受けたことがないフェアプレーで知られた模範的なプレイヤーであった。1988年に現役引退し、翌年、ゾフがユベントスの監督に就任するとその助監督に就任。同年9月にUEFAカップで対戦する予定であったグールニク・ザブジェの視察でポーランドを訪れた後、帰国途中のバプスク付近でガソリンを積んだトラックと正面衝突事故を起こし即死。没年36歳。死後に新設されたユベントスのホーム・スタジアム「デッレ・アルピ」にはその死を偲び「クルヴァ・シレア」なる座席が設けられた。

1991年
【死去】フランク・キャプラ(Frank Russell Capra)【映画監督/アメリカ合衆国】

1930年代を代表するアメリカの映画監督。ヒューマニズムな作風は監督の名から"キャプラスク(Capraesque)"と呼ばれている。大学卒業後、陸軍に従軍するもスペイン風邪を患い除隊。その後は職業を転々とし、小説家を目指しシナリオ学校へ。入学後は映画に興味を持ち映画社へ入社。助監督を経て1922年に『Fultah Fisher's Boarding House』で監督デビュー。喜劇などのライターとしても活躍し1928年にコロムビア映画と専属契約。1933年に脚本家ロバート・リスキンとコンビを組み、代表作『Lady for a Day (一日だけの淑女)』を制作。同作はアカデミー作品賞・監督賞にノミネートされ監督として知られることに。翌年には『It Happened One Night (或る夜の出来事)』でアカデミー賞の主要部門を制覇し名監督としての地位を築いた。1941年にワーナー・ブラザースへ移籍し『群衆』を発表。第二次世界大戦中は軍隊へ志願し、アメリカ陸軍映画班としてプロパガンダ映画を制作。戦後は自身の集大成として『It's a Wonderful Life (素晴らしき哉、人生!)』を発表するも興行的には失敗に終わり、作品制作数は激減。1964年に『Rendezvoures in Space』を撮り映画界から引退した。1991年9月3日、老衰のため死去。没年94歳。

2012年
【死去】文鮮明【宗教家/韓国】

韓国、日本を中心に300万人の信者数を自称する(実際には数万ともいわれている)宗教団体「世界基督教統一神霊協会(統一教会)」を1954年に創立した人物。信者同士が一斉に結婚する「合同結婚式」に元女優の桜田淳子が参加したことで日本でも話題になった同教団は、文自身が脱税や詐欺まがいの勧誘や霊感商法が報道されスキャンダラスな面も噴出したが、文は生涯教団トップの地位にあり続けた。2012年9月3日に肺炎などで死亡。没年92歳。