『ドイツの教員、エルンスト・ワグナーのポートレート』

1913年9月4日は、ドイツを震撼させた大量殺人事件「ワグナー事件」が起きた日である。
自らの妻と4人の子供、そして通行人9人を1日で殺害したこの事件は、「社会への復讐」そしてまず犯行の最初に自らの家族を殺害したという共通点から、日本で1938年に起きた「津山30人殺し」に酷似しているといわれている事件である。
かつて教師として勤務したミュールハウゼン村で自らが起こした獣姦のせいで、村民から嘲笑われていたと信じ込んでいたワグナーは、早朝にシュツッツガルト郊外のデガーロッホの自宅で妻と子供を殺害し、ミュールハウゼンに移動。放火を繰り返し、逃げまどう村民たちを射殺していった。
結果的に警官と村民により身柄を拘束されたワグナーは、さらに姉一家を殺した後に自殺する予定であったという。実際のところ、彼が恐れていた獣姦のことを証言する人物は現われなかったために、個人的な妄想に突き動かされて起こした事件だったという結論となった。
都井とワグナーの事件は、どちらも自らの凶行の後を生きる家族を不憫に思い(都井睦男の場合は祖母)、決意を込めて殺害しているところに並々ならぬ決意が溢れており、極限の心理状況を描いた様々な創作物のテーマとして引用されている。
その代表はヘルマン・ヘッセの小説『クラインとワグナー』である。
ちなみに、逮捕後、ワグナーは死刑を望んだが、精神鑑定の結果パラノイア(偏執病)と診断され無罪、療養施設でその余生を送ることとなった。
そして、自らの死を邪魔した医師を生涯怨みながら、多くの戯曲を書き残した作家となったのだった。
その上演は却下されたために陽の目を浴びることはなかったのだが、望み通り自死を遂げた都井と死を奪われて生き続けたワグナー。
酷似しているといわれた2つの大量殺人事件の結末は、正反対のものであった。

(画像はWikipedia Ernst August Wagnerより使用)

9月4日の不幸

1063年
【死去】トゥグリル・ベグ(Tughril Beg)【国王/イラン・イラク・トルクメニスタン】

11世紀にイラン・イラク・トルクメニスタンを征服したセルジューク朝の初代スルターン(1038年〜1063年)として知られる人物。テュルク系遊牧民集団の族長の家系に生まれ、祖父の跡を継ぎ族長となりセルジューク族を名乗る。1025年に伯父のアルスラーン・イスラーイールがガズナ朝の君主スルターン・マフムードの捕虜となったことをきっかけにガズナ朝へ侵攻。1038年に「ニーシャープールの戦い」でガズナ朝に勝利しセルジューク朝を創始。1040年に領土をアフガニスタンからホラーサーン地方まで拡大。1055年にブワイフ朝を倒しバグダードへ入城、アッバース朝第26代カリフ・カーイムからスルターンの称号を授与される。その後、小アジアからトルキスタンにかけて領土を拡大しセルジューク朝の繁栄に寄与。1063年9月4日に死去。没年73歳。

1913年
【死去】田中正造【政治家・活動家】

明治時代の政治家および活動家で日本初の公害事件「足尾鉱毒事件」を明治天皇に直訴したことで知られる人物。下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)の名主の家に生まれ父の跡を継ぎ名主となる。1868年に領主であった高家六角家に対し政治批判を行なったため投獄され翌年に出所。1870年に江刺県花輪支庁(現・秋田県鹿角市)の官吏となるも翌年に殺人事件の冤罪により逮捕・投獄される。1874年に釈放され故郷へ戻り酒屋の番頭の職に就く。1878年に区会議員に選出される。同年に『栃木新聞』が創刊され編集長へ1879年に就任。1880年に県会議員に選出され1882年に立憲改進党へ入党。「自由民権運動」が活発な中、知事であった三島通庸と対立。1885年に三島暗殺を企てた「加波山事件」が勃発、事件に関与したとして逮捕されるも三島の異動と同時に同年に釈放される。1886年に議長となり1890年に衆議院議員へ選出される。1891年に足尾銅山の鉱毒問題に着手。1897年に近隣農民の鉱毒反対運動が激化し1900年に農民と警官隊が衝突し農民が逮捕される「川俣事件」が発生。1901年に議員を辞職し明治天皇に「足尾鉱毒事件」への直訴を行なうも失敗し拘束され翌日に保釈される。1902年に「川俣事件」公判中にあくびをしたという罪で服役し同年に出所。出所後は渡良瀬川下流の貯水池建設に埼玉県川辺村の村人とともに反対運動へ参加。1903年に栃木県下都賀郡谷中村で貯水池建工事が始まったため、同村へ移住。強制廃村が行われる中、同村へ住み続け死の間近まで抵抗し1913年9月4日に胃ガンで死去。没年71歳。

1913年
【無差別殺人】「ワグナー事件」

かつて教師として勤務したミュールハウゼン村で自らが起こした獣姦のせいで、村民から嘲笑われていたと信じ込んでいた教員、エルンスト・ワグナーは、早朝にシュツッツガルト郊外のデガーロッホの自宅で妻と子供を殺害し、ミュールハウゼンに移動。放火を繰り返し、逃げまどう村民たちを射殺していった。結果的に警官と村民により身柄を拘束されたワグナーは、さらに姉一家を殺した後に自殺する予定であったという。実際のところ、彼が恐れていた獣姦のことを証言する人物は現われなかったために、個人的な妄想に突き動かされて起こした事件だったという結論となった。ちなみに、逮捕後、ワグナーは死刑を望んだが、精神鑑定の結果パラノイア(偏執病)と診断され無罪、療養施設でその余生を送ることとなった。

1949年
【政治事件】【暴動】「ピークスキル暴動」

1949年9月4日に行なわれた共産主義に傾倒する黒人歌手・ポール・ロブスンのコンサートが終了した直後、帰路についた観客を反共産主義者や退役軍人、KKK構成員らが襲撃。140人の負傷者が発生する事態となった。これは同年8月27日にロブスン参加予定のコンサートが、ロブスンをリンチしようとした事件で中止されたことに続く悲劇であった。

1963年
【死去】ロベール・シューマン(Robert Schuman)【政治家・弁護士/フランス】

“欧州連合の父”のひとりと称される20世紀フランスのドイツ系政治家でフランス首相(1947年〜1948年・1948年9月5日〜1948年9月11日)となった人物。ドイツの大学で学び、卒業後は弁護士の職に就く。「第一次世界大戦」中にメッツ市議会議員へ就任し戦後メッツ市がフランス領となったため、フランスの政界での活動を開始。1919年に地方議員に選出される。1940年にナチス・ドイツによるフランス侵攻でフランス第三共和政が崩壊、同年にナチスへ逮捕されるも1942年に脱獄。「第二次大戦」後の1946年に財務大臣へ就任。1947年に短期間閣僚評議会議長(首相)に就任し、1948年に外務大臣も兼任。1950年にフランスと西ドイツが石炭・鉄鋼産業を共同管理することをまとめた「シューマン宣言」をし欧州連合の発展へ尽力。1955年に司法相へ就任。1958年に欧州諸共同体欧州議員総会議長となりカール大帝賞を受章。1963年9月4日に死去。没年77歳。

1963年
【航空事故】「スイス航空306便墜落事故」

スイス・チューリッヒ発イタリア・ローマ行きのスイス航空306便(HB-ICV)が、離陸直後に出火し墜落。乗員乗客合わせて80人全員が死亡。その乗客のうち43人はスイスチューリヒ州フンリコン村の住民であったが、その村が事故当時たった217人という小規模な村落であったためにこの事故で20パーセントの住民が死亡し、その結果39人の子供が孤児となったことが悲劇的な話題となった。

1976年
【列車事故】「京阪100年号事故」

1976年9月4日、京都府京都市の梅小路蒸気機関車館へ保存されていた蒸気機関車C57 1を東海道本線・京都駅から大阪駅間の開業100周年を記念した記念臨時列車「京阪100年号」として運転するも同線の千里丘駅から茨木駅間走行中に人身事故が発生。この事故により線路内に立ち入っていた小学5年生の男児1人が死亡。事故当時、多くの鉄道ファンが集まり鉄道用地内に侵入して写真などを撮っていた。運転していた機関士および機関助士は書類送検後不起訴処分となっている。

1979年
【死去】ランラン(蘭蘭・Lang Lang)【ジャイアントパンダ/中国】

昭和期に上野動物園へ来園した雌のジャイアントパンダ。1972年10月に日中国交正常化を記念して中国から雄のカンカンとともに上野動物園へ移住。同年11月に日本中の人気者となる。その後、自然妊娠中の1979年9月4日に妊娠中毒症および尿毒症などの合併症により死去。推定没年齢10歳。

1983年
【死去】猫田勝敏【バレーボール選手】

1972年ミュンヘンオリンピックでの男子バレーボール金メダルに貢献した”世界一のセッター”。極端な高さのスローサーブ”天井サーブ”の考案者としても知られ、1980年に引退するまで4大会連続(東京、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール)でオリンピック代表として活躍し金銀銅ひとつずつのメダル獲得に中心選手として携わった。引退後は指導者に専念したが、1981年に胃ガンが発見され、1983年に死亡。没年39歳。

1987年
【殺人事件】「佐々木つとむ殺害事件」

1987年9月4日、ものまねタレントとして人気を博していた佐々木つとむ(当時40歳)が当時交際していた中野美沙(当時39歳)に東京都板橋区高島平の中野宅のアパートで刺殺された。佐々木が中野の飼っていた犬を殴って骨折されたことが原因とされ、中野は犬を入院させた後の同月6日に青森県むつ市大湊の陸奥湾で入水自殺しているのが発見された。

1990年
【死去】大石真【小説家】

昭和に活躍した児童文学作家で代表作『チョコレート戦争』の著者として知られる人物。1945年に早稲田大学に入学し早大童話会に入会。1951年に児童文学誌『びわ実学校』創刊へ参加、以後執筆活動に専念。1953年に『風信器』を発表し児童文学者協会新人賞を受賞。1965年に『チョコレート戦争』を発表。晩年も作家として活動を続け、1990年9月4日に死去。没年64歳。

1993年
【自殺】エルヴェ・ヴィルシェーズ(Hervé Villechaize【俳優/フランス】

1974年の映画『007 黄金銃を持つ男』で一躍有名になった小人症の俳優。フランスに生まれ、1964年に渡米。その後アーティストや写真家として活動の後に俳優業へ進出し、晩年までテレビ・映画で活躍を続けた。1993年9月4日に長年の恋人であったキャッシー・セルフの横で拳銃自殺。没年50歳。長年患っていた小人症からくる内臓疾患を苦にしての自殺であったといわれている。

1995年
【逮捕監禁事件】【暴行事件】「沖縄米兵少女暴行事件」

1995年9月4日、沖縄キャンプ・ハンセンに駐留するアメリカ海軍軍人のマーカス・ギル(当時22歳)、アメリカ海兵隊員ロドリゴ・ハープ(当時21歳)、ケンドリック・M・リディット(当時20歳)の3人が、ドライブ中に沖縄県北部国頭郡の商店街で買い物をしていた当時12歳の少女を拉致し車中で粘着テープで顔を覆い手足を縛って集団強姦し全治2週間の傷を追わせる事件が発生。事件発覚後、実行犯の3人が日本へ引き渡されなかったことが問題となり、沖縄県民の反基地感情および反米感情が爆発。その後、およそ8万5千人の参加者が集まる大規模な決起会が行われることとなった。

2006年
【事故死】【奇妙な死】スティーブ・アーウィン(Steve Irwin)【実業家・活動家・タレント/オーストラリア】

1970年代から2000年代初頭にかけて活躍したオーストラリアの動物園経営者および環境保護運動家で“クロコダイル・ハンター”の愛称で知られる人物。爬虫類公園を営む家に生まれ1990年に経営を引き継ぐ。1992年にクイーンズランド爬虫類と動物公園、クロコダイル環境公園を統合しオーストラリア動物園に改名。1997年からアメリカのテレビ番組『クロコダイル・ハンター』に出演し人気を博す。その後タレントとして活躍中の2006年9月4日、ドキュメンタリー番組『海の危険動物』収録中にアカエイに刺され死去。没年44歳。

2006年
【放火殺人事件】【未解決事件】「外務省審議官実父宅放火殺人事件」

1991年9月4日、東京都大田区に所在していた外務省大臣官房審議官・堤功一の実父宅が成田空港問題に絡み革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)に放火された事件。この放火により元千葉工業大学講師で堤の父(当時82歳)と母(当時81歳)が死亡。中核派は犯行を自認していたが実行犯など詳細不明のまま2006年9月に時効が成立。

2006年
【死去】ジャチント・ファッケッティ(Giacinto Facchetti)【サッカー選手/イタリア】

イタリア代表、インテルの中心選手として長らく活躍したデフェンスのフットボール・プレイヤー。インテルでは1963〜1965年にかけてのUEFAチャンピオンズリーグ2連覇に貢献し”グランデ・インテル”と呼ばれた同チームのキャプテンとして通算476試合に出場した鉄人でもあった引退後は2004年1月からインテルの会長職に就くなどしていたが、2006年9月4日に肝臓ガンで64歳没。死後、インテルはその功績を称え、ファッケッティの背番号3を永久欠番とした。

2007年
【事故死】沼田憲保【オートバイ競技選手】

“雨の沼田”の異名をとった1990年代に活躍したモーターサイクルロードレース選手。1988年にスズキ所属の選手としてデビューし、1990年のSUGO選手権ででチャンピオンとなる。1991年に国際A級ライセンスを取得。同年に全日本ロードレース選手権250ccクラスへフル参戦を開始。1993年にロードレース世界選手権第9戦で初優勝。1995年、1996年と全日本ロードレース選手権GP250クラス・チャンピオン獲得。選手およびライディングスクールの講師として活躍中の2007年9月4日、練習走行中にタイヤバリアへ衝突し胸部破裂で事故死。没年41歳。

2015年
【強盗殺人事件】「浦和警察署巡査部長殺人事件発生」

2015年9月4日、埼玉県の県警浦和署地域課の巡査部長であった中野翔太(当時31歳)が朝霞市根岸台在住の無職・寺尾俊治(当時58歳)を殺害し現金100万円を奪う強盗殺人事件が発生。当時中野には妻子がいたが不倫相手との二重生活を送っており生活費に困窮したため事件を起こしたと供述。